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合歓堂/琴華斎 (2)

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斗酒庵 依頼修理の続く2016.10~ 合歓堂/琴華斎 (2)

STEP2  フェイブルス・オブ・リコンストラクション

 計測・調査って作業は,修理前に見たり測ったりするだけでなく,修理の作業中も,常に行っています。
 それは修理前の「現状」を記録するためでもあり,さらにそれ以前の,原作者がその楽器を作った時の「原状」をとらえるためにも必要なことだからです。
 古物で出るたいがいの月琴には,後世の手が加わっています。
 それは原作者による「調整」であったり,その楽器が実際に演奏されていた時代の,楽器屋による古い修理であったり,その時代の所有者によるものであったりもしますが,たいてえはまあ,近年の古物屋やシロウトさんのシワザですね。そういう楽器のさまざまな「経歴」は,ただ外がわから眺めてただけでは分かりません。なにか作業をしている過程で発見されることのほうが多いのですね。


 依頼修理の月琴二面。
 とまれ今回も,田島真斎の大型月琴からまいりましょう。

 裏板にラベル痕がふたつ。
 棹口のちょうど下辺り,胴中央上端に残っていました。
 はっきりしてるほうは,長方形の上辺左右を落とした,よくあるタイプのラベル痕でサイズはおよそ48×35。その上にもうひとつ,うっすらとではありますが丸いラベルが1つ貼られていたと思われる痕跡も確認できます。
 同様のラベルとその配置は,石田義雄の南神保町時代の楽器にも見受けられますが,この場合,上の丸ラベルは横並び二重に重なったものになっており,丸ラベルが1つの錦町時代のものは,下のラベルのカタチが違ってきます。

 これが田島真斎の楽器だとすると,丸ラベルはおそらく内国勧業博覧会のメダルを模したもの,下のラベルには唐物楽器についているものを模した文章が書かれていたはずです。

 この裏板には,かなり大きな範囲でのハガレがあった模様です。
 前修理者は何も考えず,ただハガれたところにニカワを塗って,へっつけ直しよりました。
 プラモデルや金属のオブジェとかならまあ,それでも良いのですが,基本的にモノが壊れるのには理由があり,板がハガれるのには原因があります。
 木の場合,とうぜん板やそのヘっついていた部分のどちらか,あるいはその両方は,「原状」ではないことになっておるわけで,つまり板が縮んだにせよ,胴材が狂ったにせよ,ハガれたからには,そのまま貼りつけても合うわけがありません。
 前修理者のそういう雑な作業の成果として,裏板周縁のあちこちに見事な段差ができてしまっています。見栄え的にも悪いですが,それ以上にこれは「修理」ではありません----楽器において「開いてたフタを閉じただけ」のことが修理なら,誰も苦労はせんでしょう?

 板がハガれたなら,そのハガれた原因を見つけ出し,そこから修正してやるのが本筋です。
 そのためにも,まずはこの裏板をひっぺがすとしますか----

 なんか出たーーーーーッ!!!

 おっふ……墨書ですね。
 1・2行目は 「明治廿三年 皐月」 かな?
 「合歓堂 雪」…次の二文字がちょと読めません。
 最後の行の小文字は 「敬白草々」 なんじゃないかな,と思います。

 けっこう達筆にくずしてあるのと,ちょうど上に桁がわたってしまっていますので,ただでさえ草書のニガテな庵主には少々手に余りますが,とりあえずはっきりとした年記が出て来たのはうれしいですねえ~。明治23年は1890年,いまから126年前に作られた楽器と言うわけです。
 「合歓堂」というのは田島真斎の堂号でしょうか? よく貼ってあるラベル(上画像参照)には「真斎」と本名の「勝」しか書いてないですけどね……もしや,別人の……いやいや,各部の特徴からして,おそらくこれが真斎の楽器であるのは間違いのないとこだと思います。
 しかしながら「合歓堂」といえば俳諧の名跡(ぐぐれ),おいそれと使えるようなものではありやせんぜ----田島真斎の堂号については今のところ未詳ですが,もしかすると「合歓堂」へのオマージュとして作られた楽器なのかもしれませんな。

