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月琴60号/61号/柏遊堂 (1)

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斗酒庵いろいろみろり の巻2018.6~ 月琴60号/61号/柏遊堂 (1)

STEP1 いろいろきた!!

 6月に入って。
 春から続いた太清堂ラッシュと59号までの修理が終わり,これで夏まであとはのんびり…とか思ってたんですが(w)
 まず1面め,こんな楽器がとどきました。

 自出し月琴60号。

 全長:615。
 胴:縦342,横343,厚40。
 有効弦長:387。

 全体としては当時の普及品の楽器のスタイルになってますが,よく見ると,うなじがビミョーなカタチだし,棹と表板の接合部に段差があったり,半月がマジで「半円」になってたり,糸倉のアールや孔の位置が特殊だったり----とヘンなところ満載のナゾ楽器です。

 お飾りもちょっと凝った彫り。
 花びらや葉の重なりに段差をつけて陰影を細かく出してますが…え~と,そもそもこれは菊?
 それともダリアかな?(w)



 ここなんかも面白いとこですねえ。
 胴のオモテとウラで,板の厚みが違ってます。
 オモテが5ミリ,ウラが3ミリ………考えたことは分かるよ,うん。
 表板には半月もあるし,棹からの圧だってかかるから丈夫にしなきゃならない。いっぽう裏板は身体のほうに向いてるだけだから薄くてもイイや,ってあたりか。
 いや,でもね----残念だけど,これ箪笥じゃなくって楽器なんだ。(w)
 いい音を出すことが最優先。
 強度は二の次なんだよね。やるなら工作がウラオモテ逆ですわ,orz

 棹がビクともしません,ハズれません。
 まだハガしてないので詳しくは書けませんが,裏板のハガレてるとこムキっとして中をのぞいたら,三味線のなかごみたいな丸棒が内桁にささってるみたいです。
 中央付近一枚桁で,ほかの部分の様子は見えず。振るとカラカラ音がしますので響き線は入ってるようですが,今のところ内部構造はナゾです。

 山口に糸の擦れ痕もあるし,半月にも糸圧痕があるので,実際に楽器として使用されたことはあるようですが,バチ痕はそれほど見えません。目立った損傷は,表裏の板割レのほか,胴向かって右上の接合部付近に,側板の大きな割れがあるくらい。
 この胴の材もちょっとナゾですね。あまり固そうな感じはしません。染めてありますが木地はなにやら白っぽい木のようです----針葉樹かも。
 糸巻も4本揃ってますので,状態としては悪くないほう。出品地は浜松……工作から見て木匠の類のヒト,だとは思いますが,月琴に関してはかなりシロウトさんの作かと考えられますので,まともに弾ける「月琴」にするためには,ちょっと「改造」に近い手直しが必要かもです。



 つぎにとどいた61号は,一目見て分かる初代不識製。
 すらりとまっすぐで長い棹,大きく薄い胴体,半月の形状はこの人独特のものですね。


 棹が紫檀のムク,胴側にも同じ紫檀の薄板をぐるりと貼り回しているので,表面からは四方の継ぎ目が見えません。半月もお飾り類も唐木,フレットは牛骨じゃなく象牙ですね。
 いままで扱った初代不識の月琴のなかでも,いちばんの上等品なんじゃないかな。
 糸巻も唐木でオリジナルが3本残ってます。
 もう一本オマケで,あきらかに月琴の糸巻ではない短いのが挿さってましたが----コレはたぶん一絃琴か二絃琴の糸巻じゃないかと。

 蓮頭無しで全長660は「時不知」とぴったり同じですが,胴縦358,横368は時不知より7ミリも大きい。ほかの作家さんの楽器と比べて,不識の月琴はだいたい大型なのですが,今回の楽器は今まで扱った中でもいちばん大ぶりですね。

 棹は304。坪川辰雄の「清楽」(『風俗画報』)に 「(月琴の)棹の長さは天神より八寸位なり,渓菴は之れを一尺内外に造れりと云ふ」 とあります。関東の作家の棹が概して関西のそれにくらべると長く,第4フレットが棹上にあるのも渓派の勢力が江戸で強かったためもありますが,さらに石田義雄は渓菴の弟子,明治になってからの渓派の幹部の一人でもありました。その楽器に渓菴の自作楽器などの特徴が色濃く残ってても何ら不思議はありません。

