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松音斎(1)

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斗酒庵松の葉音のすゑに聴きゐる の巻2021.3~ 松音斎(1)

STEP1 松とて春はめぶくもの

 さて,清楽・明清楽流行時に名器と謳われた天華斎,老天華の修理を終えたばかりですが,続くときには続くもので…
 依頼修理の楽器がまた1面,到着いたしました。

 胴裏面にラベルが残ってますね。

 いちばん左の字がほとんど欠けてますが,松音斎----庵主が「松派」と呼んでいる大阪の製作者群の一人で間違いありません。ほかに「松琴斎」「松鶴斎」というのがおりますが,そのなかでもおそらくいちばん古く,かつ最も技術の高い作家さんです。

 パッと見,欠損は糸巻と棹上のフレット3枚のみ----表裏の板も白く,胴側や棹や糸倉にもさほどのキズやヨゴレは見えません。糸巻だけちゃちゃッと削って挿しちゃえば,すぐにでも使えそうな感じ----いやいや,なれば…なればこそ,思い出していただきたい! 庵主がいつもいつも言っているコトバを。

 「キレイな古物にはトゲがある」 ,と。

 はい----1カメさん,ちょーっと胴体に寄っちゃってください。

 はい…もうちょい。

 ハイ----どうぞッ!

 うぎゃあああああああッ!

 そのキレイで真っ白な胴体に,
 ポツポツポツ
 虫の…虫食いの痕があっちにもこっちにも。

 欠損部品は少なく,保存状態はいい。

 この板が,ふつうに割れてるだけだったらよかったんですけどね----

 単純に使用による欠損摩耗や保存保管の不備による損壊などと違って,「前修理者」やこうした「虫」など,生物のやらかしたことは,木の理屈が通じないだけに厄介なのです。ここまで食われまくってますと,外見からだけでは実際にどこがどの程度の食害を被っているのか,現状どこがどうなっているのかは庵主にも分かりません。このままの状態で損害状況を調べるには,高度な非破壊検査の機械にでもかけるしかないでしょうね。

 ああ…側板と表裏板の間にもほとんどスキマがありませんね。
 虫には食われてますが,ほとんどの接着箇所はほぼ製作当時のままみたいです。

 庵主は蒼き衣をまといて黄金の草原に降り立った者ではないので,これを食いまくった虫のキモチなんぞ分かりませぬゆえに,この古物骨董的には最高に「保存の良い」状態である楽器を「使えるようにする」ためにはまず,古物骨董的な価値が0になるくらいまでバラバラにぶッ壊し,「どこがどうなっているのか」を徹底的に把握しなきゃならんのです。
 ふッ………以前54号(山形屋)なんかの時にも同じようなメに遭いましたが…門前の小僧とはいえ古物屋で働いた経験のある庵主にとっては,かなり胃袋にくる修理作業となりそうですわい。


 まずは安全に剥がせるものはずせるものを極力はずしてしまいましょう。

 ああ…さすが松音斎。
 名古屋の鶴寿堂あたりに爪の垢でも煎じて飲ませたいものですね----5Lくらい。

 通常のメンテナンスで剥がす必要のあるもの,装飾やフレットは,そのままではつまんでゆすってもまるでビクともしませんが,周縁に筆でお湯を刷いてしばらくおくと,ほれ----

 逆に,通常の使用ではずれては困るような半月などは,同じようにやってもちょっとやそっとではハガれないようにしてあります。フレットやお飾り類は1時間もすればハガれましたが,半月は同じようにやって一晩以上かかり,最後は細長く切ったクリアフォルダでしごき切ってようやくはずれたくらいです。


 さらに,そこらの作家さんの場合,こうして強力に接着されていた箇所を指で触ると,ヌルヌルしてたりベトベトしてたり,ニカワの層があるもんですが,松音斎の場合は触ってもさらりとしてて,ベタつきがほとんどありません。
 「最少のニカワで適度な圧」という,ニカワ接着の最良のお手本みたいな感じです。
 接着そのものの技術もさりながら,その前段階,すなわち接着面の整形がスゴいんですね。接着面がどれだけ密着しているか----月琴の場合は,片面が桐板という空気を含みやすい柔らかな材質だからいいんですが,たとえばこれが水の滲みにくい硬木で,両面スキマに空気も入らないくらい精密に加工されているのが同じようにニカワで接着されていたら,分離しろと言われれば,庵主,迷うことなくノコギリを手にしますね。

 剥がした後,ほとんどベタつきのない接着面に水を刷いてしばらくすると,表面にしみこんでいたニカワが浮き出てきますので,濡れ布巾でこれを拭い取れば後始末も完了。ニカワの使い過ぎは逆に強度を下げるだけじゃなく,後世の修理者にとってもメイワクでしかないわけですね……庵主も自重自省いたしましょう。

