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福州清音斎2(4)

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斗酒庵,清音斎と再会す の巻2021.5~ 清音斎(4)

STEP4 異世界しめつけ上級者の冒険

 さて,それでは楽器の再生に向け,修理作業を本格化させてまいりましょう。

 まずは過去の損傷や上物の除去,および板の剥離の作業で傷んだ部分の補修です。

 裏板や側板の接着部を中心に,エグれたところに桐塑を盛りつけてゆきます。
 フレークタイプの木粉粘土の払底により,前回くらいから使い始めた桐塑ですが,慣れちゃうとまあさほどの違和感もなく,前と同様に作業が出来ますね。

 桐の木粉を寒梅粉で練って作る桐塑は,木粉粘土にくらべると粘着力が若干劣るのですが,粉粘土より粒子が細かいので,乾燥後の整形では前よりもっと精密なことが可能になりました。粘着力のほうも,どうしてもという時は少量の木工ボンドを混ぜると,木への食いつきがかなり良くなりますね。作業箇所にあらかじめニカワを塗っておき,乾かないうちに盛るという手も有効のようです。

 あとでエポキを染ませますので,盛った後の整形は軽く平らに均す程度にします。エタノールでエポキをゆるめたものを細筆で塗布,一晩以上置いてから整形してゆきます。
 一度盛った部分を修整する時も,エポキを染ませる前なら,ちょっと水をつけただけで簡単にハガせるというのもいいですね。

 つづいては天の側板の(楽器正面から見て)左の接合部
 ここは裏板を剥がす前からヒビが入ってガタガタしてたんで,エイッとモギとりました。
 左側板はほとんどはずれてましたし,板の収縮による歪みも相当なものだったでしょうから…このモロい接合部分への被害がこの程度でむしろ安心したというか----

 破断面の中心に2ミリの孔をあけ,竹棒を挿して接着します。接着面がせまい割に,構造上力のかかる箇所なので,ここはエポキを使います。
 破断面をエタノールで拭い,少し染ませてからエタノが乾く前にエポキを少量,竹棒と孔にはたっぷりつけて押し込みます----このとき取付け位置を微調整できるよう,竹棒は孔より少しだけ細めに削ってあります。
 位置が固定されたら,破断箇所より少し大きめの範囲で,エポキで裏面に薄い和紙を貼りつけます。

 硬化後,最後に表がわにハミ出たぶんを軽くこそげて完成です。
 裏面に和紙を貼るのは薄いエポキの層を作って補強するためですね。ペーパーで表面を少し荒らしておくと,この上からニカワもつきます。

 接合部の補修も済んだので,いちど側板を戻して仮組みしてみましょう。

 剥離していた(楽器正面から見て)左の側板が全体に1ミリほど板の縁から飛び出てるのをはじめ,地の側板が少し伸びてしまっているようです。板の中央を板縁に合わせると,左右の接合部が少し浮きあがってしまいます。

 どちらもおそらく,原因は表裏の板の収縮でしょうね。
 事前の計測でこの楽器の胴は,縦が350横が345と横幅が5ミリほどせまくなってました。もちろんこの差5ミリがぜんぶ縮んだ結果ではないでしょうが----表裏ともこれだけでっかい節目のある板が使われているのですから,1ミリや2ミリ小さくなっちゃってても庵主は不思議に思いません。逆にこれだけ問題の出そうな板を使ったうえ,数十年の放置の結果がこの程度,というほうがむしろ僥倖と言えるくらいかもしれませんね~。
 現状の破損や部材の変形への過程を推察するなら,おおよそこんな感じかな----

 1)板が左右方向に縮む。内桁は板ほど縮まず。
 2)左側板が内桁に押し出されるようなカタチとなって,板から剥離。
 3)地の側板が左右側板に引っ張られ,薄い接合部付近が伸びた。

