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明笛について(26) 明笛49号/50号(2)

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斗酒庵 平和の世に天民の明笛を鳴らす の巻明笛について(26) 明笛49号/50号(2)

STEP2 明笛50号

 49号に遅れることわずか1日。
 50号が到着いたしました。

 「HEIWA」 の明笛ですね。

 いままで見たことのあるラベルでは 「平和」 のところが英文字で 「HEIWA」 になっていました。
 漢字表記になってるのを見たのは,今回がハジメテです。

 どちらのラベルでも 「平和」 の字の上には,丸がいっぱい重なりながら横に並んでる真ん中に,平和の象徴である鳩。下には 「MANUFACTURED BY G.Y.」「TOKYO, JAPAN,」 と書かれています。さらに下には 「No.」「¥」とたぶん笛の番手とか号数,値段を書き込むと思われる白枠がありますが,この中に何か書かれてた例はいまのところ見たことがありませんねえ。
 比較的よく見かけるメーカーの笛なんですが,いままで製造元の身元は分かりませんでした。
 今回,笛の実物が手に入ったので,一丁調べてみることといたします!

 ラベルに書かれているとおりなら,「MANUFACTURED BY G.Y.」 ということは作者のイニシャルは G.Y.「TOKYO, JAPAN,」 ということは東京の作家さん,ということですね----この条件で拙「楽器商リスト」を調べてみると,大14年発行の『職業別電話名簿』(東京之部)に 「笛製作業 浅,北元,4 吉田源吉」 というヒトが見つかりました。

 GENKICHI YOSHIDA----頭文字は G.Y.ですね。で,東京の浅草で,笛屋と。

 …うむ,いちおう条件はぴったりですね。
 ただ頭文字 G.Y. で笛屋,というだけなら他にもいるかもせんので,確証を得るためこのヒトについてさらに探ってゆくと,電話帳では 「笛製作業」 となっていましたがこの方,初期の国産ヴァイオリン製作者の一人でもあるということが判明しました。同じ浅草の山田楽器・山田縫三郎も,月琴や明笛のほかヴァイオリンなんかも作ってましたからね。この頃の楽器屋ではよくあったことなのかしらん。

 そしてさらにさらに探っていったところ,いま話に出てきた 「山田縫三郎」 とこの吉田源吉さん,二人そろって明治11(1922)年に開催された 「平和記念東京博覧会」 に,その 「ヴァイオリン」 を出品していることが判明!!----っと…「平和記念」?

 「平和」 …ですかい?

 もしやと思い,もいちどラベルに立ち戻ってみます。

 過去に見た,別バージョンのラベルの画像をちょー拡大したところ,鳩の後ろに 「平和博覧会 大正十一年」 と書いてあるじゃああーりませんか!!
 鳩のバックの丸いのは,どうやら博覧会のメダルだったようです。

 博覧会のメダルを商品のラベルの意匠として使うのは,このころ楽器のみならず日用品や食品でもよくあったこと。石田義雄や田島勝も楽器の背に貼りつけてましたね。
 お祭りみたいなものとはいえ,もちろん何の係累もないのに博覧会を引き合いに出すわけにもいかないでしょうから,少なくとも,この笛の作者は 「平和記念東京博覧会」に楽器を出品して,何らかのメダルをもらい,その記念に,作ってた笛を「平和」と名付けたのでは,ということになりましょう。
 平和記念博覧会の受賞者とその詳細については,一覧が Web公開されていないのでまだハッキリと分からないのですが,さっきも書いたよう,審査記録などからかの 「吉田源吉」さん が,明笛はともかく「ヴァイオリン」を出品していたことはほぼ間違いありません。

 後に「吉田源吉」さん作のヴァイオリンのラベルの画像を見つけたので見てみると,そこにはなんと,明笛のラベルにあるのとほぼ同じデザインの,鳩と重なった丸の絵が………明笛のラベルではかなり省略されてたようですが鳩の左右に並ぶこの丸いもの,もともとは一枚一枚,作者が出品した色んな博覧会や共進会のメダルの図像だったようですね。

