天華斎/バラバラ鶴寿堂 (1)
![]() STEP1 嵐をよぶ月琴たち ![]() 前回および前々回 の記事に書いたとおり,庵主,この夏前に壊れ月琴を4面も買いこみ,帰省のあいだじゅう実家で調査してたわけですが。 おかげで,帰るときには演奏用に持っていった楽器と合わせて,8面もの月琴を持って北の果てから移動するハメに……いやいや,まいったもンでないかい(汗)。 そして帰京するとほぼ同時。 帰省前に修理を依頼されてた楽器が,さらに2面,南の果てよりとどいたのでありました。 月琴というこの楽器----名前が 「月」 で音も 「金」----根っから 「陰」 の性質(たち)なせいでしょうか。 楽器の譲り渡しなどで動かすと 「水を呼ぶ」 のか,天気が荒れたり崩れたり,一転にわかに黒雲のといった,エラいことになっちゃったことが,たま~にあったのですが。 思い返せば,北から8面,南から2面。つごう10面の月琴が海を渡ったこの夏の終わり,秋はじめ。Wで台風は来るは,大水害は起きるは,「もしかしたら…(汗)」と青くなるきょうこのごろであります。(w) 月琴であふれかえった部屋の中が,ちょいとオソロしい状況になっておりますが。(^_^;) とにかくはまずまず,ヨソさまの楽器をなにより優先させましょう。 1面は使い込まれた由緒ある唐物月琴,1面はバラバラになった国産月琴。 まずは唐物から---- ![]() 全長:640(蓮頭を含む) 胴径:355(縦横ほぼ同じ),厚:35(板厚4) 有効弦長:409 ![]() かなり傷んではいますが,裏面に「天華斎」と読めるラベルが残っています。 ![]() 38号とおなじく,月琴界のストラディヴァリウス,「天華斎」の楽器ですね。 過去の記事でも紹介しましたが,この「天華斎」の楽器には何種類かのラベルが確認されています。だいたい残ってるのは大きいほうのラベルだけなのですが,あちこち当たってみましたら,左画像のように,この室号だけの小ラベルとよく見る大きなラベルの両方が付いている例も見つかりました。 この楽器の場合は,大きいほうがなくなっちゃって,小さいのだけがかろうじて残ってるわけですね----また,おそらくこのラベルは貼り直されたものです。 現在は国産月琴でよくあるように,裏板の中心部上端のほうに貼られていますが,唐物月琴には変な習慣があって,この手のラベルは板の節目や節穴のうえに貼られることになってます----理由は分かりませんが----それからすると,もともとは裏板の右下部あたりに貼られてたんじゃないかな? 38号にくらべるとやや小ぶりに見えます。 実際にデータをつきあわせてみると,胴幅はほぼ同じくらいですが,全長で約3センチ小さい。あとはこちらのほうが棹が細く(幅:27.5,38号は 32),全体にやや繊細な作りになっています。23号茜丸の工作に近いかな? ![]() ![]() ![]() 蓮頭は後補,人の顔ですね。 なにか意味があったのでしょうか。素人彫りですが,これはこれで時代がかかっていて好い感じ。 糸倉の向かって右がわ側部から,棹の表がわを通り,なかご部分の基部まで,ねじれるようにヒビ割レが走っています----タガヤサンでよくある素材内部からの裂け割れですね。もっとも原作者か後の修理によるものかは分かりませんが,ウルシと木糞でばっちり充填補修してありますので,これは問題ありません。 ![]() 糸巻も後補。太めでやや三味線の音締め風,六角形溝無しに削られています。材はおそらくツゲですが,どうもちゃんと合ってないらしく,糸を張ってない状態で楽器を横にするとかんたんに抜けてしまいます。 三味線や三線の場合,糸合わせの時にはいちどペグを浮かせてねじり,音が合ったところで押し込んで固定します。このため三味線の糸巻は先端部分だけが糸倉にがっちり挿しこまれており,にぎりに近いほうの穴にはほとんど触れていません。三線なんかだと,ここを紙一枚入るか入らないかに調整するのが名人,と言われてますね。 