 地の側板の全体が伸びず,接合部に近い左右だけが変形しているのは,ここに棹がささっていたからもありましょう。

 とりあえず,このまま組み合わせても合いそうにはないので。まずは板の縮んだぶん内桁を少し削って左側板が板の縁におさまるようにしますね。

 左側板がおさまるようになったところで,内桁の表板から剥離している部分を再接着。ついで,ふたたび仮組みし,側板の変形部分を矯正します。この時点では,剥離していた側板はまだ接着してません。

 板縁から浮いてしまっている部分の内がわを筆で濡らし,さらにお湯を含ませた脱脂綿を貼りつけてゴムをかけまわし,しめつけておきます。
 一気にやるととつぜんバッキリと折れたり割れたりする可能性があるので,時間をかけて何度も,ゆっくりと修整してゆきましょう。
 まあこの手の変形の原因は,まま材料の質自体に因るところもありますので,「完全に元通りにする」というのは難しいですから。ハミ出しが0.5ミリ以内……うまく0.2ミリくらいになってくれて,範囲が狭ければ,いッそ削って均しちゃってもいいかもですね。

 側板の矯正作業中は胴体に手出しが出来ませんので,ほかの部分を進めておきましょうかね。
 まずは,なくなっている糸巻1本の製作。
 最初のほうの回で書いたように,唐物月琴の糸巻は通常,こういうカタチをしています(下左画像)----

 これに対し,本器についていた糸巻は国産月琴と同じ,角ばった六角面取りのタイプでしたので後補が疑われたわけですが,後であらためて調べてみますと,流行晩期の楽器には,唐物であっても,これと似たようなタイプの糸巻(上右画像)が使われたりしてたようです。
 今は天華斎仁記の作じゃないかと考えている25号(しまうー)についてた虎杢の糸巻も,木目は派手ですが,同じ六角面取り,無溝でしたね。

 また糸孔の大きさや面取り部分の表面処理の加工が,日本の職人さんの手と少し違ってますので,これはこれでオリジナルと考えてもよさそうです。

 というわけで,いつもの通り,ちゃっちゃとめん棒を削ります。前回の余った素体で一度作り上げたのですが,いざ付けてみるとほかの3本と長さが合わず,もう1本素体から作り直すことになりました。
 オリジナルの糸巻,測ってみたらいちばん長いもので13センチ近くあったんですよね。ふだん36センチの長さのめん棒を3等分して素体を作ってますので,1センチ近く足りなかったわけです。まあ今回必要なのは1本だけなので気はラク。

 次に山口(トップナット)
 もともとついてたコレ(下左)は,材質や糸溝の加工などからして,おそらくオリジナルの部品だったとは思うのですが。ギター化魔改造を目論んだらしい前修理者の手により,高さ6ミリくらいに削られちゃってますのでさすがに使えません。
 唐物月琴の山口は,国産月琴のに比べるとやや高いことが多いので,とりあえず13ミリで作っておいて,後で調整に際し必要に応じ削ってゆけるようにしておきましょう。

 材料はタガヤサン(鉄刀木)。むかし銘木屋さんでもらってきた切れ端で,割れ止めの樹脂も貫入してるような部分ですが,このくらいの大きさの部品ならじゅうぶん切り出せそうです。

 カマボコを縦割にしたカタチに削り出し,幅や高さを調整したら,次に左右の木口をなだらかに整形して富士山型にします。素材がちょっとアレなので,今回はエタノとエポキで樹脂浸透,強化してあります。

 同じ樹脂浸透を,弦の反対がわになるこっちの部品にもほどこしておきましょう。

 この楽器でいちばんグラム単価の高い部品かも----タガヤサン製の半月ですね。たびたび書いているように,この木はある日突然理由もなくバッキリ逝っちゃうこともある,あまり性質の良くない木材です。鉄のように硬いかわりに粘りがなく,とてもモロいのですね。
 とはいえ,タガヤサンの崩壊はたいがい,木の内部から発生します。樹脂を表面に塗ったくったくらいじゃあんまり意味がありませんので,ジップロックに入れて,エタノールで緩めたエポキの液に漬けこんでやりました。