 以上の事から,明笛「HEIWA」の作者「G.Y.」は「吉田源吉」でまあ間違いない,とは思われますが,さて----まだいくつか決定的な証拠が足りませんので,とりあえずは推測,としておきましょう。

 ちなみに…ではありますが,平和記念東京博覧会の審査員サマは吉田源吉氏のヴァイオリンについては, 「 f 孔デカすぎ!音粗ぇ!」 との評価を下しております。
 山田縫三郎の楽器なんか 「外面がキレイなだけじゃ」 とバッサリですのでまあ,それよりは…って感じですが。(www)
 まだ当時は国産でのヴァイオリン製造の初期も初期段階なれども,鈴木政吉のヴァイオリン以外はほぼボロクソでございました。


 大正時代のドレミ明笛です。

 「平和記念博覧会」の開催が大正11(1922)年ですから,作られたのはもちろんそれより後ということになりますね。
 月琴をはじめとする明清楽の楽器の多くは,日清戦争(1894)以降明治の終わりくらいにはもうほとんど作られなくなっていたんですが,「明笛」だけはずっと生き残り,大正・昭和,そして現在もなお細々とながらも製造され続けているんです。

 明治時代の明笛ですと,頭尾には骨や象牙あるいは黒檀紫檀などの唐木で作られたラッパ状の飾りが付いてますが,このころになるとこういう木製のちゃッちい挽物のほうが多くなってきます----材質が一般的な木を使ってるのはともかく,もう唐木っぽく染めたりもしてませんし分解できるような機構もありません。このお飾りで黒や白に塗られてるところには,ほんらい骨や牛の角などを加工したリングがはまってたりもしたものですが,もうコレ,旋盤でちョちょイと削って近代的な塗料でべったら塗りですわあ。

 これは明笛というものが,明清楽の楽器から子供などのための教育玩具的楽器となっていったせいもありましょうね。
 6孔,全閉鎖がドで,基本的には端から指を開けていけば西洋音階になるという演奏の単純さと,日本の笛とはちょっと違った音質,そして値段の安さというあたりが売りだったみたいです。子供むけの安価な楽器,ということで価格競争みたいなものもあったようで,大手のものほど形も作りもどんどん単純化されていきました。いままで扱った中だと…19号 なんかがそうした類ですね。

 現在売られているものと比べると,今回の楽器のはそれでもまだ清楽時代の明笛のお飾りの形をそのままかなり踏襲してる感じではありますね。

 続いてその他の部分を見てゆきましょう----

 ははははは。

 いちおう継いでありますが----派手に割れてますねえ,そして誰ぞが 「修理」 してますねえ。

 しかも木工ボンド使いやがったな,ケツ割るぞコラ。(笑っているが目がマジ)
 唄口上下から最下の管尾飾りの前まで,すべての孔間がバッキリ逝っちゃってるみたいですね。

 このほか裏孔ところにも一箇所。
 あちこちに糸か何かで巻き締めていた痕跡があります。
 かなり容赦なく締め上げたようで,ちょっと横縞の傷になっちゃってるとこもありますね。
 古い補修の痕なのか,ボンドで接着するときの固定痕なのかはちょいと不明。おそらくは後者でしょう。

 損傷状況をまとめるとこんな感じ----

 ううむ……「平和」の明笛,戦線はけっこうな激闘となるもよう。




(つづく)

明笛について(26) 明笛49号/50号

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斗酒庵 平和の世に天民の明笛を鳴らす の巻明笛について(26) 明笛49号/50号

STEP1 明笛49号

 さて新作の実験楽器製作ちゅう,この年の瀬になってとつぜん,明笛が2本やってまいりました。(W)

