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松音斎(3)

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斗酒庵松の葉音のすゑに聴きゐる の巻2021.3~ 松音斎(3)

STEP3 埋め込まれた男

 胴体の接合補強,響き線の防錆,表板虫食いの補修,そして棹とのフィッティング。
 ここまで終われば,いよいよ裏板の再接着です。

 裏板にも一箇所,接ぎ目がスカスカになってる虫食い箇所がありますが,食害は浅いのでここは切り取らず,接ぎ目を桐塑で充填・整形し,接ぎなおして1枚にしておきます。

 で,せっかく一枚に戻した裏板ですが,このまま戻しても元通りにはなりませんので。(w)例によって,真ん中付近の接ぎ目から2枚に分割し,左右に広げて接着します。
 この分割するところにちょうどオリジナルラベルがあって,何とかハガしておきたかったんですが,前回同様破損が酷く,再利用可能な状態では救出できませんでした。

 ふむ……またラベルの贋作(w)が必要なようじゃな。

 板接着後一晩置いて,真ん中に開けたスキマを埋め込み,面を整形します。表板の時と違い,こちら面の作業時には胴体が箱になってしまってますので,埋め木を裏がわから整形したり調整したりすることができません。そのため,埋め木はやや薄く削り,きっちり奥までおさまるようにしてあります。そのぶんあとでスキマができちゃったりするのですが,そこは桐粉やオガクズを埋め込んで,ニカワで固めます。
 ついでに埋め木の表面を,軽くヤシャブシで染めて補彩しておきましょう。

 今回,表板はハガしませんでしたので,周縁の整形は裏板がわのみ。
 胴材に余計な傷がつかないよう,マスキングテープで保護してから周縁を削り落としました。

 箱に戻った胴体ですが,今回の虫害は程度は浅いものの数が多く。板の接ぎ目沿いのものなどはまとめて処理しましたが,そのほかにも,内桁や周縁の胴材接着部,またまったく関係のないようなところにもポツポツと存在しています。
 前回も書いたように,現状,楽器の強度に影響がなさそうなものや,きわめて軽度なものは無視するとしても,穴やヘコミになってるものや,薄い割れを生じさせているものなどは,見た目的にも無視できませんので,それらを一つ一つ埋め込んでは整形・補彩してゆく地味な作業がけっこう延々と続きます。

 で,その間に----
 糸巻でも削ったりしておきましょうかね。

 去年のちょうど今ごろ,修理がたてこんだので糸巻の素体(丸棒の四面を斜めに落としたもの)を20本近く作ってあったんですが。その後,なんやかんやで糸巻の支出が多く,道具箱漁ったら残り1本になってしまってました…さあ,今年も斬りまくるど!

 ----というわけで。
 とりあえずは月琴2面ぶん+予備2本で計10本。 いつもいつも言ってますが,庵主,この素体作りがキライなだけで,ここから糸巻を六角形に削り出す作業はキライじゃないんですよ?

 まっすぐ縦に挽き割るのより,横に垂直に挽き切るのより,この繊維に対して浅く斜めに挽くというのは,木を切る時にいちばん大変なのですよ。その作業を1本の糸巻につき6センチx4面,ぜんぶつなげると月琴1面で1メートル近い長さを挽くわけですからね。

 今回は10本やりましたから,庵主はこの苦行を2メートル以上やり遂げたわけです。ちょっと前に,今までやったぶんを計算しましたら,ちょっとした旅路の距離になってましたわ,はぁ………もっと褒めてよ!讃えてよ!甘やかしてよおぉ!!

