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月琴61号 マツタケ (4)

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斗酒庵いろいろみろり の巻2018.6~ 月琴61号 (4)

STEP4  Tricholoma robustum
 もともと内部の損傷も少なかったですし,表板の割レと部分的なハガレの補修,響き線の防錆,棹の角度調整と,やることは終わってしまいました。いつもなら接合部の補強とかあるんですが,今回の楽器は外周に貼りまわした薄板が,構造をしっかりしめつけて護ってくれてましたので,接合部にはユルみ一つありません。

 裏板を戻しましょう。
 もともと2枚に割れてましたが,左の矧ぎ目の弱ってたところから切り離して,3枚に分割。中央付近にスペーサを入れます。胴にほうにゆるみがないものですから,そのままでも結構正確にもどしてやることは可能なのですが,それでも板の収縮から,左右あわせて2ミリほどの段差が出来てしまってますので。

 裏板を貼りつけている間に,欠損している部品を補作しておきましょう。蓮頭と糸巻1本,あと山口ですね。
 横向き菊のついてるころの不識製の月琴ですと,蓮頭の意匠はほぼ例のよくわからん模様(下画像参照。たぶん「海上楼閣」の意匠が簡略化されていったもの,作家により少しづつ異なる)一択となっているのですが----

 この人,コウモリの意匠が好きだったようで,正面向き菊の付いてた時期の楽器には扇飾りか中央飾りのどちらかに,かならずのようにコウモリがついてました。今回の楽器は大量産期のもの,あまりにも忙しかったからか菊も扇飾りもよくある通り一遍的なデザインのものになっちゃっていて,コウモリさんがおりません。
 というわけで,今回の蓮頭はコウモリでいきましょう。
 まあ,オリジナルはなくなっちゃってますし,いつものデザインのはこないだ57号で彫ったばかり,同じものを二回連続彫るのもヤですから。(w)

 いつものようにカツラの板を抜いて削って彫り込みます。
 スオウ染,ミョウバン媒染で真っ赤にしたら,薄目に溶いた黒ベンガラをムラムラに塗り,オハグロがけ。
 ラックニスをはたき,磨いて完成です。
 不識の彫ったコウモリの資料もいろいろとあるんですが,今回はシンプルなよくあるデザインで。


 糸巻はいつもの¥100均めん棒。
 正面向き菊のころにくらべると若干太め短めな感じですが,お尻のとがりかた,握りの溝の入れかたあたりは変わってません。月琴の糸巻のお尻の高さはふつうの作家さんだと3~5ミリですが,不識は7ミリくらい取ってます。あと溝がやや深く,お尻のあたりでさらに少し切りこんで,幅も広がってるのが特徴。だいたいはみなスッ----っと上から下まで同じくらいの太さで切ってるものですからね。
 蓮頭同様,こちらもスオウ染からの黒塗り。
 下地に強烈な赤を染め,オハグロかけるところまでは蓮頭と同じ,あとはスオウとオハグロを数回交互にかけ,さらに色の深みを増します。ちょっと見では区別つかないくらいに,ばっちり真っ黒に染めあげましょう!
 今回の楽器は糸巻も唐木の黒檀ですからね。
 ある程度染まったところで一度油拭き,そして亜麻仁油と柿渋を交互に数度重ねます。柿渋による補強の意味もあるんですが,柿渋が下に塗ったベンガラと反応して,さらに黒に深みをつけます----ほれ,いつも響き線の防錆でやってますでしょ?鉄と柿渋はけっこう強烈に反応して,その汁は一度布にでもついたらまずとれないくらい真っ黒な染液になるんですよ。
 一週間ばかり乾燥させた後,仕上げに握りのとこだけにラックニスをしませ,軽く磨いて完成。

