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月琴53号 (4)

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斗酒庵 唐物と出会う の巻2017.4~ 月琴53号 (4)

STEP4 バインディング・ヨー・フット

 月琴53号天華斎,まずは胴四方接合部の補修から。

 前回も書いたように,もともとモロく弱い木取りになってる部分に,わざわざ壊れやすい複雑な組みかたをしているのではありますが,まずはその破損部を継いでもとの構造に戻します。
 この段階では,部材の接合そのものには一切手を加えません。単に割れてるところを継ぎ直すだけ。

 正直なところ,この状態だといっそ接合部まるごとエポキで固めてしまうのがいちばんてっとり早く,かつ最も丈夫なのでありますが,そうした場合,この接合部は二度と「壊れなく」なってしまいます。
 いつも書いてるように,「壊れるべきところから壊れたもの」は何度でも修繕して再生・使用できますが,「壊れないもの」は壊れたらゴミにしかなりません。この接合部が壊れてるのは,棹の不良や胴材の収縮によるもの。もしここが壊れるべくして壊れてなければ,側板の真ん中からバッキリと割れたり,胴体が半分になってしまっていたかもしれないのです。
 ですので,もしここを「壊れないように」してしまった場合,次に何らかの衝撃や予期せぬ負担がかかっても,その逃げ道がありません。そうなった場合の破損状況は,原作者の意図も修理者の能力も超えた,修復不可能なものとなる可能性があります。
 100年以上前に福州で作られ,日本の清楽家に名器と讃えられてきた楽器です。なるべく長く,とこしえに,あり続けてもらいたい。
 もちろん,オリジナルの工作に問題があるのですから,その対策はします。しかしそれはここが二度と「壊れないように」するものではなく,あくまで 「壊れるべきときには壊れる」 ような方法でなければなりません。

 さてさて,ちょっとした哲学問答みたいなハナシですね。

 破損部分が接ぎ固まったところで,はがれていた天の側板を表面板に再接着します。第2回で述べたように,不安定な状態で棹からの圧力を受け続けた天の板は若干たわんでのびてしまっていますので,そのままだと板の中央のあたりが,面板の縁から1~2ミリ後退した状態になってしまいます。
 面板と側板の接着面をじゅうぶんに湿らせ,薄めたニカワをふくませたところで,内桁と天の板との間に切ったワリバシを何本も挿しこみ,天の板を少しづつ持ち上げ,接着しました。道具が道具なので,見たとこそんなたいそうな作業をしてる感じもしませんが。粘りのないタガヤサンのこと,一気にやるとバキッっとか逝きそうですので,板の内外を筆で湿らせながら,長さを少しづつ変えたワリバシを様子を見ながら押し込んでゆく,きわめて緊張感あふれる作業でありましたよ。
 さらに,これによってほかの部分が歪まないように,ゴムをかけまわして調整しています。
 このまま2日ばかり放置しました。

 天の側板がもとの位置にだいたい戻ったところで,次は地の側板を接着。こちらもほぼ全周ハガれてしまっていますが,天の板と違って部材自体に変形はありません。

 ここまでの作業で,じつは庵主,この天地の板を全面完全に再接着してはおりません。表面板は3枚継ぎ,中央にいちばん幅の広い板があり,左右に小板が接いであるのですが,庵主が接着しているのは,その中央の板のさらに中央部分のみ。左右小板の矧ぎ目より手前,四方の接合部にかかるより手前のところから先のハガれているところはハガれたままにしてあります。
 これは,部材の矯正作業もやってるこの時点ですべての板をガッチリつけちゃうと,各部材がまったく動けなくなっちゃうからですね。まずは楽器の縦のライン,背骨にあたる部分を矯正・復活させ,そこからほかのカタチを固めてゆく作戦です。

 天地の側板がぶじ板にへっついたところで,いよいよ接合部の補強にとりかかります。

 やることはまあ,ごくスタンダードな方法。
 もとの板が「薄くてモロい」のですから,これ以上割れないように,裏から板を足してやりましょう。カツラの補強板を,各接合部裏面の形状に合わせて削り,貼りつけます----原作者が見栄えの為だけによけいな工作をしてくれやがったせいで,たかだか板へっつけるだけなのに,補強板をピッタリ合わせる加工がけっこう複雑でタイヘンです。(^_^;)
 できあがった補強板は,ニカワを湯煎するのといっしょの鍋に入れ,煮て少し柔らかくしておきます。お湯で湿らせた接合部の裏がわに,ニカワをたっぷりしませ,さらに唐木の粉をニカワで練ったゆるめのパテを部材表面の細かな凸凹の充填剤として塗りつけたところで補強板をセット。接合部を手で密着させながら,表裏に当て木をしてクランプをかけ,補強板を圧着してゆきます。

 つぎは棹口を補強します。
 縦方向の支えになる構造のないこの楽器で,棹からの負担を一身に受け止めていたのは,天の板の棹口部分と表面板との接着面----幅5ミリあるかないかの「のりしろ」部分でした。棹の工作不良による余計な負担の集中が重なったとはいえ,そのせいで一度変形してしまってるうえに,ただでさえ接着に難のあるタガヤサンですから,向後の安心のためにも,きちんと補強しておかなければなりません。
 ではどうするか?----天の板をもっと丈夫で接着の良い材に取り替える,天の板と内桁の間にいまワリバシでやってるような「支え」を渡す,表裏の板ウラにギターのブレーシングのような補強板を接着する……考えつく方法はいくつもありますが,その中でいちばんオリジナルを損なわず,もっともシンプルな工法を選びましょう。
 天の板の接着がはがれ変形したのは,その材質と5ミリしかないせまい「のりしろ」のせいです。もし同じ材質だったとしてもせめて厚みがその倍あれば,こうはならなかったはずです。