 失礼----作業の疲れから少々錯乱いたしました。(老眼鏡をクイッ)

 松音斎の糸巻には六角三本溝のものと六角一溝の2つのタイプが確認されていますが,今回の楽器と同等レベルのものにはだいたい後者が付けられていたようです。
 六角一溝の糸巻は国産月琴では一般的ですが,松派あたりの糸巻は,関東の作家のものに比べると若干短く,握り尻の帽子の部分が浅くあまり突き出していないもののほうが多いようですね。
 さすがにいままでこの工作だけのために,東海道五十三次か汽笛一声で東京圏からいくつか先の駅までの距離ノコギリ挽いて到達しているだけあり。年々,糸巻製作の速度が上がっている庵主ではありますが。素体切り出しからだいたい足かけ三日ほどで,一面ぶん4本の加工が完了。

 松音斎は工作精度が高いので,ほかの作家のように糸孔の大きさがバラバラなんてことはなく,どこの孔を基準に作ったものでも,他の孔に挿してまったく問題なく噛合いますね。その調整が要らないぶん短縮されても,やっぱり三日ぐらいはかかっちゃうもんですが。

 できあがった糸巻は,スオウで染めてオハグロで黒染め,仕上げは亜麻仁油と柿渋です。
 今回はミョウバン媒染をせず,薄めたオハグロを重ね塗って鉄媒染。指板の色に近い赤紫から赤茶の紫檀風にしてみました。

 で,小物パート2。
 菊のニラミ(月琴の胴表左右についている飾り)のうち左がわに一部カケがあります。これも補修しておきましょう。

 よく 「そこまでやるかッ!」 みたいなこと言われますが,この手の作業,庵主の大好物なんですよ----ええもう,本体の修理なんかよりずっと。(www)

 欠けているのは,てっぺんに3枚広がっている葉っぱのうち左向きの1枚。
 この菊のデザインは清楽月琴でよく見るタイプのものですが,前に修理した初期の松音斎(下画像)のものに比べると多少簡略化されており,後裔と思われる松琴斎や松鶴斎の楽器に付いてるのとほぼ同じになってますね。

 そんなに長くない月琴の流行時期に二千,四千といった数を作ったらしい人なので,後のものほどこうした省力化によるコストダウンがなされていったようすが,ここらへんからもうかがえます。

 さて,作業はいつもどおり。

 欠けてないほうのニラミから欠けてる部分のカタチを写し,左右反転させてホオの薄板からおおまかに切り出します。
 つぎに,切り出した補材を欠けたところに接着。
 接着剤はエポキで,裏面に和紙を貼り,この紙ごと接着して薄い樹脂の支えを作ります。この部分は貼りつける時表面を軽く荒しておけばふつうに接着できますからね。

 小さなヤスリやペーパーを貼った当て木などで,ほかの部分とつながるように整形し,最後に彫り線などの細かなところをつなげます。

 よく磨いたら,作業で擦れちゃった部分といっしょにスオウで赤染め,ミョウバン媒染,オハグロで黒染め。
 周辺と色を合わせてゆきます。

 まあ,よーく見ると継ぎ目に線がうっすら見えてますが,こんなものでしょう!

 できあがったお飾り類は,ざっと全体を染め直して色合いをそろえ,軽く亜麻仁油をはたいておきます。色止めと木部の保護のためですね。
 人と接しないまま乾ききった薄板は割れやすくなってますので,油を染ませてしなやかさを取り戻させるわけです。ただ,この作業。油が乾く前に貼りつけると表板に油染みが広がっちゃいますので,組み立てるけっこう以前にやっとかなきゃなりません。

 「古楽器の修理者」としての庵主の修理の手の早さ(技術的な事ではない)はそこそこなものだと思っておりますが,切った貼ったのワザではイロイロと抜け道もアリ,けっこうな速度をあげられる庵主ではありますが。さすがに乾燥に24時間かかるものを数分で乾燥させたり,硬化に三日かかるものを何秒かで固めちゃうような,物理をちょーえつした魔法の力は持っておりませぬ。
 いいや----修行してこの厨二力(ちゅうにぢから)をあげてゆけばいづれは何とか!----とは思っておりますものの(w)
 今回は,なんやかんやコロナ禍による稼ぎ仕事とのタイミング的な関係で,うまく段取りが回らず……このあたりでちょっと余計に時間がかかっちゃってます,ほんと申し訳ない。

(つづく)


月琴WS2021年5月五月場所!!

