明笛について(26) 明笛49号/50号(2)
明笛について(26) 明笛49号/50号(2) STEP2 明笛50号 49号に遅れることわずか1日。 50号が到着いたしました。 「HEIWA」 の明笛ですね。 いままで見たことのあるラベルでは 「平和」 のところが英文字で 「HEIWA」 になっていました。 漢字表記になってるのを見たのは,今回がハジメテです。 どちらのラベルでも 「平和」 の字の上には,丸がいっぱい重なりながら横に並んでる真ん中に,平和の象徴である鳩。下には 「MANUFACTURED BY G.Y.」 と 「TOKYO, JAPAN,」 と書かれています。さらに下には 「No.」「¥」とたぶん笛の番手とか号数,値段を書き込むと思われる白枠がありますが,この中に何か書かれてた例はいまのところ見たことがありませんねえ。 比較的よく見かけるメーカーの笛なんですが,いままで製造元の身元は分かりませんでした。 今回,笛の実物が手に入ったので,一丁調べてみることといたします! ラベルに書かれているとおりなら,「MANUFACTURED BY G.Y.」 ということは作者のイニシャルは G.Y.…「TOKYO, JAPAN,」 ということは東京の作家さん,ということですね----この条件で拙「楽器商リスト」を調べてみると,大14年発行の『職業別電話名簿』(東京之部)に 「笛製作業 浅,北元,4 吉田源吉」 というヒトが見つかりました。 GENKICHI YOSHIDA----頭文字は G.Y.ですね。で,東京の浅草で,笛屋と。 …うむ,いちおう条件はぴったりですね。 ただ頭文字 G.Y. で笛屋,というだけなら他にもいるかもせんので,確証を得るためこのヒトについてさらに探ってゆくと,電話帳では 「笛製作業」 となっていましたがこの方,初期の国産ヴァイオリン製作者の一人でもあるということが判明しました。同じ浅草の山田楽器・山田縫三郎も,月琴や明笛のほかヴァイオリンなんかも作ってましたからね。この頃の楽器屋ではよくあったことなのかしらん。 そしてさらにさらに探っていったところ,いま話に出てきた 「山田縫三郎」 とこの吉田源吉さん,二人そろって明治11(1922)年に開催された 「平和記念東京博覧会」 に,その 「ヴァイオリン」 を出品していることが判明!!----っと…「平和記念」? 「平和」 …ですかい? もしやと思い,もいちどラベルに立ち戻ってみます。 過去に見た,別バージョンのラベルの画像をちょー拡大したところ,鳩の後ろに 「平和博覧会 大正十一年」 と書いてあるじゃああーりませんか!! 鳩のバックの丸いのは,どうやら博覧会のメダルだったようです。 博覧会のメダルを商品のラベルの意匠として使うのは,このころ楽器のみならず日用品や食品でもよくあったこと。石田義雄や田島勝も楽器の背に貼りつけてましたね。 お祭りみたいなものとはいえ,もちろん何の係累もないのに博覧会を引き合いに出すわけにもいかないでしょうから,少なくとも,この笛の作者は 「平和記念東京博覧会」に楽器を出品して,何らかのメダルをもらい,その記念に,作ってた笛を「平和」と名付けたのでは,ということになりましょう。 平和記念博覧会の受賞者とその詳細については,一覧が Web公開されていないのでまだハッキリと分からないのですが,さっきも書いたよう,審査記録などからかの 「吉田源吉」さん が,明笛はともかく「ヴァイオリン」を出品していたことはほぼ間違いありません。 後に「吉田源吉」さん作のヴァイオリンのラベルの画像を見つけたので見てみると,そこにはなんと,明笛のラベルにあるのとほぼ同じデザインの,鳩と重なった丸の絵が………明笛のラベルではかなり省略されてたようですが鳩の左右に並ぶこの丸いもの,もともとは一枚一枚,作者が出品した色んな博覧会や共進会のメダルの図像だったようですね。 以上の事から,明笛「HEIWA」の作者「G.Y.」は「吉田源吉」でまあ間違いない,とは思われますが,さて----まだいくつか決定的な証拠が足りませんので,とりあえずは推測,としておきましょう。
ちなみに…ではありますが,平和記念東京博覧会の審査員サマは吉田源吉氏のヴァイオリンについては, 「 f 孔デカすぎ!音粗ぇ!」 との評価を下しております。
山田縫三郎の楽器なんか 「外面がキレイなだけじゃ」 とバッサリですのでまあ,それよりは…って感じですが。(www) まだ当時は国産でのヴァイオリン製造の初期も初期段階なれども,鈴木政吉のヴァイオリン以外はほぼボロクソでございました。 大正時代のドレミ明笛です。 「平和記念博覧会」の開催が大正11(1922)年ですから,作られたのはもちろんそれより後ということになりますね。 月琴をはじめとする明清楽の楽器の多くは,日清戦争(1894)以降明治の終わりくらいにはもうほとんど作られなくなっていたんですが,「明笛」だけはずっと生き残り,大正・昭和,そして現在もなお細々とながらも製造され続けているんです。 明治時代の明笛ですと,頭尾には骨や象牙あるいは黒檀紫檀などの唐木で作られたラッパ状の飾りが付いてますが,このころになるとこういう木製のちゃッちい挽物のほうが多くなってきます----材質が一般的な木を使ってるのはともかく,もう唐木っぽく染めたりもしてませんし分解できるような機構もありません。このお飾りで黒や白に塗られてるところには,ほんらい骨や牛の角などを加工したリングがはまってたりもしたものですが,もうコレ,旋盤でちョちょイと削って近代的な塗料でべったら塗りですわあ。 これは明笛というものが,明清楽の楽器から子供などのための教育玩具的楽器となっていったせいもありましょうね。 6孔,全閉鎖がドで,基本的には端から指を開けていけば西洋音階になるという演奏の単純さと,日本の笛とはちょっと違った音質,そして値段の安さというあたりが売りだったみたいです。子供むけの安価な楽器,ということで価格競争みたいなものもあったようで,大手のものほど形も作りもどんどん単純化されていきました。いままで扱った中だと…19号 なんかがそうした類ですね。 現在売られているものと比べると,今回の楽器のはそれでもまだ清楽時代の明笛のお飾りの形をそのままかなり踏襲してる感じではありますね。 続いてその他の部分を見てゆきましょう---- ははははは。 いちおう継いでありますが----派手に割れてますねえ,そして誰ぞが 「修理」 してますねえ。 しかも木工ボンド使いやがったな,ケツ割るぞコラ。(笑っているが目がマジ) 唄口上下から最下の管尾飾りの前まで,すべての孔間がバッキリ逝っちゃってるみたいですね。 このほか裏孔ところにも一箇所。 あちこちに糸か何かで巻き締めていた痕跡があります。 かなり容赦なく締め上げたようで,ちょっと横縞の傷になっちゃってるとこもありますね。 古い補修の痕なのか,ボンドで接着するときの固定痕なのかはちょいと不明。おそらくは後者でしょう。 損傷状況をまとめるとこんな感じ---- ううむ……「平和」の明笛,戦線はけっこうな激闘となるもよう。 (つづく)
|