 棹孔の裏にネック・ブロックを接着します。
 材はこれもカツラ----カツラは接着が良いので,タガヤサンの側板にも桐の面板にもしっかりくっついてくれるはずです。最も力のかかる部分にだけ「のりしろ」を足すことで,棹からの圧力をより効率的に,表板のほうへと分散させようというわけです。「のりしろ」が広くなったぶん接着も強くなってますので,側板の変形にもあるていど対抗できるかとも思われます。
 棹孔裏面の色が濃くなっている部分は,原作者の工作によるカケがあったところ。こういうのがあって接着面が凸凹してるとうまくくっついてくれないので,まずはこういうところを補修・整形しながらの作業ですね。

 ネック・ブロックが着いたことで,楽器の新しい「背骨」が完成しました。
 これで裏板がつけば,縦方向への剛性は前よりも増加しているはずです。
 四方の接合部もあらかた固まったので,クランプをはずし,補強板の余分を切除して整形,充填剤のハミ出しや圧着痕なども軽く清掃しておきます。

 続いては内桁左右端の接着。
 胴材の変形の影響で,ここもニカワがトンでしまっています。

 これを再接着するのと,ついでに裏板がわから見て内桁の左,響き線の通っているがわのはしっこの工作が悪いので補修しときましょう。
 まずはカケ部分に合わせて削った木片にニカワを塗って押しこみ,クランプで固定。一日置いて整形します。この左端部分は厚みがありすぎて,少し側板から凸ってましたので,上面もざっと削り,側板と同じ高さに均しておきます。

 内桁の接着養生中に響き線の手入れもしておきましょう。
 少しサビは浮いているものの,線自体は全体に健全。基部の傷みもさほどありません。
 唐物月琴の響き線は胴体に直挿し。少し大きめの孔に線を挿しこみ,竹などを打ち込んで固定しています。国産月琴だと留めのクギが線の基部に突き立ってますが,唐物の場合だと頭が切ってあって,ほとんど目立ちませんね。


 それほどのサビでもないので,#400の Shinex で軽く落とし,柿渋拭きを何度かして済ませます。Shinex に柿渋を染ませて何度か拭うと,表面が真っ黒になります。布で軽く拭っていちど完全に乾かし,その上からラックニスを刷いて防錆加工とします。
 鉄と反応して真っ黒に変色した柿渋の液は,板についたりしたらまずとれませんので,作業の時には下にラップなど敷いておきましょう。

 ニスが乾くまで,さらに二三日おいて。
 ここまではめてきた天の板矯正のワリバシやクランプ,固定の輪ゴムをぜんぶはずしました。
 まだ接合部は板と接着されていませんが,天地板の再接着と各部補強板のおかげでグラつきもなく,胴体構造は非常に安定しています。

 さて,ここまではだいたい庵主の考えた通りの手順,想定内の作業で修理は順調に進んでおります。

  ----このままナニゴトもなく,スムーズにいけばいいのですが。


(つづく)


佐賀県からきた月琴(2)

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斗酒庵 SAGAよりの使者に会う の巻2017.4~ 佐賀県からきた月琴 (2)

STEP2 ワラスボ怪人が倒せない。

 んでは,SAGAの国からとどいた月琴,
                   修理開始いたします。


 とはいえこの楽器,器体の基幹部分に損傷はありませんので,この先なんかのひょうしにどえりゃあキズでも見つからない限り,だいたいのところは「補修」レベルの作業でとどまりそうです。

 まず何はともあれ,棹や表板上のお飾り類をはずします。 棹上いちばん上の菊の金属板と,3番目のサンゴのかけらはあきらかに後補。そのほか第2フレットと4番目のお飾りも,同様にゴム系の接着剤でへっつけられていました。
 あと,第5フレットはおそらく木瞬。カリカリした感じの接着剤----いづれも古物屋さんのシワザでしょう。
 百年以上むかしの楽器にこの手の接着剤を使うあたり,昔カタギな骨董屋の小僧経験者としては,業界の堕落を鼻で笑うしかございませんが。 たんにヘタなのか,それともいちおう遠慮して使ったのか。今回このあたりは比較的カンタンにはずれてくれやがりました。

 苦労したのは,むしろオリジナルの接着部分で。

 -----ああ,やっぱりこの作者,ウデが良いや。
 スゴいですね,バッチリへっついてます。
 接着面にスキマもほとんどないくらいの緻密な加工も相俟って,そりゃもうガッチリピッタリはずれません。
 ちッとやそッと水刷いても,滲みこんでもいかないもんなあ(汗)
 ものつくりの職人として,その気持ち,分からないでもないんですが……ただそれが「楽器」というものである限り,後先にかならずメンテナンスの必要があるってことまでもうちょっとちゃんと分かってたなら,こんなにガッチリへっつけはしなかったでしょうねえ。

 楽器は置物でなく,人に使われる「道具」です。ノコギリなら目立てをしないと,刃物なら砥がないと,どんなイイ物でも真価を発揮できません。減ったり切れたりしたら,足したり替えたりしてあげなければなりません。汚れたらキレイにして,磨いてやらなければなりません。

 そのあたりまで考えてくれてれば,「名人」って呼んであげてもいいくらいなんですが(w)

 ふつう2時間も湿らせれば,だいたい取れてくるところ。ちょっと頑丈でも一晩あればなんとかなるところ----今回は全部はずすのに足かけ2日もかかりました。
 ちょっと前の老天華などでも同じような事態に出食わしましたが,ふつうならコレ,メンテナンスの下準備ていどの作業。
 こんなことで器体に余計な負担をかけつづけるのも良くないので,ガンコなあたりは,クリアフォルダの切れ端でしごいてハガしてゆきます。

 板が乾いたところで,楽器左下縁の板の剥離を処置。
 上で使ったクリアフォルダの切れ端で,板と胴のスキマにニカワを流し込み,よーくもみこんで行き渡らせ,クランプで固定します。
 側板表面の飾り板も少し浮いてるようなので,当て木を噛ませ,ゴムをかけておきました。

