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月琴41号/42号 (2)

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斗酒庵 ひさびさの平行作業 の巻2015.9~ 月琴41号 キリコさん/42号 蝉丸 (2)

STEP2  メタフィジカルな風景

  この世には2タイプのニンゲンがいる。
  「夏休みのしくだい」 を夏休みちゅうに仕上げられる奴と,夏休みが終わっても,まだやっている奴だ。

  夏前に買い込んだ壊れ月琴は4面,その後3面ばかり増えて。
  一時期,四畳半一間のわが工房に,手持ちの楽器含めて11面もの月琴がみっちり詰まってたりもしてました。前にも書きましたが,まン丸の目玉オバケみたいなこの楽器に,360°囲まれて生活するのは,なにやら 精神衛生上あまりヨロしくはない 気がいたします(w)ので,一刻も早く,一面でも片づけてまいりたき所存。

  依頼修理の2面,ヨソさまの楽器がはけたので,夏前の自出し月琴を,まずは順番通りに直していきましょう。

  41号は作者不明。
  棹から胴体まで,ほぼ 「総桐造り」 という,ちょっと変わり種の月琴です。

  まずはお飾りハガしから。
  胴体左のお飾りは,縦横むざんに食われておりました。食害は下の桐板だけでなくお飾りの裏面にもおよんでいます。
  こりゃなかなかタイヘン。

  山口とフレットは象牙ではなく牛骨のようです。
  山口は上下逆さに取り付けられてましたし,あらためて棹に当ててみると,幅もぜんぜん合ってないので,もしかするとどちらも後補の部品なのかもしれません。

  棹は「染め」ではなく「塗り」ですね。
  ----おそらくはベンガラかと。
  かなりヨゴれてたんで拭いたら,けっこうハゲちゃいました。

  現在,この楽器の棹は表板がわにかなり傾いてますので,これをちゃんと楽器の背がわに向けるため,棹基部から延長材をハズします。
  なんせこの棹,桐ですからねえ----柔らかいもんで弦のテンションとかに負けちゃったのでしょう。下手すると延長材のスギの木のほうがカタそうです。(w)
  長く使えるようにするには,やはりなんらかの補強が必要でしょうね。

  接合部の補強策は後で考えるとして,まずは棹がちゃんとした角度で,きちんと収まるように調整しておきましょう。延長材をはずし,胴体との接合面をちょっと削ります。
  オリジナルだと水平に近いので,もう少し傾けときますね。

  延長材の差し込み部分も,新しい設定でちゃんと胴体におさまるような角度に削り直します。

  この桐の棹の,もう一点不安なところは,糸倉です----弦楽器の中でいちばん力のかかるところのひとつ。
  前回書いたとおり,月琴の弦圧は絹弦張ってる限りたかがしれているので,強度的には問題はないものの,耐久性の面ではやはり不安が残りますね。

  とくに不安なのが糸巻周辺。
  糸を張るのに,楽器の音を合わせるのに,けっこうギリギリ回しちゃいますし,しょちゅうぐいぐいネジこんじゃいます。
  さらにこの楽器の糸巻の穴は,楽器職がよくやる焼きぬきではなく,ツボギリの類でただあけただけのものです。ただ使うだけなら当座は問題ないでしょうが,やはりこのままだと,使ってるうちにコスれて削れてどんどん広がっちゃいそうですんで,まずはここを補強しておきましょう。

  ふだんウサ琴の製作で使っている焼棒で,糸巻の穴を焦がして,内壁を焼き締めます。そこに柿渋をしみこませ,乾いたらまた焼き入れ……と何度かくりかえし,穴を強化しました。

  強度的に前よりはマシになってるはずです。(w)



STEP2  しるもしらぬもあふさかのせき


  42号も修理開始。

  ----とはいえ,まず問題なのは,このナゾな構造をどうするか,ですね。
  「修理」 の本筋から言えば,もともとこういう構造だったんだから,この構造のまま使用可能な状態に戻す,というのがふつうなのですが----庵主,どうもナットクがいきません。

  まずは 「なぜこんなふうにしたか?」 が知りたいですね。

  安物の量産月琴で,加工の手間を省くため,というのなら理解はゆくのですが,主材はカヤ,もとはお飾りも満艦飾だったでしょうし,材料も工作・加工も,廉価品のそれではありません。

  そこであらためてこの棹を詳しく調べてみることにしました。

  中途半端な長さに切られたなかご部分と,それを支えるため裏板に接着された木片は,おそらくもとは一本につながっていたのだと思われます。
  木片は現在の棹なかごより5ミリほど厚いのですが,これは加工途中に切断されたと考えれば問題はありません。実際,棹のほうにある部分の側面の線を延長してゆくと,枕木になっている木片の側面のラインにばっちりつながりました。

  これをもとに,もとあった棹なかごの長さを推定すると160プラマイ2ミリとなりそして,もしこれを現在の棹の角度でこの楽器に組み込んだとすると,棹なかごと表板の間隔は,上桁のところで3ミリくらいしかなくなります。

  さらに現在胴体に挿しこまれている部分が不自然な長さであり,通常の月琴でよくあるように延長材を挿すような加工もされていないことなどから考えますに,まず----

 1) 作者は棹を "一木削り出し" で作ろうと考えた。

 2) しかし,なかご部分の設定を間違ったか,工作をしくじって,そのままではなかごが表板にぶつかってしまうこと,組み込めないことに,加工の途中で気が付いた。

  ----と,推測されます。
  棹の角度の調整工作はけっこう微妙なものですので,実際組み込んでさらにちょっとでも角度がついてしまったら,間違いなく棹なかごの先端が表板から突き出す(w) 事態となりましょう。また,うまく推定される「3ミリ」残した範囲に仕上げられたとしても,内桁は柔らかい針葉樹でできてますので,それでは強度に不安が出ます(泣) そこで----

 3) 表板にぶつからない範囲でなかごを切断し,胴体にはまるように加工。

 4) 短いなかごだと弦のテンションに耐えられるか心配だったので,棹背がわに先端部を接着,傾き防止のブロックとした。

  ----ってとこでしょうかね。
  もし,知識と経験のある作者さんなら,ここで一木造りをあきらめて,延長材を挿すふつうの構造に変更すると思うのですが,おそらく原作者は一木造りにやたらとこだわりがあったのか…いいえ,工作から見る限り,たぶん単純にほかの構造を知らなかったんでしょうねえ……それでこんなヘンテコな工作をして,とりあえず完成させた,ってとこでしょうか。

  完成はしたものの,ほとんど演奏痕がない状態から考えて,お店のカンバンにでもしてたんじゃないでしょうか。満艦飾になってたのもそのためかもしれません。(類似例:「N氏の月琴」

  接合部にニカワがやたら大量に使われてたり,枕木の加工があまりにも雑だったりしているとこからすると,かなりパニくってたか,あるいはヤケになってたのかもしれませんね。ほかの部分の加工の精緻さから見るに,もっと落ち着いてじっくり一息入れてれば,この人ならもう少しマシな工作を思いついたかもしれないのですが。 あわててやった仕事はロクな結果にならない----というのは今も昔も変わりがないようですな。ものつくりの場合,その最悪の結果のひとつが,後世,そういう 「やっつけ仕事」 をこうやってアバかれ,書きたてられたりすることでしょうよ。

  庵主も,ふかくムネに刻んでおくことといたしましょう。(汗)