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斗酒庵 WS告知 の巻2021年 月琴WS@亀戸~5月~


*こくちというもの-月琴WS@亀戸 2021年・5月さつきにでびるめいくらい場所-*


 五月雨に流れたそうめんい○のいと

 4月場所にお集まりのみなさま,ご参加まことにありがとうございました!


 5月の月琴WSはつきすゑの29日(土)の開催予定。
 会場は亀戸 EAT CAFE ANZU さん。

 いつものとおり,参加費は無料のオーダー制。
 お店のほうに1オーダーお願いいたします。

 お昼下りのふわふわ開催。
 なにかとコロコロ対策はしておりますが,だいたい3時過ぎごろがピークなので,どうしても密を避けたい方は,早めのお昼過ぎごろが空いてますよー。

 美味しい飲み物・お酒におつまみ,ランチのついでに,月琴弾きにどうぞ~。

 参加自由,途中退席自由。
 楽器はいつも何面かよぶんに持っていきますので,手ブラでもお気軽にご参加ください!

 初心者,未経験者だいかんげい。
 「月琴」というものを見てみたい触ってみたい,弾いてみたい方もぜひどうぞ。


 うちは基本,楽器はお触り自由。
 1曲弾けるようになっていってください!
 中国月琴,ギター他の楽器での乱入も可。

 弾いてみたい楽器(唐琵琶とか弦子とか阮咸とか)やりたい曲などありますればリクエストをどうぞ----楽譜など用意しておきますので。
 もちろん楽器の取扱から楽譜の読み方,思わず買っちゃった月琴の修理相談まで,ご要望アラバ何でもお教えしますよ。相談事は早めの時間帯のほうが空いててGoodです。

 とくに予約の必要はありませんが,何かあったら中止のこともあるので,シンパイな方はワタシかお店の方にでもお問い合わせください。
  E-MAIL:YRL03232〓nifty.ne.jp(〓をアットマークに!)


 お店には41・49号2面の月琴が預けてあります。いちど月琴というものに触れてみたいかた,弾いてみたいかたで,WSの日だとどうしても来れないかたは,ふだんの日でも,美味しいランチのついでにお触りどうぞ~!

松音斎(2)

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斗酒庵松の葉音のすゑに聴きゐる の巻2021.3~ 松音斎(2)

STEP2 泣いて馬謖を切りました。(二人目)


 うえーん。

 虫食いの被害状況確認のため,保存状態のいい胴体に刃物を入れた依頼修理の松音斎。
 原作者の接着が上手く,必要最小量のニカワしか使われていなかったためか,虫食いの被害は数多いもののどこも限定的で,板の接ぎ目や板と胴材の接着面が浅く食われているていどであったようです。
 外見はキレイだがじつは中身がスカスカくらいの最悪の結果もありえたので安心する反面,このくらいの状態だったなら,ここまでせんでも良かったのにいぃ!ああ,カンペキなオリジナル状態の胴体ぃ!----と悔やむ古物愛好家の庵主でもありました。

 ともあれ----

 損傷の詳細が判明しましたので,あとはその補修と調整,そして組み直しを粛々とこなしてゆくだけですね。

 まずは上桁まではずし,桶状態にした胴の構造補強から。
 側板四方の接合にニカワを流し込み,胴にゴムをかけて再接着。
 もともと工作が良く,木口同士の接着面はまさに 「カミソリの刃も入らない」 ほどの精度で擦りあわされてますし,各部材もだいたい寸法がそろっているので,裏がわには段差もあまりありません。
 今回接合の補強は和紙を重ね貼りするていどで良いようです。

 すこしゆるめに溶いたニカワを染ませ,硬めの筆でたたくようになじませながら,目を交差させて3枚。
 薄めの和紙ですが,これだけでもかなりの強度になります。
 接着剤がニカワなので,防虫を兼ねつつ柿渋を塗布して補強。さらにその上からラックニスを軽く刷いて完成です。