 楽器右下,板の縁に少し大きなカケがありましたので,ここは桐板のカケラを接着して整形。
 そのほかお飾りをはがすときについた被害箇所とバチ皮の貼ってあった部分の右がわにあったヒビ割レ(生皮の収縮で裂けたもの)を埋めておきます。
 今回,楽器本体に直接関係する補修はこのくらい。

 さあて,後はさらに細かいですよ~。

 半月のお飾りは,いじくってたらポロリととれてしまいました。まあこれは,ニカワを塗ってへっつけてあるだけですので,ヘっつけ直すだけ。

 左はしに,カケてなくなってる部分がありますので,これを補します。オリジナル部分はツゲですが,ツゲは古色をつけるのが少し難しい材,同材だと補修部分が目立ってしまいますので,ここは染まりやすく七化けするカツラの端材でこさえます。
 だいたいのカタチに刻んで磨き,スオウやヤシャブシで染め,ほかといっしょに油磨きしたらほら----うまい感じにおさまりました。

 ニラミの意匠はザクロですね。
 右に数箇所割レが入っているのと,左に葉先がカケちゃってるとこがあるので直しておきます。
 月琴のこの飾りは,だいたいがカツラとかホオとか,彫刻しやすい材を唐木風に染めたものなんですが,この作者のはホンモノの黒檀,それもかなり上質な板を使ってます。彫刻も精緻ですね。
 端材箱を漁って,ちょうどいいくらいの大きさのマグロ黒檀のカケラを見つけ,これを刻んでエポキで継ぎ。あとは右のお飾りを参考にしながら,彫刻刀やリューターを駆使して,オリジナルと模様をつなげます----彫りが……こ…細かいぃっ!!!…これに合わせるのか(汗)

 剥がした時に割れてしまった2番目の小飾りを補修。
 いちばん上のお飾りには新しくを,3番目のところにはを凍石で彫りました。

 余計な溝が何本も切られていて不便だしまぎらわしいので,山口の糸溝をいちどぜんぶ埋めてしまいます。


 このパテは,赤系の唐木の粉をエポキで練ったものですね。
 こういうところに盛るときは,そのままだとパテが自重で崩れたり流れてしまうので,必要箇所にこんもり盛り上げてから,くっつかないような板や,クリアフォルダの切れ端などでフタしてやるようにすると,こんなふうにうまくいきます。
 これを削って均し,新しく糸溝を切ります。

 外弦間14ミリ,各コースの間隔は2ミリほど。
 高音弦と低音弦で糸の太さに合わせ,微妙に変えます。

 これで糸が張れるようになりました----さあフレットをもどしましょう!

 佐賀よりきた月琴,オリジナル位置での音階は-----

開放
4C4D-44Eb~4E4F-164G-44A+45C-255D-135F-18
4G4A-84Bb+455C-145D-135E+25G-305A-116C-33

 第2フレットの第3音が低めで,ほとんど Eb になってます。清楽の音階ではもともと低めな音ですが,だいたいはマイナス20%前後ですね。高音域に少し乱れがみられますが,これもまあいつものこと。チューナーのなかった時代,このくらいなら十分に許容範囲だったと思いますよ。

 あとは内弦を張って,お飾りをもどし。
 楽器といっしょにオーナーさんから送られてきた錦裂で
 バチ布をあつらえて。

 2017年5月,佐賀からきた月琴,修理完了です!!


 まあ,表板を清掃したのとお飾りが二三入れ替わってるくらいで。画像だとよほど細かく見ないと外見的には違いが分からないかと思います。(w)
 裏板の中央に少しヒビが入ってるんですが,フシ目の真ん中に出来た自然発生的なものなので,現状,広がるのかこのままなのか判別できず,今回は手を出しませんでした。
 このままでも音や操作上の支障はないと思いますが,ヘンに広がってくるようでしたら補修しますので送ってください。

 木部は全体さっと清掃して,亜麻仁油とカルナバ蝋でとぅるっとるに磨いてあります。
 さすが唐木の高級月琴----軽くお手入れしただけでぴかっぴかです!

 響き線の形状の差で,余韻は多少異なりますが,こないだ直した51号にも似た,温かくやわらかな音ですね。
 国産月琴としては音量もそこそこ出てるし,かなりいい楽器です。

 糸巻がやや細いので,調弦のクセによっては,多少力加減が伝わりにくいかな。
 もっとも糸倉との噛合せは良いので,それほど困ることはないと思います。

 普及品の楽器に比べるとかなり重たいので,慣れないうちは演奏時のバランスの違いにちょっと戸惑うかもしれません----あと,これだけ重たい楽器なんで,壁とかにたてかけて置いておくときなど,ちょっと注意してください。雑木の楽器なら倒れてもそうたいしたことにはならないんですが,この手の唐木重量級楽器は,自重とその衝撃でけっこうパックリ逝っちゃうことがありますんで。

 では末永く弾いてやってください!

(おわり)


月琴53号 (3)

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斗酒庵 唐物と出会う の巻2017.4~ 月琴53号 (3)

STEP3 0053なぞのひと

 月琴という楽器を修理するようになってから,これまでに70面くらい古い楽器を扱ってきたわけですが。
 不識や太清堂みたいに,楽器にごく際立った特徴のあるもの,また必ずどこかに存在証明を残してくれてる清琴斎や鶴寿堂の楽器などは別として,けっこう多くの楽器がいまだに「作者不明」となっています。

 この楽器も,ラベルはすでに剥がれ,作者の同定に結びつくような墨書なども見つかっていません。

 このような場合でも,修理しているうちに気づくちょっとした特徴や,細工・工作のクセなどから,作者が判明してくる場合がありますが,つい先ごろ修理の終わった52号などのように,「以前に扱ったことのある楽器と同じ作者」とまでは分かっても,それが何という名前のどこのヒトなのかはぜんぜん分からない,といったケースもママ多い----明治10~20年代の大流行期,月琴の作者はそれこそ,雨後の筍のごと,全国津々浦々にわっさわっさと発生いたしましたが,なにぶん百年以上も前のハナシですので,名前なりが伝わっているヒトのほうが珍しい,という状況ではあります。
 (この手の調査の副産物として作成した 「明治大正期楽器商リスト」 というのを公開しております。興味のある方はご覧ください。)