  さてこれを 「原作者の失敗」 と処断したからには,「修理」 とはいえ,わざわざその 「失敗した結果に戻す」 という必要はありますまい。

  もっとも,以下の作業は 「修理の本筋」 からははずれた 「改造」 にあたる行為となりますが。 まずは原作者が失敗したところまでたち戻り,そこから彼が本来やるべきだったベストの工作を,百ン十年後の庵主が,彼に代わってやることとします。
  何度も書いてるように,庵主の修理はあくまで 「楽器の再生」 のためであって,「古物をもとの姿に戻す」 ためではないからですね。

  そのままだと多少長すぎるので,まずは棹なかごをすこし短くし,V字の刻みを入れます。

  米栂材で延長材を作り,本来原作者が目指していたはずの角度で内桁に挿さるように,角度を調整して接着。
  つづいて,延長材のウケになる部品を切り出し。

  上桁の穴にハメこんで接着。 かなりがっちりとはまりましたが,接着しただけでは多少不安なので,ニカワが乾いたあと,左右に穴を通して竹クギを打ち込んでおきます。

  これで棹は胴体にばッちりと挿さりました----しかも 「ふつうの」「よくある」 形式で。

  棹を胴体に直接固定せず,穴をあけてただ挿しこむという,このスパイク・リュートの三味線形式は,それはそれで欠点がないわけでもありませんが,最大の利点の一つは 「棹が壊れても(もしくは胴体が割れても)交換することができる」 という点です。

  ウサ琴による製作実験や過去の修理から分かったよう,この楽器の棹はきわめて短いために,その材質や工作は,三味線やギターほど楽器の音色に影響がありません。 この楽器の音の良しあしは,ほとんどその胴体の構造と工作によって左右されます。 また胴体が円形で,衝撃などにあるていど耐性があるのにくらべ,棹の部分はそこから目立って突き出ているだけに,この楽器でもっとも弱く,かつ壊れやすい部分にもなっています。 それでこのスパイク・リュートの構造上の利点を,わざわざ捨て去るのはあまりにももったいなく,かつ意味がありません。

  ましてや,その変更の理由が 「音の追及のため」 とかならまだしも,明らかに 「失敗の結果」 であるならば,修理前と多少音色に違いが生じたとしても,庵主は今回のような行為に走っちゃうでしょうね。

  とはいえこんなこと,修理者としてあえてやりたいものではけっしてありませぬ。
  もー!もー! かんべんしちくり~ッ!!

(つづく)


天華斎/バラバラ鶴寿堂 (5)

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斗酒庵 南からの修理依頼 の巻2015.9~ 天華斎/バラバラ鶴寿堂 (5)

STEP5 穴からすべてははじまった

  胴側面にアナはあいてたものの,糸巻はそろってるし,お飾りもフレットも完備,糸も張れるし,いちおう弾ける,という状態ではありましたが,悪魔というものは外にではなく,かならず内がわに潜んでいるもので----響き線は折れる寸前,内桁はほとんどハガれ,接合部は全トビ……楽器としては,ほぼ 「ガワだけ」 になっていた,と言えます。

  天華斎,しつこくこだわった内がわからの作業も終了。
  いよいよ内部構造ともお別れ,作業のため切り取った裏板をもどします。


  切り取った裏板の端のほうが,長年演奏者の着物に触れて削られ,かなりうすくなってしまっています。そのままだと,たとえ接着はうまくいっても,強度に不安が出るので,中央の板との間に幅1~2ミリほどのスペーサーを入れ,左右を胴体から突き出させ,少しでも厚みのある辺りで接着させましょう。

  スペーサーは後で入れるので,そのぶんズラして接着しなきゃなりませんね。
  ハガすときは器体の様子を見ながらでしたので,片方づつの作業でしたが,こんどは片方だけに圧力をかけると,もう一方に影響が出てしまうかもしれないので,左右を同時に接着します。
  ウサ琴外枠転用のクランプ,ひさしぶりに登場です。

  側板は最大でも5ミリ程度しか厚みがないし,接着の悪いタガヤサン。
  垂れないように気をつけながら筆で水を含ませ続け,ニカワを塗るのもなかなかにホネですね。(汗)

  一晩ほどそのまま圧着,さらに一日ほど接着の確認をしたところで,スペーサーを埋め込みます。

  埋め木には,例によって過去の修理で出た古い楽器の板を使用。
  木粉粘土をまぶしてはめこみ,乾いたところで,はみだした板の側部周縁と一緒に整形してしまいます。
  補修痕はヤシャ液や柿渋で補彩。
  いまはどうしても目立っちゃいますが,しばらくすると色があがってきて,そんなに目立たなくなってゆくと思います。

  あとは前修理者のやった表板の補修痕を少し手直ししたり,棹の補彩に,作業中はずれたお飾りをもどしたり,細かい仕事をきちっと終えて。
  新しく削った糸巻を挿し,天華斎,さてさて復活!!


  修理個所の補修・補彩以外は面板に手出しをしてないので,あんまり変わりばえはしませんね。(w)

  今回のフレット位置はオリジナルのまま。
  開放弦4C/4Gの5度調弦での音階は以下のようになっていました。

4D-174E-424F+204G+114A-25C-35D+145F+33
4A-204Bb+485C+185D-35E-115G-95A-36C+4

  高音部に多少,明笛の音との擦り合わせが必要かもしれませんが,だいたい清楽音階の許容範囲でまとまってると思われます。修理前の予備計測ともほぼ合致してますので,音階について修理の影響は,ほぼないでしょう。

  穴あきの接合ユルユルだった胴体を完全な箱にしたので,さすがに響きは良くなっています。板のどの部分をタッピングしても,振動はちゃんと響き線に伝わって反応が得られますし,響き線の効果による減衰もかなり長くなっています。
  ただ響き線の防錆にラックニスを塗ったので,まだすこし音に鈍さがありますが,これも半年ほどで,もう少しもどってくると思われます。

  明清楽の歴史の詰まった大切な楽器です。
  末永くお使いくだされますように。



STEP5 切り刻め青春!

  さて,鶴寿堂も仕上げです。
  あのけっこうヒサンなバラバラ状態から蘇ったにしては,痕も目立たぬキレイさ。
  これもどれも,原作者の工作(接着をのぞく)の良さの賜物ですね。

  フレッティングに入ります。

  ----と,その前に。
  山口に糸溝を刻んでおきませんと。(忘れてた…汗)
  この楽器は出荷後ほとんど弾かれないまま保存されてぶッ壊された(泣)らしく,ここが出荷時のままなんですね。
  邦楽の琵琶や三味線に同様の工作がなく,月琴でもときどきこうして糸溝が切っていない楽器があるために,一部の人は 「月琴ではトップナットに糸溝を切らない」 みたいに思ってるみたいなんですが,唐物月琴にはかならず刻んでありますし,2本づつ同じ音,4弦2コースの複弦楽器であるということから考えても,それはあり得ません。
  単弦の楽器より調弦のズレにビンカンなんですから,糸溝を刻んでいなければ弦がすぐズレて音が狂っちゃいます。

  この糸溝の加工は,本来は所有者・演奏者に任せられていたのだと考えます。
  人により,楽器のくせ演奏スタイルのくせにより,低音弦は間隔が開いてたほうがいいとか,逆にギリギリ近いほうがいいとか。高・低の間なんかにも好き嫌いがあると思いますからね。
  唐物と同じくはじめから切ってあるメーカーももちろんあり,切らないメーカーもあり。あと破損や紛失して,後から足したような場合は,切ってない状態のほうが多かったでしょう。

  山口での糸溝の間隔は,国産月琴でだいたい14ミリ(低外-高外),外弦と内弦の間は2ミリですが,松音斎などの手練れは低音がわをわずかに広くしてたりもします。

  良い楽器は,糸を張れば糸溝がなくても自然に理想的なポジションに落ち着きます。
  鶴寿堂,いうまでもなく----ピッタリでした。

  今回のフレット材は煤竹。
  胴に残っているオリジナルに合わせ,片面に皮をそのまま残した清楽月琴風に作ります。
  今回,最終的なフレット位置は,天華斎に合わせて調整しましたが,オリジナル位置での音階は以下----