石村近江義治の作った13号や,同じ石村の系統である山形屋雄蔵の29号など,国産月琴にはこの,三味線と同じ構造になっていた例が,うちで扱った楽器でもいくつかありましたが(記事参照),月琴の軸孔は一般に三味線のものとは構造が違っていて,もっと原始的で単純,ただの孔に棒をつっこんだのと同じカタチになっています。糸巻は先端部分とにぎりの手前の二箇所ともに糸倉と噛んでいるので,ちゃんと調節されていれば,糸巻の先端には擦れた痕が二つの帯になって残ります。 ![]() この後補の糸巻でツルツルになってるのは先端部分のみ。 糸巻も三味線風なら,糸合わせも三味線風にしてきたのでしょう。しかしこの楽器の場合,上にも書いたように穴のほうが三味線風の構造になっていないので,糸合わせはタイヘンだったでしょうし,ずいぶんユルみやすかったんじゃないかな。 また,原作者の工作によるものか,使用によって広がっちゃったのか分かりませんが,向かって右がわの2本の孔のほうが,左のものより1ミリほど大きくなってますね。 これに対して,糸巻のほうは4本ともほぼ均寸に作られているので,右がわの2本はとくにユルユル,糸巻とにぎりがわの孔の間にスキマが見えちゃうくらいになってます。 ちょっと軸先を調整してなんとかなるような状態ではないので,すこし余計なことかもしれませんが,ここはひとつ,新しく唐物風の糸巻を削ることといたしましょう。 ![]() ![]() ![]() 山口はおそらくオリジナル。 材質はタガヤサン。糸溝が左右3本づつ切られてますが,おそらく左右端の1組がオリジナル。中央の2本は三味線を弾く人が,三味線バチなどで演奏するために切ったものじゃないかと想像します。月琴の山口における内外弦間は2ミリ程度ですが,それだとせますぎて三味線のバチ先がうまく均等に当たらないため,糸1~2本分ほど広げてみたものでしょう。 棹と胴体の接合部付近に,ちょっとした割れカケが2箇所ほどあります。たいしたものではありませんが,高音域を弾くとき手にひっかかるので,後でちょちょいと埋めておきましょう。 なかごの基部に「七」と墨書。 表裏棹孔にあたるあたりに,紙を折りたたんでこさえたスペーサーがはさみこまれていました。延長材はひのきの類でしょうか? すらりと長く美しく,丁寧な工作です。 延長材先端の表裏に少しヘコミがありますね。 38号と同じくこの楽器でも,原作唐物のユルユル工作にガマンのならない日本の職人さんが,あちこち手を入れてキッチリするぴたに調整してしまっているようなので,その影響かもしれません。とはいえ,キッチリやりすぎて,かえってどこかに変な影響や負担が生じてしまっているかもしれませんので,修理に際してはこのあたりも確認しとく必要がありそうです。 ![]() ![]() 左右のお飾りは定番の鳳凰。 唐物の場合,面板と同じ桐で作られていることが多いのですが,これは何かもっと硬い板で出来てますね。 柱間飾りは少なくとも2種類の手が混じってます。胴体上の上下2つがオリジナルかな? あとは少し細工が粗い。楽器中央,8フレットのすぐ下に,円形飾りの痕跡が少し黒ずんで残ってます。 バチ皮はニシキヘビ。 オリジナルだと思いますが,かなり傷んでおり,破けては切ったのか,寸法もずいぶん小さくなっちゃってますね。 半月はタガヤサン。 38号とほぼ同じ細工と意匠ですが,糸孔のところに象牙の円盤を埋め込んであるタイプです。材質はタガヤサン。カケや削れもなく健全な状態です。 ![]() 今回の修理の最大の難所は,この胴体下部・側板左右接合部の割れカケ,ですね。 相変わらず唐物は薄いなあ----胴側部の材質もタガヤサン。 厚さは棹孔のところで最大5ミリ,この接合部分のとこだと3ミリくらいしかありません。左がわの損傷部分は,割れたカケラが残っており,なんにゃら接着剤つけてハメこまれてましたが,右のほうのは部品が残っておらず,完全な暗黒穴になっちゃってます。 この損傷の原因となった衝撃によるものでしょう。接合部付近から表裏の面板にヒビ割レが走り,面板との接着も部分的にハガれてますね。 さて,ここをどうやるか---- まあ,ゆっくり考えることといたしましょう。 表板中央左よりに過去の修復痕。ヒビ割レが上下に貫通したのを埋め木で処理してます。 