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「渋紙張り」について

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斗酒庵 シブミを知る(w) の巻渋紙張りについて

シブバイ とは?

  そのむかし,お江戸の門付芸人さんや瞽女さんは,三味線にイヌやネコの皮ではなく,「渋紙」 を張っていた,とものの本には書かれています。真っ黒にくすんで,べこべこになった紙張りの三味線をかきならし,からっ風でガラガラ枯れた喉で唱える調子っぱずれの唄----それがお江戸の音のひとつだった,とされています----してみれば,お江戸の底辺からむくむくと湧きあがってきた,多くの俗楽・民間芸能の原点や,日本各地で歌い継がれてきた民謡の深層には,「渋紙張りの三味線」 の音が流れていたはずなのです。

  そのむかし,うちなーの若い衆は,バショウの渋を引いた紙張りの三線を持って,夜な夜な浜辺で毛遊び(もうあしびー)に明け暮れた,とたいていの三線関係の記事には出ております。いまは三線といえばヘビ皮ですが,当時ヘビ皮張りの三味線は,お大尽しか手に入れられないような高価なもので,庶民の楽器は「シブバイ(渋紙張り)」の三線だった,ともあります----してみれば,数々の島唄が生まれたその場に響いていたのは,ヘビ皮ではなく渋紙を張った 「シブバイ三味線」 の音だったはずなのです。

  さて,今回はそんな 「渋紙張り」 のお話です。

  庵主いちおう専門ながら,寡聞にして中国の俗楽や民間芸能で同じように 「皮の代わりに紙を張った楽器」 というものがあったかどうか,良く知らないのですが,日本の資料,とくに民間芸能とか流浪の芸人さん,みたいなことについて書かれたものには,必ずのように出てきますね。この「紙張りの三味線」のお話は。

  しかしながら,いざ調べてみますとコレ----「皮の代わりに渋紙を張った」という記事はうじゃうじゃ出てくるんですが,まあだいたいがどっからかのコピペみたいな文章で,その「渋紙」を「どうやって」張ったのか,みたいなことを書いてくれてる記事はほとんどありません。
  音楽の関係者からすると,楽器が三味線なら皮が猫だろうが犬だろうが紙だろうがあまり関係ないようですし,楽器の関係者からすると「渋紙を張る」という行為は,あくまでも「皮の代用」として行われる,「その場しのぎ」あるいは「一時的」な処置だったろうから,とりあえず書いておけばいいや,というような感じのようです。
  たしかに「本物」であるところの「皮張り」の楽器は,芝居小屋や寄席や遊郭に行けばいくらでも見られ,聞けたでしょう。ではそうしたところの音楽がホンモノで,「紙張り」の楽器で奏でられた音楽はニセモノなのでしょうか?----そうじゃないですよね。
  庶民とそれ以下の人々にとって,「紙張り」の三味線の音こそが音楽だった,この日本には,そんな時代もあったわけです。
  今回「渋紙張り」に挑んでみようと思ったのは,この「豊かな日本」にあって,かつての彼ら同様,最底辺の階層に属し,リア充爆発しろ金持ちはみなツね,と日々つぶやいてる庵主ならでは,当然の帰着であったかもしれません-----いえ,ウソです(w) たんに皮を買うお金がないので,手元にある紙でなんとかならないかなーと思っただけで。

  ちなみに庵主,むかし経師屋さんで少しバイトしたことがあります。ああ「経師屋さん」つてもほとんどの人は分かりませんかね。まあ,あれだ----床の間に飾る掛け軸とか作ってる人です。ほか襖とか障子の張替えなんかもしてましたね。
  ずっと修理報告をご覧になってる方々はお気づきでしょうが,庵主は楽器の修理によく和紙を使います。その修理における紙使いのテクは,もともとこの経師屋さんと古本(和本)修理の経験から得たものです。いや知識や経験というものは,どこでナニがどういうふうに役に立つか分からんもんですわ,ホント。

  で,その経験から言うんですが。基本的に----

  「渋紙」 はうまく 「貼れ」 ない。

  ----はずなのです。まあ,ただくっつけようというのなら方法はいくらでも考えつきますが,あくまでも 「渋紙」 にこだわるなら,どの方法も特別な工具が必要かそれなりに手間がかかります。
  三味線ひと棹笠ひとつで,毎日が稼ぎのような底辺の芸人さんたちが,何日もかかるような修理をやっていられるわけがありません。張り替えるにしても,修理するにしても,なるべく時間と手間と人手とお金のかからない方法をとったはずであり,そうでなければ 「紙を張る」 という行為が広く行われていた理由がありません。