4D+284Eb+484F+154G+164A+75C+245D+245F+9
4A+234B-495C+135D+175E+85G+125A+266C

  天華斎にくらべると,清楽音階としても第2音,上=ドとしたときの「レ」にあたる音がちょっと高すぎますねえ。
  このあたりの作家さんたちは,フレットの位置を明笛などの音に合わせるのではなく,なんらかの雛形やスケールに当てはめて作ってたようです。
  ただ,ギターのようにフレットの低い楽器ならば,その方法でもそんなに差は出ないと思うのですが,月琴のような丈の高いフレットの楽器の場合,実際には設定が3Dなので平面的なスケールがあんまり通用しません。
  まあ流行っていた時代はそれでも構わなかったのでしょうが,現代は機器も正確ですし,それに合わせて楽器も正確な音を出すようになっているものですから,そのあたりの狂いには,聞くほうの耳もかなり敏感になってます。せめて明笛なり律管なりといった,基音楽器に合わせて調整するのが望ましいところですね。

  ちなみに22号では第1・2フレットに複数のケガキ線が残っており,鶴寿堂,このあたり(22号は彼の6番目の作品)ではまだ,いちど作ってから,何らかの楽器(明笛かもしれませんしほかの月琴かもしれません)に合わせて調整していたのかもしれません。また現在の位置よりちょうどフレット一枚分,トップナットがわにズラしたところ,測定値は4D/4A+5ほどとなり,耳で聞く音階としても許容範囲くらいにおさまりました。これもじつはよくあることで,けっこう目印の付け間違いなんかもあったんじゃないかと庵主,考えてます。面白いものです。

  出来上がったフレット。もともと煤竹という古材を使ってるんですから,そのままでもよさげに思えるかもしれませんが,切ったり削ったりした部分は新しい面になってます。ヤシャ液に,過去の修理で面板を清掃した時に出た汁を煮詰めた古び液(「捨てられない病」の極致ですねww)をまぜたものに一晩漬け込み,乾かし,最後にダークレッドのラックニスにつけこんで磨きます。
  胴上に残っているオリジナルのフレットはそのまま使うので,少しでもそれに合わせておきたいとこですもんね。

  さすがに鶴寿堂。
  庵主がよく文句たれてる,フレットの高さと実際の弦高との間にできる差 「リソウとゲンジツの乖離」 なんてほとんどありません。だいたいは弦高に対してフレットが低すぎるものですが,オリジナルフレット,無加工でほぼ理想的な高さになっています。
  こりゃあ補作のフレットも負けないように,きっかり使いやすい高さに調整せにゃなりませんなあ。

  最後に蓮頭の欠けてた部分を補作して,バラバラ鶴寿堂,修理完了です!

  ----言うことありませんね。
  鶴寿堂の月琴の音質は,国産月琴としてはトップクラスだと思いますよ。
  庵主的には楽器がやや重たいのが気になるんですが,運指なめらかなネックの形状といいバランスのいい胴のすわりといい,文句のつけようがありません。

  これがまあ,つい一か月ほど前まで,バラバラだったかと思うと。
  なかなかに感無量ですなあ。

  さて,依頼修理の2面をこなし,つぎはいよいよ溜まっちゃった自出し月琴の修理ですね……じつはその後さらに3面増えましてます(^_^;)
  次回はそのあたりの紹介からかな?(w)

(おわり)


天華斎/バラバラ鶴寿堂 (4)

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斗酒庵 南からの修理依頼 の巻2015.9~ 天華斎/バラバラ鶴寿堂 (4)

STEP4 再生の未来


  さて,本体部分の修理も順調ですので,ここらで糸巻を作っておきましょう。

  第1回で触れたように,現在この楽器についている糸巻は,後補の三味線風に削られたもので,楽器に合っていません。いや,ヴィジュアル的なおはなし(w)ではなくて,ちゃんと 「月琴の糸巻」 になってないんですね。

  こないだ修理した38号は保存が良く,糸巻もおそらくオリジナルと思われるものが4本そろっていました。庵主の手元にある資料でも,天華斎のオリジナル部品と思われる糸巻はだいたい同じ形をしています。
  国産月琴の糸巻は,角が立った六角軸で,各面に1本もしくは3本の溝が刻まれている形のものが多く,その溝もあまり太くなく深くもありません。
  一方,唐物月琴の糸巻も基本は六角軸ですが(まれに八角形もあり),各面の角は丸く,溝が深く広くなっています。 国産月琴の一般的な糸巻よりは,薩摩とか筑前琵琶の糸巻に近いカタチかもしれません。


  現代中国月琴の糸巻も,溝が多く握りのふくらんだ円軸が多いのですが,百年前の中国月琴も,これに近くほとんど円軸なんですね。 国産月琴の糸巻が角の立った六角軸なのは,おそらく作りなれた三味線の糸巻の影響でもありましょう。

  今回の楽器はかなり使い込まれているせいか,左右で穴の大きさがかなり異なっているのに,糸巻のほうはほぼ同寸同径で作られているものですから,なおさら一部の糸巻がユルユルになっちゃってるんですね。
  それぞれの穴に合わせて,きっちり削った糸巻を作ります。

  材料は例によって¥100均の麺棒----ううむ,さすがに使い慣れてきましたよ。
  材質は庵主が前から使ってきた丸棒と同じ,スダジイだと思われます。
  1本が36センチ,糸巻1本の長さが12センチですから,3本とれます。
  この2面のあと,5面以上の自出し月琴たちの修理も控えてますので,ちょいと削りまくりましょう。えっさかほいさ,ギーコギコ!
  丸棒の4面をピラニア鋸で斜めに切り落とし,ヤスリで六角形にそろえます。


  ……一週間で,15本も削りました。
  もうしばらく糸巻の顔もお尻も見たくないきょうこのごろ(w)です。

  六角形の素体の山から,デキの良さげなあたりを4本取り出し,まずは先端のフィッティング。上に述べたように一つ一つの穴が微妙に違う寸法になっちゃってますので,それぞれに合うよう,実際に挿入して回してみながら削ってゆきます。
  ぴったりになったところで,ミゾを刻み,ヤスリで広げて完成。
  天華斎の糸巻はお尻の部分があんまり尖っていません。
  また,国産月琴では側面が軸尻に向かってなだらかに,ラッパや朝顔のように広がってゆくカタチになっていることが多いのですが,天華斎の側面はだいたいまっすぐ。
  このへんもおさえて削ってゆきます。

  カタチができたら,磨いて染めて。
  今回はヤシャブシに少しスオウを混ぜ,ツゲに近い黄金色に。
  亜麻仁油と柿渋で仕上げてあります。完全に乾燥・硬化するまでには何か月かかかりますが,その間も使えますし,使ってるうちに古色が出てくるでしょう。
  今度はほぼぴったしに作ってるんで,操作の時のヘンなガタつきもありません。


  補作部品その2は 「バチ皮」。
  もとついてたこれが製作当時からのオリジナルかどうかはちょっと不明ですが,オリジナルじゃなかったとしても,かなり古いものですね。
  ヘビのバチ皮はよくめくれたりハガれたりするので,そのたびに破けたり切ったりしたんでしょう。縮んだんじゃなく,かなり小さくなっちゃってます。