 接合部の補強と同時に,響き線のお手入れもやっておきましょう。
 前回も書いたように,多少のサビは浮いているもののかなり良い状態です。

 表面の錆を丁寧に落し,柿渋を塗って黒錆の被膜を発生させます。
 塗って10分もしないうちに真っ黒になりますね~,カガク反応スゴいです。
 赤錆の粉とかこの黒汁が板に落ちるとエラいことになりますので,下には紙を敷いて作業をしています。桐板に使われているヤシャブシは鉄との反応が良い----良すぎますからね。ゼッタイ落ちないシミがついちゃいますよ~。
 数日乾かしたら,響き線全体と留め釘にラックニスを刷いて完成です。

 つぎに上桁
 分解の時に少し傷ついたものの,オリジナルも残ってはいますが----これあまりにも質がアレなので,手持ちの材で新しいのを作って交換します。
 オリジナルは厚さ8ミリ,松の板のようですが,腐ってもいないのに木目沿いに指でちぎれるくらい柔らかいというか,やたらスカスカした板です。板にする時の乾燥や保存が悪かったのか,もともとかなり若い樹----間伐材か何かから採った板だったとかかなあ。

 前に月琴ラックを作る時に使った松板がまだあるので,それで作っても良かったんですが----ここを少しいい材で作った時,この楽器の音がどう変わるのかに少し興味がありましたので,広葉樹のカツラの板で作ってみました。

 新しい上桁を取付け,胴の構造が固まったところで,いよいよ表板の虫食い退治です。

 表板は,板裏から確認できるだけで11枚接(は)ぎ。9箇所ある継ぎ目のうちじつに6箇所が食われており,そのうち3箇所は接ぎ目から光が透けて通るくらいスキマが開いちゃっています。

 食害の左右への広がりが最も大きい,左から三番目の継ぎ目は接ぎ目を中心に左右に5ミリほど,完全に板の上下を貫通している右から4番目の接ぎ目は,左右1ミリづつ切り取りました。
 そのほかスキマにはなっていないがしっかり食われちゃってる中心線あたりなど,数箇所を切り取ります。

 この感じだと,今回手を付けていないほかの接ぎ目も,おそらくは何かしらどこかしら食害を受けてるとは思うのですが,現状強度上の問題がなく,ズボっと孔があきそうにないようなところ以外は,とりあえずそのままにしておきます。そちらはいづれ割れ目が生じたり,ズボッと逝った時……未来に託しましょう。

 さて,掘った穴は埋めねばならず,あいたスキマはふさがにゃなりません。
 まず材料ですが----このところの修理で古い桐板の長い寸法のものが払底してしまいましたので,ネオクでちょちょいと調達。
 古い桐箱ですね。椿椿山なんて書いてありますが,もちろん中身は空。

 月琴の修理で使う桐板は,幅はそんなに要らないですからね。
 このくらいでじゅうぶん。箱一個あればしばらくだいじょうぶなんですが,なんかまとめ売りで…誰か桐箱要りませんか?(www)
 これをバラして切り刻みます。

 各補修箇所に合わせて整形し,ニカワで接着。
 桐箱の板は月琴の表裏面板より若干厚めなので加工がしやすいです。
 一晩置いてハミ出てる部分を削って整形します。

 裏がわもキレイに!
 ふさいじゃえば見えなくなるところですが,こういう部分こそが大事だってことはいつも言ってるとおりです。

 裏板を貼りつける前に,棹と胴体のフィッティングをしておきましょう。
 ふつうに挿してみますと,表板の水平面に対して指板の片側がわずかに下がってしまっているのが分かります。

 まあこういう時まっさきに疑うべきは新作した上桁の孔なんですが,今回の場合,そちらは問題ナシ----原因は 側板の棹孔の加工不良 ですね。2枚目の画像,丸で囲んだ右上の奥のほうが出っ張ってるのと,ガッチリ測ってみましたら,左下の角も反対がわより0.5ミリほど高くなってました。

