ぼたんちゃん再々/鶴寿堂4/月琴62号 (1)
![]() STEP1 ひさしぶりにきた!! ![]() ひさしぶりの依頼修理,そして自出し月琴です。 まず最初に到着したのは依頼修理の楽器。 半月がはずれたぼたんちゃんといっしょでした。 ぼたんちゃんの作者はお江戸日本橋の老舗・唐木屋。 うちで扱った自出し月琴18号と同じメーカー,ほぼ同じ意匠の楽器で,2014年にはじめて修理し,一昨年には棹が根元からボッキリ逝っちゃう大怪我からも回復。 運の強い子ですね。 さいしょの修理時,半月にはネズミの食害による欠損があったものの,取付そのものには異常がなかったためそのままに。前回の修理時にもここには手をつけませんでしたが,さすがにいつしか劣化してたみたいですね。 月琴はだいたいにおいて糸張りっぱなしで大丈夫な楽器ですが,そのテールピースはフレットや山口同様,表面板にニカワでへっつけてあるだけですので,たまさかこうやってふッとんじゃうことがあります。 そのせいか,古物ではこの部品がなくなってる楽器もよく見かけますね。 月琴という楽器は弦も短く,そのテンションも弦楽器としては低いほうです。 ですので,たとえば異常に強いテンションで弦を張ってみた,とか,知らないで中国月琴の金属弦やギターのナイロン弦みたいなのを思いっきり張っちゃった,というように,ムリクリ強い力でひっぺがされたケースでなく,通常の状態でトンだ場合は,下地の板に損傷がなければニカワつけて貼り直せばいいだけです。 基本的にはフレットポロリの大物程度の故障なので,元の位置に貼り直せば良いだけではありますが,いちおう計測もしておきましょう。棹から糸を引いて,中心線と左右のバランスを確認………… ![]() ![]() …………ズレてますね,右に約3ミリ。(^_^;) ![]() ![]() 山口の糸溝の切りかたなどで修正可能な許容範囲ではありますが,せっかくなので正確な位置に付けなおしておきましょう。 流行期の量産楽器にはままあることです気にしない気にしない。(怒) なんども確認しながらマスキングテープなどで印をつけ,接着中にズレないように数箇所当て木を噛ませてからクランプかけて圧着します。 ![]() バチ布もいちどハガし,裏打ちをし直しました。 今回は柿渋も染ませてあるので,使ってゆくうちにいい感じに色変わってゆくと思いますよ。 あとは前回の大手術の後,一年ちょっとたってますから,補修部分の木が縮んだんでしょうねえ----棹の取付けが少し甘くなってました。 棹基部にスペーサを噛ましてキッチリスルピタに。この影響で3~4フレットに少しビビりが出ましたので,再度調整して修理完了です。 何度か書いてますが,こういう「死線をくぐりぬけた」楽器は良く鳴ります。 まあ修理者としましてはもちろん,どの楽器も事故なくブジに使われ続けてほしい,とは願うのですが。(w) ぼたんちゃんも前に比べると,音の胴体が少し太くなったというか,音がはっきりくっきりしてきた感じがしますね。 これからも大事に弾いてやってください。 さてもう一面。 今回はこちらがメインですか。 ![]() 事前にどんな楽器だか,誰が作者だかは知らされてなかったんですが。 箱から出してこの棹を見ただけで,庵主には作者が分かっちゃいました。 鶴の頸のように美しいカーブを描く棹。 名古屋の「鶴屋」林治兵衛, 「鶴寿堂」の楽器ですね。 ![]() 胴体を出して裏返すと----ほらね。 「鶴寿堂」のラベルがばっちり貼られてました。 ああ,そういやこのオーナーさんの楽器,ぼたんちゃんもこれも,どっちも「林さん」の楽器だ。(w) 唐木屋の旦那も「林才平」って名前でしたね。 江戸時代から名古屋は芸事が盛んで,木材の流通・集積地が比較的近いこともあって,京都・大阪・東京に次いで腕のいい楽器屋がけっこう育っておりました。この鶴屋の月琴は,姿も良いし性能もけっこうなものなので人気だったのか,名古屋の作家さんの中では一番よく見かける楽器ですね。 今回の楽器も,いい保存状態です。 