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月琴63号唐木屋(5)

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斗酒庵夏にもさかる の巻2020.3~ 月琴63号 (5)

STEP8 劇場版 カラキヤ オールスターズメモリーズ


 63号を作った本石町の「唐木屋」さん,ですが。
 明治・大正時代の資料ではその創業は 「元禄二年」 と書かれておるものの,江戸時代の資料をいくらめくっても,「唐木屋」という楽器店は見つかりません。それもそのはず----そのころの「唐木屋」はまだ 「楽器屋」 じゃなかったんですね。
 『江戸買物独案内』(文政7)で「唐木屋」は「呉服」と「小間物諸色問屋」のところに出てきます。

 え,商売が違うのに同じ店かって?
 まあ住所が同じ(本石町二丁目)で商号が同じ(マル七),そして店主通称が「唐木屋」ですからね。
 まず間違いありません。
 お疑いならためしに,同じ本で商号「マル七」で「唐木屋」っていうお店,ほかにあるか探してみてください----庵主は見つけられませんでしたヨ。(w)

 この頃には呉服と小間物がメインになっていたようですが,その店名の通り「唐木屋」は,はじめ黒檀や紫檀といった輸入木,そしておそらくはそれを使った商品を扱っていた店であったようです。


 「唐木」は三味線など楽器の材料でもありますし,それを使った中国風の家具や道具は,月琴と関係の深い煎茶趣味でよく用いられるもの。また小間物商はお箏三味線の糸やらバチやらも扱っていることが多く,その伝手で楽器そのものの購入の仲立ちとかもしていました。どちらも直接ではないものの,もともと楽器と関連が深い業種ですね。

 唐木屋がいつごろから楽器を主力商品とするようになったのか,正確なところは分かりませんが,明治12年に出された『商業取組評』(明治12年)という本----お江戸の各分野のお店を相撲の番付っぽく仕立てたものですが----ここに載っている「三味線番付」で,唐木屋は日本橋本町の柏屋(石村)などとともに,すでに三味線屋の「勧進元」に挙げられています。

 東の大関が長谷川町山形屋の井出武四郎,うちの13号月琴作った西久保八幡の石村義治が西の大関で現役でしのぎをけずるなか。この時点でもう実際にお相撲取らなくても「じゅうぶん有名」なほどの「楽器の老舗」の一つとみなされていたわけですから,少なくとも幕末のころには楽器のほうにシフトしていたとは考えられます。


 ついで,明治13年に出された『東京商人録』。
 ここでは唐木屋の主人はまだ「七兵衛」ですが,当主は 「京都住宅に付」 き「藤兵衛・六兵衛」に店の支配人を任している,と付記がされています。

 大正5年,集古会発行の江戸時代の商標を集めた『紫草』に,唐木屋の三味線糸のラベルを取り上げて----

 唐木屋は,唐木と小間物を商ひて繁盛したる店なり。
 此唐木屋七兵衛は,元亀天正の昔,明智光秀に仕へたる入江長兵衛の末裔なり。
 長兵衛は山崎合戦破れし後,明智左馬頭と共に江州坂本に落ち延び,後ち弓矢を捨てヽ商人となり,徳川氏入国と共に通本石町に住したる旧家といへり。
 毎年此家にては,光秀の為めに仏事を営みて,其冥福を祈りしと伝え聞きたれど如何あらん尚可尋。
 此家明治に至りて退転せり。

----と,解説があるのですが,この最後にある 「此家明治に至りて退転せり」 というのが,『東京商人録』にいう七兵衛の 「京都住宅」 なのでありましょう。すなわちこの明治10年代初頭時点で,唐木屋七兵衛はおそらく実質隠居して江戸を去り,経営を次代に任せていたと考えられます。

 庵主の知る唐木屋主人「林才平」 という人物が,そうした唐木屋七兵衛の親族なのか,あるいは老舗の店をその商標ごと買っただけの赤の他人なのかは分かりませんが 庵主の作ってる「明治大正期楽器商リスト」で「林才平」の名がはじめて見つかるのは,いまのところここから10年ほどたった明治23年,『東京買物独案内』に 「唐木屋才平」 として出てくるのが最初です。

 その後の唐木屋は林才平のもとで,和楽器・清楽器だけでなくヴァイオリンなどの西洋楽器も扱う,総合的な楽器商として展開します。第二の転換点は大正9年

 この年の十月,唐木屋は 「株式会社唐木屋商店」 となりました。
 社長は「長坂悌助」となり,店主だった林才平は「専務取締役」に就任----こりゃ七兵衛さんの時と同じく,実質お店を譲って隠居…ってとこでしょうねえ。

 そしてこの時,監査役に就任したのが 「駒井慶輔」 という人物………

 唐木屋で駒井…ふむ,どっかで----あ,もしやこいつ!
 前々回書いた唐木屋における二人の月琴製作者のうちの一人,まさに63号の作者「唐木屋B」と目される,「漢樹堂駒井」その人かその関係者ではないでしょうか!!

 左画像はそのあたりの人事のわかる,『日本全国商工人名録』大正11年版です。(クリックで別窓拡大)


 世の中,いろんなところでいろんな事が深く静かに連動しているもので。

 大河ドラマでいま盛り上がってる明智光秀。
 その家臣の子孫が作った(のかもしれない)楽器が,ちょうどよく舞い込んでくるなんてね。(ww)

 それはともかく,このあたりの事情から唐木屋の月琴が,関東の楽器屋でありながら関西の松派に近いモノになっていたのか,おぼろげながら推察できるようになりました。店主の一家がほんとうに明智光秀遺臣の子孫であったかどうかは分かりませんが,隠居後,京都に引っ越すぐらいですから,少なくとも関西方面に一族の故地か拠点のようなものを有していたのでしょう。
 江戸時代は「下リもの」といって,関西方面から仕入れた商品が,関東地産のものより一段上に見られておりましたし,唐木屋の起点である唐木細工は大阪や京都がその中心ですから,仕入れにしても,雇い入れる使用人や職人にしても,そういう自前のネットワークがぞんぶんに使われていたのだと思います。
 さらに想像するなら,63号の作者と目される唐木屋B,こと漢樹堂駒井,彼もそうした縁故により関西方面から江戸に連れてこられた職人だったのかもしれません。
 京都麩屋町に駒井七兵衛という三味線なども手掛ける職人がおりまして,その一族に多く優秀な唐木細工師を輩出しております。もしかすると漢樹堂駒井もそこの出身者では----なんてことまで考えたりもしてみました。

 こういうことが不意打ちみたいに分かるので楽器屋探し,やめられませんね。
 ここまで,資料画像はすべて国会図書館のアーカイブからひっぱってきましたあ。



STEP9 スマイル・カラキヤ!

