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月琴53号 (3)

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斗酒庵 唐物と出会う の巻2017.4~ 月琴53号 (3)

STEP3 0053なぞのひと

 月琴という楽器を修理するようになってから,これまでに70面くらい古い楽器を扱ってきたわけですが。
 不識や太清堂みたいに,楽器にごく際立った特徴のあるもの,また必ずどこかに存在証明を残してくれてる清琴斎や鶴寿堂の楽器などは別として,けっこう多くの楽器がいまだに「作者不明」となっています。

 この楽器も,ラベルはすでに剥がれ,作者の同定に結びつくような墨書なども見つかっていません。

 このような場合でも,修理しているうちに気づくちょっとした特徴や,細工・工作のクセなどから,作者が判明してくる場合がありますが,つい先ごろ修理の終わった52号などのように,「以前に扱ったことのある楽器と同じ作者」とまでは分かっても,それが何という名前のどこのヒトなのかはぜんぜん分からない,といったケースもママ多い----明治10~20年代の大流行期,月琴の作者はそれこそ,雨後の筍のごと,全国津々浦々にわっさわっさと発生いたしましたが,なにぶん百年以上も前のハナシですので,名前なりが伝わっているヒトのほうが珍しい,という状況ではあります。
 (この手の調査の副産物として作成した 「明治大正期楽器商リスト」 というのを公開しております。興味のある方はご覧ください。)

 今回の楽器は唐物…古い中国製の楽器です。
 日本に輸入され,清楽月琴として使われた楽器は,その多くが福建省の省都・福州で作られたもの。戦前にはその中心となっていた茶亭街だけでも十数軒の楽器屋が櫛比していたと言われ,その全貌は詳しく分かっていませんが,庵主が確認したことのある月琴のメーカーとしては,天華斎,老天華,天華斎仁記,玉華斎,太華斎,清音斎などがあります。

 そして,ここまで見てきた細工の特徴から,庵主は間違いなく,この楽器と同じ作者の楽器を,今までにも扱ったことがあると確信しています。

 「天華斎」ですね。

 「天華斎」の創業は嘉慶6年,初代は王仕佺。二代目・王師良は暖簾を分けて「老天華」を開店しています。三代目・王石孫の時にはパリ万博で受賞,販路を大きく海外に広げたとされています。
 日本に入ってきた楽器の多くは,この二代目から三代目のころの楽器だと思われますが,「天華斎」の名はお江戸のころからすでに,清楽家の間では高名なものであったらしく,このあいだ日本の信州の人だと判明した「琴華斎」などをふくめ,「太華斎」や「玉華斎」など,その名前から見てもすぐ分かるようなエピゴーネンや倣製楽器の作家を多数生んでいます。

 「天華斎」のラベルをもつ楽器にもいろいろあり,そのどれがどの時期の楽器であるのか,またそもそもそのすべてが本物であるかどうかについては,さらなる調査・研究が必要でしょうが。今回の楽器は,以前に長崎から修理依頼された「天華斎」の楽器と,その特徴がよく重なっています。
 これですね----

 修理記事は こちら
 裏板の中央上部,53号とほぼ同じような位置に,かなりボロボロになっちゃってはいますが,この楽器の日焼け痕とサイズや形状が一致するようなラベルが貼られています。

 「天華斎」の楽器に残っているラベルとしてはこのタイプより,上左右の角を斜めに落とした商牌(カンバン)型で,上段に「天華斎」の店名を頭書し,下段には店の住所をふくむ広告文が書かれているタイプのものがいちばん多いですね。 文中「七代老店」「八代老舗」みたいなことが書かれてますが,上にも書いたとおり「天華斎」の創業は19世紀,現在存命中の方がまだ五代目ですから,これはあくまでも定型句だと思ってください(w)

 長崎の天華斎と同じく,細長い札型ラベルだけのものも,ほかに数例見つかっており。このほかに,この細長ラベルと,カンバン型ラベルの両方が貼られている例も見つかっています。

