清楽曲「泊船肝胎」について
![]() STEP1 「はくせんかんたい」 どんな曲? お忘れのかたも多いかとは存じますが(w) 庵主,ほんらいの専門分野は机にしがみつきヴァーチャルな世界で調べものする系のニンゲンでありまして。楽器の修理だとか演奏だとか,リアルの世界に属するシゴトは,およそ大いに二の次なはずなのですが,ここ数年は筆先仕事も減って,リアルの世界でリアルなモノを扱ってばかりおりました。 そのなかで去年,長崎まで行って,いろいろと資料をかき集めてきた結果。このところの宿願であった,渓派(東京派)の基本楽譜にある楽曲の再現・研究が,ほぼ完了しました----といってもまあ流派内でメジャーだった曲について 「だいたいどんなメロディだったのか」 を再現したていどのことで,まともな付点資料があれば誰にでもできることではありますが。 渓派における第一基本楽譜,流祖・鏑木渓菴(徳胤)の『清風雅譜』(31曲)と,中興の立役者・富田渓蓮斎(寛)の『清風柱礎』(65曲)の再現については,以下をご参照アレ。 渓派の楽曲について--総合INDEX ![]() ![]() このブログと違って,なンにゃらいろいろと小難しそうなことを書き散らかしてますが無視してけっこう。インデックスから「これ」と思うタイトルの曲に飛んで,項目の最後のほうに 「再現曲」 と書いてリンク張ってありますところをクリックすれば,その曲のMIDIが再生されます。WindowsだとWMPが起ち上がってくるはずですね。歌付きで再現できるものは,AquesTone を使ってMP3を組んであります。こちらはクリックするとブラウザ内蔵のプレーヤーによって,別窓再生されると思われます。 なお,不具合・リンク切れなど見つけられましたらぜひご連絡を,けっこう大部な資料なもので,直すのにも目が行き届きません。 さて,今回はその渓派の楽曲中のある曲について。 ![]() これは『清風柱礎』に収録されている 「泊船肝胎」 という曲です。 画像は国会図書館のアーカイブにある版本から。 今のところ,ほかに収録例がないので詳しいあたりはちょと分かりませんが,題からしても曲調から言っても,まあ,お船でどんぶらこ,みたいな状景を歌ったもの,と考えて間違いないでしょう。 この原譜に,読み解きのためのシルシをつけるとこんな感じになります。 ![]() 工尺譜はそのままだと単なる漢字の羅列ですからね。こうやって記号をつけ,「ここは伸ばす」 とか 「ここはつなげる」 といったことを指示して,ようやく 「楽譜」 として使えるものになるわけです。伝系により人により,微妙に差異はあるんですが,複数の付点資料を校合して,当時の渓派での標準的なキマリに従って再現すると,だいたいこんな感じだったと思いますよ。 これを4/4拍子の文字譜----近世譜----に直すとこう。 ![]() 1文字が1拍,「-」は延ばす音,「○」は休符です。「●」は笛のみ息継ぎ,月琴は入れても入れなくてもいい休符だと思ってください。 これをさらに,中国の民楽なんかで使ってる数字譜に直すとこんな感じになります。 ![]() ![]() こちらのほうが分かる人は多いかな?「1=ド」で高音は数字の上に,低音は下に点が付きます。 月琴は再低音が「1」なので「567」の下に点のついてるのは,点を無視して弾いてください。明笛は右画像,赤で書いた「56」にはさまれてる上点付きの符の,上点を無視して吹いてください----この3行目から4行目3小節まで,月琴で高音にあがって弾かれるフレーズは,ぜんぶ低音ですね。ほかも下点の「56」にはさまれてる上点の「1」はぜんぶふつうの「1」,低いほうの「ド」になります。 特徴的な2分半4分の4分のところが,油断すると途絶えちゃいますので,なるべく指をちゃんと当てて,しっかり弾きましょう。 