  さて,そもそも多くの記事に 「皮の代わりに張った」 と書かれている,その「渋紙」なんですが。 書き手の方々は,いったいどのようなものを想像してるんでしょうか?
  上にも述べたように,これに関する限り,ほとんどの記事がコピペめいたものばかりなので,考察は,根本の根本であるそのあたりのところからはじめなきゃならないようです。

  庵主の知るところ,「渋紙」 と呼ばれていたものにはいくつか種類があります。代表的なものとしては----

  1) 包装紙としての渋紙。
  2) 衣料・生活用具の材としての渋紙。
  3) 染物の型紙としての渋紙。


  などがあげられます。
  1)は戦前くらいまではけっこう見られ,一般的に「渋紙」といって手に入るのは,この類がいちばん多かったと思います。この包装紙としての渋紙にもいろいろと等級があって,ごく薄い鼻紙みたいな紙に,2~3度軽く渋を引いただけのようなものから,番傘などと同じように表面に油やロウをひいて,光沢紙のように仕上げたものまであります。後者は多少水気のあるようなものとか量り売りの油もの(たとえばカリントウみたいな)なんかの包装紙として見かけますね。やや厚手ものは,古い瀬戸物や小さな細工物などの梱包・緩衝材としてよく見られます----このあたりは古物屋の小僧時代の経験知識から。

  2)は現在,現物にはめったにお目にかかれないんですが,紙を貼り合せて裃(かみしも)の類の上着や祭事の装束などに仕立てたものがあります。柿渋で固めた上から,さらにウルシを塗るなどして,皮のような風合いを出したものもありますね。紙の雨合羽なんてものもありました,これは紙でカタチを作って,表面に番傘と同じ防水加工(渋+油)を施したものですね。上物は紙製とはいえ意外に丈夫で,ちょっとやそっと着たくらいじゃビクともしません。そのほか紙帳とよばれる蚊帳の一種や,襖紙,壁紙,敷物などにも使われてます。いづれも1)よりはやや厚手の紙で作られます。

  3),これが問題で。沖縄の三線関係の資料には,「びんがた(琉球伝統の染物)の型紙に使ってた渋紙を三線に張った」なんて記事も見えるんですが……結論から申しまして,ムリです。 染物の型紙に使われる「渋紙」というものは,丈夫な紙を何枚も,渋を塗っては繊維を交差させながら貼り合せた,かなり厚手のものです。そうですね,厚みも硬さもプラスチックの下敷きくらいはあります。大正期以降は「紗張り」といって,さらに布を貼って強化したものもありますし,表面にウルシを塗って防水対策をしてることもあります。加工前の渋紙なら,濡らせば多少は柔らかくなりますが,乾いた状態では表面渋でガッチガチ,ニカワを染ませるのもちょっと難しいくらいですね。

  そもそも「渋紙張り」と言い「シブバイ(沖縄語 渋:張り)」というからには,その紙は皮や布のようにテンションをかけて「張り」つけられたものであったはずです。またそうでなければ,三味線の場合「皮の代用」とは言えないし,ならないはずなのです。「板のように固い」紙を「貼り」つけても三味線は鳴りますが,それならいっそ「箱三味線」として紙より木の板を貼ってしまったほうがラクですし,工作の手間もかかりますまい。

  製品として売られている一般的な「渋紙」。
  つまりすでに加工されて「渋紙」となっているものは,上にも書いたように,なんらかの方法で表面に撥水加工が施されていることが多く,接着が悪くなっています。これらをもし皮のように楽器に「張る」としたならば,事前にいちどよく揉んで表面を荒らすなり蒸らすなり,薬品処理するなりという手間が必要となります。できないことではないし,大した手間でもないので,使い古しの 「渋紙」 が再利用され三味線に張られた,ということも実際ありはしたでしょう。しかしながら,いちおう楽器に関わるものとしていろいろと考えるならば,いろんな記事で三味線に「渋紙」を「張った」,と書かれている行為は,実際には「渋紙を張った」のではなく,「ただの紙を張り重ねて,渋を塗った(最終的に紙が渋紙となる)」というのが,一般的であったろうと思われます。