 さて,63号では唐木屋,修理ラストスパートとまいりましょう。
 胴が箱になったいま,あと残るのは各部の染め直しと組立てです。

 棹の染め直しは,胴体の補強が終わったあたりからすでにはじめていました。
 従前の状態では,握りの部分の染めはほぼ完全に落ちてしまっており,オリジナルの色は糸倉左右に残っている程度。
 この棹材のもともとの木色は灰緑色なので,この薄茶色も元の染め色が褪色した結果ですね。

 この棹の指板部分には紫檀の薄板が貼ってあります。
 ここは染めずに後で油拭きの上ラックニスで艶出しをしますので。まずは余計な汁がかからないよう,指板部にマスキングテープを貼ってから赤染めを開始します。

 上にも書いたとおり,褪色しているとはいえ表面に染めの若干残っている状態ですので,オリジナルの染め薬と反応し,いつものように鮮やかな真っ赤にはなりませんが,このくすんだ赤,色味的には糸倉基部などに残ってる下染めの色そのものですので,これはこれでよし。
 深みのあるダークレッドになったところで媒染して色止め,さらに上からオハグロをかけ全体をオリジナルの色に近づけてゆき,亜麻仁油で定着,カルナバ蝋で磨いて仕上げです。

 画像だとかなり容赦なく,塗ったように真っ黒ですが,基本「染め」なので,実際には光りに透けて木目が見えるくらいになってます。赤紫系の黒ですね。
 書くと数行ですがこの作業,これで半月ぐらいかかってるんですよ。(^_^;)

 胴体も同様に染めてゆきます。

 表裏板を清掃の後,擦り直した表裏板の木口をマスキングし,棹と同じく劣化損傷や修理作業でハゲてしまったところから重点的に染め,だんだん全体を同じくらいの色合いにしてゆきました。

 染めの作業の合間に,とりはずしたお飾りの手入れもしときましょう。

 剥離作業中に片方のニラミのシッポがモゲてるほか,もともと5・6フレット間のお飾りが一部壊れ,欠けてしまっています----ちょうど角の部分が一つなくなっちゃってるカタチですね。
 ニラミのシッポを継ぐほうは一瞬ですが,柱間飾りのほうは欠損部分の補充から。

 ホオの薄板を刻んで,なくなってる部分にはまるよう継ぎ足します。

 そういや同時期に入手した62号清琴斎も,これと同類のお飾り付けてましたね。
 庵主はこの意匠を 「獣頭唐草」 と呼んでますが……おそらくこれの正体は 「龍」 だと思われます。
 上下画像だと180度ひっくりかえしたのが正位置で,輪の切れてるところが口ですね。まあ,デザインの伝言ゲームと意匠化で,ほとんど何だか分かんなくなっちゃってますが。

 いつものことながらこの手の修理は庵主の得意分野。
 はめこんだ補材を周囲に合わせて削り,染めて磨いて溶け込ませてゆきます。

 どやぁ…もうどこを直したか分かりますまい。

 上左画像がこの飾りの正位置ですね----分かります? 龍だって(w)
 あとは山口やニラミといっしょに油拭きをして磨き,乾燥させときます。

 各部が仕上がったところで組立てですが。

 棹に山口を取付けて挿し,試しに弦を一本だけ張ってみたところ。弦高がかなり高く,オリジナルフレットを置いた場合にも,かなり押し込まないとならないことが分かりました。
 唐木屋の楽器は棹の傾きが小さいので,もとより想定されていたことであり,オリジナルのままでも使用上さほどの支障はありませんが,弦高調整のため,半月にゲタを噛ませることにします。
 量産数打ち品ゆえの調整不足----まあ,原作段階での手抜きが原因みたいなところもありますので,改善できるところはやっといたほうが後々のためによろしいでしょう。

 少し厚めの骨板を噛ませ,半月のところで1ミリちょい弦高を下げました。
 これだけのことでも高音域での操作性と音の伸びがかなり向上します。

 オリジナルのフレットは煤竹。
 片面に茶色くなった竹の皮の部分をそのまま残し,裏肉を斜めに削いだだけの国産月琴でよくあるタイプのフレットですが,流行期の量産月琴のフレットは,製品の歩留まりと加工調整の手間をはぶくため,本来最適な高さよりもかなり低めに作られております。

 残っていた63号のオリジナルフレットは胴体上の3枚のみ,ゲタを噛まして弦高を下げたとはいえ,それでもまだ低すぎるくらい背丈が低い。
 また,染め直しが上手くいって棹も胴体も真っ黒ツヤツヤになりましたんで,いッそもう少し栄えるものに換えてあげたいところですね。

 というわけで----今回はオリジナルを用いず,新しくツゲで1セット作ることにしました。

 いえ,オリジナルと同じ煤竹の材もあるんですがね。国産ツゲの切れ端がけっこう溜まってましたのでそれを活用しました。まあ元が端材なんで色味がちょっとバラバラになっちゃいましたが----でもやっぱ,国産ツゲはキレイだな(w)

 色味を少しそろえるために,スオウ,ヤシャブシに柿渋なんかで少し染めてもみました。数年もすれば色が上がって,より目立たなくなるでしょう。

 オリジナルの位置での音階は----

開放
4C4D+94E-214F+134G+204A-195C+285D+75F+21
4G4A+124B-235C+105D+155E-285G+245A-26C+20

 第3音(2フレットめ)の音が開放をドとした時の西洋音階より2~30%ほど低いのが清楽音階の特徴と言われておりますが----まさにこれ,そのとおりですね。
 関西風楽器の定石をなぞり,実音に関係なく第4フレットを胴の縁に置いているので,ここだけわずかに高くなっちゃってますが,低音弦のEと高音弦のEもほぼオクターブになってるし,全体に破綻と言えるほどの箇所もなく,この楽器としてはかなり正確な音階に調整されていたものと思われます。

 音階を調べ終わったところで,いつものように西洋音階準拠に並べ直して接着。

 胴の縁に置かれていた第4フレットが,棹と胴の接合部のほぼ真上になっちゃいましたねえ……まあ今回作ったフレットは,底の部分がいくぶん厚めなので大丈夫でしょう。

 さらに…あや…第5・6フレット間がわずかに狭くなったため,柱間のお飾りが入らなくなってしまいました。
 とりあえず当ってる四方を軽く削り,オハグロで補彩してハメこみましょう。

 左右のニラミも,オリジナルの位置ですと低すぎて,若干情けなさそうな表情に見えちゃいますので,1センチほど上にあげて接着します。

 最期にバチ布を貼りつけて。

 2020年7月16日,東京日本橋区本石町二丁目,
 唐木屋製の月琴63号。
 修理完了いたしました!!


