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鶴寿堂4(5)

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斗酒庵春にさかる の巻2020.3~ 鶴寿堂4(5)

STEP5 昼間助けていただいたツルですと手で片目を隠しながら厨二病の彼氏は言った。


 依頼修理の鶴寿堂4----

 古物としては新品同様,使用痕ほとんどなし,欠損部品少なしの優良物件ですが。長年の未使用放置と,原作者の月琴製作者特有の厨二病的シワザの数々のあいまって,思いのほか作業が滞っております。

 とくに後者,いろんなところで細かく細かく入れてきやがりますねえ。(w)

 前回,さて胴体はなんとかなりそう,では棹のフィッティングだ!……と意気込んだとたん発覚した棹の歪み。
 詳しく測ってゆきますと,基部における指板の水平面を基準とした時,指板の右がわが上端から第1フレットの上くらいまで左回転でややねじれ,持ちあがっている状態。

 同時修理の64号不識も同じように指板部分の先端が持ち上がっていましたが,あちらの原因は材料とした木材自体の変形,こちらは糸倉先端側と棹基部がわの二方向から工作を進めたことにちなむ工作不良と考えられます。
 そもそも,これが同じような素材の狂いから生じたねじれだったら,へっついてる,さなだきに薄い唐木の指板がタダでは済まないハズですからね。

 原則的には糸倉左右の垂直面と指板の水平面は90度の関係になってなきゃならないわけですが,どっちかを調整してるうちにズレちゃったんでしょう。
 この場合,糸倉は多少ならどちらかに傾いていても,さほどの支障にはならないので,とにかく指板面を面一で水平にしてくれれば問題は起きなかったんですが,鶴寿堂----

 間をなだらかに削って誤魔化しやがったようです(怒)

 ううむ,ある意味なんと大胆な工作。

 とはいえ弦楽器の常識として,ネックがねじれたままではハナシになりません。
 とりま指板をハガして,指板面を削り直しましょう。

 指板は薄くはありますが滲みこみの悪いカリン。
 濡らした脱脂綿で全面を覆い,ラップでくるんで約1日----

 ハガれた痕を刃物でこそげば…うわあぁあ…なんという量のニカワ。
 たかだかこの面積にこの量,いくらなんでも盛りすぎです。

 さらにこの板,加工がヒドすぎます。
 表面はキレイですが,裏がこれでもかというくらいデコボコ。
 これじゃそりゃ,あれくらいニカワ盛ってスキマを充填しなきゃくつきませんわな。

 棹本体のほうにも少しエグレがありますね。
 どちらも木粉粘土で充填しておきます。
 翌日に軽く整形,上からエタノで緩めたエポキをたっぷり滲ませておきます。
 さらに翌日,硬化を確認してから整形。
 指板裏面の凸凹を均します。

 棹本体は指板の接着部分を擦り直し。時折山口を置いて具合を確かめながら水平面一に削ってゆきます。
 先端での傾きがなくなったところで指板を再接着。
 棹本体のカヤは針葉樹,材に微量の油分をふくんでいますので,いつもより少ししつこめにお湯をふくませてからニカワを塗布します----量は原作者の1/10も使いませんヨ!

 鶴寿堂の棹はいつも見惚れてしまうくらい美しいアールが棹背と左右についているのですが,この作業ではこれがかえってアダとなり,クランプなんかだとこの薄い板をうまく所定の位置に固定できませんので,まずマスキングテープを数箇所に巻いて軽く固定してから,ゴムテープを伸ばしながら巻き付け,しめあげます。最後にさらに輪ゴムをかけてがっちりと固定。
 指板は薄いですし,カヤ材もそんなに硬くはないので,テープや輪ゴムが直接触れないよう,細幅に切った桐板を噛ませてから固定しています。

 用心も兼ねて二日ばかり放置養生してから固定具をはずしました。

 さて,この指板は棹本体よりわずかに幅広に作られています。

 左右にハミ出てるぶんは1ミリ以下,指で触って感じる程度----ではありますが。
 とうぜん指板に合わせて,てっぺんにある山口も,ふくらの部分よりわずかにハミ出してるわけです。

 いちおう元のままに戻したんですが----庵主,考えても考えてもこの工作の意味が分かりません。
 たぶん原作者が 「せや!…誰もやってないしカッコヨカろう!」 くらいの思いつきでやった工作でしょう。なんにせえ,棹を握った時,この部分が手に妙に触ったり,あげようとした指がひっかかったりしてただただジャマなので,山口ともども棹幅ピッタリに削ってしまうことにします。