  オーナーさんのご希望により,ひさしぶりにヘビのバチ皮を作ります。
  材料はまえに弦子(中国三味線)の張替えで使った皮の残り。柄もちょうどいいところが残ってるんで,これでイキます。
  まずはヘビ皮を水に漬け,一晩ほど。
  柔らかくなったとこで裏の白い部分をこそいで薄くし,和紙を重ね張りして裏打ちします。

  オリジナルは直貼りでした。
  生皮なんで,水に濡らすと裏面にニカワ分が出て,それだけでも貼りつくんですが,古い楽器の面板に新しい皮を直接貼ると,皮が強すぎて板を破壊しかねませんので,緩衝材として和紙を貼るわけです。これだと縮んだ皮が直接引っ張るのは和紙なので,ハガれるときも下の板への影響は少なくて済みます。

  数日板に貼り付けて伸ばし,乾いたところでこんどは表がわから柿渋をしませます。柿渋のタンニンには皮をなめす----つまり柔らかくする効果があります。また時間とともに古めかしく変色するので,古色付にもなるわけですね。

  さらにこの後,表がわからもこそいで,徹底的にダメージを与えます。
  とにかくすこしでも弱らせておかないと,心配なものですから。

  正直なところ庵主としましては,これだけ傷んだ古い楽器にヘビ皮は貼ってほしくありません。できれば錦か古裂に替えてもらいたいところです。

  唐物月琴において,この皮は完全にオリジナルな状態で残っているものが少ないので,正直どういうふうにカットされていたのか分かりませんが。とりあえず今回は,楽器の姿に合わせて,両角を丸く切ったカタチにしてみました。

  接着はヤマト糊。
  端がメクれたりハガれてきたような時には,筆で皮のそのあたりを濡らしてしばらく置き,柔らかくなったところで裏面にまたヤマト糊を塗り,手のごいでもかぶせた上からから本か何かたいらなもので重しをかけ,しばらく(1時間ぐらい)おいてやってください。何度でも平らになるし,何度でもくっつきます。

  ここに関しては再接着の際には,ボンドはもちろん,ニカワのご使用もかたくお控えください。



STEP4 トラはよみがえる

  バラバラ鶴寿堂は裏板のスペーサーの埋め込みから。

  28号についてた裏板の一部を使いましょう。いくら科学が発達しても,百年前の板はそうそう作り出せません。過去の修理で出たこうした古材は,やっぱりお宝ですよね~。


  ちょうどよくハマるように削った板に,ニカワを混ぜて少しユルめに練った木粉粘土をまぶして押し込みます。一晩おいて整形。
  すこしよれたように曲がってる割れ目だったんですが,けっこうきれいに埋まりました。
  28号の裏板は目が詰んでいて丈夫なうえ,かなり厚めなので,合わせの作業もしやすかったですね。整形で出たこのカンナ屑も,袋に入れて大切にとってあります。小さなヒビ割れなどを埋めるときに使えますからね。


  裏板がきっちり胴体を覆うよう,スペーサを入れて左右幅を広げたわけですから,板の左右端は胴体から少しつきでてるわけですな。
  つぎはこれを削り落とします。

  そのほか経年の変化により,天地の板がわずかに広がって,左右の端が最大で 0.5ミリほど板からハミだしてしまっていますから,左右端の板といっしょにこの部分もこぞぎ落とし,胴体を面板ぴったりのまン丸にいたしましょう。

  ついでに側部全体をちょいと磨けば-----

  ほ~れほれ!
  見事なまでの虎杢が浮かんできましたよ~っ!!

  なんてうつくしひ…………

  つづいて棹と胴体のマッチングにとりかかります。

  さすが鶴寿堂----まいど問題になる棹の傾き角度なんかはバッチリ理想的。
  でも,少しだけガタつきがありますねえ----と棹口を見てみたら。


  原作者でしょうか,前の所有者の仕事でしょうか。
  棹口の内側に薄いスペーサが貼り付けてあったんですが,これが一部欠けてしまっていたようです----ガタつきの原因は,コレですね。
  棹基部のほうに,欠けてるぶんにあたるツキ板を貼り付けて調整します。そのほか,使用上は問題ないと思うんですが,左右にもわずかにガタつきがありますのでそのぶんの修正もしておきましょう。

  ここの調整ひとつで楽器の操作性が格段にかわりますんで,棹と胴体のマッチングは,月琴に限らず三味線でもギターやバイオリンでもいちばん繊細な部分です。
  庵主なんて言うてもシロウトですからね。
  ここの調整にはヘタすると,あーでもないこーでもないで三日ぐらいかかることもあるんですが,今回はブナのツキ板2枚をへっつけただけ,ほんの2時間ていどで済みました。

  これも原作者の工作がエラいおかげです!
  あのバラバラだったのが…こんなにもリッパな楽器に(泣)

(つづく)


天華斎/バラバラ鶴寿堂 (3)

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斗酒庵 南からの修理依頼 の巻2015.9~ 天華斎/バラバラ鶴寿堂 (3)

STEP3 天の求めるままもどせ


  接合部の補強はうまくいきました。
  内側に貼った桐板はたかだか厚さ2ミリほどですが,これはあくまでも補修部分の保護が目的,あとは接合部に加わる様々なチカラを分散させる,緩衝材的なハタラキに期待。

  ここで響き線を戻しておきましょう。
  過去の修理で線を固定するためニカワを使ったせいで,根元がサビて破断しかけていたのですね。
  この細い線の根元に,盛り上がるくらいのニカワが,真っ黒に変色してこびりついてました。
  ニカワは外気に触れている状態では,自由に水分を吸ったり吐いたりします。水気たっぷりのスライムでいつも包まれてるようなものですから,腐食も進んだのでしょう。使うなら空気の入らない,密封・密着したとこで使わなきゃなりません。再接着するなら38号のように,ニカワの代わりにウルシを使う,というのも手だったでしょうね。

  庵主は現代人なので(w)エポキを使うことといたします。
  腐食部分を切除して曲げ直した基部にちょっと塗って,もといたアナにもどすだけですが,硬化するまで線の下に当て木を置いて,理想的な角度で固まるようにしておきましょう。

  根元がカッチリ固まったところで,線の角度や曲りを微調整します。
  基本的には,演奏姿勢に構えたときに,線が完全片持ちフローティングな状態----胴の中で,どこにもぶつからず,ただぷらぷら揺れてる----になるのが理想です。ただ,演奏者がいつも完全な演奏姿勢をとれるわけじゃありませんから,このくらいまでは傾いても大丈夫,このくらいまでは前かがみになっても大丈夫,と,あるていどの幅ももたせなきゃなりません。

  国産月琴によくある直線や,曲りの浅い弧線の場合は,調整つても大したものじゃありませんが,こういう長い曲線になると,これがなかなかに大変です。根元での少しの変化が,先端では大きな動きになってしまいます。あっちを押し,こっちを戻して,けっこうまあ時間もかかるし,神経もすり減りますね。
  なにせ,この部品は月琴の音のイノチ。さらにそんなに重要な部品でありながら,胴体を箱にもどしてしまうと,基本的にはもうアクセス不可能な部分ですので,慎重にも丁寧にもなりますよ。

  ずっと言っているように,この楽器の主材であるタガヤサンというのは,唐木最強にして最凶な木材です。この木の怖いところは,木の質により気まぐれにより,とつぜん裂けたり割れたりするところです。硬くて丈夫な木ですが,よほどの幸運がないかぎりまっとうに使える大きなカタマリには出会えません。よしんばそういうカタマリがあったとしても,それがどこから,いつ裂けたり割れたりするのか…なかなかにロシアンルーレットな材料なのですね。