 ポイントは口を閉じるとき,袋のほうを水に漬けるなどして,中の空気をできるだけ抜いておくことですね。あと半月本体にあらかじめエタノを滲ませておくのもいいかと。

 エポキの硬化時間にもよりますが,10~30分も漬け込めば良いです。硬化時間を越えて漬け込んでも,滲みこめなかったエポキがダマになってプカプカし出すくらいであまり意味はありません。細かい装飾のあるものだと,そうした樹脂の塊が付着して,後始末がタイヘンになりますのでご注意。また,素材がぶ厚かったり大きかったりする場合は,この方法だとちょっと無駄ですね。

 そもそも工場や研究所でやるような真空浸透法には遠く及びませんが,これでただエタノを塗りつけたのよりはなんぼか深く滲みこみますよ。
 あとは良く乾かして磨くだけ。「塗った」のと違って表面に層ができませんので,下地の木目やいかにも手作業といった細かな作業痕なんかはそのまま残ります----前々回の老天華(量産型)の半月も,あんなに虫に食われてなければこの手で再生したかったですね。
 ちなみにエポキだとこの後もちゃんと塗料がのりますし,表面を少し荒らしてあげればニカワでの接着も可能ですよ。

(つづく)


福州清音斎2(3)

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斗酒庵,清音斎と再会す の巻2021.5~ 清音斎(3)

STEP3 見慣れた景色に潜む日常

 棹なかごが胴体を貫通している----という,清楽月琴ではあまり見ない特徴から,トンデモな内部構造が期待された福州清音斎でしたが。
 裏板をあけてみるとそこには意外と見慣れた景色が………

 胴中央近くに内桁一枚,楽器(正面から見て)右肩に響き線の基部。線はそこから内桁の孔を通って,楽器下端の中央手前まで弧を描いて伸びています。

 通常と異なるところといえば,線のコースがやや胴側がわに寄っていることと,先端が丸めてあることぐらいでしょうか。
 響き線がぶッといですね。直径は1.2…いや1.5ミリくらいかな?
 一概に唐物月琴の響き線は国産月琴のそれに比べると太めで,前に手掛けた玉華斎がこれと同じくらいあったと思います。春先の老天華(量産型)なんかはもうちょっと細く,国産月琴に近かったですね。

 線が太いと,高音域での効きがやや薄くなりますが,長い弧線にありがちな調整の難しさが多少軽減されます。線が細いほうが余韻に与えるエフェクトが大きいのですが,長くすればするほど,線自体の振れ幅の増大と自重によって器体に触れやすくなります。楽器内部のどこかに触れたとたん,エフェクトはなくなってしまいますからね。
 線が太ければ,多少長くても振れ幅の差異は小さいので調整は比較的ラクで済みます。

 先端を丸めてあるのはやはり,棹なかごにひっかからないようにするためでしょうかね。いくつかの楽器ではここを同様に加工し,先端の重さを増すことで楽器の振動に対する振れを大きくする目的があったようですがこれは……いやいや,考えすぎでしょうねえ。繊細な鋼線ならともかく,ここまでぶッ太い頑丈そうな線だと,こういう加工にしてもあまり変わらん気がします。

 全体に,それほどではないもののけっこうサビが浮いています。
 特に基部付近が真っ赤でガサガサになっちゃってますね。やはり線が太いので,このていどならたぶん大丈夫だとは思いますが……

 内桁も----太いというかぶ厚いというか…15ミリもありますね。ふつうは厚くても1センチくらいでしょうか。桐製のようで,天華斎や老天華のように側板に溝を切ってのはめ込みではなく,木口にニカワを塗って内壁に直接接着してあるだけですね。まあ,側板のほうは接着に難のある唐木ではなさそうですし,このくらい厚みがあればニカワによる接着だけでもじゅうぶんに強度は保てましょうか。