 楽器を道具として使用するがわからしますと,こういうところが演奏上いちばん大切な部分なのですが,松音斎も松琴斎も,木部の加工や接着の技術はきわめて高いのものの,楽器がカタチになってからの,こういう 「調整」 がきわめて雑です。このあたり国産月琴の作者には多いですね,「仕上げ」は丁寧 ですが 「調整」が雑----月琴を作っている本人が「楽器としての月琴」のおさえるべき「ツボ」をちゃんと勉強していない,って感じですね。


 平行四辺形だった棹孔を四隅90度のカンペキな長方形にしますと,そのぶんユルくなっちゃいますので,棹基部には新たに突板を何枚か貼って調整。そのほか延長材とのV字接合部分が片側ハガれていたので再接着しておきます。

 あちこち調整・補修しながら再び挿してみますと,表面板の端と指板は面一になったんですが,こんどは基部の棹背がわのあたりにすこしスキマができるようになりました。

 この楽器,前修理者が基部を一度調整しており,スペーサのところから見るに,最大で1ミリ近くも削りこんじゃってるみたいですが。ここまでの状況から考えるに,音合わせの障害やフレットのビビリの原因を,この棹基部の加工不良とみて胴とピッタリ噛み合うように加工してしまったものじゃないかと----でもたぶんそれ,上で修理した延長材のハガレが原因だったようですね。
 ここがハガれてますと,糸を張った時の弦圧で棹頭が持ち上がります。これで音合わせをすると,糸巻を握りこんでる間は音が合ってても,手を離すと棹が動いて音がズレますわな。また楽器全体がわずかに弓なりになってるので,中音域でビビリが出たり音がミュートしちゃったりもしますね。

 へんな加工痕があるな…とは思ってたんですが。工作は実に丁寧できれいに仕上げされており,前修理者はここの調整にかなりの労力と時間をかけたようではありますが無駄でしたねぇ----まあここは,この楽器を知ってるとこういう場合真っ先に疑う箇所なんですが,これもケーケンがない場合しょうがないかもしれません。


 先に調整した指板と面板の接合部に影響が出ないよう,そこを支点として棹全体を棹背がわにわずかに傾け,前修理者の加工した接合部が,胴材とぴったり密着するように調整します----難しいことを言ってるって? やることは簡単なんですよ。上桁の孔の表板がわの辺を少し削って,削った分のスペーサを反対がわに埋め込むだけのことです。


 なんやかんやでこの作業,けっきょく今回も足かけ三日かかりました。

 その甲斐もあり,現状棹の出し入れはスルピタ。
 棹基部にも360度スキマのない見事な密着ぶり。
 ここの調整だけで,楽器としての操作性や音色がずいぶんと違っちゃいますからね。毎度のことながら時間をかけてしっかりやらせていただいております。

(つづく)


松音斎(1)

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斗酒庵松の葉音のすゑに聴きゐる の巻2021.3~ 松音斎(1)

STEP1 松とて春はめぶくもの

 さて,清楽・明清楽流行時に名器と謳われた天華斎,老天華の修理を終えたばかりですが,続くときには続くもので…
 依頼修理の楽器がまた1面,到着いたしました。

 胴裏面にラベルが残ってますね。

 いちばん左の字がほとんど欠けてますが,松音斎----庵主が「松派」と呼んでいる大阪の製作者群の一人で間違いありません。ほかに「松琴斎」「松鶴斎」というのがおりますが,そのなかでもおそらくいちばん古く,かつ最も技術の高い作家さんです。

 パッと見,欠損は糸巻と棹上のフレット3枚のみ----表裏の板も白く,胴側や棹や糸倉にもさほどのキズやヨゴレは見えません。糸巻だけちゃちゃッと削って挿しちゃえば,すぐにでも使えそうな感じ----いやいや,なれば…なればこそ,思い出していただきたい! 庵主がいつもいつも言っているコトバを。

 「キレイな古物にはトゲがある」 ,と。

 はい----1カメさん,ちょーっと胴体に寄っちゃってください。

 はい…もうちょい。

 ハイ----どうぞッ!

 うぎゃあああああああッ!