 うーむ,ツヤツヤ真っ黒の棹や胴体が薩摩拵えのごたる。

 バチ布の選定にいつもはけっこう悩むとこなんですが,今回はこの棹や胴体の色味合うのがほかになく,黒(黒紺)の梅唐草一択でしたよ。
 いかにも実用本位,と言いますか,しつじつごーけんな感じに仕上がりました。

 6月はうだるような暑さだったんですが,7月に入り,日によってはちょいと肌寒いくらいの気候が続いたおかげで,いつもなら不可能な夏の修理が完遂できました。

 庵主,この楽器をはじめた最初のころから,同じ作者の7号コウモリ月琴を常用の一面としております関係で,もともとここの楽器に手がなじんではおりますが。そのあたりをさっぴいても,この63号は 抜群に使いやすい楽器 だと思いますよ。
 太目の棹,厚めの糸倉,調整してなおやや高めの弦高----スタイルとしては庵主の常用のもう一種,不識の楽器と正反対ではあるものの。変な気取りのないデザインと,少し武骨に思えるほど余裕を持った頑丈な作りは,道具として手になじみがよく,持った時になにか安心感みたいなものまで感じられます。「楽器」てのはまあもともと丈夫でなくてもあたりまえ,のモノではありますが,そのへんもギリギリ作りでいささかピーキーな不識の楽器とは真逆・対照的ですね。(w)

 音もやわらかく,あたたかく,嫌味なところがありません。

 同じくらいのレベルの量産楽器でも,山田清琴斎の楽器なんかのほうが音が若干硬めでしょうか。こちらのほうが 「こなれた」音がしますね----このあたり,老舗の地力ってやつでしょう。

 もともと大きな損傷はなく,作業の中心は接合部の継ぎ直しと染め直しくらいなものでしたが。音孔の整形にしろ響き線の交換にしろ,やったことはちゃんと出る音のほうに反映されてるみたいですね。
 胴鳴りも少なく,余韻もきちんと広がるし,音量もかなり出せます。
 その操作感のイージーさとバランスの良さも相俟って,ギグの戦力として即投入できるレベルの実用楽器に仕上がってますよ~。

 64号とともに,お嫁入り先ぼしゅうちゅうです!

 試奏の様子を庵主のゆうつべのチャンネルのほうで公開しておりますので,

 https://www.youtube.com/user/JIN1S

 吾と思わんかたはご参照のうえ,どうぞお気軽にお尋ねくださいませ。


(おわり)


「月琴掛け」を作ろう!

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斗酒庵夏にかける! の巻2020.7 「月琴掛け」 を作ろう!

STEP1 HOOK or RACK

 さて,みなさんはふだん部屋の中で,月琴をどのようにして置いているでしょうか?

 琵琶なんかは 「琵琶掛け」 にかけて床の間に置いたりしますね。お箏なら油単に包んで壁にたてかけておくところかな。ギターはギグではスタンドにかけたりしますが,ふだんは…ケースに入れて戸棚の上とかですか。
 琵琶は床の間でもいいんですが,月琴の場合,床置きはあまりお勧めしません。弾くときは川岸とか池の傍とか,比較的湿気のあるところが好きな楽器ではありますが,部材が琵琶よりヤワなんで地面に近いところに置いたままだと湿気を吸い過ぎちゃうんですよ。
 まあ床に置いてあるとつい蹴飛ばしちゃったり,おヌコさまに爪研がれたりもしかねませんしね。
 軽い楽器なんで蹴飛ばしたら飛んでゆきますヨ?ヌコパンチでも穴あきますからね?(www)

 ほかの楽器と同じように,長期弾かないような場合には,桐箱みたいなケースにつめて保管するが最善ですが,日常しょっちゅう手にしてるような場合には,柱や鴨居からぶる下げておくのが,月琴の場合いちばんヨイ保管方法です。
 糸倉に飾り紐をつけてある方なら,それをどっかにひっかけてもいいでしょうし。袋に詰めてあるなら,お部屋にある衣類をかけておくハンガーなんかに,コートと並べてぶるさげておいても構いませんが。いつでもぱッと手に取ってちゃッと弾きたい----というムキには,紐も袋もけっこうわずらわしいものです。

 ということで,今回はそういう人向けの お手軽な月琴専用ハンガー,「月琴掛け」を作ってみましょう。

 これは糸巻のところでひっかけるだけなので,まさにぱッと取ってちゃッと弾けますからね。
 鴨居に懸けるタイプなので,「鴨居」のない未来風のお家や呪われた洋館だとちょと困るかもしれませんが。その場合も壁とか戸棚の上とかに,ちょっとした引っ掛かりになる板でも取付ければ使用可かと。

 まずは材料。

 10センチ四方の大きさ板が一枚,あとコンビニの竹割箸が1本(ふつうの木の割箸でも可)。
 そのほかは接着剤----ええ,楽器本体に使うわけじゃないので,木工ボンドでも瞬間接着剤でもかまいませんよ。

 庵主は部屋に転がってた松の板を使いましたが,まあ基本的にはベニヤだろうがアクリルだろがMDFだろが構わんと思います。楽器がヘビー級の総唐木とかじゃなく,恒久的なものじゃなくて良いのなら,丈夫な厚紙とか段ボールなんかでもイケるかと…まあそれで楽器が落っこっても責任は持てませんが。(^_^;)

 木取りはこんな感じ。

 赤い部分は切り抜いて捨てる箇所です。
 庵主みたいにこういう部分が捨てられなくなる病気(端材捨てられない病)にかからないよう,切り取ったら目をつぶってゴミ箱へ!