 今回の楽器は唐物…古い中国製の楽器です。
 日本に輸入され,清楽月琴として使われた楽器は,その多くが福建省の省都・福州で作られたもの。戦前にはその中心となっていた茶亭街だけでも十数軒の楽器屋が櫛比していたと言われ,その全貌は詳しく分かっていませんが,庵主が確認したことのある月琴のメーカーとしては,天華斎,老天華,天華斎仁記,玉華斎,太華斎,清音斎などがあります。

 そして,ここまで見てきた細工の特徴から,庵主は間違いなく,この楽器と同じ作者の楽器を,今までにも扱ったことがあると確信しています。

 「天華斎」ですね。

 「天華斎」の創業は嘉慶6年,初代は王仕佺。二代目・王師良は暖簾を分けて「老天華」を開店しています。三代目・王石孫の時にはパリ万博で受賞,販路を大きく海外に広げたとされています。
 日本に入ってきた楽器の多くは,この二代目から三代目のころの楽器だと思われますが,「天華斎」の名はお江戸のころからすでに,清楽家の間では高名なものであったらしく,このあいだ日本の信州の人だと判明した「琴華斎」などをふくめ,「太華斎」や「玉華斎」など,その名前から見てもすぐ分かるようなエピゴーネンや倣製楽器の作家を多数生んでいます。

 「天華斎」のラベルをもつ楽器にもいろいろあり,そのどれがどの時期の楽器であるのか,またそもそもそのすべてが本物であるかどうかについては,さらなる調査・研究が必要でしょうが。今回の楽器は,以前に長崎から修理依頼された「天華斎」の楽器と,その特徴がよく重なっています。
 これですね----

 修理記事は こちら
 裏板の中央上部,53号とほぼ同じような位置に,かなりボロボロになっちゃってはいますが,この楽器の日焼け痕とサイズや形状が一致するようなラベルが貼られています。

 「天華斎」の楽器に残っているラベルとしてはこのタイプより,上左右の角を斜めに落とした商牌(カンバン)型で,上段に「天華斎」の店名を頭書し,下段には店の住所をふくむ広告文が書かれているタイプのものがいちばん多いですね。 文中「七代老店」「八代老舗」みたいなことが書かれてますが,上にも書いたとおり「天華斎」の創業は19世紀,現在存命中の方がまだ五代目ですから,これはあくまでも定型句だと思ってください(w)

 長崎の天華斎と同じく,細長い札型ラベルだけのものも,ほかに数例見つかっており。このほかに,この細長ラベルと,カンバン型ラベルの両方が貼られている例も見つかっています。

 「老天華」の楽器にも,細長い店名ラベルだけのもののほか,この「天華斎」の例と同じように両方を,ほぼ同じような位置に同じように並べて貼った例があります。
 こういうあたりの符合も含め,さらに両方の楽器の細工や外見的な特徴等から見て,この細長いラベルをつけた「天華斎」の作者「老天華」と極めて近しい関係,もしくは同一人物----たとえば「老天華」として別れる前の二代王師良の作品だとか,その兄弟親戚の手になるものだとか----なのではないかと,庵主は考えています。まあこのへんのことは上にも書いたよう,確証するにはさらなる研究を重ねる必要があります。

 現状,直接の証拠となるラベルも墨書もついてませんでしたので,あくまでも「推測」の領域ではありますが。庵主がモノを直接手にし,実際に見て,触れてみて感じ取れた,そのちょっとした細工や工作のクセは,かなり確実にこの 「長崎からの天華斎」 と同じ作者を指さしてますねえ。

 あ,あとひとつ----ま,これも証拠にはなりゃしませんが。

 この二面,「壊れかた」 が,そっくり同じだったんですヨ(w)




 さあて,いろいろぶッこいたところで,いよいよ修理に入りましょうかァ!!

 裏板はちゅうちょなくひッぱがしたものの,貴重な唐物楽器・天華斎。
 なるべくオリジナルの工作を残し,世の清楽家が賞美したその音色を,少しでも損なわないように復活させてあげたいものです。

 いつもですとこのくらい壊れていれば,いちど完全バラバラのオーバーホール状態にして組み立て直すところなのですが。この楽器の工作は実に精密で繊細。
 そこまでバラバラにした場合,お父ちゃんの目覚まし時計と同じくらいに,元に戻せる自信がありません。
 なので,現在くっついてるところはなるべくくっついてるままに,ハガれたところや外れたところを細々と直し,補強しながら,元の姿に戻してゆこうと思います。

 まずは作業の邪魔となる表板上の物体を取り払いましょう。フレットにニラミに小飾り……半月もちょっと浮いちゃってますからはずしちゃいますね。

 ぎゃあああああっ!!