 内桁は2枚。 棹なかごのウケも左右の音孔も,かなり丁寧にぬかれています。材質は桐ですね。下桁の右の方,音孔の上になんかデカい四角孔があいてて,そこを中心にヒビも少し入ってますね。これはおそらく桐板をつくるときに挿してあった竹クギの痕----いや,わざわざこんな部分のある板,使わなくてもいいのに(汗)
 あらためて内がわから見ると,表裏板のあちこちに同じような竹釘が残ってたり,その痕の三角溝が見えてたりするんで,この楽器の表裏の板や桁は,桐屋さんなどで作られた既製品でないことがよく分かります。
 49号の記事などでも書きましたが,初期の作家さんは既製品の板より,当時そこらにふつうに梱包用品としてあった桐板を矧いで再利用したものを主に使っていたようです。

 響き線は1本。 気持ちいいくらいまっすぐな直線(w)です。不識のものよりはやや細めですが,内桁2本の真ん中の空間に,直線の響き線と言う配置は共通のものです。ただ不識が響き線の基部に木片を噛ませているのに対して,この楽器のは胴材に直挿し,よく見る線を固定するための鉄釘や竹釘もないシンプルな工作となってます。
 国産月琴の原型となった福州の唐物月琴も,響き線のカタチは異なりますが固定の方法は同じ。これもこの楽器が比較的古い知識をもとに作られているということですね。

 四方の接合部は比較的工作も良く,密着してはいますが,上下の内桁に表板からの剥離が見られます。また上桁の右端と下桁の左端が,胴に密着していません。
 裏板の大規模なハガレの原因は,おそらくこの内桁の剥離,もしくは原作者による接着不良と見て間違いはないでしょう。単純な構造ゆえに,こういうわずかな接合の不具合が,時間が経つにつれ大きな歪みや障害となってしまうことが往々にしてあるのです。
 またおそらくは不識の楽器同様,田島真斎の楽器も,ギリギリの材料でギリギリの精密な加工技術によってつくられていると思われます。それはそれ腕前としては素晴らしいものなのですが,余裕のない工作で作られた単純なものは, 精密であればあるほど,ちょっとの不具合でもかえって大きな支障を生じてしまうものです。

 山田清琴斎や菊芳の楽器などには,良い意味での「余裕」があります。あと2ミリ削ればもっと良くなるところを,削らずに残しておく。あと少しガッチリはめこめば水も漏らさないところを,わずかにあけておく。 それは「性能」や「精度」の観点だけからいえば,わざと質を落としているようにも見えますが,鋭い刃物はよく切れるが寿命は短く,切れ味の鈍い刃物ほど長持ちしたりします,しかも砥げばちゃんと切れる-----その工作の「余裕」のおかげで,彼らの楽器はいまでもよく鳴るし,生存率もかなり高いんですね。太清堂なんてご覧なさい!あんなに雑で無茶苦茶な工作してるのに,音が良いったら腹立たしいッ,きいィーーーーッ!!(噴怒)

 はあ,はあ-----ま,要するに。日本人は何かと「突き詰める」方向に行きがちなんですが,それだけでは本当の意味での「良いもの」にはならん,ということで,

 ギリギリの人が作ったギリギリの楽器は,ギリギリの修理をしないと直りません(w)
 またまた,脳みそが焼き切れそうになるくらいの精密作業となりそうですなあ。




 さてこちらは琴華斎。

 棹が抜けないナゾの解明。  また四方の接合部の接着もトンじゃってますので,調べるためにも修理のためにも,まずはまずバリバリと裏板をハガして,オーバーホール----って,

 こっちも出たーーーーーッ!!

 合歓堂のほうは表板の裏でしたが,こちらはひっぺがした裏板のウラに墨書が。

 ふむ…けっこうな長文ですね。
 比較的読みやすい字体のようです。

 本 号 信 陽 松 城 西 関 外
 諸 街 住 楽 器 肆 造 各 款
 而 音 響 無 比 各 琴 是 即
 弊 舗 依 所 秘 工 存 請 賜
 顧 諸 公 須 語 云 記 長 秀
 不 検

 おそらく唐物楽器のラベルなんかに書いてある文章を真似たもののようです。
 2行目の 「楽器肆」 の横の小文字は 「祭〓造文廟諸器」
 「文廟」は孔子様を祀った大陸によくあるお宮で,そこで使われる楽器,というのはまあ日本でいうと 「雅楽の楽器」 みたいなもの,ということ「伝統的で風雅な楽器」っていう時の言い回しです。 琴華斎さん「お値段いろいろ(各款)の楽器を作ってます」か 「雅な楽器を作ってます」 かで迷ったのですねえ。