糸巻が1本なくなってますが,表裏の板も白く,ラベルも欠けなく残ってて,ほぼ「新品同様」といって良い状態です。 関西方面の楽器でよく使われるカヤを主材に,カリンを側板に貼り回してます。特徴的な棹背のカーブは言わずもがな,薄い糸倉も指板左右の微妙なラインも美しい。 鶴寿堂はこういう木の仕事が素晴らしいんですが………アレさえなけりゃなあ。(w) ![]() 古物としてはじつにキレイな状態ではあるのですが…… 庵主の危惧するこの作者特有の「アレ」の片鱗が,楽器のあちこちにすでに見て取れます。ココとか……ココとか。 ![]() ![]() と,ひさびさに出会った鶴寿堂に見惚れているうち,もう一面の月琴がとどきました。 こちらはわたしが自腹で買いこんだいわゆる「自出し月琴」。 62面めなので「62号」となります。 ![]() うわあぁあ……きちゃない。(^_^;) 棹といい胴体といい,真っ黒ですわあ。 作者は清琴斎二記・山田縫三郎。 「二記」というのは「二代目」という意味ですね。初代は頼母木源七という人で,縫三郎はその弟子となり,蔵前片町にあった楽器工房をそのまま引き継いだようです。 二人とも清楽器のみならず,鈴木政吉が台頭してくる以前からヴァイオリンなどの洋楽器も手掛けていたようで,日本における初期の国産ヴァイオリン製作者の一人としても名が挙がっています。ちょっと前に修理した明笛50号の作者・吉田源吉なんかもヴァイオリンを作っており,縫三郎とともに博覧会に出品してましたね。 ただしヴァイオリン作家としてのウデマエはまあたいしたものじゃなかったようで,博覧会の寸評でも「ガワだけじゃ,音はぜんぜんダメ。」みたいなこと書かれてます。(w) しかし蔵前片町の楽器店は,この山田縫三郎の代で成長を続け,清楽器が廃れてから後も,尺八やお箏,吹風琴といった新楽器も含め和洋限らず手広く扱うちょっとした大店になっていたようです。また同じ苗字の関係でしょうか,山田流のお箏の組合の関係者だったみたいで,以前偶然行った葛飾区のお寺さんにあった山田検校の碑に名前を見つけ,びっくらこいたことがあります。三味線の石村近江の顕彰碑だかにも出てたかもせん。一時は東京の楽器商組合の理事みたいなとこまでのぼりつめてたみたいですね。 これもまた偶然ですが,今回の依頼修理の楽器の作者,鶴寿堂・林治兵衛と清琴斎・山田縫三郎のプロフィールについては,以前---- 月琴の製作者について(3) という記事でもいっしょに取り上げてますので,興味があるかたはそちらもどうぞ。 さて,楽器に戻ります。 ![]() はじめに書いたとおり全身真っ黒ですねえ。 糸巻全損,棹頭についてる蓮頭もなくなってますが,胴体は比較的健全。一箇所接合部に割レ,板2箇所にヒビ割れは見えるものの,板のハガレはなく,構造は今もなおしっかりとしています。 ![]() ![]() ラベルに第5回内国勧業博覧会(明36=1903)のメダルが見えるので,それ以降の製造ってことですね。 過去に扱った楽器では,23年の第3回勧業博覧会のメダルだけのラベルも確認されています。そこからすると清琴斎山田の月琴・後期型----ってとこかな(w) ヴァイオリンなども手掛けていたせいか,山田縫三郎の楽器では,その加工にボール盤やジグソーのような近代的な動力工具が使われていたらしく,同じような楽器でも,ほかの作家の同等品に比べると,抜群に工作の精度が高いんですね。 まあ基本数打ちの量産品なので,楽器としては中の上を越えることはめったにありませんが,工作が良く,部品同士がしっかりと噛合っているため,堅牢で壊れにくく,今もなおけっこうな数が残っております。 ![]() ![]() さて,新品同様の鶴寿堂と,真っ黒くろな清琴斎。 キレイな楽器ときちゃない楽器がいっしょに来た場合,修理で苦労するのはどちらの楽器か? いままでの経験から,庵主は知ってます。 キレイなバラにはトゲがある。 今回もたぶん----真っ黒くろな清琴斎より,新品同様の鶴寿堂のほうが,タイヘンなんだろうなあ。(^_^;) (つづく)
|