  この楽器の棹もそういう,内部から裂け割れるたちのある,カタマリだったようです。
  従前の調査でも触れたように,糸倉の右横から指板部分を斜めに貫通するように,大きなヒビが見受けられ,原作段階で補修がなされたらしく木糞漆と思われる硬くて丈夫な充填材が,割れに沿って埋め込まれています。
  もともと割れやすい性質をもっている材ですので,その補修済みの個所のほかにも,棹のあちこちに小さなカケや,細かなヒビ割レが入っており,いくつかは,いまにもハガれそうになってます。

  こうしたキズは小さなものでも,指がひっかかったり,服の袖がひっかかったりといったことから,いづれボロリとでっかく割れちゃう原因とならないでもないので,先手を打って,一つ一つ丁寧に埋めては整形してしまいました。
  思い出のある楽器なので,キズは残しておきたいというご希望でしたが,主に人的由来のキズではないので,ここは楽器の寿命と操作性の向上のため,手を入れさせていただきます。



STEP3 鳥の求めるままもどせ

  さて,鶴寿堂のほうは表板がわの再組立てが完了しました。

  板の割れ目がほぼもとからの矧ぎ目に沿ったものだったのと,バラバラだったもののその後の保存が良かったため,ある意味ただ組み立てただけですが,ほとんど痕も目立ちません。
  棹も挿してみましたが,ほぼ無調整でスルピタ----何の問題もありません。
  これも原作者の木取りと工作がいいので,中心線がほとんど狂ってなかったおかげですね。

  これよりハガした裏板の矧ぎなおしにとりかかります。

  裏板はぜんぶで4つの部品に分かれています。
  あとでハガした左右端の2枚と,もとからハガれてた真ん中の2枚。
  まずはこれを継いで,左右2枚の板といたしましょう。

  板自体の収縮と,胴体が目当てのつけにくい円形であるせいもあり,この楽器の表裏板はもとの位置に正確にもどそうとしても,そのままではどうしてもうまくいきません。ですので貼り直すときには,中心近くにスペーサーを入れて左右幅を広げ,胴体を完全にカバーできるだけのわずかな余裕を作ります。
  左右の割れは矧ぎ目からのものですが,中央の割れは人為的にへし割った類のもの。やや斜めに蛇行していますが,今回はここをスペーサーを入れる場所としてあけておきましょう。

  矧ぎなおしといっしょに,もともとあった板のアラやら,剥離の作業等でついた周縁のエグレやキズは,丁寧に埋めておきます。裏板に向かって左がわ,中央の板の下端に板の節目由来の大きなエグレがあり,ここだけ厚みが半分以下になってました。この楽器の裏板は,表板よりは劣った材料の使われることが多いんですが,それから考えてもかなりギリギリな板だったかと。またこの真ん中の板は,木目が混んでいてかなり暴れやすい仕様になっています。できればいっそ,取り替えちゃったほうが良かったかもしれません。

  板を胴体に戻す前に,ラベルを剥がしておきましょう。
  ふたつに割れちゃってますが,ここにちょうどスペーサーが入りますので,作業のジャマになりますし,ちょっと傷んではいますが,この楽器の由来を示す,なにより貴重な資料でありますから。
  糊付けしてあるだけなので,ちょっと濡らすとカンタンにハガれてきます。薄い和紙で裏打ちしておいて,スペーサーを入れてから戻すこととしますね。

  こうして準備のできた裏板を,左右周縁が胴体から少しだけハミ出ているカタチで再接着します。

  さてこれで,バラバラだった胴体が,一つの箱の形にもどりましたね。
  あと一息です。

(つづく)


天華斎/バラバラ鶴寿堂 (2)

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斗酒庵 南からの修理依頼 の巻2015.9~ 天華斎/バラバラ鶴寿堂 (2)

STEP2 未来のために破壊せよ/天華斎


  それでは修理開始とまいります----今回はこの2面のあとに5面も調査・修理待ちがひかえてますからね,ちゃっちゃと終わらせたいとこではありますが。 めったにお目にかかれない,現在も使用中の古渡り月琴,しかも天下の 「天華斎」 です。
  楽しみなところも,多分にありまくりですなあ。

  胴側部に穴があいちゃってるほかは,外見的にはなくなってるものもそんなにないし,見てわかるような故障もさしては見当たらないのですが,内桁がかなりの範囲でハガれてしまっているようで,板をタップしてもまともな響きが返ってきません。

  前回も書いたように,響き線の状態も多少心配なので,オープン修理とします。

  裏板に二箇所ばかりヒビ割れがあるので,ここから板を切り離し,左右順番にあけてゆこうと思います。

  内桁は1枚,材質は桐。真ん中に棹のウケがあるごか響き線を通す穴が片方にあるだけ。この楽器の側部は,厚さが最大でも5ミリくらいなんですが,そこにわずかなミゾを彫りこんで,がっちり噛み合わせています。
  国産月琴では,この内桁の接着固定がしっかりとされていないことがよくありますが,唐物月琴ではここがいちばんがっちりと接着されています。案の定,表板がわが過去に補修されたひび割れのところから左右,かなりの範囲でハガれて,すこし浮いていました。

  響き線は1本。唐物典型の長い鋼の弧線。国産のものと比べるとやや太めですね。
  一度脱落したことがあるらしく,根元に竹串か何かの先が埋め込まれてました。国産月琴では響き線の根元に鉄クギやこうした竹クギを挿して止めるのがふつうですが,唐物月琴では胴に直挿し,しかもこういう「止め」は打たれていないこと多いのですね。すなわちこれは付け直しである可能性が高いわけです。
  根元がかなり腐食しているようで,ピンセットの先でこそぐと,ボロボロとくずれてゆきます。接着固定に用いたニカワが湿り気を呼んでこうなったのでしょう。
  つぎに大きな衝撃でもかかったらポッキリ逝きそうな状態です。

  とりあえずは引っこ抜いて手当しておきましょう。

  腐食の激しい部分を切除,木工ボンドでサビ落とし,Shinexで磨いてラックニスを軽く刷き,防錆加工を施します。ただのハリガネですが,この楽器の 「命」 ですからね。


  さて,今回の山場,接合部の穴埋め。
  まずは片方。こちらはカケラがありません。
  基本,板から欠けてるぶんを切り出してはめ込むわけですが,まずはその材料の選択が問題。本来ならば,オリジナルの胴体部分と同じタガヤサンのカタマリから,木目が合うように部材を切り出し,削ってあてはめるのが最上策です。そんなに大きな部品でもないので,それくらいならうちの端材でも間に合います。

  しかしながら,このブログでも何度か書いたように。 「タガヤサン(鉄刀木)」という木材は 「最強にして最凶」 。 細かい細工,そして修復に使う材料には向きません。その時はぴったりはまっても,やがては狂って割れるか,オリジナルの歪みについてゆけずに結局裂けるか。

  いろいろと考えたすえに,色合いの近い紫檀の薄板に,さらに薄い黒檀の板を木目を交叉させて接着し,合板を作りました。唐木の類は単一の素材だと,硬くはあれどモロいのですが,こうして合板にすると,少し素材に粘りが出て,細工がしやすくなります。
  割れ目に合わせて部品の端を削り,唐木の粉をエポキで練ったもので充填接着。
  硬化後に表裏から整形します。
  壊れていないほかの接合部もことごとく接着がとんでスキマってますので,あとで再接着と補強をしなくちゃですが。まずは原状復帰ということで----接合部,きちんと取り外し可能にしておきます。