 側面から見ると軽く台形になってますが,不識の楽器の山口はこれといって特徴のない縦割りカマボコ型。ただしこの人の楽器の棹は,この部品の乗っかる「ふくら」の左右がぐッっと張ってますので,ほかの作家さんのに比べると若干長く大きめです。オリジナルは象牙・牛骨が多く,まれに唐木のものがあります。作風からおそらく師匠と思われる田島真斎の楽器では,山口の底とふくらの接着部分に穴を穿ち,棒材を通して接着の補強としていますが,不識の楽器ではまだ見たことがないですね。
 材を何にしようか迷ったんですが,端材入れからキレイなトラ杢のトチの端材が出てきたんで,これにすることに。ラックニスを染ませてから磨いたら,宝石のキャッツアイみたいな変彩が出て,光の角度で景色が変わり,なかなかに美しい。
 今回は7本残ってるオリジナルのフレットに合わせて調整しようと思ってるので,丈はとりあえず高めの12ミリにしておきます。

 そうこうしているうちに胴体が箱にもどりました!
 裏板のスキマにスペーサを入れて整形したら,表裏板の清掃です。

 表板の墨書が残せるかどうか……前の57号でも書きましたが,墨書というものは,板に直接書かれた場合にはちょっとやそっとのことでは消えません。よく奈良時代とか中国の春秋戦国のころの木簡・竹簡が出て来るでしょ。紙ならば数百年で朽ちるところ,木の板に書かれた墨書はゆうに千年の時を経てもそこにとどまり続けます。
 しかしながら----たとえば竹簡の場合は「殺青」という処理をして竹の油分を抜きますが,あそこからも分かるように,下地の竹や木の表面に油分が残っていると墨がはじかれてしまい,字は書けてもそれは板の表面にへっついてるだけみたいな感じになってしまうんですね。57号裏面の墨書なんかも,さんざ使い込んだ楽器のヨゴレの上に書かれていたため,濡らしたらヨゴレといっしょに墨が浮いて,カンタンに消えてしまいました。

 さて,今回はどうでしょう?
 13号でやったように,板の上に重曹水を刷いてキッチンタオルをかぶせ,乾かないようラップをかけて板のヨゴレを吸い取らせました。墨が板にちゃんとのっていれば,板のヨゴレだけが浮いてきてキッチンタオルに吸い込まれます。

 ……あう,これもダメですね。
 墨がぜんぜん木地に染みこんでません。
 10分ほどしてキッチンタオルの最初の交換をしようとはずしたら,ゆるんだ墨が滲んでちょっと広がっちゃってました。墨書部分を指先でちょっと擦ったら,もとから無かったものかのようにキレイに木地が出ます。
 この墨書もかなり後になって入れられたものだったようですね。
 多少もったいなくはあるのですが,これを残すのはあきらめて,表板,キレイにしちゃいましょう。


 初代不識の月琴の板の染めはかなり濃いめで砥の粉も通常より多めに使われており,そのせいもあって残っている楽器の多くは濃い色に変色してしまっていることが多いです。

 染に使われるヤシャブシにはタンニンが含まれてますので,桐板の染めは防虫効果を狙ったものという説もありますが,晒してあっても桐板自体にかなりの渋が残っていますので本当のところはどうなのか。(w)ヤシャブシの色とそこに微妙に含まれているロウ分による磨き仕上げ上の効果が主目的のような気もしますね。だいたい「防虫効果」があるはずの割には,もー縦横無尽に食われちゃってる例もそこそこ見ますから,そのへんは怪しいところです。

----話がそれましたが,染料としてのヤシャブシは反応の良いほうで,いろいろな物質と結合してさまざまに発色します。布袋にでもつつまれていれば別ですが,蔵のなかでほこりまみれになってた場合にはだいたい真っ黒ですね。蔵のニオイって独特ですよねえ。ああいうところのホコリって,けっこう鉄分はじめさまざまなミネラル分含んでいるみたいで,その色合いによってその楽器の置かれていた環境や,もしかするとその出所の鍵みたいなことが推測できる場合もないでもありません。
 ちなみに,うちなんかはホコリまみれの四畳半一間,夏期間はほぼ開けっ放しみたいな環境に何面もの月琴をモロ出しそのままでぶらさげてあります。「お手入れ」といっても,たまにホコリはらって弾いてやるくらいのものですが,それほど板に変色は出ません。
 ですのでこの件に関しては,あんまり神経質にならずともよろしいですよ。

 「楽器にとっての一番のメンテナンスは弾いてあげること」それさえ忘れてなけりゃ,モノはちゃんと応えてくれるものですから。


(つづく)


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