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長崎からの老天華(終)

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斗酒庵老天華に出会う の巻2021.1~ 老天華(7)

STEP7 ケーゲルの最終楽章

 おぅ----そういや書くの忘れてましたね。
 月琴の音のイノチ,響き線の補修の記録です(w)

 当初,カマキリのお尻から出てくるアレみたいに棹口からニョロンと出てきて庵主を絶望させたアレでしたが,根元部分が腐ってはいたものの,そのほかの部分はサビもそこまでではなく,放置された楽器に入っていた百年以上むかしのハリガネとしてはおおむね良好な状態であるといえましょう。
 腐ってる根元を数ミリ切り落とし,曲げ位置を変えて,あとはそのまま使います。

 まずは#400のShinexでくるんでしごいて粗くサビを落し,クリアフォルダの上に置いて木工ボンドをまぶし,ハガしてキレイにします。
 ふだんの修理では天敵であるものの,木工ボンドの錆落しパワーにより銀色のピカピカになったところで。さらに柿渋を刷いて乾かし,表面に黒い薄膜を作っておきます。

 元の取付け部は,天の側板の裏,棹孔の少し横に見つかりました。

 孔をあけて竹釘で止めただけの単純な工作です。
 元の工作はおそらく,竹釘に少量のニカワを塗って押し込んだ程度だったと思うのですが,次に修理した者----まあ間違いなくニポン人でしょうなぁ----が,よけいな心配性を発揮し,響き線の根元にあふれんばかりのニカワを盛ったものと思われます。
 外気に触れているぶんのニカワが湿気を吸って,線の根元が腐食。
 ポロリン,というわけです。いつものストーリーですな。

 響き線基部の木の中に残ってるぶんが完全に朽ち果て,黒い鉄の染みとなり,周囲に広がろうとしてますので,少し大きめにエグりとり,木粉とエポキのパテで埋め込みます。

 硬化したところで軽く表面を整形し,2ミリの孔を開けなおします。
 オリジナルもそうでしたが,ここに打つ竹釘は必ず四角ですね。
 これは四角いほうが,固定時の角度の調整とかがやりやすく確実なのです。

 響き線基部と竹釘の先端に少量のエポキを塗って固定します。
 線が変な方向にダレたりしないよう,数箇所に当て木を噛ませ,線基部の位置を保定しておきます。

 基部がしっかり固まったら線の角度や曲りを調整します。
 楽器を正しい演奏姿勢に向けた時,最高の効果が発揮されるのはもちろん,あるていど楽器が傾いても線鳴りがしないよう,一定の余裕を持たせなければなりません。
 唐物の響き線は曲線なうえ長いので,これの調整はけっこう大変です。直線の場合と違って,一箇所の変化がどこにどういう影響を与えるのかが分かりにくいですからね。今回もなんやかやで二日ぐらいいぢくっておりました。
 最後に線全体にラックニスを軽く刷いて,響き線のお手入れは完了です。


 ----時はいま来たれり。

 糸倉を再生した棹と胴体のフィッティングも終わり,響き線も戻って,修理はいよいよ終盤。
 まずは裏板を接着します。
 側板や内桁を手順通りに付けてゆくオモテがわと違い,こちらは一発で決めなきゃならないので板クランプの出番と相成ります。
 前回書いたとおり,月琴の胴は真ん中がわずかに盛り上がったごく浅いアーチトップ・ラウンドバックになってますので,真ん中に円形の空間があり,周縁を確実に固定できるこの道具は修理に欠かせません----まあもともとはウサ琴の胴側を作るための型だったんですけどね(w)

 前修理者が埋め込んだ割れ目のあった,真ん中あたりの矧ぎ目から分割し,少し左右に広げて接着するんですが。
 片方の木端口のすぐ横に,オリジナルラベルの残片が貼りついています。
 ほとんど読み取れないとはいえ,この楽器の由緒を標す貴重なものなのですが,あまりに状態が悪過ぎて剥離させられないので,上から和紙を貼って保護しておきましょう。

 一晩置いて接着を確認したところで,開いたスキマにスペーサを。
 裏なので新しい板を使わせてもらいます。
 このところの修理で,ちょうど合う古板のストックがなくなっちゃいましたしねー。
 最期にスペーサと,再接着でハミ出した胴周縁の板端を整形。

 さあこれで胴体は「箱」の状態に戻りました!

 棹はともかくこの胴体は,多少の補強を加えたものの,基本的には 「ただ組み立て直しただけ」 に近いのですが,この状態でほれ----胴は支えなしでほぼまっすぐに自立します……さすが老天華。原作段階での工作精度が高いものであったという証左ですな。

 箱になった胴体の表裏を清掃します。
 前修理者が拭ったようで白っぽくはなってましたが,お飾りやらフレットやらを付けたままやりやがったらしく,あちこちマダラになっておりました。今回は「キレイにする」というよりは,清掃で浮き出てくる元の染め汁を使って,そうしたマダラや補修痕を染め直し,全体の色合いを均一にするほうが目的でしょうか。

 表裏板が乾いたところで,半月を接着します。
 事前に測っておいた有効弦長やオリジナルの接着痕を参考に,中心線や上下の位置を決め直します。
 装飾付の曲面タイプですが,国産月琴のものより薄目で丸みもないため,接着保定にあまり苦労はありません。


 半月が付いたら,表裏板の木口をマスキングし,胴側部を染めてゆきます。

 スオウを重ねミョウバンで発色,いちど乾かしてからオハグロで黒染め,最後に亜麻仁油と柿渋で仕上げます。染め液に少量の砥粉とでんぷん糊を混ぜると,同時に目止めも出来るし,木への滲みこみがいいですね。