 簡見したところ,虫による食害は表板のほうが酷く,裏には向かって右手の一箇所以外ほとんど見当たりませんが,調査の為「ぶッ壊す」にあたり精神的な負担が少なく,後々のフォローも利きそうなのは,やはり裏板がわです。

 はぁ………

 と,ひとつため息を漏らしつ,ひとまず野蛮な行為へと身をゆだねましょう。裏板の貫通した割れの上端は,ちょうど胴左上の接合部にあたっており,そこに3ミリほど板端の浮いたところがあります。そこから刃物を入れて----

 べりべりべり…

 ううう…調査確認のため修理のためとはいえ,虫食い以外はほとんどキズのないウブな胴体に,余計なキズをつけてしまいました。

 内部は思ってたよりはキレイでした。
 表面から見えた虫害がけっこうなものでしたので,もっと汚れてるかと思ったのですが…

 虫の喰いカスが少々と,割れのスキマから入ったらしいホコリが全体を軽く灰色に覆ってたくらいですね。製作時に入ったと思しい胴材のカンナ屑みたいのも少し出てきました。
 内桁は二枚。おそらく松材で,上桁は厚さが均一(8ミリ)ですが,下桁には一端が11ミリ反対がわが3ミリというおかしな板が使われています。上下どちらも表裏の板と側板の裏にニカワづけしただけの単純接着で,唐物のように側板に溝を彫ってはめこんだものではありません。
 国産月琴ではこの内桁の接着がおざなりにされていることが多いのですが----さすが松音斎,この部品の接着具合が楽器の音に影響することが分かってるようで,かなり強固に取付けられていました。

 上桁には棹なかごを受ける孔のほか,響き線を通す穴が片側に一つ。
 下桁は一見何もないような感じでしたが,よく見ると真ん中のあたりに小さな孔が2つ,並んであけられてます----左右での厚みの差も含めて,工作の意図はまったく分かりませんが。

 響き線は胴の右肩から上桁をくぐって胴腹をめぐるタイプ。
 基部の位置や形式は唐物のそれに近いですが,線が直挿しでなく木片を噛ませてあることと,線の曲りが唐物よりもキツめです。

 基部の位置は唐物と同じですが,上桁をくぐってから先の形は,上桁の下に基部のあるタイプのそれに近くなっています。このまんま横に基部を付けたら,唐木屋あたりの楽器でよく見る響き線とほとんど同じになりますものね。

 こうしたあたりからも,松音斎という作家の楽器には,月琴の構造が唐物のコピーから,この国の職人による独自のスタイルへと変ってゆく中間段階,「国産月琴」の萌芽と言えるカタチがはっきり見て取れると言えるかもしれません。

 響き線も,最初見た時は全体がホコリで灰色になってましたが,表面を拭ったら,若干サビは浮いているものの,銀色のところも見えるていど。かなり良好な状態のようです。

 とりあえずここまでで,目視できる範囲での内外の状況は調べ終わりました。
 ここまでで分かったことをフィールドノートにまとめておきましょう。

 幸いなことにというかご愁傷様というか……オモテから見るとけっこう派手で深刻そうな食害痕だったのですが,内部の精査から,内桁や胴側材までとどいているのが2~3箇所あるものの,多くは板裏まで到達しておらず,またほとんどが板の矧ぎ目に沿ったものかごく表面的なもので,横方向への広がりもあまりなさそうだということが分かってきました。
 原作者の接着技術が神級なので,虫たちの狙いであるニカワの使用量が,通常よりきわめて少なかったおかげでしょうね。

 虫食い楽器の修理自体は何度もやったことがありますし,その中にはもっとヒドい,表裏の板や側板がスカスカになっちゃってるのまでありました。逆にそこまでオンボロになってると,どこかしら板がベリっと剥がれてたり,接合がパックリいってたりするので,損傷個所の状況を把握することも容易にですし,修理するがわのキモチ的にもかえってこうラクなんですが……この楽器のように,虫が食ってるところ以外は保存状態が超絶良好でスキマのひとつもないがゆえに,損傷の度合いが測れない,というケースはあまり経験がありませんね。

 ほかに状態確認の手段がなかったとはいえ,結果として虫食い箇所以外はほぼカンペキな保存状態の楽器の板を剥がしちゃったわけで----古物愛好家としましては 「ふふふ……修理とは修羅道なりとしゅらしゅしゅしゅ」 などと一句詠んでしまえる精神状態ではありますが,これをこれからどこまでリカバーしつつ楽器を再生してゆけるかが,今後の作業の指針となってゆきましょう。


(つづく)


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