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Yさんちの天華斎(5)

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斗酒庵 依頼修理の続く2016.11~ Yさんちの天華斎 (5)

STEP5  組み立てられた日常


 さて,楽器の修理において,調査・計測というものがいかに大事か大変かということを身に滲みて感じ得た今回の修理。いよいよ最終工程に入ります。

 前回紹介したように,糸巻の1本に工作不良があり,補作しましたが,弦楽器としての機能に直接関係するようなほかの部品には,さほど具合の悪いところがありません。
 山口の接着もオリジナルのまま。強度的な面では問題がありませんが,棹の傾きを修整したので,糸溝を調整する必要がありそうです。 半月は糸孔の加工が少々雑ですが,まあ大丈夫でしょう。ただ,黒染め部分がちょっと色褪せちゃってますので,ベンガラやスオウで補彩し,上面にへっついているツゲ板の飾りといっしょに,亜麻仁油で軽く拭いて,ロウ磨きでつやッつや----色合いが,かなり鮮やかになりましたよ。

 棹孔を削る大工事で,中心線のズレはほぼほぼ修正できましたが,実は完全ぴったりきっかりになっているわけではありません。
 今回の原作者のやらかしている胴や棹本体の工作上の歪みやズレをそこまで直そうとすると「修理」の範疇をすぽーんと越えてしまい----早い話,イチから作りなおしたほうが早い世界になっちゃいますので。
 修正は 「楽器として問題なく使用できる」 レベル,ふつうの作者が製作した場合でも生じうる「誤差」の範囲まで戻したところで止めてあります。
 ゆえにまだ精密に測ると,あちゃこちゃへ少しづつ傾いたりはしておるわけですが,少なくともオリジナルの状態よりはマシです----ええもう,はるかにマシ。

 その 「はるかにマシ」 な中心線に沿って,残ったズレや傾きを加味しつつ,半月の取付け位置を決めてゆきます。有効弦長はオリジナルと同じ407。山口に糸端を貼り付け,半月を左右に少しづつ動かしては,糸がもっともバランスよく,キレイに流れる位置を探します。
 なんてことなさそうな作業ですが,これがけっこう難しいんですよ。
 今回は特に,棹にも胴体にも微妙な工作の歪みがありますので,一方向からだけではまったく分からない。ちょっとズラすたびに,いろんな方向から確認しながら,ちょー微妙な精密作業となりました。
 決まった位置にシルシをつけて接着。
 この半月の材はあまり接着が良さそうでないので,いつもよりちょっと慎重に,接着面を粗めのペーパーで荒らし,時間をかけてお湯とニカワをふくませ,ぎゅぎゅっとな。

 山口の糸溝はいちどツゲの粉をエポキで練ったパテで埋め,あらためて今回の正位置に切り直しました。


 実際に外弦を張り,棹の傾きなどをさらに微調整したら,いよいよフレッティングです。

 今回のフレットは,牛骨で作ります。
 胴上に残っていたフレットは,何の骨かはわかりませんが動物の骨材でした。唐物月琴はかなりの高級品でもフレットは竹なことが多いのですが,これはおそらくオリジナルです----材取りや加工が日本人の作者のものとはかなり違ってますしね。
 つか----ずいぶん雑だな,コリャ。(汗)
 左右端はただぶッた切っただけだし,厚みもバラバラ高さもちゃんと当ててそろえてるのやら,何やらおかしな感じになってます。
 こんなアレでも天下の天華斎。材質や装飾から言っても,明治のころにはかなりの高級品だったはずです。楽器の「格」ってのにふさわしく,材料をどーんとゼイタクに使って,1セットこさえましょう。

 ----そりゃ!ゴリゴリゴリのガリガリガリ!!!

 第1フレットから順繰り,高さギリギリで調整,フィールドノートで長さを確認しながら仕上げてゆきます。例によって3本ばかり失敗し,作り直しましたが,朝からはじめてなんとか昼過ぎまでには8枚1セット,そろえることができました。
 フレットをオリジナル位置に置いた時の音階は以下のとおり----

開放
4C4D-114Eb+414F+314G+104A+85C+65D-145F-13
4G4A-174Bb+465C+185D-175E+55G-45A-236C-24

 できあがったフレットは表面を磨き,ラックニスをよく染ませ,乾燥させておきます。
 2日ほどおいて乾いたところで,ヤシャ液にどぼん。
 30分ほど置いて軽く染ませ,古色をつけたら,研磨剤で最終磨き。
 ここまでやると,もうシロウトさんには象牙だが馬の骨だか区別はつきません。(w)

 左右のお飾りも,よぶんに頑丈に貼り付けられていたため,剥がす時,少し割れたり欠けたりしてしまいました。胴体と同じタガヤサンで出来てて,カタいけどモロいんですね。割れた個所は継いで,裏に補強の紙を貼りつけてあります。

 画像のは向かって右がわのお飾りの裏がわ。 鸞の意匠の内輪郭に沿って溝が彫ってありますね。どうやらこの1枚,作りかけで何かあって,裏面を使うことになった模様。反対がわのお飾り裏面には,こういう溝はありません。まあ,たぶん向きを間違えたのじゃないかと………同じもの二つ,作っちゃうとこだったんだろうなあwww。
 柱間のお飾りは,数こそそろっていましたが,順番が少々おかしかったので修正して貼り直します。 彫りの手から考えて,たぶん白っぽい色の石材で出来てるのがオリジナル。色のついた材のものは,後でほかの楽器から移植されたものではないかと思われます。

 そしてあとはコレ----
 オリジナルのラベルは劣化が激しく,かつニカワでベットリへっつけられてたため救出できませんでした(泣)。そこでひさびさにラベルを偽造。
 スオウで染めた紙に,オリジナルの画像と資料を参考に,木版画風に描きます----庵主,版画やってたことあるんで,この手のワザ,得意です。
 これを切り貫き,紙やすりでコスったり,木灰をかけたりで古びさせてから貼り付けます。

 んで接着----いつものように,楽器の修理とは思えない光景ですねえ(w)



 2016年12月13日。
 Yさんちの天華斎,修理完了!!