 これで山口が取付けられれば,胴体とのフィッティングに移れるのですが。
 指板面を均す際に削った影響で,山口の取付け部分が前より少し広くなっているのですね。
 山口を所定の場所に取付けると,指板との間に1ミリほどのスキマが出来てしまいます。

 山口取付けの前に,これを埋めるカリンの細板を接着しておきます。
 少し大きめにしておいて,後で実物合わせで削ってゆけばいいですね。

 修整の終わった棹を油拭き・ロウ磨きします。
 油切れで白茶けていたカヤが,しっとり色鮮やかに…波打っていた指板のカリンも鏡のような平面となり,ギラギラとした杢が浮かび上がりました。
 工作はアレでしたが,材質自体はかなり良いものだったみたいです。

 さてさて,これで棹は仕上がり,胴はとうに「桶」の状態。
 表板との接着,内桁の固定,側板接合部のスキマ埋めや補強も終わっておりますが,なかなか裏板を戻す段階にまでたどりつけません。
 その最大の理由が,例の「飾り板」です。

 棹の指板もそうでしたが,この飾り板もまた加工がヒドい。

 裏面はエグレだらけ,厚みも不均等。
 薄板とはいえ,この長さになれば均質な良い材料は入手しにくいというのは分からぁでもありませんが,それならそれでやっとくべき,貼りつける前の処理があまりにも雑でなっちょりません。

 そういう板をムリヤリ曲げて,大量のニカワで固めてへっつけてたものですから,剥離の際に割れる割れる----いくつものパーツになってしまったその薄板を,何日もかけて継ぎ直してゆきました。
 割れたところはカケラをつなげて継いでから裏に薄い和紙を貼りつけて補強,エグレ部分には木粉パテを充填。急に厚くなってるような部分は削り,急に薄くなってる部分は和紙で補強。それでもあっちを直せばこっちに問題が,こっちをなおせばあっちに問題が見つかる,ってなもんで……なんか,ちゃんと終わるのかなあコレ,って思っちゃうくらいの果てなき作業でございましたシクシク。

 もう途中で,いッそ新しいツキ板買ってこようかとも思ったんですが,ヒドいとはいえ時代を生き残ってきたオリジナルの部品。
 さらにソレすると修理代がぼひゅーんとハネあがっちゃうので,オイソレともイカず。
 継いではいで埋めて削って補強して……地道な作業を続けて半月,ようやくもとの1枚の板に!!

 接着の際,この飾り板をお湯で柔らかくしてやる必要があるんですが,すでにあちこち無尽に補修してるものですから----鍋にどぼんと漬けて煮込むといったわけにもまいりませんので,長い薄板の端から端まで,アツアツのお湯をふくませた脱脂綿を貼りつけ,ラップをかけてその代わりにします。

 胴体のほうの接着面は,接合部のスキマからあちこちのちょっとしたエグレや細かいキズまでとおに補修済です。
 胴体接着面に薄目に溶いたニカワをお湯と交互にムラなくたっぷり滲ませたら,薄板の片方の端を棹口のところに合わせてクランプで固定,脱脂綿をはぎとり,ニカワを刷きながら胴をぐるりと回します----まずこの時点で飾り板がどっか「バキッ!」とか「ビリッ!」とか逝ってないことに感謝一安心。

 もう片方の端を最初の端に重ねるようにして,別のクランプで固定。
 上から太い輪ゴムを2本かけ回し,棹口のクランプを抜いて,ゴムをしごきながら薄板を均等にしめあげます。

 そのまま二日ばかり固定。

 この楽器の製作当初,彼の手元に「輪ゴム」なんかなかったでしょうから,この作業も麻紐とか革紐でやったんだと思います。
 麻紐や革紐を濡らして周縁に巻,端を棒などで軽くひねって乾燥させれば,同じようなことは可能なのですが,ゴム輪と違って締め付けの力を均等にするのは難しく,その効力も時間によって変化してしまうため,現代,庵主がやってる方法のように,確実に接着することはかなりの難事です。
 層になるほどの大量のニカワでスキマを埋めていたせいもありますが,従前は棹口のところでぴったり合わさっていた端と端が,板が余ったせいで5ミリくらい重なっちゃってます。

