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月琴59号

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どっこい生きてる 斗酒庵 の巻2018.3~ 月琴59号 (1)

STEP1 月に棲まうはウサギと…

 58号の修理が終わり,依頼修理のぽんぽこが舞い込んできた同じころ。
 庵主の手元に新しい自出し月琴が到着いたしました。
 ラベル等は残ってませんが,胴左右のニラミの彫りや棹の作りなどから,薬研堀・山形屋雄蔵(石村勇造)の楽器と思われます。ちょっと前にお嫁にいった54号,あと20号や29号と同じ作者ですね。
 スマートな棹の,端正な楽器を作る作家さんです。

 蓮頭と半月はコウモリの模様
 あと中央の円飾りと扇飾りは,梅花をあしらった,ちょっと凝った意匠になってますね。

 半月やニラミ(胴左右のお飾り)は54号とほぼ同じデザインですが,ほかの飾りの手は,今まで扱ったこの人の楽器とすこし異なっているし,蓮頭のコウモリのデザインは,鍛冶町海保や馬喰町の福嶋芳之助(菊芳)など,店号にヤマのつく菊屋系の作家さんの楽器でよく見られるもの。山形屋は店号もマルに石の石村の系統なので,ちょっと系統が異なります。
 そこからこの3品(蓮頭・扇飾り・中央飾り)は後補かな?----と思ってたんですが,後で資料を見てみたら,これとは別の山形屋の楽器で,ほぼ同じお飾りの組み合わせのものが見つかりましたので,作者についてはまず間違いないかと。
 海保菊屋は神田駅の北東出てすぐあたりとちょと離れますが,馬喰町菊芳なんかはいまの浅草橋南詰,女学館のあるあたり。山形屋のあった東日本橋の薬研堀とはずいぶん近場ですから,もしかするとそういう縁で何か交流があったのかもしれません。

 まずは調査と計測----

 全長:655
 胴徑:350,厚:38(表裏板各厚4)
 有効弦長:418(推定)

 54号との違いは,中心線上のお飾りと半月での弦間くらい。有効弦長はぴったり同じですが,半月にあいてる糸孔の間隔が,外36内30と,こっちのが4~5ミリ広くなってます。
 目立った損傷は,糸巻が1本なくなっているほかは,裏板の大きな割レくらいですね。

 山口は欠損,後補で何か練物みたいのを固めた山型の物体が付けられています。
 あと楽器正面,向かって右下の接合部のあたりに,クギのようなものが刺さっていますが,さてこれは何なのか。

 そのほかはまあオモテもウラも棹も真っ黒けに汚れてるんで,正直ほとんど分かりません。
 修理のためにも,楽器の状態をよりちゃんと把握しておきたいので,こっからはフレットやお飾りをはずし,ちょっと清掃しながら調べてゆきたいと思います。

 山口のところにへっついてた物体をはずしたら,下から釘が出てきました。同じような工夫はほかの楽器でも何度か見たことがありますね。指板を切って段差を付けるのと同じく,弦圧のかかる山口の接着補強の方法の一つです。山形屋の楽器で見るのははじめてなので,これがオリジナルの工作なのか,あとで所有者が加えたものなのかは分かりませんが。

 フレットは3枚ほど,木工ボンドでへっつけられてました。数はいちおう8枚そろってますが,洗ってみると3種3組,それぞれ材質や加工の異なるものが付いていたようです。象牙が2種類6枚と牛骨か鹿角のが2枚…ですかね。
 第1フレットは幅が少し足らず,棹上のほかの2枚は逆に少し余ってますので,この3枚はほかの楽器からの移植。牛骨か鹿角の2枚は加工が粗く,いかにも素人っぽいのでこれも後補でしょう。色の濃い高音域の3枚だけがオリジナルなんじゃないかと思います。

 半月も片側半分くらいすでに浮いてしまってますから,調整して付け直すためにもいっしょにとりはずしてしまいます。ボンドによる再接着箇所も今回はフレットなどの数箇所だけ,あとはだいたいニカワ着けでしので,今回は比較的ラクでしたね~。

 くっついてた部品をすべてはずしたところで表板の清掃。
 うわあぁあああ…重曹水がたちまち真っ黒,エスプレッソ色になりますうぅううう!

 本来,山形屋の楽器は色白で,面板の染めもごくごく薄く,たとえ保存状態が悪かったとしても,ふつうこれほどまでに真っ黒になるとは思えません。
 また,胴体上に残ってたオリジナルと思われる3枚のフレットが不自然に黄色く変色していたことも思い合わせると,これは後でかなり濃いめに染め直されたんじゃないかと思われます。
 古物屋がブツを古めかしく見せるため,柿渋などを塗って汚したりするのはよくある話しですが,これもそうした一例か。あるいは前使用者が水濡れなどでシミや色むらが出てしまったのをどうにかしようとしたのかもしれません。ただそれを,本来ならいま庵主がやってるみたいに,部品をぜんぶはずし板だけ染め直すとこでしょうが,えい面倒くさい!と,フレットやお飾りのついたまんま,かなり濃い染め汁ぶっかけたんでしょうねえ(汗)