 まず,箱に入った1本が到着。
 こちらを49号といたします。

 お暇なかたは過去記事から「李朝華竹横笛」の記事などご覧くださると分かると思いますが,「箱入りの古物」 ってのは概してロクでもないことが多いです。今デキの贋物をそこらにあった古めかしい箱に入れるってのは,安物をさも高価なものに見せかける一番容易な常套手段ですものね。
 まあ「李朝華竹横笛」の場合,中身自体の質もさりながら,ヨゴレの上から書かれた箱書きとか,蓋が別の木だとか問題にもならないシロモノでしたが,「筋のいい」古物商の方ですと,同じようなことをするにしても(するんかい-ツッコミ-ww)古色付けにせよ箱の選別にせよ,それなりの手間とコストをかけてやらかしますので,素人さんが見てそうそう分かることはございませんよ,ほほほほほ。

 「ほんとうに良いもの」というのは,良いだけにしょっちゅう使われるので,どんなに大切にされててもどこかしら壊れてる確率が高いものです。出し入れされる回数も多いので,箱なんかも壊れてたりなくなってるのがふつう。だからほんとうの 「掘り出し物」 ってのはハダカで出回っていることが多いのです。

 まあ元・古物屋の門前小僧として,そのように散々脅されてましたので,今回も正直さほどの期待はしてなかったんですが………あ,ひさびさの「当たり」だわコレ。(www)

 まず,箱を見て分かりました。
 これ,「共箱」 ですね。

 こうした古物の笛には,掛け軸なんかの箱が流用されるのが定番です。しかし,軸物の箱というものは寸法やカタチが決まっていますので,見慣れていればそうと分かってしまうものなのですが。この箱は作りと寸法がかなり特殊----一目で軸物の箱でないことは分かります。

 そしてこのブツの収まり具合(w)----ギチギチでもなく,スカスカでもない。
 これはこの箱が,この笛を入れるために作られたものであることを如実に語っていますね。

 箱頭に貼られた「明笛」と言う貼紙の年季も問題なさそうです。
 まあ古い「明笛の箱」にサイズの合うほかの笛を入れるなんてシワザは,そもそも「明笛の箱」というもの自体がレアなことから考えてもあり得ないでしょうな。

 蓋はスライド式になっていて,箱上面の溝にはめこむようになっていますが,箱側面,その溝になってる部分に割れがあります。片面はこの部分からいちど完全にバッキリと逝ったらしく,全面に継いだ痕も見えますが……まあ構造としてこれはしょうがないか。ほかにも上下に接合の剥離,部品の欠損,ネズミに齧られた痕なども多少ありますが,明治時代の箱の状態としては上々----よくいままで,この笛を護ってくれました。

 全面に漆塗りの施された,すらりとした細身の美しい笛です。
 ほんとに細い……明笛の管体にはホウライチクのような,節間が長くやや太目(径2センチくらい)の竹が使われることが多いのですが,そういうむこうから輸入された竹ではなく,国産の篠竹あたりが材料でしょうかね。
 漆塗りの黒地に金銀で装飾が施されております。

 管頭部分には 「仙管鳳凰調」 と文字。
 響孔上下に金銀彩・細筆で描かれているのはのようですね----指孔第六孔の少し上あたりに頭があるんですが,かなり薄くかすれてほとんど見えなくなっちゃってます。

 ちょっと変わった工作だなと思われるところは,黒塗りが管体の竹の部分だけでなく,上下のお飾りの一部にまでかかっているところでしょうか。

 塗りの端部分には,細かな筆でぐるりと輪模様が描きこまれていますが,頭尾管飾りの接合部はそこより手前----管と一体となるように整形されているため,一見すると継ぎ目がどこか分からないような作りになっています。

 そしてこの立派な房飾り----
 笛が細いものでなおのことでっかいく見えますね,この房飾りは。

 笛自体とほぼ同じくらいの長さがあります。
 平紐で編まれていて----蝶と吉祥紋かな?