 フックの部分の薄い②の板が右,分厚い①の板が左。③が左右をつなぐ支えになります。

 月琴の糸巻には左右で2~2.5センチほどの段差があるので,フックの部分が左右対称じゃないんですね。
 よほどサイズが異常だったり糸倉の形が変わってるもの以外は,だいたいこれで間に合うと思います。
 これを板に写して,糸鋸やカッターで切り抜きます。

 板を切り抜くときは,真ん中の空間を先に貫いてからやると失敗が少ないですね。フックのあたりは曲線が多いので,最初にいくつか糸鋸の刃の入るぐらいの孔を穿っておいたほうがいいですよ。

 3枚そろったら,まずは③の「支え板」を加工します。
 真ん中を 4.5センチあけて,左右を一段削り下げ,①②の板のフックの根元にあるくぼみにうまくはまるように加工します。
 つぎに①②の板の鴨居にひっかけるところに3ミリくらいの孔をあけておきます。ここにはあとで割箸の支えを入れますよ。

 ここまでやったら各部材を整形。
 軽く木口や表裏をペーパーがけします。楽器をお迎えするにあたり当るあたりは,特に角を少し丸めておきましょう----日本の伝統「おもてなし」の精神は大切ですよ(w)

 部品がキレイになったところで,接着剤をつけて組み立てます。
 形が崩れないように,固まるまでは支えを置いたり,洗濯バサミとかクランプで保定したりしときましょう。

 接着剤が固まったら,支え板のはみでた部分を切り落とし,竹割箸を切って頭のところに支えを入れます。

 まあ,素材と接着の強度によっては,この頭の部分の支えは別段なくて大丈夫とは思いますが,ヴィジュアル的にはついてたほうが何か構造的に安心できるって感じですか。(w)

 コンビニの竹割箸はいちばん太いところで径7ミリ,先っちょで5ミリくらいですので,3ミリの孔に入るよう,左右を凸に加工。設計図通りならここも,真ん中の幅は4.5センチになるハズですが。まあ人生,そう思ったとおりにはならないものですので,寸法は実物合わせで調整したほうがよろしい。
 左右の凸はあんまり長くすると入れられないので,これも適当に切り縮めてください。
 実際にハメてみて,いー感じにハマるのを確認したところで,凸先に接着剤を盛り,左右の板をちょっと広げるようにしながらインストール!

 ----できあがりです。

 あとは実際に楽器をぶるさげてみて,最後の調整をします。

 月琴の糸巻には上下の段差のほか,三日月形にカーブしてるため前後にも若干の距離があります。

 デフォルトのままですと,第2もしくは4軸が②のフックの先端にひっかかったとき,第1もしくは3軸は①のフックの平らなところをすべって,楽器は右がわがやや前面に出てくる感じで安定します。
 まあ落っこちることはそうナイので,そのままでもイイんですが。どこぞの酔っ払いみたいに傾いてぶるさがってるザマは,見ててなんかカッコ悪いですからね。
 もちろんはじめから,①のフックの部分を糸巻の前後の距離ぶん厚くして,第3軸が滑らないようにするのも手ではありますが,そうすると今度は楽器を外す時にちょっとひっかかっちゃうんですよ。
 傾きの原因である糸巻の前後の関係は,上下の関係に比べると個体差が大きいのと,糸倉自体の形状とも関係してヘタに設計をいぢるとかえってグアイが悪くなっちゃうようなので,下のいづれかをおためしください----

 やりかたA:①のフックの平らな部分を曲線に削る。
  ちょっと上級者向きですか。
  曲りのいちばん深くなってるとこに,糸巻が自然とおさまるように削ります。あんまり深く削るとこんどは②のフックのほうで糸巻が浮いちゃいますからね,ほどほどに。

 やりかたB(オススメ):①の平らな部分に浅い刻みを入れる。
  実際に楽器をぶるさげ,楽器がまっすぐになる時の糸巻の位置にシルシをつけ,そこに糸巻がひっかかるていどの浅い刻みを入れます。

 うん,ラクですね。これもAと同じで,あんまり深くキザみこんじゃいますと,左右のバランスが悪くなりますのでご注意。

 まあ,ここまでやらんでも。
 ¥100均で売ってる「二股ハンガー」 を改造しても,同じようなものは作れますんで,メンドくさがりと根性ナシはこちらをどうぞ。(w)

 画像のように,片側の先っぽのキャップのところにちょっと刻みを入れ,タコを糸張るだけで,見かけはちょいとアレですが,これでじゅうぶんモノノ役にはたちます。
 ちなみに,庵主のとこでは主にコレ使ってます。楽器が増えるたび,いちいち作るのメンドくさいし,根性もナイもので~(w)


(おわり)


月琴63号唐木屋(4)

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斗酒庵夏にもさかる の巻2020.3~ 月琴63号 (4)

STEP5 フレッシュ・カラキヤ!

 いちおう 形は保っていたものの,各接合部はハガれ分離し,構造としてはほとんど分解寸前だった胴体のほうは,再接着も済み接合部の補強も完了----水も漏らさぬ「桶」の状態となっており。次なる目標,裏板の再接着に向け着々と進行中でございます。

 この裏板は製造当初から内桁にほとんどくっついていなかったようで,接着剤をつけた痕跡はしっかりとあるものの,内部にたまったゴミが,その痕跡のうえにへっついていたうえに,くっついてたとこは濡らすとじゅうぶんに接着力のある状態でニカワが活き返りました。すなわちこれは保存環境が悪くてニカワが劣化したためにハガれたのではナイということです。

 裏板がちゃんと接着されなかった原因のいちばんは,作者・唐木屋Bによる雑な仕事----というあたりが結論とはなりますが,「どこ」を「どう」雑にしたためなのか,というあたりは,裏板を胴体に戻す前にきっちり調べておかないといけますまい。

 で,さっそく発見。

 桁の接着面がかかるところに,段差がありました----画像,黒っぽいホコリのついてるがわがヘコんでますね。
 継いだ小板の厚みが均一でなかったことによるわずかな段差ですが,この上から桁を接着しても,この段差になってるところがスキマになり,この周辺だけ接着されません。貼りつける前に表面一撫でしておけば確認できた類の失態ですな----あるいはそんな余裕もない労働環境(泣)だったのかもしれませんが。

 前回書いたように,ニカワというものはこの季節,ちょっと油断するとたちまち腐って接着力を失ってしまうようなナマモノなのですが,接着面の工作が精密で密着している状態だと,容易に分離できないくらい強固な接着力がいつまでも持続されます。しかし,このように一箇所でも浮いたところがあると,そこからベロンとハガれてしまうのですね。

 このままくっつけても,またすぐに裏板が剥離しちゃう未来が目に見えてますので,ここは埋めときましょう。

 桁のかかる部分だけでいいですね。
 木粉パテで埋めてきっちり平らに整形,緩めたエポキを浸透。そのほかにも数箇所,虫食いや板表面が荒れてる箇所があったので,同様に処理しておきます。


STEP6 ハートキャッチ・カラキヤ!