 そのキレイで真っ白な胴体に,
 ポツポツポツ
 虫の…虫食いの痕があっちにもこっちにも。

 欠損部品は少なく,保存状態はいい。

 この板が,ふつうに割れてるだけだったらよかったんですけどね----

 単純に使用による欠損摩耗や保存保管の不備による損壊などと違って,「前修理者」やこうした「虫」など,生物のやらかしたことは,木の理屈が通じないだけに厄介なのです。ここまで食われまくってますと,外見からだけでは実際にどこがどの程度の食害を被っているのか,現状どこがどうなっているのかは庵主にも分かりません。このままの状態で損害状況を調べるには,高度な非破壊検査の機械にでもかけるしかないでしょうね。

 ああ…側板と表裏板の間にもほとんどスキマがありませんね。
 虫には食われてますが,ほとんどの接着箇所はほぼ製作当時のままみたいです。

 庵主は蒼き衣をまといて黄金の草原に降り立った者ではないので,これを食いまくった虫のキモチなんぞ分かりませぬゆえに,この古物骨董的には最高に「保存の良い」状態である楽器を「使えるようにする」ためにはまず,古物骨董的な価値が0になるくらいまでバラバラにぶッ壊し,「どこがどうなっているのか」を徹底的に把握しなきゃならんのです。
 ふッ………以前54号(山形屋)なんかの時にも同じようなメに遭いましたが…門前の小僧とはいえ古物屋で働いた経験のある庵主にとっては,かなり胃袋にくる修理作業となりそうですわい。


 まずは安全に剥がせるものはずせるものを極力はずしてしまいましょう。

 ああ…さすが松音斎。
 名古屋の鶴寿堂あたりに爪の垢でも煎じて飲ませたいものですね----5Lくらい。

 通常のメンテナンスで剥がす必要のあるもの,装飾やフレットは,そのままではつまんでゆすってもまるでビクともしませんが,周縁に筆でお湯を刷いてしばらくおくと,ほれ----

 逆に,通常の使用ではずれては困るような半月などは,同じようにやってもちょっとやそっとではハガれないようにしてあります。フレットやお飾り類は1時間もすればハガれましたが,半月は同じようにやって一晩以上かかり,最後は細長く切ったクリアフォルダでしごき切ってようやくはずれたくらいです。


 さらに,そこらの作家さんの場合,こうして強力に接着されていた箇所を指で触ると,ヌルヌルしてたりベトベトしてたり,ニカワの層があるもんですが,松音斎の場合は触ってもさらりとしてて,ベタつきがほとんどありません。
 「最少のニカワで適度な圧」という,ニカワ接着の最良のお手本みたいな感じです。
 接着そのものの技術もさりながら,その前段階,すなわち接着面の整形がスゴいんですね。接着面がどれだけ密着しているか----月琴の場合は,片面が桐板という空気を含みやすい柔らかな材質だからいいんですが,たとえばこれが水の滲みにくい硬木で,両面スキマに空気も入らないくらい精密に加工されているのが同じようにニカワで接着されていたら,分離しろと言われれば,庵主,迷うことなくノコギリを手にしますね。

 剥がした後,ほとんどベタつきのない接着面に水を刷いてしばらくすると,表面にしみこんでいたニカワが浮き出てきますので,濡れ布巾でこれを拭い取れば後始末も完了。ニカワの使い過ぎは逆に強度を下げるだけじゃなく,後世の修理者にとってもメイワクでしかないわけですね……庵主も自重自省いたしましょう。

 簡見したところ,虫による食害は表板のほうが酷く,裏には向かって右手の一箇所以外ほとんど見当たりませんが,調査の為「ぶッ壊す」にあたり精神的な負担が少なく,後々のフォローも利きそうなのは,やはり裏板がわです。

 はぁ………

 と,ひとつため息を漏らしつ,ひとまず野蛮な行為へと身をゆだねましょう。裏板の貫通した割れの上端は,ちょうど胴左上の接合部にあたっており,そこに3ミリほど板端の浮いたところがあります。そこから刃物を入れて----