 では,採寸----

 サイズ,特に管の太さからすると明笛18号が一番近いかな?
 管体は細いですが唄口から裏孔までが325もあるので,おそらく 全閉鎖BもしくはBb の清楽に使われた明笛だと思われます。

 唄口まわりをさっとエタノで拭いて吹いてみましたら,音は出ました。

 外からざっと見た感じでは,あちこちに小さな塗りのハガレや塗膜の浮きはあるみたいですが,それほど深刻そうな損傷は見当たりません。まあ,古いものですからどっかしら壊れている,とは思いますが,楽器自体の状態はさほど悪くなさそうです。

 箱の蓋の端のほうに2センチ角ほどの正方形の紙が二枚,上下に貼られておりよく見るとなにかハンコが押されているようです。

 最近はまあ目も悪くなってきましたので裸眼だと何だか分かりません(w)
 デジカメで撮って拡大,SNSの伝手で何て彫ってあるのか読んでもらったところ,上の白字が 「瑞清」,下の朱字印が 「呉×民(一文字不明)」 とのことです。

 「瑞清」 がこの笛の名前,「呉×民」 が所有者もしくは製作者でしょうなあ。
 不明の2文字目は「ムギ」を本字の「麥」でなく 「麦」 の字体に近く篆字に仕立てたもの…にも見えなくはないんですが定かにあらず…検索では「麦民」 だと何にも出てきませんねえ。

 辛亥革命の先鞭者であった康有為とか梁啓超の仲間が,日本で中国語の雑誌を出したことがあるんですが,その同人の一人に 「呉天民」 という人がいました。明治のころの日本に留学していたみたいですが,革命成る前に行方不明になっているとか…………

 ……たぶん,この笛を修理してゆくと,中から固く巻き締めた紙縒りのようなものが出てきます。

 それを開くと,いくつもの茶碗の絵と短い工尺譜が描かれた手紙。
 さらに小豆粒ほどの小さな宝石と,妙なる芳香を放つ細いお香の欠片のようなものが出てくるわけですね。

 茶碗の絵は革命派を支持していた青幇の暗号で,これを解いてゆくと大運河沿いに山西省にある謎の土地へと至る道筋の地図が。

 そして,そこまで解読した瞬間,

 「ほあたああああああああああッ!!」

 -----と奇声を挙げ,斗酒庵工房四畳半の窓を蹴破って,謎のパンダ顔拳士が!!!

 どうなる庵主!仙管鳳凰調の謎とは!?

(もちろん妄想ですがなにか)




(つづく)

楽器製作・名前はまだない(5)

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斗酒庵ひさびさの製作 の巻2019.10~ 楽器製作・名前はまだない(5)

STEP5 わたしは 見ます ひとつの 赤い とびらを


 長棹の台湾月琴に現在統一された規格はなく,寸法は作家により微妙に異なっているようですが,だいたいは----

 全長:850~900
 胴径:360~400,多くは370前後
 棹長:500±30
 有効弦長:650±20

 といったあたりなようです。

 まあ清楽月琴などもっとバラバラで,個体によって全長や有効弦長が4~5センチ違ってたりしますからね,よそさまのことはとやこう言えぬ。(w)

 徳川美術館所蔵の御座楽(琉球の古い宮廷音楽)の月琴は,全長820,胴径400,棹の長さは420,有効弦長は510で,有効弦長をのぞけば外見上の寸法は,この台湾の月琴に近いのですが,棹と胴体のバランスから見ると,清楽月琴のほうにいくぶん近い----中間的な楽器ですね。

 ただ御座楽の月琴がずっとこういう姿だったかというと,若干疑問があります。現に「座楽並躍りの図」(沖縄県立博物館蔵)の絵巻に見える月琴は4弦なところは同じなものの,琴頭が現在の台湾やベトナム月琴と同様,三味線のような海老尾型となっていますし,天保時代に描かれた琉球楽器図の月琴も,棹が長く琴頭も海老尾型。琉球関連の資料の絵図で見られる「月琴」には現存南方の長棹月琴の姿に近いものしか見られません。

 このシリーズの第2回で紹介した「丐弾双韻」が,長870,棹360(おそらく糸倉琴頭ふくめず),胴径351,胴厚55,有効弦長551。有効弦長からすると,台湾月琴と徳川美術館の御座楽の月琴の中間くらいですが,図で見る限り,この楽器の糸倉と琴頭の形状は徳川美術館の御座楽の月琴と同じです。もしかするとこれ自体が本来は「丐弾双韻」として作られた楽器だったのかもしれませんね。