 さてもうひとつ。

 第二回の内部構造のところでも述べましたように,オリジナルの響き線は,基部のあたりがすでに朽ち果てており,ほおっておいても早晩ポロリとれちゃいそうな状態となっております。

 まあ書くの忘れてましたが,作業でゆすってるうちにもうポキンと逝きそうだったし,音孔の整形でジャマだったのもあり,先手を打ってさっさと折り取ちゃいました。 あんのじょう,基部に埋め込まれていた部分は完全に朽ち果てており,てンで抜けません。線ごとドリルでえぐったらザリザリの茶色い粉になって出てきましたよ。

 このばあい修理の正道からいえば,

  1)朽ちた根元を切り縮めたオリジナルを入れ直す。

 か,あるいは

  2)同じ形状の響き線を新しく作り,完全に調整したうえで取付ける。

----の,いづれかが定石なわけですが。

 そもそもこのオリジナルの響き線は,その形状や寸法と胴内の動作空間がびみょーに合っておらず,健全であった時でもまったく機能していないか,効果にかなりのムラがあったものと考えられます。

 響き線,というものは,金属の線がプヨプヨと勝手に動いているところに,弦を弾いた音が勝手に入ってきて,金属音のエフェクトが勝手にかかるというシロモノで。基本長ければ長いほど余韻にかかる効果が期待できるのですが,長くなるほどに振れ幅は大きくなり,線の自重による変形も考慮しなければならなくなります。
 何度も書いてるとおり,月琴という楽器の胴体内部はせまい。動いている線が内桁や胴内部に一瞬でも触れてしまいますとエフェクトは消滅しますので,月琴製作者はそのキワメテ限られた空間の中で,どうすれば,どれだけの演奏姿勢の幅で,どこまで最大の効果が得られるのかということを----うん,ほとんどみんな考えてませんね。(w)
 「月琴だし…まあ入ってりゃいいや」ていどでテキトーに入れてるほうが多いみたいですが,まあマジで考えるとなると結構タイヘンだ,ってくらいに思っといてください。

 直線型の場合,長さの限界はどうやっても胴の直径+わずかくらいなものですが,曲線の場合は極端な話,胴内を何周もぐるぐるとめぐらせることもできなくはありません。ただし,直線型に比べるともともと振れ幅の大きい曲線型は,ある程度の長さを越えるとちゃんと機能するようにセッティングするのがきわめて難しくなりますので,現実的には唐物月琴のようにやや太目の線で胴内を半周くらいが限界でしょう。

 今回の63号----作者が同じと思われるうちの7号コウモリや31号では,線形は同様ながら,もう少し先を切り詰め,響き線が胴内にひっかからないようになっていましたので,おそらくこの楽器を作った時,作者はまだ最適の長さや曲がり加減を模索実験していたのかもしれません。

 さて庵主,修理の目的はオリジナルの構造・工作や音階など基本的なデータの収集。基本的な構造・工作のほうはすでに調査済のうえ,すでに内桁音孔も改造しちゃってますのでコレに骨董的な価値はあまりナイ。 音階のほうは,楽器が使用可能な状態に戻ってくれさえすればふつうに調べられますので,正直なところ元から分からないオリジナルの音色とやら百年前と同じ響きに乾杯とやらはどうでもよろしい。

 あとは調査後の運用を考え,令和に生きる月琴弾きとして,楽器としての使いやすさやとか,「伝統音楽」やら「明清楽」やらといったバイアスのない,現在ふつうに聞いて美しい音とかを追及させていただくことといたしましょう。

 まあ,上下桁が完全にはずれてくれるような状況ならば,桁の配置を唐木屋Aと同じにして,松派・唐木屋で共通の山鎌型の曲線を入れ,唐木屋Bのボディに唐木屋Aのタマシイ(響き線)の宿る 「真・唐木屋合体月琴」 をでッちあげたとこなのですが,現状,この基部の位置,この動作空間で機能することが保証されるのは,オリジナルより曲りの浅い曲線か直線,もしくはZ線型の響き線と考えられます。
 オリジナルの基部の位置を無視するなら「渦巻線」という選択肢もありますが,曲線直線タイプとはまったく異なる音色になっちゃいますし,作る手間を考えるとなるべくやりたくありませんね。手がマメだらけになっちゃう。(w)
 曲りの浅い曲線は,そもそも響き線として効果が低く,その割には調整が難しくなるだけのシロモノです。また基部と上桁がきわめて近い位置関係にあるため,直線の場合,上下の振幅に制限ができ,これもあまり効果が期待できません。

 残るZ線。
 これは工作や調整も楽ですし,基部の位置も今と同じでよろしいうえに,この63号のような比較的狭い動作空間においてもきちんと機能することが,ウサ琴での実験や56号「烏夜啼」改造結果などでも実証済み----取付け位置が横なタイプの中では,庵主これが最も進化したカタチの一つだと考えてます。

 この型は,根元の曲げ方と直線部分の傾けかたで,さまざまなセッティングが可能です。基本的には 「Z」 の縦寸法を短く小さくするとより直線風に,長くすると曲線風の効果になるようですね。今回はオリジナルの曲線と似た感じで,かつこの動作空間内でもしっかり機能するよう調整してゆきたいと思います。
 オリジナルの線の根元をバイスで固定し弾いてみて,この線が万全に機能していた場合,どんな感じになるのか確かめ,比較しながら,Z線を曲げます。
 ほんとうはもう少し斜めに傾けたほうが効果が強く出るのですが,動作空間を考え,演奏姿勢に立てた時に直線部分の先端が,下桁から1センチほど上で止まるくらいの位置で止めます。いちばんプルプルしてる先端部分のすぐ外で,ピックが弦を弾いてる,って感じが理想ですね。

 だいたい思ったとおりの角度や曲りになったところで焼き入れ。

 曲線タイプはこの「焼き入れ」を均等にするが難しいのも欠点の一つですが,Z線は基本直線なのでペンチでつまんでコンロにかざし,水を張った金ダライにつっこむだけ。慣れればさほどの問題がありません。
 水気をふきとり根元の表面をペーパーで少し荒らしたら,基部の孔につっこみます。ニカワを使って悲劇をくりかえしたくはないので,ここは線の根元にエポキを盛ったうえで煤竹の竹釘をおしこんで固定----こういう場合のエポキは,硬化してしまえば最強なのですが,カタまるまでに時間がかかります。それまでの間,せっかく調整した設定が万が一にもくずれないよう,途中や根元に支えを置き,線の角度や位置を保定しておきましょう。
 一晩たって,根元がガッチリ固まったところで,線の基部をもう一度微調整。その後,線の表面にラックニスを軽く刷いて防錆処置を施しておきます。


STEP7 すうぃーと・カラキヤ

 接合部の調整と補強,音孔の整形,裏板の補修,響き線の交換……楽器の修理は外から見えない内部がいちばん大切です。弦楽器の内がわは,糸の音が 「楽器の音」 になるところ。ここがしっかりしていてハジメテ,楽器はその楽器らしい音で鳴ることができるようになるからですね。

 内桁の角のわずかに出っ張ってるところや,側板の裏板接着面等をきれいにし。不備不良なきよう何度も確認したら,いよいよ裏板の再接着です!