STEP2 ふねは泊まるよレバーにコブクロ で,まあ,再現作業が終わって数か月---- そろそろ落ち着いて,イロイロと見直しをしていかなきゃあ,と見回りながらふと気が付いたんですが----この曲のタイトル…「泊船」 はともかく 「肝胎」 ってなんじゃ? 「レバーとコブクロに船が泊まる」 ってのはどういうシュチュエーションなのだろう。 もしかして船の上で 「天下一料理大会(焼肉編)」 でも開催されてるのでしょうか。 「泊船肝胎」というからには,ともかく「肝胎」のところは地名であるに違いありません。あの広い国のことですから,どこかにそんなキドニーパイみたいな名前の町があってもぜんぜん可笑しくはないのですが,少なくとも庵主は知らないし,ぐぐって,やふって,ばいどってもちッとも出てきません。 まずは「船 肝 胎」とか「肝胎 地名」とかで検索したりしてたんですが,だいたいあがってくるのは料理のレシピだったり,漢方薬だったり,どこかの地方の名物料理や肉屋の広告ばかりというところ。でもそのうちふと,あがってきた検索結果のなかで,いままで無視してた情報のうちに,同じようなものがくりかえし出てきてることに気が付いたんですね。 サーチエンジンのあげてくる結果には,テキスト化された資料,すなわちコンピューターがそのまま読み込み,選別して拾ってきたもののほかに,文字の画像やPDF化された資料などを読み込んでテキストに変換したものがけっこう入ってきます。一昔前にくらべれば格段に精度はあがっていますが,基本的には紙の資料をスキャナーで読み込んでOCRかけたようなシロモノですので,漢字の読み間違いも多いし,縦書きにはほとんど対応してないしで,マトモな日本語になってなかったりもするため,だいたいはハナから無視していたんですが,そこに 「関羽が "肝胎" に行った」 だの 「懐王が "肝胎" に都した」 といった文章が,複数のソースにある同様の資料から採られて,繰り返し出てきてたわけです。 人名のほうは間違ってないようですし,それぞれの前後に書かれたシュチュエーションにも読み覚えがありますから,ちゃんと実際の史書なり小説なりから引っ張ってきたものに間違いありません。サレバ----と,それぞれの検索結果に記されているところの書籍名をチェックし,原書を尋ぬれば----ありましたよ。 この「肝胎」, 「盱眙」(クイ) の間違いですね。 ****字をよく見てください,違ってますwww**** ![]() 江蘇省に現在もある地名です。南に少し下れば長江,淮安・揚州といった地にも近い淮河流域の要衝の地で,目へんに「于」,目へんに「台」,中国語だと 「xu1yi」。日本語だと一般的な読みは 「クイ」 ですが,普通語の「x」の音は,清楽では「ひ」に変換されることが多いので,清楽家の間では 「はくせんひうい」 と読まれていたかもしれません----あくまで「肝胎」が「盱眙」だと知っていた,としてのお話ですが。(w) 字はどちらも 「凝視する」「じッと見る」 という意味で,県庁所在地が山のてっぺんにあり,見張りの適地であるところからきたものと言われています。まあ 「レバー&コブクロ」 ほどではありませんが,珍地名ではありますね(w) 検索エンジンはPDF文書などに出てきたこの 「盱眙」 というコトバを,よく似た 「肝胎」 という字として認識・変換しちゃってたわけですね。「盱眙」という字はどちらも,日本人にとっては馴染みのない難しい漢字です。おそらく清楽家の間でも,曲譜を筆写伝言ゲームやってるうちに 「盱眙」 が 「レバー&コブクロ」 になっちゃったんでしょう。 コンピュータもニンゲンが作ったもの----いくら優れていても,ニンゲンと同じ間違いを犯す,という証左の一つでしょうか。(w) 地名の目へん,たとえば 「睢陽(すいよう 現在の河南省商邱のあたり)」 の「睢」という字の目へんは,大陸の俗間の印刷物や筆記体ではよく「且」のような字体で書かれていることがあります。