 徳川美術館の「月琴」に響き線が仕込まれているかどうかは分かりませんが,荻生徂徠が見たという琉球使節の楽器には,「琵琶に似ていて,茶筒を横に切ったような丸い胴体で,胴の中に仕掛けがあり振ると金属の音がする」というものがあったようです(『琉球聘使記』宝永7=1710)。

 残念ながら寸法などについては描写がないため,これが長棹タイプであったのか短い棹の清楽月琴タイプの楽器であったのかについては判然としません。

 これらのことから考えて,御座楽で「月琴」として使用された楽器には,実際にはいろいろな種類のものがあったと推測されます。
 また,琉球使節招来の楽器については,唐渡りのものであった可能性も,唐渡りのものを模して当地で作られたものである可能性もありますから,そこで何らかのアレンジが加えられたかもしれませんし,琉球オリジナルの楽器であった可能性もないではありません。
 こうした長棹円胴4弦の楽器が,そのまま中国南方を含む地域で当時流行っていたものかどうか。またこれらが,今の台湾月琴や清楽月琴を含む「短い棹の月琴」に直接つながってゆく楽器なのかどうかについては,まだいまひとつ調べが足りませんが,ともかく,長崎ルートで清楽月琴が流行る以前の「月琴」には,長棹のものも含まれていたことは間違いないようです。


 さて製作です。

 裏板がついて胴体が箱になりました----まあ,エレキ仕様なんで穴だらけですけどね(w)
 まずは周縁を削ってキレイにしましょう。

 裏蓋のふちも,テープで蓋を仮止めして,いっしょに削ってしまいます。
 表板は厚みを落としましたが,裏板はそのままでいきますよ。

 次にやることは棹孔の補強。
 側面の材エコウッドの原材料はスプルース。ギターの表板なんかに使われる木ですので,音響特性とかは問題ないものの針葉樹材です。内部に1センチちょい厚みのあるネックブロックが付けられていますので,強度的な面では問題がないんですが。表裏板の桐と同じで表面が柔らかめなので,糸を張り続けてると接合面が圧縮されて棹が微妙に傾く可能性も考えられます。

 棹孔の周りにブナの突板を貼りました。

 そういえば同じ工作----以前,ウサ琴シリーズでもやったことがありましたね,なつかしい。
 あの時の製作実験は,同一の胴体に対して複数の違う種類で作られた棹を挿し,その音質等の変化を探るというもの。一つの胴体で何度も棹を抜いたり挿したりする必要があったので,棹孔のまわりを補強したのでした。
 同じような補強工作は,ベトナムの長棹月琴でも見られます。あちらは台湾月琴よりもさらに棹が長いですからね。ここにかかる弦圧もけっこうなものだからでしょう。

 ほぼ同時の作業として棹の染めも開始。
 まずは赤染め。

 いつものようにスオウを刷いてミョウバン媒染----なんですが。
 今回は棹本体が米ツガ。
 染まり自体は悪くないんですが,染めの作業による退けがすごくて…染液塗ってから乾かすと,せっかくツルツルにした表面がでっこぼこになってしまいます。
 これを防止するため,ニ三度下染めをしたところで,サンディング・シーラーを塗って磨き,染液の吸いを抑制しました。

 シーラー塗ってもちゃんと染まりますからね。
 もちろん,塗る前より染液の浸透は悪くなりますが,これで表面の退けもほとんどなくなりました。
 これで,たださえ細い棹を,色付けのためにさらに削るようなことは避けられたわけです。

 胴のほうも----側面はスプルースですからね。
 同じような加工が必要でしょう。
 こちらはもう染める前にシーラーを塗布しちゃいました。

 今回はいつものウサ琴シリーズのように竜骨(内部から側面形状を支える構造)を仕込んでいないので,染めの作業で胴側が歪んだりしたらタイヘンですし。

 さて,棹も胴もまっかっか。
 剣をとっては日本一か,3倍速い赤い人のザクのようになりました。
 このままでも悪くはないのですが,今回はこれを----


 ----黒く塗れ!