  今回は弦子と二胡でやってみました。
  使用した紙は「華草紙」という画仙紙の一種。薄くて丈夫な紙です。
  これを弦子は8枚,二胡は6枚,繊維の向きを交差させながら重ねてみました。

  紙を「渋紙」にするやりかたにもいくつかあって,柿渋だけで固めるやりかたと,でんぷん糊などの接着剤を用い,紙を貼り重ねてゆくやりかたがあります。
  紙の質にもよるのですが,前者の場合は繊維がよほど柔らかい紙でなければ,層になってハガれてしまいますので,ふつう「渋紙を作る」と言えば,糊づけして貼り重ねたものを指します。明治時代の裏ワザ本に「糊にも柿渋を混ぜて紙を貼ればより丈夫な渋紙になる」とあったので,ヤマト糊に柿渋ぶちこんでかン混ぜてみましたら,みごとにモロモロになるばかりで使い物になりません。ニカワの場合にも渋を混ぜろとあったので,これも試してみましたが,へんに白濁して分離するばかりで,やっぱり駄目。くそー,ウソばっか書きやがって執筆者死ね!!(もう死んでるwww)

  薄い紙に糊を引いて,乾く前に左右にぴんと張りながら重ねてゆきます。
  このくらいの薄さの紙ですと,最初の2枚くらいは,あらかじめ貼り重ねておいてから張りはじめたほうがいいかもしれません。
  重ねるために糊なりニカワを塗るとどうしても濡れちゃうので,最初がうすうすだと,せっかくピンと張った中心がたわむし,力入れすぎると簡単に破けてしまいますね。

  あらかじめ繊維を交差させて重ねておけば,多少濡らしてもそうそう破けることはありません。そのかわり,今度は乾いたらパリパリになっちゃいますから,楽器に張るときは,霧吹きなどでさっと湿らせておかないと,うまく貼りつけられません。

  紙の間に空気が入らないように気を付けて,重ねては周縁部を撫でるようにこすって,ピンと張ります。
  数枚重ねたところで渋を引き,渋が乾く前に 「ひのし」 をかけましょう。
  「ひのし」----つまり昔のアイロンですね。生乾きの段階で皮面に布をかけ,じゅうぶんに熱した「ひのし」をすべらせるようにかけます。
  ひとつには蒸らすことによって,柿渋や糊を紙の繊維になじませます。もうひとつには衣類のアイロンがけと同じ。デコボコをなくして平らにするためですね。この作業は,渋塗り,貼り重ね,油引きの作業それぞれの合間に,表面が生乾きの状態で行います。

  いまは珍しい工具になってしまいましたが,むかしは各家庭に普通にあったものですし,宿などでは借りることもできたそうですから,旅回り,門付の芸人さんたちでも,この工程は可能であったはずです。張り替えまでいかないような部分的な補修も,これがあれば短時間で可能だったと思いますね。

  今回ははじめてのこと,イロイロと考えながらの作業だったので,半日くらいはかかっちゃいましたが。
  作業時間だけで考えるなら,三味線でも完全張り替えで4時間ぐらいもあればなんとかなりましょうか。「ひのし」があればさらに乾燥時間を圧縮できますので,材料がそろってて慣れている人なら2時間くらいでやってしまえるかもしれません。
  また紙張りの場合,作業完了と同時にほぼ演奏可能です。

  もちろん上物の「皮張り」の楽器と,音色では比べものにもなりませんが,まあふつうに「三味線」と分かる音は出ます。板張りに比べると余韻の部分の伸びがずっと良く,アタックの部分でもへんな金切音が出ません。欠点としては高音の伸びがやや物足りないこと,あとは音量があまり出ません----しかしこの辺りは紙や糊の材質とか張りかたとかで,ある程度改善することができそうです。
  あと張ってしばらくしたら,中央の部分が少し凹んでしまいます。完成直後はかなりピンとしてたんですが。
  これは紙が水分を吸って伸びたから,というより柿渋や糊,防湿のため仕上げに引いた乾性油の固化のほうと関係がありそうです。使用上さほどの支障はなく,音にもあまり違いは出てません。今回は薄い紙を楽器に直接張ってゆきましたが,もしかするとあらかじめ重ねておき,中央部分だけ先に柿渋をしませて固化させておく,などの方法によって回避できるかもしれませんね。

  この「紙張り」,研究次第によっては,楽器方面の方にとって,かなり面白い技術になると思いますよ。

(つづく)


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