 楽器右がわに響き線を通す孔。前回の老天華と同じく木口から鋸を入れて木の葉型に挽き切っただけのものです。日本の職人さんだと両端に錐で孔を穿ち,挽き回しでキレイに貫くとこですが,このあたりは大陸風。ただ,この加工だと板の一端を真ん中から割っちゃってるのと同じなので強度的には少し問題があります。実際,孔のあるがわの端っこが,押すとブニブニ沈み込みます。(汗)柔らかい木なので,あんまりいじると折れちゃいそうですね。

 中央にある棹なかごを通す孔は,幅39と,棹なかごの幅よりかなり大きめにあけられています。長いなかごを通しやすいよう,ひっかからないように,という配慮なのかもしれません。

 表面の棹口とお尻の孔は,だいたいなかごの寸法きっかりにあけられていますから,棹にかかる力はじゅうぶんに受け止められますし,グラつきも少ない。弦圧は分散されているので,53号のように棹口部分に力が集中し,天の側板が変形するような恐れはないわけですが。この中央部分が胴とちゃんとフィットしていないのは,音響的にはどうなのかな?----というあたりは気になります。

 剥がしたあとの接着面をキレイにしましょう。

 表板がわから剥離している,左側板と地の側板も取り外してしまいます。 取り外した側板の接着部にはセメダインやボンドがなすりつけられていました……いちおう,元のカタチに戻そうとはしたみたいですね。原作者がニカワを塗った上からやったので,ぜんぜんくっつかず,結局諦めたようですが。

 再組立てのとき支障とならないよう,古いニカワとともにできるだけこそげ取っておきます。裏板のウラがわも同様に。

 胴内にたまったホコリもはらい落とし,キレイになったところで。
 あらためて内部を計測,記録をしておきます。
 結果をまとめて描きこみ----今回のフィールドノート,完成です!

 たかが修理で,毎回なんでこんなメンドくさいことをやっとるのか----と,いうことを時々言われます。もちろん庵主は本業楽器の修理屋さんじゃなく,この楽器とその音楽周辺の研究屋なので,資料・記録として,という部分がメインではありますが。

 人間の目というものは,一度に立体物のただ一面を各個別に見ることしかできません。部分にとらわれると,その部分の全体での役割についての考察がなおざりにされがちです。
 こうして分かったことを「絵」というものにまとめることで,上下左右に表裏,個々の部分の関係性までが一度に見てとれるようになりますんで,損傷の原因や構造の理由,このあとの修理の方向性を考やすくなります。「マズい修理」 というものはとかくこうした下調べや準備をちゃんとやってない,いわゆる 「やッつけ仕事」 の結果であることが多いんですね。製作の場合はいくらでもつじつまが合わせられますが,修理の場合はあとで 「ああ,ここはこのためにこうなっていたのか…」 ということが分かっても,すでに手遅れの場合が多いのです。そういう事態を少しでも減らし,よりオリジナルに近い状態でないと,庵主にとっての楽器を修理することの目的である音やら音階やらのあたりのデータが不正確なものになりかねませんしね。

 剥離していた部分の接着面をキレイになったら,次は響き線のお手入れです。まず下に新聞紙を敷きつめ#400のSHINEXで表面のサビをこそげます。サビの粉----すなわち鉄分は,桐板に使われているヤシャブシと反応しやすく,黒ずみやシミの原因になっちゃったりしますので注意です。基部周辺と先端部分といった特にひどい箇所を中心に,ガサガサになってるサビがあらかた落ちたところで,次に木工ボンドを塗布。

 一晩置いて,付着したボンドを刃物とSHINEXで浮いたサビごとこそぎ,軽く磨いたら,下敷きをラップに替えてこんどは柿渋を塗ります。
 柿渋が鉄と反応し真っ黒になって乾いたら,キッチンタオルで拭い取り,それを2度ほどくりかえします。そして仕上げにラックニスを軽く刷いてできあがり。

 線が太くて頑丈なぶん,いつもよりガッっとやれますねえ。

(つづく)


福州清音斎2(2)

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斗酒庵,清音斎と再会す の巻2021.5~ 清音斎(2)