  片方がうまくいったので,もう片がわにもとりかかりましょう。

  こちらはカケラが残っていますが,カケラ自体がさらに割れてたりしてるので,まずはこれを継ぎ,2つのピースにしてもどします。接着はエポキ,割れ目の関係で,裏からじゃないとうまくハメこめませんが,ピッタリおさまるので骨材は入れず,そのまま接着します。
  再接着の作業前に前の修理者のつかったボンドを除去したんですが----これゴム系のボンドっぽいですね。割れ目の細かいところに入っちゃってるのなんか,ピンバイスに針をつけてかき出しました。ぜんぶ除去するのにけっこう骨が折れましたよ。


  両方の接合部がうまく埋まったところで,接合部の補強にとりかかります。
  今回の破損による衝撃もあったようですが,部材の収縮による狂いもあり,充填補修した2箇所をふくめ,すべての接合部で接着がとび,スキマができてしまっています。
  接合部が離開していると,とうぜん伝導も悪くなりますから,音はぜんぜん響きません。 まずは各接合部のスキマに,薄く溶いたニカワと,唐木の粉をニカワで練ったパテを塗りこめ,ゴムをかけまわして胴材を締めこみます。
  余ったパテとニカワがにじゅる,と出てきたのを拭いとったら,つぎに接合部の裏がわに同じパテを盛ってヘコミを埋め,乾いたところで整形し,胴体内側のアールに合わせて曲げといた桐の薄板を接着,和紙で覆って柿渋を刷いてできあがり。

  スキマは埋め補強はしましたが,使った材はすべて胴材よりは柔らかく,弾力のある素材です。次に同じような衝撃がかかった時には,この部分はふたたび前と同じように割れてハズれちゃうでしょう----上にも触れたよう,タガヤサンは 「最強で最凶の唐木」 ----これより硬い木はあまりありません。ですので,補強にはガッチリした硬い素材より,むしろ部材の収縮に対応できる,ある程度の粘りや弾力のある材を使ったほうが,何度でも修理できるぶん長持ちしましょう。





STEP2 未来のために破壊せよ/鶴寿堂


  職人さんの世界では,トートロジィ的な言い回しがよく使われます。
  ちょっと矛盾してるように聞こえるんですが,実際に作業してみると,その意味と間違いのなさというのがよく分かります。わたしが指物屋の親父さんからよく聞いたのは----

  大きなものは小さくして作れ (大きなものは一つの大きなカタマリからではなく,いくつもに分解したのを組み合わせて作ったほうが丈夫で精確)

  小さなものは大きくして作れ (小さなものは小さな材料からではなく,大きな材から削りだし,最後に要る分だけ切り離せばよい,はじめから小さいものはより大きな当て木や木型に固定してから作業したほうが工作が精確)

  壊れないものを作ろうとするな。(壊れないものは壊れたらゴミにしかならないが,壊れるべきところから壊れたものは何度でも再生できる)

なんてのがありました。そのほか----

  直すために壊せ

----とも言われましたね。鶴寿堂,今回はこれに当たります。

  「楽器の修理」がほかの器物の修理と違うところは,外見的に直っているかどうかもさることながら----いえ,それ以上に----「楽器としてマトモな音が出るように直っているか? 」 ということが肝要なところにつきます。
  たとえ外見的に「もとどおり」であったとしても,音が出なければそれは「楽器を修理した」とは言えません。外見上キズ一つない状態だったとしても,内部構造に故障があり,マトモな音が出なければ,それは「もと月琴だったモノ」あるいは「月琴の形をしたモノ」でしかありません。古物屋さんはそれでいいんでしょうが,楽器屋さんはそういうわけにはイカんでしょう?----ましてそれが 「まだ弾ける」 可能性のある物体だったなら。(w)

  本当の意味で「直す」ために,その「キズ一つない」外見にあえてキズをつける必要がある----「壊さ」なきゃならないことも,あるわけですね。

  バラバラ鶴寿堂のピースを見てゆきますと,左右の側板は表裏の板の端がついたまま,「ふたの空いた箱」みたいな状態になっています。
  ただ組み立てるだけならこの状態でも出来ますが,たとえば響き線,たとえば内桁の再接着,たとえば接合部の補強----これらは胴体が箱になっている状態ではマトモな修理ができません。修理をするには表裏いづれかの板を,ぜんぶハガす必要があります。

  と,いうわけで裏板ですね。
  左右の側板にへっついていた裏板の端をメリっとハガします。
  いくら「音が優先,見栄えは二の次」とはいえ,やっぱり表板だと,あとあと始末がタイヘンですからねえ。

  では,部材を組上げ,まずは表板がわを直してゆきましょう。
  矧ぎ目分かれ目にニカワを引いて,三つに分離した部品を作業台に並べ,左右から圧をかけます。台はよく面板の再接着などで使ってるウサ琴の外枠。真ん中がまるく抜かれているため,半月やらフレットやら,表板についたままになっている構造物も,ちょうどそのなかにおさまります。なんかあつらえたような治具になっちゃいましたね~。

  表板が一枚になったところで,天の側板を接着,ついでに表板と側板の接着の浮いている箇所をひとつづつ丁寧に接着し直しておきます。

  原作者の材料選びと,もとの工作が良いのですね。
  作られてから百年以上たってますが,部材の狂いはわずかしか出ていません。

  後で削らなきゃならなくなるような部分を最小限にして配置した場合,下部接合部の片方に1ミリ程度のスキマができるほかは,天地の板で左右端が面板から 0.3~5ミリほどハミ出るていどです。
  この楽器の場合部材がぶ厚いので,それくらいの削りなら何の問題もありません。

  ここで四方の接合部を補強。
  上で書いたスキマには端材を削って薄板を埋め込み,裏がわに小板を貼ります。
  側板と同じ高さで2センチほどの幅に切った桐の小板を,それぞれの接合部の凹凸に合わせて削り,しっかりと接着します----工作はもうちょっとテキトウですが,太清堂なんかはデフォルトで同じようなことやってますね。
  小板が付いたら上から薄い和紙を重ね貼りしてカバー,柿渋を刷いて仕上げます。

  ここまでやって,胴体の構造がしっかりとなったとところで,内桁をつけます。

  左右端をすこし調整し,表板に接触する面をとくにじっくりと濡らしてニカワをしませ,重しをかけて,しっかりがっちりと接着します----ここ,この楽器の音の要ですからね。ちょいと慎重にゆきましょうか----固定したまま,二日ばかりおきます。


(つづく)


天華斎/バラバラ鶴寿堂 (1)

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斗酒庵 南からの修理依頼 の巻2015.9~ 天華斎/バラバラ鶴寿堂 (1)

STEP1 嵐をよぶ月琴たち

  前回および前々回 の記事に書いたとおり,庵主,この夏前に壊れ月琴を4面も買いこみ,帰省のあいだじゅう実家で調査してたわけですが。 おかげで,帰るときには演奏用に持っていった楽器と合わせて,8面もの月琴を持って北の果てから移動するハメに……いやいや,まいったもンでないかい(汗)。

  そして帰京するとほぼ同時。
  帰省前に修理を依頼されてた楽器が,さらに2面,南の果てよりとどいたのでありました。


  月琴というこの楽器----名前が 「月」 で音も 「金」----根っから 「陰」 の性質(たち)なせいでしょうか。 楽器の譲り渡しなどで動かすと 「水を呼ぶ」 のか,天気が荒れたり崩れたり,一転にわかに黒雲のといった,エラいことになっちゃったことが,たま~にあったのですが。
  思い返せば,北から8面,南から2面。つごう10面の月琴が海を渡ったこの夏の終わり,秋はじめ。Wで台風は来るは,大水害は起きるは,「もしかしたら…(汗)」と青くなるきょうこのごろであります。(w)