割れ目のほうはちゃんと埋まっていますが,外見を整えるだけのやや雑な修理だったらしく,板が割れたときにハガれた内桁がまったくくっつけていないようで,中央付近が少しぶよぶよしていて,タッピングしてもほとんどマトモな響きがかえってきません。 ここは楽器の音にとって大事な場所ですので,内がわからちゃんと再接着しといてやりたいところですね。 ![]() ![]() ![]() 裏板には上で触れた側板の割れカケに伴うヒビのほか,節やら木目やら,板の性質に由来する裂け割レが2箇所ほどあります。 接合部の修理補修や内桁剥離の処置ほか,響き線の状態もやや心配なので,オープン修理は必至なのですが,なにせ由緒ある楽器なので,思い出やら歴史の刻まれた表板にはあまり手出しをしたくないところ。まずはこの裏板の裂け割レを利用して,こちらがわから内部へとアクセスすることとしましょう。 *フィールドノート(クリックで拡大)* ![]() ![]() ![]() もう1面の月琴には「鶴寿堂」のラベルがついてました。 名古屋上園町,「つるや」 こと 林治兵衛さん の作ですね。 おおぅ----これはまた見事にバラバラ ですが,全体にキレイですし,欠損部品も少なそう。 まあとりあえず,これじゃ計測もできません。 まずはテープであちこち止めて,仮組みしてみましょう。 ![]() 全長:658 胴幅:358,厚:38(板3) 有効弦長:428 板は 「自然に割れた」 という感じじゃなく,人為的に「割った」 って感じになっててますね----あんまり考えたくありませんが,焚き木にでもするつもりだったのかな? 天の側板は完全に剥離。表裏面板は3つに分かれ,内桁もはずれてしまっています。 けれど,組み合わせてみると,割れ目はだいたいスキマなくくっつくし,棹や糸倉をふくめ主要な部材に,深刻な損傷はありません。 ほんと, 「ジャマだったからバラバラにした」 って感じですね。 蓮頭は 蓮の花と波唐草,中クラスの楽器でよく見るデザインです。 鶴寿堂の楽器でこの型の蓮頭は初見,左側が欠けてます。 糸倉は健全。棹の材はカヤのようですね。 ![]() ![]() ![]() 山口には糸溝が切られていません。 このあたり,時々勘違いして 「日本の月琴は糸溝を刻まないものだ!」 なんて思っちゃってる人もいるようです。 たしかに,邦楽器では琵琶でも乗弦にそういうものはないし,三味線の上駒にも溝はついてませんね。 ですが,唐物月琴にはちゃんとついてますし,そもそも 「複弦楽器」 というその構造上,また本来の奏法などを考えても,糸溝を切って各弦のコースを固定しておかないと,まともに弾ける楽器になりゃしないのは間違いありません。 本来は所有者が自分の弾き方や手に合わせ,微妙に幅を調整して自分で切るのが本当だったでしょうから,出荷時にはこれがついてないこともままあったのだと思います。 ![]() あらためて楽器を観察しますとこの楽器,糸巻の傷みや糸倉の軸孔の擦れ,また表板にもバチ痕がほとんど見当たりません。 すなわち現状バラバラにはなってるものの,もともとほぼ未使用状態の楽器であったようです----さて,流行りに手を出し買ったけど,結局使わなかったのか,たんにお飾りとしての購入だったのか,どちらにせいまだ糸溝も切ってない状態だったのでしょうね。 糸巻は4本そろってます。六角3本溝,軸尻にも各面3本線を切るのが鶴寿堂定番のデザインのひとつですね。 棹上のフレット3本と胴体上の2本のみ欠損。5号と同じく煤竹のフレットだったようです。フレットの背はきわめて低い----5号のリペアでも分かったんですが,この人の楽器の場合,庵主のよく書く 「リソウとゲンジツの乖離」(フレットの高さが実際の楽器の弦高に合っていないこと) なんてのはほとんどありません。マジで弦高低くて弾きやすい楽器なんですよ。 鶴寿堂の竹フレットのてっぺんは,かなり鋭くとがったようなカタチになっています。 この工作については好きずきありますね。 ここを鋭くすると,音程の正確さと運指に対する発音の反応は良くなるのですが,圧弦の力加減がきわめてシビアで,多少糸が傷みやすくなりなす。 