STEP2 中2のころ,13日の楡街に "それ" はいた。

 見たい…はやくこの月琴のハラワタが見たいよぉぉお----

 と,いうわけで----
 日々刻々とつのる世界への破壊衝動を,右腕に巻いた聖骸布のホータイで封印しつつ調査・記録を続けております斗酒庵主人でございます。

 まずは前回の続き,この楽器の,清楽月琴としては目立った特徴である,長い棹なかごから。

 この棹なかごは,棹口から胴内を貫通して,楽器のお尻のところに1センチほどつきだしています。延長材は,松かヒノキのような針葉樹ですね。松よりは少し粘りがある気がします。

 棹基部の棹オモテがわに「九」の墨書があります。

 九番目に作った楽器なのか,大きさ的な「九号」の意味なのかはいまいち不明ですが,裏板の棹口のあたりにも蘇州碼字(中国南方で数字の代わりに使われていた符牒記号)で「9」にあたる「文」か「久」みたいな記号が見えますのでこれと同じなのかな。

 お尻のほうはかなり色が薄くなっちゃってますが,棹の楽器の外に出ている部分は唐木風に染められています。

 紫檀よりはタガヤサンに似せた感じかな,ちょっと目には分からないくらいかなり自然でいい色あいですね。棹基部とお尻の部分に残る染め痕から見て,庵主がいつもやってるのと同じスオウを主体とした染めのようです。そうやって基部辺りまで染めてあるため,棹の元の材質は判然としませんが,指板部分のフレット痕などから見える木地はかなり色が薄く,やや黄色っぽい感じ,木理からも考えて,おそらくは春先の老天華と同じく,ラワン材の類だと推測されます。

 これでようやく外面からの観察は終了……ゃっはーッ!!バラバラにして

 などと世紀末チンピラ風台詞を口遊みながら,まずは棹や表板上に接着されている物をはずしてゆきます。
 フレットや山口の状況から考えて,庵主より前に 「修理(?)」 を施したものが複数人いたのは確実なようですが……さて,どんなことになっているものやら。

 指板部分のお飾り等は比較的簡単にハガれました。
 除去痕を清掃すると,パリパリカサカサとした透明な膜がハガれてきます----たぶんセメダイン系の接着剤ですね。かなり劣化しているようですし,木工ボンドが主流となる前はセメダインばかり使ってた覚えがありますから,昭和40年代なかばごろとかの修理かな?

 蓮頭の接着はニカワでした。これはもっと古い時期の修理。
 間木のところがかなり虫に食われてますね。色から見てやはりラワン材系のようですが,この木はもともと虫害に弱いんですよ。
 胴上,左のニラミは木工ボンドによる再接着。これはまたセメダインのとは手が違うようです。右のほうは一部はじっこのほうにセメダインが付着していましたが,真ん中のあたりはニカワのままでした。端のほうが板から浮いてたのをへっつけようとしたのでしょう。

 ハイ,だいたい終わりました。

 セメダインやらボンドやら使われていたわりには,比較的スムーズに終わったと思います。というのも,再接着のほとんどがヨゴレの上からのものだったので,接着剤が木地にまで浸透しておらず,濡らすとヨゴレごと浮いてきたからですね。この点からも,前修理者が木工に関しては完全なシロウトだったというのが分かります。接着前に接着面をキレイにしておくのは木の仕事のキホン中のキホン----まあ,今回はそのおかげでラクできたわけですが(w)

 ただ一箇所,シャレにならなかったのが半月とバチ皮のところ。

 バチ皮の下半分から半月の底全面にかけて,これでもか!というくらい大量のセメダインが厚盛りされ,ガッチガチの層ができあがっていました。
 ちょうどデジカメの電池が切れてしまい,工程は撮影できなかったのですが。ここはもともと上物に覆われていたため,汚れのついてないウブな板表面が露出していたようです。そこに接着剤をどっちゃりやらかしやがったので,一部木地にまで滲みこんじゃっててもうタイヘン。全部キレイにこそげるのに,けっこうな時間がかかりました。