 例によって,板を真ん中に近いところから2枚に割ります。
 今回の経年誤差は,左右片側をピッタリに合わせた時,反対がわに1ミリあるかなしか足りなくなる部分ができる程度。
 このあたり狂いが少なくて済んでるのは,唐木屋Bの工作が少し雑なものの,棹も側板も太め厚めの余裕ある材取りをしてくれてるおかげですね。

 切り分けて断面を整形した裏板を,少しだけ離し。整形時になるだけ縁を削らないで済む----もっとも被害の少なそうな配置で接着します。百年間の部材の収縮は一定ではないので,均等に離しゃ済むというわけではありません。事前になんども確認し,マスキングテープなどで貼りつけ位置が分かるように目印を付けておきましょう。

 前回書いたとおり,時期的にニカワの扱いが難しいのですが,基本どおり,作業中に接着面が乾かないようじっくり湿らせ,ニカワを染ませ。あとはなるべく手早く作業を終える方向で。

 一晩置いて,接着具合を確認したら,桐板から切り出したスペーサを削って埋め込みます。これでまた一晩。
 翌日,ハミ出したスペーサと裏板の縁を整形します----ふんふ~ん,いつもどおりでルーチンルーチン(w)……ザリッ!!

 あぅ……………

 側板の一部に傷をつけてしまいました
 うううう…とりあえず均しておきますが…ああ,オリジナルの塗りが一部ハゲチョロに。
 まあ,接合部付近でも狂いによるわずかな段差を解消するため削りましたし,もとより染め直しは既定の路線ですのでいいんですが,やっぱ何事も気を抜いてはイケませんね。(^_^;)


(つづく)


月琴63号唐木屋(3)

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斗酒庵夏にもさかる の巻2020.3~ 月琴63号 (3)

STEP3 ふたりはカラキヤ


 「唐木屋」 というメーカーさんは,楽器を扱う商店としてはお江戸の中でも古いお店----いわゆる 「老舗」と呼ぶに値する楽器屋のひとつだったわけで。

 これくらいのお店になりますと当然,当主自身が楽器の製作や修繕に関わることは少なく。おそらくは自身の店で職人さんを何人も雇い,もしくはあちこちの町にいる手飼いの職人さんたちに,各個仕事を割り振って商売をしていたと考えられます。

 そんな唐木屋で月琴を作っていたのは,おそらく二人の人物。
 どこの誰かは知らないけれど,誰もがみんな知りはせぬ,この二人の製作者を仮に 「唐木屋A・B」 と呼称いたしましょう。

 18号とぼたんちゃん,あとたぶん9号早苗の製作者は「唐木屋A」。
 Bに比べると糸倉左右がやや薄く,棹本体も少し細めになっています。棹茎は細く長く,先端に向かってテーバーがつき,先細りになっています。
 胴材や胴表裏の板はかなり薄く,半月は浮彫のある曲面形が多く,全体に繊細な作りになっています。また,この人は棹茎や胴内に付せられるシリアルを漢数字で書きます。

 これに対し,庵主が常用している7号コウモリさんや,クリオネ月琴からニャンコ月琴へと変わった31号。
 そして今回の63号を作ったのが「唐木屋B」です。

 糸倉の形状はほぼ同じですが左右は厚めで,指板の左右はあまりすぼまらず,ほぼまっすぐに見えるくらい。棹背もが峰の狭い----ギターで言うところのVシェイプに近くなっているところ,は峰の広いUシェイプなため,くらべるとBのほうの棹はかなり太めに感じられます。棹茎は幅太く,ほとんどまっすぐで,先端まであまり幅が変りません。半月は平たい板状。シリアルはアラビア数字で,かなりちゃっちゃと素早くなぐり書いています。

 あと見分け方としましては,Aの糸巻は寸法的にふつうだがBはかなり太めだとか,蓮頭の意匠が同じでも形状がわずかに異なるとかいろいろありますが,技術的なところから言うと,のほうがやや工作が繊細・精密で,にはやや雑というか稚拙なところがあると申せましょう。

 そして,ここからはまだ証拠が少なく,あくまでも庵主の推測なんですが……

 お江戸は下谷,伝七親分の住んでた黒門町に 「栗本桂五郎」 という楽器屋さんがおりました。
 そんなに大きな店ではなかったようですが,腕は良く,明治のころの商人録にもたびたび取り上げられております。

 庵主,「唐木屋A」 の正体はこの人ではないかと考えております。

 ひとつに,楽器の特徴がよく似ていること。ただし,唐木屋の月琴自体が,明治のころの関西風国産月琴としてはごく標準普通なものなので,これは糸倉とか棹の形状から類似のニオイがわずかに感じられる,くらいのことでしかありません。栗本桂五郎の楽器に触れる機会がもっとあれば,さらに確かめられる点も多いとは思いますが,現状では印象ていどですね。

 ふたつに,この連載の最初のほうでも取り上げましたが,栗本桂五郎のラベルは左のように,唐木屋のものとほぼ同じ形状・体裁をしています。このカタチのラベルは,関東では唐木屋と彼,そして後述の「漢樹堂」くらいでしか確認されていません。
 唐木屋の楽器と関連があると思われる大阪の松派の作家たちなんかでもそうなんですが,ラベルのカタチとか体裁といったものは,同じ系列の作家間ではけっこう共通してしまうもの----当時の状況などから考えますと,たぶん商売上の縁故から,同じ印判屋さんが使われるせいだとは思いますが。

 では 「唐木屋B」 は?----というと。
 こちらにも実は容疑者が一人います。
 それが先にもちょと触れた,「漢樹堂」という作家です。

 「漢樹堂」のラベルには名前だけの縦書きのものと,唐木屋などとほぼ同じタイプの二種類があります。庵主,当初これは,唐木屋が月琴や清楽器の高級品にだけ付けていたラベルだと思っていました----なにせ「漢樹」は訓読みすれば 「からき」 とも読めますし,住所も同じ日本橋区の「本石町」でしたからね。

 先に 「高級品」 と書いたように,いままで庵主の見た「漢樹堂」の楽器は,比較的手の込んだ細工や装飾の施されたものが多く,簡易な量産品と思われるものを今のところ見たことがありません。唐木屋の数打ち普及品や栗本桂五郎の楽器に比べるとかなり装飾過剰気味で,実用的にはどうなんだろう?と思うくらいですが,太めの糸巻やコンパクトな半月の形状,そしてその糸孔に取付けられたやや大きめな牙板など,彼の楽器は 「唐木屋B」 の楽器と一致する特徴を有しています。

 「漢樹堂」の本名は上に挙げた2枚目のラベルの文面から,「駒井」姓と推測されますが,いまのところ「楽器商リスト」にとりあげた資料等からは,これに相当する人名があがってきていません。
 いくらなんでも同じ町内で赤の他人に「漢樹堂」なんていう紛らわしい名前の出店を,老舗である「唐木屋」が容認するとは思えませんので,唐木屋で長く仕事をしていた職人をひも付き状態でのれん分けさせたものか,あるいは月琴流行期のごく一時的な支店----たとえば大量の注文をさばくため,店のごく近所で「月琴製作部門」を独立させた,というような扱いだったのかもしれませんね。



STEP4 Yes!カラキヤ63号!