(つづく)


楽器製作・名前はまだない(4)

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斗酒庵ひさびさの製作 の巻2019.10~ 楽器製作・名前はまだない(4)

STEP4 裏(板)に命を賭ける男

 そもそも,唐代の古い「阮咸」は,四川省の墓地から出土した青銅で出来た楽器を木で作り直したもの,とされています----

 もちろん晋の時代の音楽家である阮咸が弾いていた楽器というのはこじつけですし,だいたいが四川省に阮咸さんが行って弾いていたわけも証拠もありません。それ以前にあった「秦漢子」という似た楽器がこれと同じものだ,という説もずいぶんと見るのですが,肝心の「秦漢子」という楽器自体がどういうものであったのか,の部分が,たいへんアヤフヤで話にもなりません。

 中国の西南地方などで阮咸に似た,長い棹で丸い胴で4本弦の楽器が古い壁画になっていたり,古いお墓の装飾レンガに刻まれているのが見つかったりしていますから,四川省をふくむそうした地方にそういう楽器が古くから存在していたことは確かだろうとは思いますが,いまのところそうした古い楽器の実物そのものが,スッポンと遺跡から出土してきてもいませんし,絵や模様からだけではもちろん,その詳細は分かっていません。

 たとえばそれが琵琶や阮咸のように 「4単弦」 の楽器であったのか。
 あるいは清楽月琴や八角胴の「阮咸」(双清)のように 「4弦2コース」 の複弦楽器であったのかさえもです。

 いまたとえば,唐の時代にあったように,どこかのお墓から大昔の楽器を模した祭器が出てきたとしましょう。

 史書には「青銅で出来た楽器」というようには書かれていますが,それが演奏可能なものであったとか,誰かが弾いてみた,とは書かれていません。
 そもそもお墓にお供えされた副葬品ですからね----しょせんは装飾品です。 細かな形状も弦やフレットの配置も,どこまで正確であったかは疑問です。

 実際に演奏可能な楽器を,そういうモノから復元製作するとしたら。

 そうした 「分からない部分」 は,自分たちの身近にある少しでも似たような楽器を参考にするしかないでしょう。

 『唐書』などにあるように,墓地から出た祭器を木で作り直した,というお話しが本当なら,同時代に流行っていた同じ4弦の楽器である琵琶や,まだ当時はどこかに残っていたかもしれない「秦琵琶」「秦漢子」に倣った弦やフレット,そしてチューニングが参考にされただろうと思います。

 以前あげた「月琴の起源について」のシリーズで庵主は,この壁画やレンガ,そして唐の時代にお墓から出てきたものの 「モデルとなった古い楽器」 を 「原阮(げんげん)」 と名付け,それを唐宋の阮咸や短い棹の月琴の共通の祖先としました。

 「原阮」 は,西アジア起源のリュート属の楽器とは別に,いまも東南アジアから中国西南部にかけて広く分布している,原始的な弦楽器の一つだったと思われます。2本の糸を間4度もしくは5度に張って,かき鳴らす----弓の弦を弾いたり擦ったりして音を出す「楽弓」の,ちょっと先くらいのものですね。音数は少なく,それ自体単体で音楽をなす,というよりは,歌に合わせたり複数で合奏したりするのに使う伴奏楽器だったと思いますね。

 そうした「原阮」を青銅で模した祭器をモデルに,分からない部分を琵琶の構造や調弦で補したのが唐宋の(正倉院の)「阮咸」という楽器だということです。
 いまある円胴で長い棹の「月琴」は,唐宋の「阮咸」よりはむしろ,そのモデルとなったであろう「原阮」の仲間に近く,短い棹の月琴はそれがおそらく中国の西南地方あたりでショートスケール化したものと思われます。
 いうなれば,現行の長い棹・短い棹の「月琴」の祖先は正倉院にある「阮咸」ではなく,その 「元となった楽器」 である----すなわち,先祖が同じという意味では親戚の関係にはあるものの,阮咸=月琴はあくまでもその外形をのみ真似たもので,現行の長い棹・短い棹の「月琴」と楽器としての直接的な因果関係はない,ということですな。