  月琴であふれかえった部屋の中が,ちょいとオソロしい状況になっておりますが。(^_^;)
  とにかくはまずまず,ヨソさまの楽器をなにより優先させましょう。

  1面は使い込まれた由緒ある唐物月琴,1面はバラバラになった国産月琴。

  まずは唐物から----




  全長:640(蓮頭を含む)
  胴径:355(縦横ほぼ同じ),厚:35(板厚4)
  有効弦長:409


  かなり傷んではいますが,裏面に「天華斎」と読めるラベルが残っています。


  38号とおなじく,月琴界のストラディヴァリウス,「天華斎」の楽器ですね。

  過去の記事でも紹介しましたが,この「天華斎」の楽器には何種類かのラベルが確認されています。だいたい残ってるのは大きいほうのラベルだけなのですが,あちこち当たってみましたら,左画像のように,この室号だけの小ラベルとよく見る大きなラベルの両方が付いている例も見つかりました。

  この楽器の場合は,大きいほうがなくなっちゃって,小さいのだけがかろうじて残ってるわけですね----また,おそらくこのラベルは貼り直されたものです。

  現在は国産月琴でよくあるように,裏板の中心部上端のほうに貼られていますが,唐物月琴には変な習慣があって,この手のラベルは板の節目や節穴のうえに貼られることになってます----理由は分かりませんが----それからすると,もともとは裏板の右下部あたりに貼られてたんじゃないかな?

  38号にくらべるとやや小ぶりに見えます。

  実際にデータをつきあわせてみると,胴幅はほぼ同じくらいですが,全長で約3センチ小さい。あとはこちらのほうが棹が細く(幅:27.5,38号は 32),全体にやや繊細な作りになっています。23号茜丸の工作に近いかな?

  蓮頭は後補,人の顔ですね。
  なにか意味があったのでしょうか。素人彫りですが,これはこれで時代がかかっていて好い感じ。

  糸倉の向かって右がわ側部から,棹の表がわを通り,なかご部分の基部まで,ねじれるようにヒビ割レが走っています----タガヤサンでよくある素材内部からの裂け割れですね。もっとも原作者か後の修理によるものかは分かりませんが,ウルシと木糞でばっちり充填補修してありますので,これは問題ありません。

  糸巻も後補。太めでやや三味線の音締め風,六角形溝無しに削られています。材はおそらくツゲですが,どうもちゃんと合ってないらしく,糸を張ってない状態で楽器を横にするとかんたんに抜けてしまいます。

  三味線や三線の場合,糸合わせの時にはいちどペグを浮かせてねじり,音が合ったところで押し込んで固定します。このため三味線の糸巻は先端部分だけが糸倉にがっちり挿しこまれており,にぎりに近いほうの穴にはほとんど触れていません。三線なんかだと,ここを紙一枚入るか入らないかに調整するのが名人,と言われてますね。

  石村近江義治の作った13号や,同じ石村の系統である山形屋雄蔵の29号など,国産月琴にはこの,三味線と同じ構造になっていた例が,うちで扱った楽器でもいくつかありましたが(記事参照),月琴の軸孔は一般に三味線のものとは構造が違っていて,もっと原始的で単純,ただの孔に棒をつっこんだのと同じカタチになっています。糸巻は先端部分とにぎりの手前の二箇所ともに糸倉と噛んでいるので,ちゃんと調節されていれば,糸巻の先端には擦れた痕が二つの帯になって残ります。


  この後補の糸巻でツルツルになってるのは先端部分のみ。
  糸巻も三味線風なら,糸合わせも三味線風にしてきたのでしょう。しかしこの楽器の場合,上にも書いたように穴のほうが三味線風の構造になっていないので,糸合わせはタイヘンだったでしょうし,ずいぶんユルみやすかったんじゃないかな。
  また,原作者の工作によるものか,使用によって広がっちゃったのか分かりませんが,向かって右がわの2本の孔のほうが,左のものより1ミリほど大きくなってますね。 これに対して,糸巻のほうは4本ともほぼ均寸に作られているので,右がわの2本はとくにユルユル,糸巻とにぎりがわの孔の間にスキマが見えちゃうくらいになってます。

  ちょっと軸先を調整してなんとかなるような状態ではないので,すこし余計なことかもしれませんが,ここはひとつ,新しく唐物風の糸巻を削ることといたしましょう。


  山口はおそらくオリジナル。
  材質はタガヤサン。糸溝が左右3本づつ切られてますが,おそらく左右端の1組がオリジナル。中央の2本は三味線を弾く人が,三味線バチなどで演奏するために切ったものじゃないかと想像します。月琴の山口における内外弦間は2ミリ程度ですが,それだとせますぎて三味線のバチ先がうまく均等に当たらないため,糸1~2本分ほど広げてみたものでしょう。

  棹と胴体の接合部付近に,ちょっとした割れカケが2箇所ほどあります。たいしたものではありませんが,高音域を弾くとき手にひっかかるので,後でちょちょいと埋めておきましょう。

  なかごの基部に「七」と墨書。
  表裏棹孔にあたるあたりに,紙を折りたたんでこさえたスペーサーがはさみこまれていました。延長材はひのきの類でしょうか? すらりと長く美しく,丁寧な工作です。
  延長材先端の表裏に少しヘコミがありますね。
  38号と同じくこの楽器でも,原作唐物のユルユル工作にガマンのならない日本の職人さんが,あちこち手を入れてキッチリするぴたに調整してしまっているようなので,その影響かもしれません。とはいえ,キッチリやりすぎて,かえってどこかに変な影響や負担が生じてしまっているかもしれませんので,修理に際してはこのあたりも確認しとく必要がありそうです。

  左右のお飾りは定番の鳳凰。
  唐物の場合,面板と同じ桐で作られていることが多いのですが,これは何かもっと硬い板で出来てますね。
  柱間飾りは少なくとも2種類の手が混じってます。胴体上の上下2つがオリジナルかな? あとは少し細工が粗い。楽器中央,8フレットのすぐ下に,円形飾りの痕跡が少し黒ずんで残ってます。

  バチ皮はニシキヘビ。
  オリジナルだと思いますが,かなり傷んでおり,破けては切ったのか,寸法もずいぶん小さくなっちゃってますね。

  半月はタガヤサン。
  38号とほぼ同じ細工と意匠ですが,糸孔のところに象牙の円盤を埋め込んであるタイプです。材質はタガヤサン。カケや削れもなく健全な状態です。

  今回の修理の最大の難所は,この胴体下部・側板左右接合部の割れカケ,ですね。

  相変わらず唐物は薄いなあ----胴側部の材質もタガヤサン。 厚さは棹孔のところで最大5ミリ,この接合部分のとこだと3ミリくらいしかありません。左がわの損傷部分は,割れたカケラが残っており,なんにゃら接着剤つけてハメこまれてましたが,右のほうのは部品が残っておらず,完全な暗黒穴になっちゃってます。

  この損傷の原因となった衝撃によるものでしょう。接合部付近から表裏の面板にヒビ割レが走り,面板との接着も部分的にハガれてますね。

  さて,ここをどうやるか----

  まあ,ゆっくり考えることといたしましょう。

  表板中央左よりに過去の修復痕。ヒビ割レが上下に貫通したのを埋め木で処理してます。
  割れ目のほうはちゃんと埋まっていますが,外見を整えるだけのやや雑な修理だったらしく,板が割れたときにハガれた内桁がまったくくっつけていないようで,中央付近が少しぶよぶよしていて,タッピングしてもほとんどマトモな響きがかえってきません。

  ここは楽器の音にとって大事な場所ですので,内がわからちゃんと再接着しといてやりたいところですね。

  裏板には上で触れた側板の割れカケに伴うヒビのほか,節やら木目やら,板の性質に由来する裂け割レが2箇所ほどあります。

  接合部の修理補修や内桁剥離の処置ほか,響き線の状態もやや心配なので,オープン修理は必至なのですが,なにせ由緒ある楽器なので,思い出やら歴史の刻まれた表板にはあまり手出しをしたくないところ。まずはこの裏板の裂け割レを利用して,こちらがわから内部へとアクセスすることとしましょう。

  *フィールドノート(クリックで拡大)*


  もう1面の月琴には「鶴寿堂」のラベルがついてました。

  名古屋上園町,「つるや」 こと 林治兵衛さん の作ですね。
  おおぅ----これはまた見事にバラバラ ですが,全体にキレイですし,欠損部品も少なそう。

  まあとりあえず,これじゃ計測もできません。
  まずはテープであちこち止めて,仮組みしてみましょう。



  全長:658
  胴幅:358,厚:38(板3)
  有効弦長:428


  板は 「自然に割れた」 という感じじゃなく,人為的に「割った」 って感じになっててますね----あんまり考えたくありませんが,焚き木にでもするつもりだったのかな?