 半月の下から大きな虫食いが……そりゃまあ,これだけ食われてれば浮きもしますわな。
 小ぶりな半月。木理や色合いから見て,材はたぶん胴や棹と同じタガヤサンですね。

 剥がす時に,少しヒビてた右下のあたりが割れちゃいました。
 カケラは大事にとっておいて,あとで半月が乾いてから継いでやることにしましょう。
 これは衝撃や圧によるものじゃなく,材料の質による自然発生的な割レですね。 タガヤサンという木は乾燥が難しく,さらに乾燥後もけっこう暴れることでも有名です。唐木でいちばん硬く・丈夫ではありますが,あとで細かい割れが部材の内部から発生して,このように自然に割れたり欠けたりしちゃうことがよくあるんです。
 以前修理した長崎の天華斎でも,棹にけっこう大きなこの手のヒビが入ってましたし,23号茜丸なんかは糸倉の一部がボロリと崩れ落ちてたりしてました。(下画像参照)

 同時進行で,この楽器のおもな故障の原因のひとつとなった,棹のほうも処置してゆきましょう。
 棹と延長材の接合部分を調整しなきゃならないんで,これを分離します。
 接合部にお湯を含ませ,濡らした脱脂綿でくるみ,乾かないようにラップで巻いて一晩----先の51号の修理では,原作者の工作が精密すぎて三日ぐらいかかりましたが,今回の場合はもともとスキマがあいてたくらいなので,すぐにはずれてくれました。

 先にも書いたようにタガヤサンは暴れ者です。
 切り出されて100年以上たった今でも,ヘタに湿らせたら,何しでかすか分かったものじゃありません(マルボー)。素直にはずれてくれたのは,ほんとうに有難かったですねえ。

(つづく)


月琴53号 (2)

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斗酒庵 唐物と出会う の巻2017.4~ 月琴53号 (2)

STEP2 メルトダウンまでの過程

 さて,唐物月琴53号。
 外がわからの計測・調査はだいたい完了!
 棹には延長材との接合不良。胴は接合部の3/4が破損,面板もかなりの範囲でハガレちゃってます。
 月琴の胴体は板2枚で丸い側板をサンドイッチしてるだけですから,板の左右端どちらかと,中央の内桁が頑丈にへっついてくれてるおかげでなんとかカタチを保てている,といった状態です。

 もともとの破損状況等を記録したところで,裏板を剥がし,内部を確認します。
 んでは恒例の,フィールドノートをどうぞ。(下画像クリックで別窓拡大)

 国産月琴では二枚の桁を上下平行に入れてるのが多いんですが,唐物月琴の内桁は基本的に一枚。 胴の真ん中にずばッと板一枚入れてあるだけなのが定番です。
 材は桐。真ん中のところでやや厚く(中央部分で10ミリほど),左右端で薄くなってますが(7ミリほど),板としての加工が粗いので厚みは一定でなく,各面少しガタガタした感じになっています----「とりあえず,板にした」ってところ?

 裏から見て左端に,木の葉型に切り込みを空け,響き線を通す音孔としていますが,ここも多少工作が粗く,裏板がわが胴側のミゾにちゃんとはまっておらず,すこしネジれたようになってしまっています。また幅をちゃんと側板の高さに合わせてなかったらしく,裏板を除いたらぴょんと飛び出してしまいました----これをムリクリ板でおさえこんでいたらしい。いかにも大陸風の,ランボウな工作だなあ(^_^;)
 表板がわの接着にほとんど問題はないようです。国産月琴のと違って,かなりがっちりと接着してあります。

 それにしても,側板,薄いですねえ。
 もっとも厚いところでも5ミリくらいしかありません。


 国産月琴はだいたい1センチくらいが標準。なかには厚さ2センチ以上あるものもあります。これは唐物月琴が最強の唐木・タガヤサンを主材としているのに対し,国産月琴ではホオやカツラといった軽軟な雑木が多く使われている,といった。 主に材料の強度上の違いによるもの----と,思ってた時代が庵主にもありました。

 「鉄の刀の木」と書くタガヤサンではありますが。 この厚さになってしまっては,実際のところどうなんでしょう?

 このブログで何度も書いているように,月琴の側板は曲げ木とかじゃなく,円周の1/4のカタチの板を切り出したもので作られています。おそらくは,その外周の形に切った型を,板の上でずらしながら木取の線を引いてると思われ,胴材の厚みは均等ではなくて,真ん中が厚く,両端が若干薄くなっています。

 この木取りで真ん中が5ミリしかないということは,左右端ではそれ以下。厚さ3ミリ,あるかないかといった具合になるわけですね。
 さらにこの木取りだと,中央部分が柾目になっていた場合,両端は木口切りにされた薄板に近い状態----これだと,両端にゆくほどモロく,割れやすくなっちゃいます。その最も壊れやすい両端の先っちょを,凸凹継ぎ……さらにはその組みを台形にして「蟻継ぎ」のような形にして組んでいます。
 国産月琴で多い,木口同士の単純な擦合わせ接合に比べると,見かけ的にはより高度なワザを使って,いかにもがっちりと噛み合わせてるように見えますが,ほんらいはこの工法自体,このような材,このような木取りでやるワザではありません。
 なぜって----



 こうなっちゃうからですね。
 3ミリの厚さのタガヤサンは,それだけなら同じ厚さのほかのどの木よりもだいたい丈夫ですが,硬いだけで粘りのないたち。おまけにその一番モロいところで組んでるんですから。衝撃や圧がかかれば,むしろカツラやホオよりも簡単に砕け,割れてしまいます。

 楽器匠はふつう,木匠のなかでもトップクラスの腕前や木の目利き(のはず)ですから,こうすればこうなる(ぷぎゃー)可能性が高いくらいのことは,当然に分かっていたはずです。

 ではなぜあえて 「こうした」 のか。

 実用的な理由がない以上,答えはひとつだけですね----「こっちのほうが,なんかカッコイイ」 もしくは 「より高級そうに見える」 からだと思います。


 国産月琴によく見られるごく単純な木口同士の接着は,見た感じ,ほんとうにただ板と板の端をへっつけただけの簡単な細工に見えます。言ってみればたしかにそうなのですが,実際にやってみると分かるとおり,木口同士を寸分のスキマもなく,ぴったりと合わせるという工作は,加工精度が厳しく,意外と難しいものです。
 この「木口」という部位は,厚みがない場合にはごくモロく弱いものの,カタマリのなかの「面」としては木材の中でもっとも丈夫なところ。もっとも高い圧に耐える部位となります。
 月琴の構造を考えた場合,胴四方の材は,橋梁のアーチのように接合部で互いに支え合って全体の構造を保つのですから,木口同士を合わせたこの方法が,実のところ,もっとも単純ながら,もっともふさわしいわけなのです。
 凸凹継ぎや本器のような蟻組みは,細工の観点からは美しいのですが,いざそこに圧力がかかった場合,負担が継ぎ目の一点に集中しやすく,最終的には本器のように破断する可能性のほうが高くなります。
 また木口同士のほうだと,予期せぬ圧や衝撃がかかっても,たいていは接着がハガれるだけで,単純に再接着すれば直るのですが,凸凹継ぎだとこのように,部材を損ない,より深刻な事態になってしまう場合が多いのですね。