 バチ皮の下から大きな虫食い痕がでてきました。
 縦に2本,かなりぶッ太く食われちゃってますが,表面的なもので貫通はしてません。

 さて,ここに貼ってあったバチ皮----庵主はこれを当初,うすーい和紙になにか動物っぽいマダラ模様を墨で描いたもんだと思ってました。
 けっこうしっかり貼りつけてあるけど,まあ薄々だし,ボロボロになってるし……ちょっと濡らせばモロモロ砕けて崩れてくるだろ,くらいに考えていたんです。ところがこれ,水に濡らしてもぜんぜん破れもしないし崩れもせず,けっこう丈夫で,素直にペリペリと剥がれてきました。
 いままで月琴の修理では見たことのない模様と質感。向こうが透けて見えるくらい極薄ですが,間違いなく何か動物の皮ですね。

 ウロコはないから少なくともヘビではない……とりあえず,資料としての保存のため裏打ちをしていた時,気がつきました。この皮,乾燥した状態だと,表面真っ平らでツルツルなんですが,こうやって濡らすと,生体だったときの微妙なデコボコが浮き出てくるようです。

 左右のまだら模様,そして背中のこの凸凹……たぶんアレですね,ぴょんぴょん。

 庵主,植物関係には強いんですが動物のほうは不案内,いちおうその筋の専門の方にも見てもらいましたが,たぶんニホンヒキガエルの皮とのこと。 バチ皮の寸法は横12x縦9センチ,ヒキガエルの成体の平均的な全長は14センチですので,両端が切断されてるのを考えると,かなり大きい個体だったようです。現在東京に生息しているのは平均標準くらいの大きさだが,昔は都内でもけっこうな大きさのものがいたかもしれないとか。たしかに,江戸時代の随筆でも,どこぞの大名家の屋敷で発見された大蝦蟇の見世物なんて話しを見た記憶がありますからねえ。

 かなり丁寧に加工されています。
 ほとんど生皮ではありますが,濡らした感じからすると,ごく軽く鞣しも入ってはいるようです。両生類の皮を皮革として用いるという例は,外国では聞いたことがありますが,日本だとむかし読んだ本で,山窩の方なんかがそんなことをしてたという話と,狩猟につかう笛の一種で,共鳴膜だかふいごになるところに使う,という事例がおぼろげに記憶にあるくらいで。庵主も月琴で使われてるのを見たのはハジメテ…いや,素材としてのこの皮自体はじめて目にしました----いやあ,長生きはするもんだ。(w)

 ここによく貼られているのはニシキヘビの皮,もちろん山形屋のシワザとは思えず,前所有者による後補でしょう。なんで布とか紙でなく,こんな珍しいものをわざわざ使ったのか,そのあたりの理由なんか分かれば知りたいところですね。

 そのころの持ち主が知っていたとは思えませんが,月琴と「カエルの皮」,実はちょっとした因縁があるのです。

 中国西南の少数民族・イ族は月琴を「俄吧琴(いーばーチン)」「俄吧月琴」と呼ぶことがあります。「俄吧」は当て字で,当地で「青蛙(チンワァ)」つまりトノサマガエルの類を指す語。これを漢語に直して「蛙琴(ワーチン)」という言い方もあります。
 彼らが月琴をなぜ「カエルの琴」と呼ぶのか。
 こんな伝説があるからです----

 むかしむかし。
 人間と動物はまだいっしょくたで,言葉も通じず頭も悪かったため,おたがいに争いごとばかり起してました。これじゃいかんと,天の神様は凉山のてっぺんに,四つのお碗を置きました。金・銀・銅・木のお碗です。そこにはバカになる水,悪いものになる水,善いものになる水,そして智慧のつく水が入っていました。どんな動物でも,そのうちどれか一つの水を飲むことができました。みんな智慧の水が欲しかったんですが,どれが智慧の水なのかは誰にも分かりませんでした。
 そのころ,彝族のご先祖の村に一人のみなしごがいて,邛海(みずうみ)に棲んでる神蛙が,そのお椀と水の秘密を知っているという噂を聞き,家を出て邛海へと向かいました。邛海に着くと一羽のカラスが神蛙をいじめていたので,みなしごはそれを追い払って,ケガをした神蛙を助けました。みなしごは神蛙に自分の来た理由を話し,教えを請いました。神蛙は感謝して,みなしごに木の碗に入っているのが智慧の水だと教えてくれました。「智慧の水にはすべての傷をなおすききめもあるので,とってきたらわたしにも飲ませてほしい。」
 神蛙と別れた後,みなしごは凉山のてっぺんに行きました。智慧の水を飲もうとした時,例のカラスめがそれを奪おうと飛んできたので,みなしごは木のお椀の水を一滴残らず飲み干してしまったのです。ああ,どうしよう。これじゃあ神蛙さんのケガをなおしてあげられないじゃないか。
 がっかりしながら湖に帰ると,あわれ神蛙はカラスについばまれ,皮だけになって死んでしまっていました。みなしごはカラスをやっつけましたが,神蛙はもう生き返りません。
 みなしごは神蛙を悼んで,智慧の水の入っていた木の碗に神蛙の皮を張り,お月さんみたいな楽器を作って,辛い時や悲しい時に奏でました。これが彝族の月琴のはじまりです。 (『民間文学』1985.1 李柱「月琴的伝説」より抄訳)

 このカエル皮の一件に従い,月琴59号,作業名は「ぴょんきち」と相成りました。

 なにせ平面になったカエルが,ど根性でくっついてるんですものねえ。
 庵主の世代的にも,コレ一択かと(w)


(つづく)


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