「雎 (しょ)」 という字はちゃんと別にあって,意味も発音も異なるのですが,広く混用されていますね。またこの「且」に似たカタチが,木版本で「肉」を基とするいわゆる「にくづき」の簡易体(彫りやすいように「月」の曲線部分を角ばらせたもの)としても使われることもあるので,大陸人の書写,あるいは原譜のもとになった唱本の段階で 「盱眙」 と 「肝胎」 が混じってしまっていたとしても,まあ可笑しくはありません。 さらに調べてゆくと,唐の詩人・常建の詩に 「泊舟盱眙(はくしゅうくい)」 というのがあることが分かりました。 とうとうたどりつきましたね(w) 清楽譜では 「泊舩」,この 「舩」 は 「船(せん chuan2)」 の通用字で,「舟(しゅう zhou1)」 ではありませんが,まあカタいことは言わない。 この曲はおそらく,この漢詩をテーマにしたか,もしくは歌詞として歌うためのものだったと考えられます。 泊舟淮水次 霜降夕流清 夜久潮侵岸 天寒月近城 平沙依雁宿 候館聴雞鳴 郷国雲霄外 誰堪覊旅情 舟を泊(とど)む淮水の次(やどり) 霜降の夕べ流れは清し 夜は久くして潮 岸を侵(おか)し 天寒くして月は城に近し 平沙 雁の依る宿 候館に雞鳴を聴く 郷国は雲霄の外 誰か堪えん覊旅(きりょ)の情 「晩泊盱眙」と題している資料もあります。2句目,「霜降る」と訓じてる記事もありますが,あとで「天寒くして」と言ってるぐらいですから,これは「霜降(そうこう)」,二十四節気の一つ。されば季節は旧暦の九月ごろでしょうか。5句目,「平沙落雁」といえば古琴の曲題にもありますが,この詩の「平沙依雁」も似たような表現,川辺の干潟に雁が群れて休んでいる様子。「候館(こうかん)」は「やど」「宿屋」とも訳されてますが,それはかなり古い意味で,この場合は町の物見台。港などでは船舶の監視のためかならずあります。「盱眙」は港町ですからね。また「雞」の字は「鶏」の通用字ですが,夜の詩なので,この場合はニワトリではなく「水雞(くいな)」を指しているのかもしれません。「郷国(きょうこく)」は故郷・ふるさと,「雲霄(うんしょう)」は空の彼方,雲の向こう,はるかなる事のたとえ。「覊旅(きりょ)」は旅行の雅語です。 作者の常建さんは伝に 「水上の景を詠むに巧み」 とあります。お仕事はなんと,この盱眙県の知事。ただし,その仕事と地位に満足できなくって, まあ,常建さんもこの詩を書いた時には,まさかにこれが 「盱眙の舟やどり」 から 「レバー&コブクロに泊まる船」 の歌になろうとは思いもしなかったでしょうねえ。(www) 『唐詩選』や『三体詩』に入ってるレベルの超メジャーなものではないとはいえ,大陸では 「郷国雲霄外,誰堪覊旅情」 のフレーズでけっこう有名な詩のようです。お江戸の月琴音楽の祖である遠山荷塘(専門は中国小説)とか流祖・鏑木渓菴(実家は漢学者の市河家)なら,まずない間違いだったと思いますが,それだけ明治になると清楽家の知識レベルも下がってた,ということでしょう----まあ庵主自身,専門っちゃあ専門のクセに気づきもしなかったんですから,あまり他人のことは言えませぬが(^_^;) ちょいとこんな実験をしてみました。 五言律詩の切れ目に,曲の長音の部分がくるように合わせてみたんですが----うむ,尺的には問題なさそうですね。 5句め「平沙…」のところで高音にあげましたが,ここは低音でも良かったか。 「紗窓」など,同じように漢詩をテーマにした曲の例からして,どこかにインストの部分が入るはずですが,わからないのでぺろーっと歌わせてあります。あくえちゃん,ごくろうさま。 こういう資料や実例があったわけじゃなく,あくまでもお遊びですが,意外とまあ,こんな感じの曲,くらいにはなっていましょうか。 ご笑納あれ。 (つづく)
|