 さて,では月琴63号の修理にもどります。

 この暑い中修理作業をするうえで,いつもけっこう気にするのが 「ニカワ」の状態です。

 ……腐るんですよ。

 ニカワは不純物の多いものほど接着力が高く,精製されたものほど接着力は弱くなります。逆に,不純物をほとんどふくまないゼラチン----お菓子のゼリーの材料なんかは比較的腐りにくいのですが,工芸用のなんかはちょっと放っておくとスグ腐っちゃいますね。

 腐ったニカワは,もちろん作業には使えません。
 そこでこの時期は作業のたび,必要なぶんだけ少量づつ溶いて使用し,作業の合間は冷蔵庫に入れたりして使っています。いちいちニカワをふやかすとこからやりますんで時間もかかりますし,グルーポットにしてるワンカップ横目に 「ああ,腐る!アタシ腐っちゃううううッ!」 なんて気にしながらの作業は,けっこう辛悩なのであります。

 そんなわけで----つい水加減を間違えまして。

 暑い中,シャバシャバのニカワを使ったために,胴四方および内桁の再接合,一回目は失敗しちゃいました----塗ったニカワが木に吸い込まれて,ほとんど接着されてません。

 クランプはずしたら補強材がポロポロはずれてきやがんの(泣)接着部の養生のため,丸一日置いといたんですが,時間がムダになっちゃいましたね。

 新しいニカワの準備の合間,ちょいとほかに出来ることをやっておきましょう。

 「唐木屋B」の尻ぬぐいその1です。

 あまりといえばあまりな内桁の音孔を整形します。

 まあこの音孔,楽器作りの経験のある人にとってはごく自然な…こういう楽器にいかにも 「あって当然」 そうな工作なのですが。実のところコレ,月琴という楽器においては,ほぼ意味のないものの一つなのですね。

 もともと唐物で内桁にあいていた孔は,響き線を通すためのものでした。
 胴内を半周する長い響き線を入れるため,内桁の片側に一つ,円か木の葉型の孔が穿っただけのものです。松派の楽器なんかでは,響き線の形状が国産月琴で多い横向き型になり,響き線を通す必要がなくなっているのに,内桁の片側にだけ,唐物と同じように孔が一つあけられたりしてますね。

 実際,この孔が素晴らしくキレイにあけられているのに,まったく鳴らない楽器もあれば,孔のないただの板で区切られてるのに,素晴らしく鳴る楽器もあります。そもそも,この楽器は胴内の空間がきわめてせまいので,ここに孔を開け,ちょいと空気の通りを良くしたところで,さして劇的な変化は望めないんですよ。

 とはいえ,航研機の木村先生もおっしゃってたように,「機能の優れたものは美しい」 はず。

 外からは見えない内部構造ではありますが,物作りにおいて,見てウツクシクナイものをキレイにしとくことに,意味がないわけがありません(「気分の問題」もふくむwww)

 胴材との接着ははずれてるくせに,上桁も下桁も表板にはガッチリとへっついちゃってますので,中途半端に作業しにくい状況ではありますが,いまはなき稲荷町深沢さん謹製の特製ヤスリを駆使し,ヘロヘロだった音孔の縁を,強度の許す範囲でビシッと削り直し,ととのえました,見よ!----びふぉああふたあ。

 そうこうしてるうちに(w)新しいニカワの準備もできましたので,胴内各接合部の再接着,気を取り直しての再挑戦とまいります。

 こんどはニカワの状態もばちーり。
 かき混ぜたワリバシから,ほそーくたらーりたらりとガマの油のように糸を引きます。うむ,ベストなこんでぃしょなーである。
 前回,接着自体には失敗したものの,いちどたっぷりとお湯を含ませ,さらにシャバシャバのニカワを塗った上で一晩矯正したため,けっこうあった接合部の食い違いや段差が改善されてますし,木口表面が軽く目止めされた状態になっているので,一回目よりは作業がいくぶんラクになりました。

 一晩置き,補強板の余分を切りはらって側板と面一に整形します。

 さあ,これで響き線をつけ直したら,胴体を箱に戻ませすよぉ!----と,いったあたりで,今回はここまで。


(つづく)


月琴15号張三耗 再修理(1)

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斗酒庵張三耗と再開 の巻2020.5~ 月琴15号再修理 (1)

STEP1 張三耗の大冒険

 月琴15号が帰ってまいりましたあ。

 15号か----記録によれば最初に修理したのが2009年の暮れ……もう11年も前のハナシなのですねえ。

 倒れてぶつかった拍子に,糸倉が根元のところからパックリ逝ったとのこと。

 重症ではありますがなんとかしましょう。
 庵主,11年前よりはずっと誤魔化すのが上手くなってますからね(「修理が上手くなった」とは言わないwww)。

 当時はまだ,いまみたいに詳しい記録をとってませんでしたので,フィールドノートもペラ1枚で,図もテキトウ,書き込みもほんの備忘録程度でしたから,今回は再修理のついでにいろいろと調べ直しちゃいます。

 この楽器は,いわゆる「倣製月琴」。
 唐物をコピーして日本で作られた楽器です。
 琴華斎とか太清堂の楽器なんかと同じですね。
 コピー品ではありますが 「贋物」 として作られたわけではなく,国産月琴の中で,唐物楽器を手本にしたもの,唐物楽器の影響が強く出ているやや古いタイプの楽器,といった分類となりましょうか。ちょっとした形状だったり材質や内部構造に,日本の職人さんの独自性や国内事情による変更が加えられている場合が多いです。

 この楽器の場合,唐物にしては糸倉のうなじが曲面になっちゃってるのと,指板左右に曲線付けちゃったのはちょっと余計でしたが,全体的には 「唐物っぽい」 感じにちゃんとなってると思いますよ。内部構造は1枚桁で,響き線も唐物と同じ肩から胴内をほぼ半周するスタイル----外からは見えないとこですが,このあたりもしっかりおさえてありましたしね。