 現実の中では,「より高度な技術」 が必ずしも 「単純な技術」 に勝っているわけではない,ということをあらわす好例の一つかもしれません。


 何度も書いてるように,この月琴という楽器には,縦方向に形状を保つための支えになるものがありません。あえて言うなら,それは側板をサンドイッチしている表裏の桐板,ということになります。

 この構造だと,糸の張力による棹からの力は,天の側板と桐板の接着面によって受け止められていることになりますが,その側板の厚み----板との 「のりしろ」 が,この楽器の場合,5ミリの幅しかないわけです。
 しかも胴材のタガヤサンは,たしかに硬さでは定評があるものの,同時に 「接着の悪さ」 でも評判の高い木材です。
 そのせまく不安定な「のりしろ」に負担が集中した結果,板がハガれると,縦方向への支えがなくなり。いくら最強のタガヤサンとはいえ,形状を維持できずにたわんでしまいます。天の板が中央方向にたわむと,左右側板の接合部が横方向に広がって,板を引き裂き,さらに接着も剥がれて,今度は支えの弱くなった接合部の凸部分に負担が集中して自壊----というのが,この楽器の故障にいたったシナリオだと思われます。

 またもう一つの原因として,前回見つけた棹接合部の接合不良もあげられましょう。
 この故障のため,糸を張ると棹が持ち上がる状態になっているので,より強く張らないと音が合いません。また,この状態だと調弦がきわめて不安定になるので,何度もやり直すことになります。そんな状態で使い続ければ,器体への余分な負担はどんどん増してゆくわけです。

 地の側板も天の板同様に,表裏ともにほぼ完全に板が剥がれていますが,これは板が半月にひっぱられたのが原因ですね。状態は似ていますが,板自体に歪みは見られません。また,表裏板の裂け割れがおもに胴の上半分にのみ発生し,上方にやや開いたカタチで,中央より手前で止まっているのは,国産月琴と異なり,内桁の接着が頑丈であったおかげのようです。

 さて,この楽器が壊れた理由と過程を,ながながと推理してきたわけですが,こうしたことがちゃんと分かっていなければ,修理してもまた同じことが起きて,同じように壊れ,元の木阿弥になってしまうわけですからね。
 さらに,対策はいろいろ考えられますが,その中から,この楽器にもっともふさわしい手段を選択しなければなりません。


 裏板を剥がしたら,胴の中からこんな木片が出てきました。(左画像)

 あ……これ,表板のニラミ(胴左右の装飾)のかけらですねえ。
 縁がガクガクしてるんで,オリジナルのお飾りの一部だと思うんですが,現在ついている左がわのニラミにはこれに該当する欠損部分がありません。
 おそらくは右のニラミを補作した日本の職人さんが入れてくれたもの。そちらに残っていた,もとのお飾りのカケラなのでしょう。カケラとはいえ,貴重な唐物のオリジナル部品。大事に思って残しといてくれたんでしょうね。

 庵主も,この楽器をちゃんと未来に伝えるため,
  上っ面な修理にならないよう,いっちょう
   気ィ引き締めてかかるといたしやしょう。


(つづく)


佐賀県からきた月琴(1)

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斗酒庵 佐賀よりの使者に会う の巻2017.4~ 佐賀県からきた月琴 (1)

STEP1 えっと…どこだっけ?

 じまんではありませんが,庵主。
 アタマの中で現在日本の県名とその位置が一致しないことで有名(w)です。いしかわ県とかやまがた県とか,えひめって四国のどこ?と言われても,たぶん地図上で指させません。「もとの加賀・出羽・伊予だよ」 とか言ってもらえれば,すぐにどこそこと察しがつくんですが……(ww ちなみに冗談ではない)

 というわけで。53号と同時修理となったのは,佐賀県にて発見され,うちに送られてきた依頼修理の楽器です。

 さがけん(汗)……
 えっと…九州のほう………だよね,たしか。
 福岡の上,くらい?

 全長:650。(含蓮頭)
 胴は縦:361,横:362,厚:36。
 有効弦長は430。

 サイズ的には標準ながら,ずっしりと持ち重りのする,重量級の楽器です。

 棹は蓮頭までおそらく紫檀,糸巻は黒檀。指板にはムラサキタガヤサンが貼られています。
 胴側にもムラサキタガヤのツキ板をぐるりと貼りめぐらせており,部材の接合部を隠しています。本体はカヤじゃないかな? 棹孔のところで1センチちょいの厚みがありますね。お飾りもほぼ満艦飾----唐木をふんだんに使った,国産の高級月琴,けっこうな上物ですね。

 ラベルや焼印などがないため,作者は不明ですが。本体の工作といいお飾りの細工といい実に緻密----少なくとも木工に関する限りにおいては,シロウトさんじゃありえませんね。


 保存状態もよく,見る限りにおいて,大きな損傷や虫食いもないようですし,さほどのヨゴレもついていません。
 一目見て分かるような故障は,何本かフレットがはずれてて,最終フレット1本がなくなっているくらいですかね。

 あとは楽器下縁部に表面板のハガレが少々。
 そのほか小飾りに二三変なところがあることとと,ニラミや半月の飾りに少し割レやカケがあるくらい。

 細かいところが多いので,忘れないよう,いちいちチェックしながらフィールドノートにまとめていきます。
(下画像,クリックで拡大)