 さて製作です。

 最初のウサ琴を作った時もそうだったんですが,この楽器をエレキ化する上でのネックの一つが,表裏板が「桐」であることでした。
 月琴の表裏板の厚みは3~5ミリ。
 軽くて柔らかい桐でも,これだけ厚みがあるとまあ,赤ちゃんパンチで穴があくことはないですが,表面がいささか柔らかすぎるんですね。
 通常はクギやネジが使えない材料で,ノブやジャック部分のように動かしたり抜き差ししたりと言う動作にもあまり強くはありません----穴が広がって,すぐ取付けがユルくなっちゃったりしますね。

 カメ琴2号ではスピーカーやスイッチ等の取付け部分の裏に黒檀の薄い板を貼り,実質この板に取付けることで表面の桐板には力がかからないよにしましたし,カメ琴1号にスピーカーユニットを増設した時には,板の裏がわにブナのツキ板を貼り回して強化しました。

 今回はまた違う方法を験してみましょう。

 取付け孔のふちとその板裏の周縁を中心に,エタノールで緩めたエポキを塗布します。

 桐は多孔質なので滲みこみがいい----という性質を逆手にとって,この部分を樹脂浸透の強化木化してしまおうというわけです。

 この夏,江別の博物館で,戦中に作ってた 木製戦闘機キー106 の展示見てて思いついたんですな。

 キー106と言っても,主翼の一部とか増槽,骨組みに刻む前の強化木の板材とかタイヤしか残ってないんですが,男の子なのと初期航空マニアなので,それだけでもずいぶん血沸き肉躍りましたわあ。

----まあそれはともかく(w)

 この方法なら強度の必要な部分だけピンポイントで補強できますし,板自体は材として完全に連続している上に,余計な板を貼りつけるわけでもないので,音への影響をかなり軽減できるかとも思います。

 さてお次です。

 修理もメンテナンスもしないつもりなら,回路を組み込んでから裏板でフタしちゃえばいいんですが,楽器と言うものは常にメンテナンスの必要な道具です。エレキ楽器というもの,しょっちゅう開けたり閉めたりすることはないものの,なにかあったときのために,いつでも内部にアクセスできる環境がないといけません。
 表板は共鳴板ですので,こちらはなるべく一枚板であってほしいわけですから,当然メンテ孔は裏板がわにするのがふつうでしょう。

 この後の作業の便で,八角形に切った裏板の一部を切りぬいて,蓋になる部分を作ります。

 前回書いたように,この蓋の部分に電源となる9V電池と,アンプの回路が取付けられます。回路のほうは楽器自体がもうちょっと組み上がらないと正確な位置が決まらないんですが,電池のほうはもうだいたい決まってますので,裏蓋の一部に四角い穴を切って,先に電池ボックスを作っておきます。

 表裏板の端材を刻んで組んでっと…あとで組み付けながら切り刻むので,ちょっと大きめに作りました。
 最終的には縦横半分ぐらいになっちゃいましたね(w)

 この電池穴の表面周縁には後で薄板を一枚貼り回すことにしています。電池のお尻部分が2~3ミリ隠れるくらいの感じですね。電池は指で少し押し上げ,頭のほうを楽器内部がわに傾けると,お尻のほうが上ってきてつまめるようになります。

 通常,箱電池1本で2~3時間は保ちますから,オールナイトライブでもない限り,そんなにしょっちゅう交換することはないとは思いますがね。

 ウサ琴1号の時,ちょっと苦労したのがこの裏蓋でした。

 ウサ琴1号も今回の楽器と同じく,胴体が箱のフルアコエレキ楽器でしたが,弦を鳴らすと裏蓋のあたりから強烈なビビリ音が……原因は裏蓋と裏板の接合部の工作でした。
 裏板と裏蓋の間にスキマがあると,それは裏板にヒビが入ってるのと同じ状態になり,それを中心として変な振動が発生しちゃうんですね。