 さて,直しも入っているし,ちょっと文章が中途半端なので,これは墨書として後世に伝えるため記されたものではなく,おそらくはこういう文章のラベルを作ろうとした時の,その草稿とか下書きみたいなものだと思われます。

 まあ,素材から言っても加工・工作から言っても,これが真正の唐物楽器ではないことは分かっていました。もしほかの修理屋さんが,外見やラベルの名前などから,唐物楽器だと信じてこの文章を見たなら「ああ,やっぱり!」とか「すげえっ!!」とか思っちったかもしれませんが,残念ながら庵主は,中国方面の事情にかけてはいちおうクロウトです。「ああ,やっぱり!」と思いはしましたが, それは 「やっぱり日本人が作ったものか~」 という確信のほう,なんとなれば----

 まず1行目 「信陽松城」 という地名が出てきます。
 中国には「信陽(しんよう 河南省)」という地域がありますので,おっちょこちょいだとここでナットクしちゃうかもしれません。 が,「信陽」には「松城(しょうじょう)」という地域はございません。 しかも現在の「信陽」が「信陽」と呼ばれるようになったのは,それほど昔ではない。
 対して日本ではお江戸のころより 「信陽松城」と,公文書にも書かれる地域がございました。

 そう,長野県の「松代(まつしろ)」。
 ちょうど大河でやってる真田さまの本拠地の一つですねえ。

 「琴華斎」,どうやら信州の人のようです。
 現在,さまざまな方面から,その正体にせまるべく検索を重ねておりますが,今のところたどりついてはおりません。松代近辺の方でお心当たりがございますれば,情報賜りたく。

 斗酒庵,伏してお願い申し上げまする。

 倣製月琴・琴華斎。
 内部構造もしっかり唐物のコピーとなっとります。おそらくガワだけでなく,内部もいちおうきちんと調べたのでしょう,エラい。

 内桁は一枚。響き線は楽器の肩口から胴内を半周。
 どちらも唐物月琴の一般的な構造ですね。
 ただし唐物の場合,内桁の材質は桐のことが多いです。あと,響き線はもう少し太い線で,もう少し長ければほぼカンペキですが,胴体の材質が柔らかめの広葉樹なので,あんがいこのほうが良く効くかもしれません。
 あ,あと,唐物の響き線は胴材に直挿しです。
 こんなふうに基部にクギを打って固定しません。このあたりは内桁を二枚にしたのと同じく,見た目の安定・安心感を貴ぶ,日本人的思考の影響ですね。

 さらに,この内桁は表裏板とほとんどくっついていません----ほれ,軽くひっぱったらカンタンにはずれましたわい(泣)
 真ん中のあたりが申し訳程度に接着されてる,といったていどでした。

 この作者さんはおそらく,もともと三味線屋さんでしょう。
 ちょっと前にも書きましたが,大陸の職人さんは月琴の胴体を「箱」と考えてますが,日本の作家さん,とくに三味線工あたりからきたヒトは「太鼓」と考えがちなのです。
 大陸の職人さんが胴を 「全体で音を発する」 ひとつの 「密閉された構造」 と考え,各部の接合接着をいやんなるくらい頑丈にするのに対して,日本の職人さんの多くは 「表裏の板のみ」が振動する,すなわち三味線の「皮」とおなじようなものと考えちゃうんですね。そのため「皮」がより震えるように,と余計なものをくっつけたがらない。
 ちょっと考えれば,どうせフレットや飾りもへっつけちゃうんだし,板なので皮みたいには震動しないし,半月の構造からして,弦の振動が板を直接ふるわせてるわけでもないのですから,板の接着をまばらにしたところで効果はありそうにもありませんが,ギター職の人が月琴を作ると,サウンドホールぶちあけちゃうのと同じように,慣れてきた構造の呪縛,思い込みと言うものからは,なかなか抜け出せないもののようですな。

 こちらも四方接合部や表裏板の不具合は,この内部構造の接着不良が原因でしょう。部材の加工は精密でかなりいいので,このへんをきっちりとへっつけ密着させれば,かなり鳴る,いい楽器になりそうです。

 ううむ,板を剥がして墨書が2件----「当たり」が2本も出たので,今回はここまで。
 おっちゃーん,あと2本アイスおくれーっ!!

(つづく)


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