 この手の満艦飾な楽器は,半ばお飾り用として作られたものが多く,カタチは良いものの,楽器としての機能に問題のある場合が多くあります----なかでもいちばん多いのが,棹の調整がきちんとなされていないというパターン。胴表面と指板面が面一の同一水平上にあったり,あるいは延長材の接合が雑で前に傾いていたり……
 卑近では,51号なんかがそうでしたね。棹の調整は修理においても,いちばん精密で,手間と時間のかかる作業です。

 しかしながら今回のこの楽器は。 棹を抜いてみますと,基部や棹口に桐の薄板のスペーサが貼られており,原作段階でかなりしっかりとした調整がなされていました。
 測ってみますと傾きが山口のところで背面に約3ミリ----庵主がいつも言っている,ほぼ理想の設定に最初からなっております。
 棹の調整がちゃんとしてあるのは,修理者としてじつに有難いことですね----ほんと,いつもタイヘンなんですから!!

 胴にさしたる損傷がないため,いつものように板をハギとるわけにもいかず。(^_^;) 内部構造には不明な点も多いのですが,内桁は2枚。棹なかごが短いことからも分かる通り,上桁は胴のかなり上方,棹孔の縁から110のところにあります。下桁までも220しかないので,楽器下部の空間をかなり広くとった感じになってますね。

 響き線は1本…というか1巻というか。
 渦巻線で上桁からぶらさがってるタイプ。上桁の棹孔のすぐ横あたりに基部があります。線基部のすぐ横にナゾの板構造が付けられてるようなのですが,形状や目的ははっきりと分かりません。ただ,通常ならよく動き胴鳴りを起こす渦巻線が,この楽器の場合ほとんど鳴らず,棹孔から確認するとその振幅に一定の範囲があることからみて,何らかの手段で渦巻線の振幅を制限するような構造になっているものと考えられます。


 大陸の月琴の響き線は,基本,胴に孔をあけて曲げたハリガネをただぶッこんだだけのシロモノなのですが,国産月琴ではその形状に関しても,固定法に関してもさまざまな工夫が凝らされています。ちょっと前に手がけた楽器では,「線を鳴らすための構造」がついてたりしましたね。あれは作り手がこの構造を「胴を振って線を鳴らすためのもの」と勘違いした結果なのですが,それと逆に,演奏の邪魔となるその「胴鳴り」を軽減するための手段として,響き線の振幅を制限する手立てを講じた者もおりました。

 13号で名人・西久保石村が,胴内,響き線の上下に丸竹を接着したのもそれですし,39号で工芸家・小野東谷が,響き線に「拘束具」みたいな太いハリガネを添わせたのも同じ目的だったと思います。

 ただ,彼らの楽器の響き線はいづれも直線でしたが,この楽器のは,より複雑な動きをする渦巻線----さてさて,どんなになってるのかじっくり見てみたいところですが,さっきも書いたようにこいつ,どこもあんまり壊れてやがらねぇ。自出し月琴だったら問答無用で即,面板ハギとるところなのですが,今回は依頼修理,よそ様の楽器なんで,そうもまいりませぬ…ぐぎぎぎぎ。(ww)
 まあ,このあたりの調べは,次にどッか壊れたときにでもいたしましょう。オーナーさん,弾きまくって,どうかいっちょう盛大にぶッ壊してやってください。(^_^;)

 棹孔から見る限りにおいては,内部はきわめて清潔ですし,内桁の接着や響き線にも異常は認められません。
 「ナゾの構造」も,その全体像はナゾのままではありますが,胴内にしっかりと固定されており,ビクともいたしませんし,また少なくとも現状,この構造がなんらかの故障の原因となっているフシもございません-----ちッ,やっぱり手が出せねえや(w)

 この作者,こうした内部すみずみまでまで,ちゃんとしっかり作ってるヒトのようですねえ。
 ----まあ修理者としてはとりあえず安心。

(つづく)


月琴53号 (1)

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斗酒庵 唐物と出会う の巻2017.4~ 月琴53号 (1)

STEP1 チャイナ・シンドローム

 その楽器 が届いたのは,ちょうど50号から52号の修理が終わった直後くらいのこと。

 小ぶりな器体に,短い棹,絶壁のうなじ。棹と胴体はタガヤサンでできてます。
 一目見て分かる唐物の月琴ですね。

 板は表裏とも真っ黒。お飾りは白茶けて,蓮頭と糸巻がなくなってます。
 側板の継ぎ目に大きなヒビも入っているので,ちょっと見にはけっこうな損傷に見えるんですが,蓮頭や糸巻は消耗品……というほどでもないものの。まあよくなくなったり壊れたりはする部品なので,どうで修理するがわとしてはさほど気になりませんし,古物の月琴では,だいたい胴体の接合がどうにかなっているものなんで,これもまたどうせ手を入れなければならない部分。

 気にしない,気にしなーい。(本音:うおぉ…けっこうな重症患者だ!! gkbr)


 裏板にラベル痕が残っていますね。
 楽器中央上部やや右寄りのあたり。幅22~25ミリ,長さは6センチくらいでしょうか。

 この種のラベルは,天華斎のエピゴーネンと思われる「玉華斎」や「太華斎」,依頼修理で扱った「清音斎」においては,裏板の左右端寄りに貼りつけられているのがふつう----ですが,庵主は唐物月琴の中で唯一,この楽器とほとんど同じ場所にこの種のラベルを貼りつける作家さんを一人知っています----でも,まだ証拠が足りませんねえ。
 言うのはも少し,あちゃこちゃ調べてからにしましょ。

 全長:620。
 胴は縦が355,横が350,厚み33。

 糸倉に損傷はナシ。
 間木もしっかり着いてるし,左がわ側面にちょっと手に引っかかるカケがありますが,べつだん割レが入っているわけではないようです。

 糸巻は1本のみ残ってました。
 長:115,最大径:23。ほっそりした溝の深い六角丸軸。唐物月琴や古製の国産月琴でよく見るタイプです。
 加工が粗い感じですが,それもそのはず。これもまた胴や棹と同じ,硬い硬いタガヤサンでできてますものねえ,ここまで彫れれば上出来。ほかの楽器の例からしても,唐物月琴のオリジナル糸巻とすれば,これでかなり細工上等の部類ではないかと思われます。