 裏板と裏蓋の接合は,スキマなくピッタリキッチリ,これ理想----

 宮大工級の腕前ならまあそういう工作も可能でしょうが,こちとら凡夫の身(w)でごぜえやす。さらにこの裏板と裏蓋の接合部である木口の部分は,脱着する部分であるゆえに補強もしなくちゃなりません。さっきも書いたとおり,しょっちゅう開けたり閉めたりする部分ではありませんが,動作には必ず危険が伴います。木材の木口部分というのは縦方向の圧力に関してはでえらー強いのですが,その他の方向からだとけっこう容易く欠けたり割れたりしちゃうとこですからね。

 カメ2号の時には,木口の接触する部分に突板を貼って補強しました。洋楽器の製作者なら,唐木かプラスティックの薄板を貼り回してバインディングで保護するところかな?
 さて,凡夫は凡夫なりに,さらなる最善の方法を模索することとしましょう。
 目的は板木口の補強と,その接合の精度をあげること----この二つをまとめて一度でやれれば,ムフフのワハハですわな。(これをこれ不捕狸算用皮といふ)

 まずは蓋部分の板の木口にラップをかけます。
 次に裏板本体を板に固定----台板も表面をラップで覆っておきますね。
 続いて,裏板の裏蓋と接触する部分に,木粉をエポキで溶いたパテを盛りつけ。
 木口をラップでマスキングした裏板を当てがって,ギュギュっとな----

 一晩おくと…何ということでしょう!

 裏板の木口が薄い樹脂の層でキレイにコーティングされているではないですか!
 さてさて,パテがじゅうぶんに固まったところでハミ出した部分を削り落とし,こんどは裏板がわの木口をラッピング。

 裏蓋のほうの木口にパテを盛って,もう一回ギュギュッと----

 あらかじめ木口にエタノールを滲ませてからやってるので,樹脂の層は一部木口にしみこみ,ほぼ一体化しております。これならプラのバインディング材みたいにハガれることもありませんし,合わせ目のスキマを充填しているようなものなので,接合部はまさしく「寸分の狂いもなく」ピッタリキッチリ合わさっておりまする。

 今回は木粉でやりましたが,この方法。
 骨材をたとえば胡粉(貝殻の粉)とか砥粉(石の粉)にするとか,アクリル絵の具を混ぜるとか工夫すれば,さまざまな素材や色にすることが可能ですねえ。
 新しいバインディングの方法としては,ちょっと興味深い。

 難点と言えば,今回はもともと合わさるようになってる裏板と裏蓋という関係ですし,作業範囲もそれほど大きくないからいいんですが。たとえばこれをギターなどに応用したいと思うなら,胴やネックに合わせた外枠か,最低でも部分枠のようなものが必要になるわけですね----ふむ,それはそれでけっこうタイヘンですな。

 裏蓋の問題が片付きましたので,裏板を接着します。
 ----と,その前に。

 これは仕込んでおきましょう。

 唐宋の阮咸はもちろん,台湾やベトナムの長棹月琴にも付いてませんが,日本の清楽器の阮咸には付いてますね----

 響き線をつけます。

 胴の片がわに回路やスピーカーが入りますので,直線や曲線では長さが限られ,効果が期待できません。そこで今回の響き線は渦巻型,直径約75ミリ。
 「目指せ,カルマン渦!」 を合言葉に,指にマメを作りながら3時間ほどかけてみっちり巻き上げました。まあ,けっきょく焼き入れで少し歪んじゃいましたけどね。

 取付け部を中央にしたところ,そこまでのアーム部分がちょいと長すぎて振れ幅が大きくなり,反応はきわめて良いものの,線が胴内に触れてのノイズ(胴鳴り)がヒドくなってしまったので,急遽,桁の音孔の中央に支えを作りました----うむ,最初からここを基部にすれば良かったか。(泣)

 改造後の反応は上々。
 胴鳴りはかなり抑制されましたし,板をタップした時の余韻の雑味も薄れました。

 響き線が片付いたところで裏板を接着,いよいよ胴体が箱になります!

 といったあたりで,次回をごろうじろ!!----

(つづく)


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