 このシリーズの最初のほうで書いたように。
 この楽器は,響き線の構造に少々問題があるので,演奏姿勢が多少制限される不便と,ノイズが発生しやすい欠点はありますが,やはり唐物----音色はバツグンにいいです。 日本人が考える「月琴」の音は,繊細でガラスのような響きなんですが,大陸の月琴という楽器は,今も昔ももっと明るくほがらかな音色の楽器。 響き線がうまく効いていると「わーん」といった唸るような余韻が,耳に痛いくらいの音圧でとどろき,「月」というよりは太陽や炎の放射といった感じで音が広がってゆきます。

 適度な演奏姿勢が定まるまで,多少の慣れが必要と思われるぶん,フレットをやや太目にして,正確な音程よりも,安定した音が出やすいようにしてあります。

 あと,なんちゅうても。
 キレイな楽器ですよねえ。
 福笑いを解消したら,なんか前よりキリッとした感じになった気もします。

 庵主はもともと,明治のころ日本に入ってきた中国製の「月琴」の多くは,純粋に「楽器」として作られたものではなく。外貨獲得のための,装飾的な 「輸出品」 として,「ふつうの楽器」とは別に製作されていたモノだと考えています。
 たとえば,装飾用に作られた金襴豪華な大ツボは,「ツボ」としてはちゃんと出来ていて,水を張ってもまあふつうは漏れたりしませんよね。でも,そういう飾りものを,ふだん水汲みとかには使わないでしょう。ですので実際に「使われるツボ」と比べると,どこかヘンだったり,使用上不都合な点があったりする場合があります----それと同じように----これはいちおう,楽器として作られてはいますが,「楽器として使われる」 ことを念頭に置いては作られていない。

 そういうモノだったのではなかったのかと。

 そもそも,音に直接影響のでる表面板に,振動を阻害するようなものをわざわざへッつけるという行為が,すでに納得のイカないものではあるのですが。(w)

 江戸時代に長崎を通じてわずかに入ってきていた古い楽器,またそれを模して作られた初期の国産月琴の多くは,胴面の貼り付け装飾をもたず,装飾といえば胴に直接,書や絵画を描くのがふつうだったこと。同じくらいの時代に大陸において採集された古い楽器や,現在の中国月琴にもそうした装飾をほどこす習慣は見られません。
 ただ,以前にも書いたように。月琴という楽器は「円満」を表す慶事の引き出物として使われることがあります。そうした引き出物の月琴は「装飾品」ですので,「楽器として」演奏されることはあまり考えないで仕上げられます。「装飾の付けられた月琴」 というのは本来,そういうモノだったのです。

 この楽器でも清音斎でもそうでしたが,弦楽器として最も大切な部分であるはずの棹や半月の取付けに問題があったり,装飾の接着が必要以上に強固(楽器に必要なメンテナンスのことが考慮されていない)であったり,23号茜丸のように,質的に問題のある材が用いられていたりすることも,大陸流のおおらかさ,とか言うような文化や技術的な差と考えるには,やや過ぎたところがあります。

 19世紀から20世紀の初頭にかけて中国で作られ,演奏された 「ふつうの月琴」 は,現在も作られている中国の伝統的な月琴(清楽月琴と同じ4弦2コースの楽器)とほとんど変わらない姿をしていましたし,その工作や精度も,国産の清楽月琴ほどの繊細さはありませんが,まだ 「用たりればヨシ」 とする「おおらかさ」の範囲にじゅうぶんおさまるモノでした。

 この楽器の特徴の一つ。唐物月琴としては長すぎる棹やその形状などは,輸出相手----日本人----に合わせた,当時の日本人に,より「好まれるための」工作,すなわち当時,日本で使用されていた国産月琴の姿に,逆輸入的に影響された結果だったのではないでしょうか。
 同時代の中国北方の月琴や,庵主が清楽月琴のルーツと考えている西南少数民族の楽器にも,同様にやや棹が長かったり,山口の貼付け部がふくらんでいる形のものはありますが,指板左右のテーバーがなかったり,棹背の形状がこれとは少しく異なっております。

 この楽器は,当時,月琴が流行していた日本向けに,当時の日本人の嗜好に合わせる形で作られた,そういう1本であったような気がします。

 18~19世紀の世界は,いまわたしたちが考えているよりも意外とせまく。
 伝達の速度はおそいものの,情報のやりとりの頻度とその密度は,もしかすると現代よりも高いと言えたかもしれません。
 そしてどんな分野であっても,情報の価値そのものがいまよりもはるかに尊かったわけです。
 ましてや商売上手の中国人が,取引相手の好みや動向をリサーチしなかったわけがない。

 その意味からするとこの楽器は,百年以上前の,音楽や楽器を通じた世界的な交流の,ある貴重な一場面が記録された「生き証人」だったのかもしれません。

(おわり)


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