 二日後,重なってる飾り板の端を切り落とし,重なってたことで接着されてない部分をも一度接着し直します。
 従前はあちこちでふくらみ,ハガれ,浮いていた飾り板ですが,今度はそういう箇所がほとんどありません----100年前は腕利きの林治兵衛より,さらに高度で繊細な技術を持ってないとできなかったようなことが,輪ゴムというありふれた,一般的なモノのおかげで毛素人レベルの庵主でもできちゃってるんですからね。この重なった飾り板の5ミリこそが,林治兵衛と庵主の間の100年の時間の差,みたいなもんです。

 棹口の部分を切り直し,オープンバックの状態で棹のフィッティングを済ませたら,いよいよ裏板を貼りつけ,胴体を箱にしましょう!

 最初のほうで書いたように,この楽器の胴は内桁の加工によって,浅いアーチトップ・ラウンドバックとなるようになっています。
 平らなものに平らな板を貼り直すのは簡単ですが,平面の板を曲面に貼り直すのは難しい。
 さらには側面に飾り板を貼り回してることもあって,オリジナルの板をなるべく損傷少なくもどすためには,いつもより高い精度の作業が必要となっています。

 ここでようやく役に立つのが,修理の最初のほう,板をハガす前にあけておいた小さな孔です。
 まず裏板を2枚に分割します----ま「元に戻す」と言ったところで「無傷」で,ってわけにはいきやせんやね。
 裏板ウラにも墨書がありますんで,なるべくそれにかからないようなあたりでスパンと切り分けました。
 次に,胴の小孔に細く裂いた竹をつきたてます。これが板を原位置に近くもどすためのガイドになります。
 竹のガイドを頼りに板をもどすと……うん,左右小板の間に約2ミリのスキマが出来ました。飾り板は従前よりピッタリ胴材に貼りついてますので,胴の全周はいくぶん小さくなっています。ぐるりと回してみましたが,この状態で板縁が余っても,足りなくなってるような箇所はほとんどありません。

 確認したところで接着面を濡らし,ニカワを刷いて接着に入ります。
 いつもの道具----ウサ琴の胴整形用の外枠だった板クランプ,ひさびさの登場です。
 ガイドを使って板を所定の位置に戻し,ズレないようテープで固定してから,ガイドの竹クギ抜き取り,板ではさんでしめあげます。

 ううううう,長かった……長かったよぅ。ようやくここまで…

 一晩おいて接着を確認したら,スキマに埋め木をしてまた一晩。
 翌日整形……ああ,これでほぼ2ヶ月ぶりに,胴体が箱になりました。

 この楽器はおそらく,林治兵衛の 「若作り」 の一つなんでしょうねえ。
 ああいえ,林治兵衛サンがこの時点で何歳だったかは知りませんが,べつだん実年齢には関係なく,月琴というものを作り始めてから,それほどは経っていない頃。しかしそれなりの数をこなしたころなのでしょう----

 月琴製作者の多くは「月琴」という楽器についてそれほど知識のないまま,「流行=作れば売れる」 くらいの思いつきではじめています。
 石田義雄のように,はじめから清楽に関わりがある者だとあまり余計なことはしないのですが,そうでない連中は,あるていど作っているうちに 「ここ,こうしたらもっとヨクなんじゃね?」 とか 「こうすればもっとカッコいいべさ!」 というようなことをはじめちゃうんですね。まさしくこれが,そう。
 たぶん,この楽器と同時期に作られた 「黒歴史的楽器」 が,あと4面くらいはあると思いますね。そして,いままで扱った楽器から考えて,この前に作られた楽器にもこの後に作られた楽器にも,この楽器のような奇をてらった変な工作はない(w)のじゃないかと。

 細すぎる糸巻,意味不明にハミでた指板,厚すぎるアーチトップ----どれも簡言すれば「やってみた」けど,けっきょくたいした役にはたってない工作です。

 「誰もやってない」 のは 「誰も思いつかなかった」 からとは限りません。

 誰もトンカチにラジオの機能を付けないように,楽器のような「道具」では,周りを見回して「誰もやってない」事には,「誰もやらない」だけの経験的理由があることのほうが多いわけですね----曰く 「無効」 と言い 「無駄」 と言う理由が。

 まあそれでもついそういうことをしちゃうのは。
 漢がみんな厨二病であるから,と言えなくもありませんが。(w)


(つづく)


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