 はじめに磨いた感じでは,オリジナルもこれほどではないものの何かしらの染料で染められていたようです。劣化して白っぽくなっちゃってましたが,おそらく当初は薄いこげ茶色をしていたのではないかと。庵主の染め色は,オリジナルの半月の色と同じですね。

 今回のフレットは白竹で作ります。

 こういうところに,日本人は何かと煤竹を使いたがりますが,唐物月琴のオリジナル・フレットには意外と,かなり高級な楽器でも安価なふつうの竹材が使われています。

 うちではDIY屋で売ってる垣根用の割り竹を使っています。一枚¥300くらいだったか?----そこそこ長さがあるんで,月琴のフレットだったら1枚で10面ぶんくらいは作れるんじゃないかな。

 あと,国産月琴に比べ,唐物はフレットの幅の変化が小さいですね。国産月琴では第6フレットがいちばん長く,関東の楽器では7センチ以上あるものもありますね。棹口のフレットが3センチくらいですから,最少から最大で4センチくらいの差があるわけです。対して唐物の場合,胴上のフレットのサイズ差は最大最少で1センチあるかないかくらいなものです。

 当初付いていたフレットは煤竹製で,寸法の面からも後補の部品と考えられますので,新しいフレットは23号や53号の記録を基に各フレットの長さを決定してあります。

 できあがったフレットは表面を磨き,清掃時に出た汁とヤシャブシ液を混ぜたもので軽く煮て染め,乾かしておきます。

 染めて磨き上げたフレットを接着し,染め直した左右のニラミと補作の扇飾り,

 最後に柱間の小飾り(凍石製)を接着して。

 依頼修理の老天華,修理完了です!!


 オリジナルのフレット位置での音階は----

開放
4C4D-34E-324F+94G+264A-195C-355D+165F+21
4G4A-214B-335C+15D-295E-305F#_5G5A-86C+13

 6フレット以降がいまいち信用できませんが,開放からの第3音,C/G調弦だとEとBが,西洋音階より30%くらい低いというあたりは明笛などから見る清楽の一般的な音階の特徴に合致しています。
 最初の1オクターブまでは,かなり正確に当時の音階を伝えてると言えるんじゃないかな。


 音色は…やっぱり唐物月琴の音ですねえ。
 国産月琴のように,「月琴」という名前の印象に引きずられた厨二病的バイアスのかかってない,ギターに近くてヌケのある,比較的くっきりとした音です。

 棹や側板の材質や加工が違うので,53号あたりを基準にするとやや柔らかな音となっていますが,それでも天華斎系列の音だとすぐ分かるくらいに,音圧のある,いい響きをしてますよ。

 山口が13ミリもあるので,国産月琴の一般的なものに比べ棹上のフレットがかなり高めです。こういうものだと分かっていないと,ちょっと弾きにくいかもですね。
 それでも最終フレットが高5ミリというのは,唐物月琴にしてはかなり低め。フレット高はビビるかフェザータッチで音が出るかのあたりギリギリに調整しているので,操作性と運指に対する反応は上々です。

 完全に破壊されていた糸倉をすげ替え,全体を染め直したりはしましたが,その糸倉と虫に食われた半月以外は,オリジナルの部分をかなり残せたと思います----まあ見かけは同じメーカーの1~2ランク上の楽器に近くなっちゃってるかとは思いますが。

 補作の半月,蓮頭ともに装飾の意匠は天華斎/老天華の他作を参考としています。小飾りもそうですが,これもまた廉価版のよりはいくぶん上位機種のデザインになってます。庵主がいつも言ってるこの 「花だか実だか分からないたぶん植物」 の飾りは,廉価版となるとさらにデザインがテキトーになり,テキトーに切った凍石の板の周りをテキトーにギザギザに刻んだ,ぐらいのモノだったりすることも珍しくはありませんが,さすがにそこまでの劣化したモノを故意に作るというのは良心の呵責----というより精神衛生上,庵主,その作業に堪えられません。(w)

 そのため,このあたりのあるていど具象的で無難なデザインで止めておきます。ただその廉価版の 「テキトーに刻んだもの」 でも 「どこそこにはおおむねこういうカタチのモノが付く」 という配置にそう変りはないので,4・5フレット間の蝶(以前に彫って使わなかったもの,もったいないので今回流用)以外,遠目に見たフォルムにさほどの違いは出ていないと思われます。

 文革期まで,福州の老天華には代々の製作した名器が多数保存されていたと言われています。それらはあの政治思想的大混乱の中で失われてしまい,現在当地にはこの時代の古い楽器はほとんど残っていないそうです。

 今回の楽器は清代の老天華最盛期,パリ万博にも出品したという3代目あたりの作ではないかと考えられます。

 輸出用に高価な材質で無駄な装飾をつけて製作されていたお飾り楽器を,流行につけこみ,材質や装飾のレベルをかなり落として増産したものでしょうが,天華斎エピゴーネンの玉華斎や天華斎仁記の同レベルものに比べると,やはり元からの技術が高いせいか,楽器として一段二段上のものに仕上がっているあたりは,さすが老舗の技術力と感嘆せずにはいられません。

 3代目で,しかも廉価版でこれなら,初代天華斎の作った名器というのはいったい如何ほどのものであったのか,まだ実物にめぐりあったことはありませんが,想像しただけで胸躍るところがありますねえ。

(おわり)


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