 山口(トップナット)とフレットが若干ヘンですね。
 ふつう唐物月琴の山口は国産月琴のより背丈がいくぶん高く,11~12ミリ以上なのがふつう。でもこれは高さが6ミリくらいしかないうえに,上面がやたらと平らになっています。そして棹上のフレットは,高音になるほど高い(ふつうは山口から高音がわになるほど低くなります)----ありゃありゃ。

 原因はコレ(上右画像参照)ですね。


 棹本体と延長材の接合不良。
 現状,部分的にくっついていてはずれはしませんが,きちんと噛み合っておらず,スキマがあいてるので,ちょっと力をかけるとぐらぐら動いちゃう。
 ここがこんな状態で糸を張れば,とうぜん棹が持ち上がり楽器前面へ傾いて,胴との接合部のところを中心とした浅いV字形になります。V字の真ん中のところがいちばん弦高が高くなるので,上で触れたように,山口を低くしてフレットをだんだん高くしていかないと,弦が引っかかって音が出せません。おそらくそれに合わせて山口やフレットを削っていったんでしょうねえ----ここはもちろん要修理。
 棹本体の基部に「与」の字に見える墨書があります。ハテ,なんでしょうね?

 全体に汚れてはいますが,ここまでで部品の欠損は蓮頭と糸巻三本,あとはお飾りが少々,ってとこでしょうか。胴体だけ,とかいうのに比べれば 軽い軽い。(やせ我慢)

 胴側部はタガヤサン。
 凸凹継ぎになっている四方の接合部のうち,3箇所までが割れちゃってます。とくに楽器向かって左上の損傷がひどく,接合部からななめに割れが入っていますが,どこも単に「ぱっきり逝った」って感じで,カケてなくなってるような部分はナシ。

 板は表も裏もあちこち浮きまくりハガレまくっていますが,左右側部と内桁ががっちり接着されてるようで,カタチは保たれています。
 板,薄いですね。
 オモテは3ミリほどでだいたい均等なのですが,ウラはところにより厚かったり薄かったりしています。
 オモテ板は3枚,裏板は4枚くらい矧いでます。オモテ板は真ん中に木目の大きな谷をひとつ置いた景色の板。裏板は大小のフシ目のある安い板を矧いだもの。こっちはちょっと暴れそうな感じです。

 さて,このニラミ(胴左右の飾り)。
 じつは片方がオリジナルで,片方はどうも日本人が補作したもののようですが,どッちがどッちだか,お分かりになれますか?

 正解は----「左がオリジナル」。(上左・比較画像,クリックで別窓拡大)

 右の補作のもけっこうイイ線行ってるんですが,輪郭部分がツルリとキレイに処理されちゃっています。ほらこのように----唐物のお飾りは,輪郭部分にギザギザの鋸痕が残ってるんですよ。
 こういうの,糸倉のうなじをなだらかつるつるにしちゃったのと同じで,日本人にとってはどうしてもガマンのできない(w)細工なようです。
 同じ根拠で,扇飾りもオリジナルと考えられるワケですね。こちらも輪郭がギザギザ。
 柱間の小飾りは棹上x1,胴上x2の3コ存。どれもよくある,花だか実だか分からないデザインの奴で,オリジナルの位置に貼られているかどうかは不明です。

 バチ皮は欠損。
 かなり古い時代にすでにハガれちゃってたらしく,日焼け痕も接着痕も残ってません。

 半月は小ぶりで,糸孔に擦れ防止の円盤がはめこんであるタイプ。外弦間:30,内弦間:21.
 下縁部右に少し割レがあるほか,板との接着がハガれかけてるらしく,前縁部に浮きが少々見られます。

(つづく)


月琴WS@亀戸 2017年6月!

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斗酒庵 WS告知 の巻2017.6.18 月琴WS@亀戸 楽器の性能の違いが音楽の差でないということを…教えてやる!! の巻


*こくちというもの-月琴WS@亀戸 6月場所 のお知らせ-*

 ----いえ,そんなたいそうなことは教えませんが。(w)

 2017年,6月の清楽月琴ワークショップは,18日,日曜日の開催予定。
 会場はいつもの亀戸 EAT CAFE ANZU さん。

 いつものとおり,参加費無料のオーダー制。
 お店のほうに1オーダーお願い。

 お昼過ぎから,ポロポロゆるゆるとやっております。
 参加自由,途中退席自由。
 楽器はいつも何面かよぶんに持っていきますので,手ブラでもOK。

 初心者大歓迎。1曲弾けるようになってってください!
 中国月琴,ギター他の楽器での乱入も可です。

 やりたい曲などありますればリクエストをどうぞ----楽譜など用意しておきますので。
 もちろん楽器の取扱から楽譜の読み方,思わず買っちゃった月琴の修理相談まで,ご要望アラバ何でもお教えしますよ。

 とくに予約の必要はありませんが,何かあったら中止のこともあるので,シンパイな方はワタシかお店の方にでもお問い合わせください。
  E-MAIL:YRL03232〓nifty.ne.jp(〓をアットマークに!)

 お店には41号と49号の2本の月琴が預けてあります。いちど月琴というものに触れてみたいかた,弾いてみたいかたで,WSの日だとどうしても来れないかたは,ふだんの日でも,美味しいランチのついでにお触りどうぞ~!

 なんかじわりと暑くなってきたし梅雨も近いし, 3面同時修理直後のさらに2面追加(w),さんごのキョダツ感もましましですがガンバリますう。

 梅雨どきの気晴らし散歩のついでに,どうぞお立ち寄りください!

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