 「老天華」の楽器にも,細長い店名ラベルだけのもののほか,この「天華斎」の例と同じように両方を,ほぼ同じような位置に同じように並べて貼った例があります。
 こういうあたりの符合も含め,さらに両方の楽器の細工や外見的な特徴等から見て,この細長いラベルをつけた「天華斎」の作者「老天華」と極めて近しい関係,もしくは同一人物----たとえば「老天華」として別れる前の二代王師良の作品だとか,その兄弟親戚の手になるものだとか----なのではないかと,庵主は考えています。まあこのへんのことは上にも書いたよう,確証するにはさらなる研究を重ねる必要があります。

 現状,直接の証拠となるラベルも墨書もついてませんでしたので,あくまでも「推測」の領域ではありますが。庵主がモノを直接手にし,実際に見て,触れてみて感じ取れた,そのちょっとした細工や工作のクセは,かなり確実にこの 「長崎からの天華斎」 と同じ作者を指さしてますねえ。

 あ,あとひとつ----ま,これも証拠にはなりゃしませんが。

 この二面,「壊れかた」 が,そっくり同じだったんですヨ(w)




 さあて,いろいろぶッこいたところで,いよいよ修理に入りましょうかァ!!

 裏板はちゅうちょなくひッぱがしたものの,貴重な唐物楽器・天華斎。
 なるべくオリジナルの工作を残し,世の清楽家が賞美したその音色を,少しでも損なわないように復活させてあげたいものです。

 いつもですとこのくらい壊れていれば,いちど完全バラバラのオーバーホール状態にして組み立て直すところなのですが。この楽器の工作は実に精密で繊細。
 そこまでバラバラにした場合,お父ちゃんの目覚まし時計と同じくらいに,元に戻せる自信がありません。
 なので,現在くっついてるところはなるべくくっついてるままに,ハガれたところや外れたところを細々と直し,補強しながら,元の姿に戻してゆこうと思います。

 まずは作業の邪魔となる表板上の物体を取り払いましょう。フレットにニラミに小飾り……半月もちょっと浮いちゃってますからはずしちゃいますね。

 ぎゃあああああっ!!

 半月の下から大きな虫食いが……そりゃまあ,これだけ食われてれば浮きもしますわな。
 小ぶりな半月。木理や色合いから見て,材はたぶん胴や棹と同じタガヤサンですね。

 剥がす時に,少しヒビてた右下のあたりが割れちゃいました。
 カケラは大事にとっておいて,あとで半月が乾いてから継いでやることにしましょう。
 これは衝撃や圧によるものじゃなく,材料の質による自然発生的な割レですね。 タガヤサンという木は乾燥が難しく,さらに乾燥後もけっこう暴れることでも有名です。唐木でいちばん硬く・丈夫ではありますが,あとで細かい割れが部材の内部から発生して,このように自然に割れたり欠けたりしちゃうことがよくあるんです。
 以前修理した長崎の天華斎でも,棹にけっこう大きなこの手のヒビが入ってましたし,23号茜丸なんかは糸倉の一部がボロリと崩れ落ちてたりしてました。(下画像参照)

 同時進行で,この楽器のおもな故障の原因のひとつとなった,棹のほうも処置してゆきましょう。
 棹と延長材の接合部分を調整しなきゃならないんで,これを分離します。
 接合部にお湯を含ませ,濡らした脱脂綿でくるみ,乾かないようにラップで巻いて一晩----先の51号の修理では,原作者の工作が精密すぎて三日ぐらいかかりましたが,今回の場合はもともとスキマがあいてたくらいなので,すぐにはずれてくれました。

 先にも書いたようにタガヤサンは暴れ者です。
 切り出されて100年以上たった今でも,ヘタに湿らせたら,何しでかすか分かったものじゃありません(マルボー)。素直にはずれてくれたのは,ほんとうに有難かったですねえ。

(つづく)


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