 表板に4行の墨書があります。
 左右端の2行は字も細く,かすれててほとんど読み取れないんですが,内がわの2行は 「如竹之笣/如松之茂」 ではないかと----ただ,この「笣(竹+包)」は古書に出てくる竹そのものの種類を表す字ですね。「茂」と対句なのですから,これも動詞のはず。タケカンムリじゃなくクサカンムリの「苞」に通じさせて 「竹のつつめるがごとく/松のしげれるがごとく」 と読ませたいか,音通で「萌(ほう)」に通じさせて 「竹のもゆるがごとく/松のしげれるがごとく」 とでもしたかったんじゃないかと。
 ううむ,いちおう漢字の専門家としましては,どっちもけっこう無理があるけどなあ(^_^;)
 左端に署名と落款があるようなんですが,やっぱり読めませんね……あえてムリヤリ読んでみるとするなら「樺澤逸士 書」かなあ。

 裏面にはラベルの欠片と接着痕が残ってます。


 上の丸いのは菊の御紋の真ん中に「賞牌」と書いてあって,勧業博覧会で賞をもらったという記念。下は完全に痕だけになっちゃってますが,サイズと形状から上に 「不識作」 下に 「東京神田/錦街之住/石田義雄」 とある四角いラベルです。現在確認されている初代不識の月琴のラベルには,このほかに上左右角を斜めに落とし,真ん中に 「石田不識作」,左右に 「日本東京神田/南神保町五番住」(右画像) と書かれた2種類があります。
 上に貼られた賞牌記念が後者のラベルでは「賞牌・褒状」の二つに増えてるので,以前は単純に「錦町」のが初期で「南神保町」のが後期,としていたんですが。
 最近資料を調べ直していたらおかしなことに気がつきまして----
 楽器商リストで見てみると,石田義雄の店を南神保町と記した例は明治25,27,28,31年。でも錦町とするものも明治24,36,大正13年にあるんです。
 つまり,同時代に2つの住所が重複して見られるわけだ。

 明治27年の『東京諸営業員録』という本は,不識の店の位置を 「神田区南神保町五 五十稲荷前ヲ北ヘ一半南ヘ〓〓(〓部分不明) としています。東京は戦前戦後にかなり地名が変わっちゃってて,今は「南神保町」という地名もなくなっちゃってますが,「五十稲荷」は現在もほぼ同じ位置にあり,錦町の住所地のほうは表記も場所も当初からほぼ変わってません。古い地図で見てみると,「五十稲荷前から北」 へ向かうということは,これは間違いなく南神保町の店を指しているのですね。

 おそらく初代不識は,もともと錦町で製作・営業をしていたのが,明治20年代の月琴の流行とともに,販売店舗を独立させて南神保町にも開店……しかし,明治27年の日清戦争後,清楽の衰退とともに南神保町の店を閉じ,もとの錦町の店舗のみに集約,ラベルも元のに戻した----とかいうようなことがあったんじゃないかなあ,と推測してるのですが。
 まあさて,証拠はない。(ww)
 それにしても,こんなラベル一つからでも,過去の人のことがいろいろと想像できるものですニャ。

 さて,今回の楽器ですが上にも書いたようにラベルは錦町時代のもの。ただしニラミの菊が正面向きではなく,ほかの作家さんの楽器でも見る,よくある横向きのデザインになっていますし,正面向き菊をつけた1号や27号よりも工作が凝っていることからも後期の作だと思われます。



 ここで今期も依頼修理の楽器が!
 なんか今年はよく来ますねえ。

 第4フレットの痕跡が棹の上----さっき書いたように,関東の楽器,あとは材質やデザインから,月琴流行時の普及品タイプの楽器のひとつだとは思うのですが。さて外見からはイマイチ,どこのどなたの楽器だかが分かりません。

 蓮頭は線刻の宝珠,お飾りはザクロ,どちらも良くあるっちゃあ良くあるデザインでして。
 だがしかぁし!----棹を抜いたら現れた,ほかの作家さんの楽器ではまず見ない,この独特な棹なかごの形状は!!!