 ちなみに庵主が振った銘,「張三耗」の「耗」は 「耗子(ハオツ)」,北京弁で「ネズミ」を意味します。
 うちにきた当初は,糸倉のあちこちが派手にネズミに齧られ,ボロボロだったんですよねえ。

 表面にカツブシでもまぶしてたのかな?----とか思うくらいでしたが,これをこうやって修理して,上から補彩して……このあたり,11年前のシワザですが。
 自分でやったことながら,今回修理の過程で塗装を落としてようやく「あ,ここも補修してたんだっけ」って気が付く----

----そんな程度にはちゃんと誤魔化せてました。
 なんか嬉しい(www)

 てことで,まずはフィールドノート。
 今回の損傷の記録というより,工房に来た当初の状態を思い出しつつ,実機で確認しながらの再記録となります。

 ***画像クリックで別窓拡大***

  なお,15号前回の修理報告へは こちら からどうぞ----



STEP2 張三耗の逆襲

 まずは糸倉を継ぎましょう。

 左右2箇所づつの4箇所に,竹棒を通すための孔をあけます。
 この棒はクギみたいに,それ自体で割れを継ぐとか補強するものではなく,接着の時に各部を正確な位置で固定するためのガイドの意味合いのほうが大きいですね。

 竹棒に部品を通し,割れ目がピッタリと噛合うことを確認したら。破断面をエタノでよく洗い,少し緩めたエポキで接着します。
 同じことはニカワでも出来るんですが,ここは楽器の中でも力のかかるところですので,強度と耐久性を考え現代的な接着剤を使います。そもそもここは,月琴の「道具」としての使用上は,本来「壊れるべきときに壊れるべき」場所ではありません。その時になしうる最良の手段を以って,出来る限りの万全を尽くすとしましょう。

 エポキシ接着剤は強力なので,きちんと継げていればこれだけでもいちおう使用可能な状態とすることができますが,楽器の将来を考えるとあと2~3手補強を加えておいたほうが,より安心して長く使い続けられますね。

 明日のために打つべしその1,として,次にチギリを打ちます。
 糸倉の左右,軸孔をはさんでその両側。中央で割れ目を渡るよう,輪鼓(りゅうご-ディアボロ)の形に刻みを入れ,板の半分くらいのとこまで彫り下げます。

 ツゲの端材からチギリを削り出し,接着剤を塗って埋め込み,一晩おいて整形。
 ここまでやるともう,よっぽどのことでない限り割れが再発することはありません----が。

 チギリってけっこう目立っちゃうんですよねえ。
 庵主自身は糸倉にこういうのがついてたとしても,いかにも 歴戦の勇者 みたいな感じで悪くはないと思うのですが。15号の棹や糸倉はやや小ぶり,全体的に繊細な印象のフォルムをしているので,これだと少し悪目立ちしてしまうところがあります。

 ということで,この補修痕の目隠し兼さらなる補強のため,糸倉の左右にツキ板を貼ることにしました。
 ツキ板にもいろいろありますが,ここは木地の色味の近いマコレを使います。

 より強度が必要なら,黒檀や紫檀といった唐木材を使うところですが,今回はこの貼る板自体に強度を求めていません。糸倉左右の表面を薄いエポキシ樹脂の層で覆ってしまうのが目的。
 補強だけのためならば,エポキを練って全体に塗りつければ済むだけの事なんですが,樹脂で覆っただけだと表面の質感が異常になって,ほかの部分から浮いてしまいますし,基本透明なので,そもそも補修痕を隠すこともできませんからね。

 いま使ってる接着剤はだいたい一晩で硬化するタイプなので,片面づつ,足かけ三日の作業です。
 両面一気に貼っちゃえば?----って。いや,それやっちゃうと後で軸孔を開けなおすのがけっこうタイヘンなんですヨ。(経験済ww)
 片面を貼ったら余分を切り落とし,軽く整形して,反対がわの孔から工具を通し軸孔をあけ直します。ツキ板は薄くモロいので,孔の縁とかチップしちゃわないよう,ネズミ錐で下孔をあけ,リーマーで慎重に広げて…ぐりぐりぐり………
 ちなみにこのツキ板は,棹本体の木の目と交差するような向きで貼ってあります。

 ツキ板は薄いので,このくらいならパッと見,太くなったようには見えませんし。
 悪くはないんじゃないでしょか?

 まだ糸倉オモテとうなじのところに小さな補修痕が見えてますが,ここらはこのあとの作業で----

 糸巻を挿してみます。
 グリグリしても壊れません。
 うむ,まずまず一安心。

 では,修理工程次のフェイズに入ることといたしましょう。
 棹全体を磨き直し,スオウで染めてゆきます。

 この棹はちょっと面白い木取りの材で作られています。
 木はクワかエンジュあたりでしょうか。どちらも中心に近い芯材と皮に近い辺材で質に違いのある木材なんですが,これはそのあまり太くない樹の,芯材と辺材の中間あたりから採られたもののようです。

 こういう芯材と辺材で違いの顕著な材の場合,ふつうまあ避けるような部位ですね。
 辺材がわはかなり皮に近く,軽く病変か腐朽した部位も混じってたようです。棹背の「峰」のあたりが,木色マダラでかなりモロくなってました。原作者は全体を染め,生漆あたりを軽く塗って誤魔化したみたいですが,ツルツルに磨くはずの仕上げの作業で,そうした木地の問題で却ってついてしまった変なエグレや細いミゾ傷なんかが,そのまま残っちゃってました。

 庵主,スオウ染めのとちゅう,ようやくこれに気が付いたので,急遽染めを中断。エグレや傷を埋めエポキでシーラーをかけて,モロくなってる部分の表面を固めました。

 んで,再開。

 こんどこそツルツルに磨いたら,スオウ染め,ミョウバン媒染。
 オハグロをかける前に,前回と今回の補修箇所に目隠しの黒ベンガラを点しときます。


 ベンガラは隠蔽性が高いので,修理のアラ隠しには最適。前回はオリジナルの色にあわせて茶ベンガラでやりましたね
 ベンガラが乾いたら軽く擦って,余分を落し,色味を周囲になじませておきます。

 そしてオハグロで全体を黒染め。
 これで修理個所は自然なかたちでほとんど見えなくなります。
 画像だと真っ黒ですが,このあと油拭きしたり磨いたりしているうちに落ちて,もうちょっと赤っぽくなってゆきますよ。




(つづく)


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