操作性と音色の兼ね合いを考えると,この頂点部分はギターのフレットより少し細めくらいのほうが,いちばん使いやすいんじゃないかと,庵主は考えています。 棹部分は 鶴寿堂お得意の,まさに鶴の首のような,実に美しい微妙な曲線で構成されてますね----きゅっとすぼまった指板,うなじから基部までが流れるような優美な曲面でつながっています。 月琴の棹は握らず,左手の親指だけで支えられます。 持ってみると分かるんですが,棹背にあてた親指の腹が,上から下までなめらかに動きます。棹背にアールがつきすぎてるとこうはいきません。恰好だけじゃなく,ちゃんと実用もおさえたうえでの流麗さ。さすがですね。 過去に修理した2面は,棹なかごの基部が小さめだったため,延長材の差し込みがやや浅く,接着不良からここが割れちゃったりしてましたが,この楽器の基部はやや長めでさしこみも深く,延長材はしっかりと接着されております。 ![]() ![]() ![]() 前の修理者さんが汚れ落としをやりすぎちゃったようで,全体に木部が油切れというか,表面がパサついて,色も白けちゃってますが,保存は悪くありません。 ![]() 胴左右のお飾り----なんでしょうねこの花は? さてオボえがありません。 修理前全景では付け忘れちゃったんですが,扇飾りも残ってます。 基本はよくある万帯唐草なんですが,主要部分が扇下部につながっおらず,宙に浮いたようなかたちになっていて,雲まで配置されてます。 「空飛ぶ万帯唐草」 ってとこでしょうか? 他に見たことがありません。鶴寿堂のオリジナルですかねえ。 ![]() 半月は5号とほぼ同じ,装飾のない半円曲面型ですが,材質はおそらく紫檀。 長年放置された影響で薄白けちゃってますが,試しにちょっと濡らしてみたらこのとおり,紫檀の色が浮いてきました。 バチ皮にヘビ皮。多少縮んじゃってますが,これも状態は悪くありません。 胴体側部もおそらく棹と同じくカヤ。かなり厚めで,最大18ミリもあります。 接合は木口同士の単純接着。棹と同様,油切れして分からなくなっちゃってますが,表面に少しギラが見えるので,虎杢かなにか入ってるのかもしれません。 内桁は1枚,唐物と同じ構造です。 響き線は一本,ちょっと中途半端というかテキトウな感じの浅い弧がつけられてます。22号も5号も直線だったんですけどね。材質は真鍮。 バラバラにされたときにでもなったのか,工房到着時には根元から,ちょっとあらぬ方向に曲がってしまってました。 ![]() 表裏の板に「三」の文字が見え,棹なかご延長材の表板がわには墨で花押と,エンピツで「十五」の数字が書かれています。 「3ばんめ」 の楽器としますと,「第六号」であった22号「花裏六」より前。22号が明治32年4月なので,製造はそれより前,明治31年の後半くらいってとこ。「十五」のほうをとるなら,5号月琴が36年の製造で,棹なかごに「二十」とあるようですので,その5面前ってことになりますが,その構造や工作から考えると,これは5号よりはずっと前で,鶴寿堂が月琴を作りはじめた,比較的初期のころの作ではないかと思われます。 ![]() 前の修理でも書きましたが,鶴寿堂・林治兵衛。 木部の工作は素晴らしく丁寧で,楽器職として最上級の腕前なんですが,玉瑕として 「接着がヘタクソ」 という点があげられます。 今回の楽器は,みすからバラバラになったわけじゃなく,明らかに人の手によってバラバラにされてますが,ある意味,原作者のその接着がヘタクソだったおかげ(?)でしょうか。ほとんどの部分は 「壊れるべきところ」 から壊れています----表裏の板は小板の矧ぎ目から,胴体は接合部分から----棹に傷がほとんどなかったのもありがたいですね。胴体と同じ調子でやられちゃってたら,かなりヤバかったかもしれません。 要はきちんと組み立てなおせばいいということなので,見た目より修理はラクそうですが……さて……実際にはどうなることやら。 *フィールドノート(クリックで拡大)* ![]() ![]() (つづく)
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