  天の側板は完全に剥離。表裏面板は3つに分かれ,内桁もはずれてしまっています。 けれど,組み合わせてみると,割れ目はだいたいスキマなくくっつくし,棹や糸倉をふくめ主要な部材に,深刻な損傷はありません。

  ほんと, 「ジャマだったからバラバラにした」 って感じですね。


  蓮頭は 蓮の花と波唐草,中クラスの楽器でよく見るデザインです。
  鶴寿堂の楽器でこの型の蓮頭は初見,左側が欠けてます。

  糸倉は健全。棹の材はカヤのようですね。

  山口には糸溝が切られていません。

  このあたり,時々勘違いして 「日本の月琴は糸溝を刻まないものだ!」 なんて思っちゃってる人もいるようです。 たしかに,邦楽器では琵琶でも乗弦にそういうものはないし,三味線の上駒にも溝はついてませんね。
  ですが,唐物月琴にはちゃんとついてますし,そもそも 「複弦楽器」 というその構造上,また本来の奏法などを考えても,糸溝を切って各弦のコースを固定しておかないと,まともに弾ける楽器になりゃしないのは間違いありません。
  本来は所有者が自分の弾き方や手に合わせ,微妙に幅を調整して自分で切るのが本当だったでしょうから,出荷時にはこれがついてないこともままあったのだと思います。

  あらためて楽器を観察しますとこの楽器,糸巻の傷みや糸倉の軸孔の擦れ,また表板にもバチ痕がほとんど見当たりません。
  すなわち現状バラバラにはなってるものの,もともとほぼ未使用状態の楽器であったようです----さて,流行りに手を出し買ったけど,結局使わなかったのか,たんにお飾りとしての購入だったのか,どちらにせいまだ糸溝も切ってない状態だったのでしょうね。

  糸巻は4本そろってます。六角3本溝,軸尻にも各面3本線を切るのが鶴寿堂定番のデザインのひとつですね。

  棹上のフレット3本と胴体上の2本のみ欠損。5号と同じく煤竹のフレットだったようです。フレットの背はきわめて低い----5号のリペアでも分かったんですが,この人の楽器の場合,庵主のよく書く 「リソウとゲンジツの乖離」(フレットの高さが実際の楽器の弦高に合っていないこと) なんてのはほとんどありません。マジで弦高低くて弾きやすい楽器なんですよ。

  鶴寿堂の竹フレットのてっぺんは,かなり鋭くとがったようなカタチになっています。

  この工作については好きずきありますね。 ここを鋭くすると,音程の正確さと運指に対する発音の反応は良くなるのですが,圧弦の力加減がきわめてシビアで,多少糸が傷みやすくなりなす。 操作性と音色の兼ね合いを考えると,この頂点部分はギターのフレットより少し細めくらいのほうが,いちばん使いやすいんじゃないかと,庵主は考えています。

  棹部分は 鶴寿堂お得意の,まさに鶴の首のような,実に美しい微妙な曲線で構成されてますね----きゅっとすぼまった指板,うなじから基部までが流れるような優美な曲面でつながっています。
  月琴の棹は握らず,左手の親指だけで支えられます。 持ってみると分かるんですが,棹背にあてた親指の腹が,上から下までなめらかに動きます。棹背にアールがつきすぎてるとこうはいきません。恰好だけじゃなく,ちゃんと実用もおさえたうえでの流麗さ。さすがですね。

  過去に修理した2面は,棹なかごの基部が小さめだったため,延長材の差し込みがやや浅く,接着不良からここが割れちゃったりしてましたが,この楽器の基部はやや長めでさしこみも深く,延長材はしっかりと接着されております。


  前の修理者さんが汚れ落としをやりすぎちゃったようで,全体に木部が油切れというか,表面がパサついて,色も白けちゃってますが,保存は悪くありません。

  胴左右のお飾り----なんでしょうねこの花は?
  さてオボえがありません。

  修理前全景では付け忘れちゃったんですが,扇飾りも残ってます。
  基本はよくある万帯唐草なんですが,主要部分が扇下部につながっおらず,宙に浮いたようなかたちになっていて,雲まで配置されてます。
  「空飛ぶ万帯唐草」 ってとこでしょうか? 他に見たことがありません。鶴寿堂のオリジナルですかねえ。


  半月は5号とほぼ同じ,装飾のない半円曲面型ですが,材質はおそらく紫檀。
  長年放置された影響で薄白けちゃってますが,試しにちょっと濡らしてみたらこのとおり,紫檀の色が浮いてきました。

  バチ皮にヘビ皮。多少縮んじゃってますが,これも状態は悪くありません。

  胴体側部もおそらく棹と同じくカヤ。かなり厚めで,最大18ミリもあります。
  接合は木口同士の単純接着。棹と同様,油切れして分からなくなっちゃってますが,表面に少しギラが見えるので,虎杢かなにか入ってるのかもしれません。

  内桁は1枚,唐物と同じ構造です。
  響き線は一本,ちょっと中途半端というかテキトウな感じの浅い弧がつけられてます。22号も5号も直線だったんですけどね。材質は真鍮。
  バラバラにされたときにでもなったのか,工房到着時には根元から,ちょっとあらぬ方向に曲がってしまってました。


  表裏の板に「三」の文字が見え,棹なかご延長材の表板がわには墨で花押と,エンピツで「十五」の数字が書かれています。
  「3ばんめ」 の楽器としますと,「第六号」であった22号「花裏六」より前。22号が明治32年4月なので,製造はそれより前,明治31年の後半くらいってとこ。「十五」のほうをとるなら,5号月琴が36年の製造で,棹なかごに「二十」とあるようですので,その5面前ってことになりますが,その構造や工作から考えると,これは5号よりはずっと前で,鶴寿堂が月琴を作りはじめた,比較的初期のころの作ではないかと思われます。


  前の修理でも書きましたが,鶴寿堂・林治兵衛。
  木部の工作は素晴らしく丁寧で,楽器職として最上級の腕前なんですが,玉瑕として 「接着がヘタクソ」 という点があげられます。

  今回の楽器は,みすからバラバラになったわけじゃなく,明らかに人の手によってバラバラにされてますが,ある意味,原作者のその接着がヘタクソだったおかげ(?)でしょうか。ほとんどの部分は 「壊れるべきところ」 から壊れています----表裏の板は小板の矧ぎ目から,胴体は接合部分から----棹に傷がほとんどなかったのもありがたいですね。胴体と同じ調子でやられちゃってたら,かなりヤバかったかもしれません。

  要はきちんと組み立てなおせばいいということなので,見た目より修理はラクそうですが……さて……実際にはどうなることやら。

  *フィールドノート(クリックで拡大)*

(つづく)


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