  「柏遊堂」の月琴ですね。
 いままでにも21・35・43・52号と4面も扱ってますんで,けっこうな数作ってた人だと思われるんですが,いまだに正体不明。
 楽器は外見的には浅草 「清琴斎(山田縫三郎)」 の楽器に酷似してますし,名前は稲荷町の 「柏葉堂(高井徳治郎)」 に近い感じですね。
 この棹なかごのデザインは,三味線のなかごの縮小版みたいな感じですので,たぶん出自は三味線師。屋号が「柏屋」のお店のどなたかだとは思うんですが………東京の楽器屋で「柏屋」ってのは無数にあるんですよね~。

 全長:660。
 胴:縦350,横348,厚39。
 有効弦長:342。

 こちらも糸巻は4本そろってますし,板の割れやフレットの欠損はあるものの,一見そんなに状態は悪くなく,なくなった部品をちょと足せば弾けちゃいそう,にも見えるんですが----

 まずこれですね。
 棹口の左右がバッキリ逝ってます。
 この楽器ではよくある故障で,床に置いてたのを踏み抜いたか,たてかけて置いたところに寄りかかっちゃったか……まあマトモな状態のヒトなら,楽器に対してまずやらないことだと思われますんで,庵主はすべからく酔っ払いのシワザ(w)だろうと踏んでおります。
 表板中央の2条のヒビもこの損傷が原因ですね。
 「よくある故障」とはいえ,ここが割れてるのはけっこうな重症。なんせここは,棹からの力がいちばんかかる場所。人間で言えば「頸椎損傷」ってくらいの病状にあたります----あたりまえのことですが,ここが割れた状態でいくら締めても,棹が微妙に浮き上がって音はそろいません。

 さらに,棹なかごの延長材部分がまあ,こんなことになってまして。(^_^;)
 測ってみますと,棹の傾斜が山口のあたりで胴水平面からマイナス8ミリもある。いつも書いてるとおり,この楽器の棹は背がわに傾いてるのが理想形なのですが,国産月琴の場合,ふつうは3~5ミリ----8ミリはいくらなんでもちょと傾き過ぎですねえ。

 この楽器の半月の高さが10ミリ。半月の工作がふつうで通常のかけ方をした場合,糸はだいたいその上面から2ミリほど下で出ます。
 対して山口の高さが11ミリですので,棹の傾きぶんを引いただけでも,弦が頭方向にエラく傾斜しちゃうだろうってあたりは,実際に張って見るまでもありません。

 理想としましては,棹の傾き3~5ミリで,山口の頭が半月のとこでの弦高より1~1.5ミリ高くなってないとならんのです。この楽器のように弦が頭方向に傾斜すると,フレット高はやたら低くなりますが,胴との接合部付近で弦を押さえた時,弦が「へ」の状態になり,ビビリが発生します。
 最初は修理の結果かな~とかも考えたんですが----そもそもの棹口や表板の割れが修理されてないわけですし。基部表がわに残っている墨書(「四」)の状態などから見ても,この棹なかご,間違いなくオリジナルの工作のようです。
 最初はホオの木で延長材を挿したら,傾きが足りなかった,そこで削って調整してくうちに,スペーサの杉板が一枚から二枚へ……おそらくはそのように,原作者がより良い楽器に調整しようと努力した結果なのだとは思いますが----いや,ここまでやるんだったら,延長材はずしていッそ最初からやり直したほうがよっぽど早くね?
 という感じ。
 たぶん途中から,もう意地になっちゃったんだろうなあ。
 できあがってから,「あ……」(もっとカンタンな方法があったことに気がつく)とかなったろうことは想像に難くない(www)


 61号は思うところもあり,とりあえずの記録を採って,修理はちょと保留しておきますので,今期の修理はこの2面。
 まだ6月なのにやたらと暑い日が続いております。
 夏になると,四畳半一間,全自動冷暖房「大自然」完備のわが工房(w)および中の人は,作業不能な状態となります。

 さあ本格的な夏の到来前に直せるかどうか!


(つづく)


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