楽器製作・名前はまだない(2)
![]() STEP2 月琴長いか短いか 「月琴」 と名づく楽器の中で,韓国の月琴(ウォルグム),ベトナムのダン・ングイット,そして台湾の月琴(丐仔琴)は,庵主のやってる清楽月琴や現代中国月琴とはちがって,棹のながーい楽器です。 ![]() ![]() 韓国の月琴(ウォルグン・ノルグム) は唐宋代の円胴の「阮咸」を,宮廷音楽用の楽器としてとりこんだもの,とされています。 「阮咸」でなく「月琴」というのも,お手本とした唐宋代の史書や音楽書に「阮咸は "月琴" とも呼ばれた」という記録があるところから持ってきたものでしょう。 とはいえ唐代の実物である正倉院の阮咸に比べるとかなり棹が太く,幅もあります。資料では「郷琵琶」*と同類の楽器とされており,演奏上の用途も近かったようですので,ネックの形の差異は,より琵琶に近い四単弦の奏法を可能にするための変化であったか,あるいは彼らがもともと継承していた直頸円胴の琵琶類にあたる民族楽器を,唐宋の楽器に付解したものだったのかもしれません。
*郷琵琶:ヒャンピパ,5弦直頸で梨型胴,宮廷音楽で朝鮮固有の音楽を奏でるための楽器として使われた。
この2種の楽器は,名称上また外見的には以下に紹介する長棹の「月琴」との共通項がありますが,弦制や構造は異なります。 特に,台湾やベトナムの「月琴」は,円形の胴体に着脱可能な状態で棹を挿している「スパイク・リュート」----清楽月琴や日本の三味線などと同じ構造になっていますが,唐宋の阮咸や韓国の月琴の棹は,ギターなどと同じく,胴体に接合固定されており基本的に着脱はできません。 ![]() ![]() ベトナムの月琴(ダン・ングイット) と 台湾の月琴(丐仔琴) はともに2弦の弦楽器。 外見上も良く似ていますが,ベトナム月琴のほうが一回り大きく,台湾の月琴が80センチほどなのに対して,全長は1メートルを超えます。 弦高も高く,フレットは最大で3センチほどの高さがあり。また棹がきわめて細いので(幅2センチほど),フレットの頭は日本の筑前や薩摩琵琶のように左右が広がっています。 ![]() ![]() 糸倉から弦を受けるトップナットも,筑前や薩摩の乗絃に似た鳥の頭のような大きな塊になってますね。 台湾の月琴の山口(トップナット)は清楽月琴や中国月琴と同様の形状です。弦高もベトナム月琴ほど高くはありません。 1~4フレットまでが中国琵琶と同じ断面オニギリ型のブロック状----「相(シャン)」----になっています。 参考画像の楽器のテールピースはベトナム月琴と同じになっていますが,清楽月琴と同じ半円形のものもありますね。 どちらも調弦は清楽月琴と同じ4度あるいは5度ですが,ベトナム月琴が低音を響かせその余韻を楽しむ----薩摩琵琶みたいな用法がメインなのに対して,台湾月琴は三味線に近い弾き方で,軽快に歌に合わせる伴奏楽器として使われています。 地域的な交流からもその外見や構造からも,この二つの楽器に何らかの関係性があるだろうことは間違いありませんが,いまのところまだそれを詳細に追及・解明した研究は出てきていません。 台湾の月琴の古いものに関しては資料が少ないので,この楽器がむかしからこうだったかどうかについては分からないのですが。 ベトナム月琴はかつて4弦2コース……清楽月琴と同じ複弦楽器であったようです。いまもベトナム国内のどこかには,そうした古い形式のままのものが残っているのかもしれませんが,正月に貼られる年画に出てくる月琴はいまでも4弦の楽器として描かれていますし,実際,戦前に収集された古い楽器には,外見上今のベトナム月琴とほぼ同じながら,糸巻が4本ささっているものが見受けられます。 また現在もその糸倉には糸巻4本分の孔が開けられていることが多いようですね。実際に使われるのはそのうちの2組で,残りは実用性のない装飾として開けてあるだけですが。 ![]() ![]() 清朝の宮廷音楽に関する資料である『皇朝礼器図式』には,そうした古いタイプのベトナム月琴のご先祖様だろうと推測される 「丐弾双韻(かいだんそういん)」 という,円胴長棹4弦2コースの楽器が紹介されています。 ベトナム月琴を現地の言葉でダン・ングィットといいますが,この「ダン」は弦楽器にかかる冠詞,「ングィット」がお月様のことです。「丐弾双韻」の「丐弾」も「ダン」と同じく弦楽器につく冠詞ですが,「双韻」のほうは音訳語なのかあるいは複弦楽器であるという意味の漢語をくっつけただけなのかは分かりません。 ちなみに文中で 「月琴に似ている」 と書いてありますが,ここでいう「月琴」は短棹円胴の現在の月琴でも,唐宋の阮咸の異名としての「月琴」でもなく,当時の清朝宮廷楽で「月琴」として使われていた,次に紹介する長棹八角胴の楽器を指します。どちらも「4弦2コースのフレット楽器」なので「似ている」と言っているだけですね。 ![]() 日本の 明清楽でいうところの「阮咸」は,正倉院の「阮咸」等とは違って,長棹八角胴,上の『皇朝礼器図式』に見える清朝の「月琴」に近い楽器です。現代中国でこの類の楽器は 「双清(シュワンチン)」 と呼ばれています。 この楽器は清朝の宮廷楽では蒙古楽(モンゴル由来の音楽)を奏でるための楽器として使われていました。阮咸にしろほかの「月琴」にしろ,だいたいは南方に起源がある楽器ですが,これだけは北から来たものなのかもしれませんね。 月琴と同じく4弦2コースの複弦楽器ですが,月琴がE/Bなら阮咸はB/E,C/GならG/Cという具合に,調弦は清楽月琴の調弦の高低をひっくりかえした間4度とされています。 ![]() ![]() 日本の清楽家の間では,わたしたちが使っている短棹円胴4弦2コースの「月琴」は,「阮咸から派生した楽器である」 ということになっていますが,ここでいう「阮咸」が,丸い胴体に長い棹をつけた唐宋代の「阮咸」なのか,上にある八角胴の「阮咸」のことなのかについては,誰もはっきりと書いておりません。そもそも今のところ大陸のほうの資料では,この長棹八角胴の楽器が「阮咸」とも呼ばれていた,という記述は見つかりません。 日本の清楽家がこれを「阮咸」と呼び始めたのは,清楽の前に流行っていた「明楽」で「月琴」と呼ばれていたのがこの長棹八角胴の楽器であったことから,短棹円胴の「月琴」の前に「月琴」だった楽器,と言う意味で(史書などに見られる記述を逆にとって)呼び始めたのではないか,と庵主は考えています。 ![]() 『清風雅譜』などの口絵から見ると,清楽家のイメージしていた 「月琴の先祖の "阮咸"」 というのは,中国の絵画などにも出てくる正倉院タイプの----円胴長棹の楽器であったろうとは考えられますが,この史書でいう唐宋代に流行した「月琴」とも呼ばれた「阮咸」というのはあくまでも 「4単弦(もしくは5弦)の変形琵琶」 でしかない楽器です。 4弦13~15柱で,その構造上も,音階や奏法上も,短棹円胴4弦2コースの複弦楽器である「(短い棹で円形胴の)月琴」とは ほとんど共通項がありません。 そもそも,多くの記事の引く「(短い棹の)月琴の古名は阮咸である」というのは,たいていこうした史書・古資料の記述をムリヤリ短くちょん切って,都合の良い部分だけ引用したもので,それぞれの原典の述べる内容からは短棹円胴の「月琴」と,これら古代の楽器との接点は微塵も見出せません。 ----というところで庵主の真面目容量が尽きましたので,実作業の報告に戻らせていただきます。(w) 今回の製作でもっともはずせない部分は,「有効弦長651ミリ」 という一点になります。 正直なところこれさえ合っていれば,角材に糸を張っただけの棒楽器でも良いのですが,ついでにいくつか解決しておきたい疑問・問題がありますので,いちおう「月琴」と名づく楽器の領域内のカタチにいろいろと詰め込ませていただく。 結果,出来上がる楽器は,ネコミミ・メイド服に白のニーソにランドセルと,いささか属性詰め込み過ぎのシロモノになってしまうとは思いますが,はてさて,どうなることやら。 ![]() ![]() 棹に延長材を接着する前に,棹と胴体の一次的なフィッティングは行っていますが,延長材が接着されたところで実際に棹を抜き挿ししながら基部や接合面をさらに加工,棹の基部が胴体により密着するように調整してゆきます。 棹の基部は切り出された段階では直線・平面ですので,これを丸い胴体にぴったりフィットするように曲面に削ってゆくわけですね。 棹基部の密着具合と同時に棹自体の傾き加減も3Dで確かめながらの作業。けっこう精密で時間がかかります。修理でもいちばん手間と時間をかける部分のひとつですね。 ![]() ![]() つぎに内桁を接着します。 ここまでは棹の調整の関係で接着していませんでした。棹の加工の具合によっては,大きく変更を加えたり,最悪作り直してもいいくらいの部品ですんで,フィッティングが一段落ついて,ようやく固定できますね。 内桁そのものは安価な針葉樹材の部品ですし,その加工----たとえば表面処理,あるいは音孔の有無とか大きさ----も実のところ楽器の音にあまり影響はないのですが,これが胴体の各部としっかり接着されているかどうかについては,音にも楽器の強度にも大きな影響がありますので,接着面の調整やニカワの塗りは,けっこう慎重に行います。 両端にクランプをかけ,中央部分に重しをのせて一晩。 重しをはずしてもう一日ばかり,用心のため接着後の養生をかましたところで。 製作前半戦の第一難関 「表板の削り落とし」 に突入です! ![]() ![]() 表裏の桐板は厚6ミリ。 これを全面1ミリ落として,厚さ5ミリ程度におさえたいと思います。 電動サンダーとかあればものの数秒で終わる作業でしょうし,最低でもグラインダーがあればさして苦労もないことなのですが,庵主の古代貧乏工房(w)にそのようなものがあろうはずもなく(w)いつものとおり,恐怖の手工具・全手作業で行います。 音もたちますホコリもスゴい----さすがに,四畳半一間でできる作業ではないので,ご近所さんに配慮しつつお外で作業いたしましょう。 板の表面に半丸ヤスリでキズをつけ,そのキズの直角の方向から削りカンナやペーパーで削り落としてゆきます。 ある程度削れたら,ペーパーを一枚丸ごと貼りつけた擦り板の上でこすって均し,曲尺で水平を見ながらさらにザリザリと…… ひぃ…ひぃぃ…うぷぷ。 たちのぼるホコリで息も出来ない。 汗かいたところにシャツの隙間から入り込んだ細かいオガクズがはりついてムズかゆい。 けっこうな拷問ですよ。 ![]() 仕上げに削っては棹挿して確認を数度----胴板の端が棹の指板の端とほとんど同じ高さになるところまで削ってゆきます。 この後の棹と胴体のさらなるフィッティングである程度は調整できるんで,この時点では完璧を目指さなくてもよかでしょう。 ![]() ![]() ----というところで次回へと続く!! (つづく)
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