 べりべりべり…

 ううう…調査確認のため修理のためとはいえ,虫食い以外はほとんどキズのないウブな胴体に,余計なキズをつけてしまいました。

 内部は思ってたよりはキレイでした。
 表面から見えた虫害がけっこうなものでしたので,もっと汚れてるかと思ったのですが…

 虫の喰いカスが少々と,割れのスキマから入ったらしいホコリが全体を軽く灰色に覆ってたくらいですね。製作時に入ったと思しい胴材のカンナ屑みたいのも少し出てきました。
 内桁は二枚。おそらく松材で,上桁は厚さが均一(8ミリ)ですが,下桁には一端が11ミリ反対がわが3ミリというおかしな板が使われています。上下どちらも表裏の板と側板の裏にニカワづけしただけの単純接着で,唐物のように側板に溝を彫ってはめこんだものではありません。
 国産月琴ではこの内桁の接着がおざなりにされていることが多いのですが----さすが松音斎,この部品の接着具合が楽器の音に影響することが分かってるようで,かなり強固に取付けられていました。

 上桁には棹なかごを受ける孔のほか,響き線を通す穴が片側に一つ。
 下桁は一見何もないような感じでしたが,よく見ると真ん中のあたりに小さな孔が2つ,並んであけられてます----左右での厚みの差も含めて,工作の意図はまったく分かりませんが。

 響き線は胴の右肩から上桁をくぐって胴腹をめぐるタイプ。
 基部の位置や形式は唐物のそれに近いですが,線が直挿しでなく木片を噛ませてあることと,線の曲りが唐物よりもキツめです。

 基部の位置は唐物と同じですが,上桁をくぐってから先の形は,上桁の下に基部のあるタイプのそれに近くなっています。このまんま横に基部を付けたら,唐木屋あたりの楽器でよく見る響き線とほとんど同じになりますものね。

 こうしたあたりからも,松音斎という作家の楽器には,月琴の構造が唐物のコピーから,この国の職人による独自のスタイルへと変ってゆく中間段階,「国産月琴」の萌芽と言えるカタチがはっきり見て取れると言えるかもしれません。

 響き線も,最初見た時は全体がホコリで灰色になってましたが,表面を拭ったら,若干サビは浮いているものの,銀色のところも見えるていど。かなり良好な状態のようです。

 とりあえずここまでで,目視できる範囲での内外の状況は調べ終わりました。
 ここまでで分かったことをフィールドノートにまとめておきましょう。

 幸いなことにというかご愁傷様というか……オモテから見るとけっこう派手で深刻そうな食害痕だったのですが,内部の精査から,内桁や胴側材までとどいているのが2~3箇所あるものの,多くは板裏まで到達しておらず,またほとんどが板の矧ぎ目に沿ったものかごく表面的なもので,横方向への広がりもあまりなさそうだということが分かってきました。
 原作者の接着技術が神級なので,虫たちの狙いであるニカワの使用量が,通常よりきわめて少なかったおかげでしょうね。

 虫食い楽器の修理自体は何度もやったことがありますし,その中にはもっとヒドい,表裏の板や側板がスカスカになっちゃってるのまでありました。逆にそこまでオンボロになってると,どこかしら板がベリっと剥がれてたり,接合がパックリいってたりするので,損傷個所の状況を把握することも容易にですし,修理するがわのキモチ的にもかえってこうラクなんですが……この楽器のように,虫が食ってるところ以外は保存状態が超絶良好でスキマのひとつもないがゆえに,損傷の度合いが測れない,というケースはあまり経験がありませんね。

 ほかに状態確認の手段がなかったとはいえ,結果として虫食い箇所以外はほぼカンペキな保存状態の楽器の板を剥がしちゃったわけで----古物愛好家としましては 「ふふふ……修理とは修羅道なりとしゅらしゅしゅしゅ」 などと一句詠んでしまえる精神状態ではありますが,これをこれからどこまでリカバーしつつ楽器を再生してゆけるかが,今後の作業の指針となってゆきましょう。


(つづく)


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