 とりあえずノロイの人形に錆びたマチ針を刺してジャブ神棚にお祀りします。ううう…コノウラミハラサデオクベキカ。

 半月のポケット部分から,こんなものがギターとかの弦のボールエンドの部分かと。前回書いたよう,この楽器の半月には糸を張った痕跡がほとんど見られないので,これも実際に張られたかどうかはちょっと分かりませんが,前修理者が金属弦を貼ろうと考えたのならば,テールピース…半月をガッチリ固定しようと,セメダインつゆだく大盛りにしやがったというのは理解できなくもありませんね。

 ちなみに,棹も胴体も唐木風の染めでしたし,この半月も同じように染め木だろう,と思ってたんですが----ハガしてみてびっくり!なんとここだけタガヤサンの無垢でありました。
 なんですか,量産型楽器なのに「一点豪華主義」みたいなものですかね?
 でもまあ,ここだけ唐木でしかも接着に難があることで有名なタガヤサンだったてのも,ここがセメダイン大盛りとなった原因のひとつだったかもですね。

 除去箇所をキレイにしたら,指板部分に指示線が浮かんできました。
 等間隔に近いこの4本の痕跡は----実際の音階としてに合ってるかどうかは分かりませんが----原作者のつけたもともとのフレット位置の指示だと思います。作業前は,後補のフレットやお飾りが貼りついてて,ぜんぜん分かりませんでしたね。

 胴左右のニラミは再接着でしたが,中心にあったこの凍石の円飾りの接着はオリジナルだったようです。円飾りの裏にはスオウ紙が接着されていて,石が板に直接触れないようになっていました。
 石と木を旧式な接着剤である「ニカワ」でくっつける----というのは,聞いた感じすぐハガレそうに思われるのですが,実際のところ,この手のお飾りの剥離には毎度苦労しています。接着面の整形が精密でちゃんと密着していれば,水分が滲みこまないだけむしろ石・木をハガすほうがタイヘンです----清音斎はこのあたり,後々のことまでしっかり考えてくれたのかな?扇飾りなどの透かし彫りの飾りの裏面に,赤いスオウ紙が貼られていた例は,唐物でも国産月琴でも時折見かけますが,石の装飾の場合,こういう紙一枚が貼ってあるだけで,メンテでハガさなきゃならない時,すごく楽になりますからね。

 今回の楽器は,表裏どちらのがわにもともに板の剥離が見られますし,側板の一部などすでに完全にはずれてぶらぶらしてますから,どこからバラすのも自由。

 いやホント…前回の松音斎のように,これがカミソリの刃も入らないくらい完璧でウブな状態のままだったりしますと,庵主のガラスのハートに罪悪感のチクチクと後悔懺悔のブレイクなヒビがいっぱい入っちゃって堪らないので,このくらいのが有難いです(^_^;)

 今回もやっぱり,後の諸作業上,比較的影響の少ない裏板がわからまいりましょう。

 そういや福州のほかの作家さんの楽器でもそうなんですが,ここの人たちはどうしてこの手の同じような板を,わざわざ選んで裏板に使うんでしょうね?

 こういう節のある板が,楽器の用材として「良い」と言えるとは到底思えませんし,この節目玉の上にかならずラベルを貼るのを習慣にしてる人もいたようなので,この手の板の使用は何らかの慣習・伝承上の理由に基づいているとは思うのですが,今のところ定かではありません。

 とまれ今回の楽器では裏板の中心にこの貴重なラベルがあり,その横には大きな節目玉がありますので,いつものようにど真ん中から割って2分割で再接着というワザが使えません。この真ん中部分を残して3分割とするのが次善の策ですが,そうなると小分けになるぶん,元の位置に戻す調整がタイヘンになるんですね。

 そのため板を剥がしてしまう前に,板中央部分のへりに数箇所小さな孔をあけておきます。

 裏板を3分割にした場合,位置の目安となるのはこの中央部分です。再接着の時もここが元の位置から寸分ズレないように,この小孔に竹の細棒を挿してガイドとするわけですね。接着後,孔は埋めてしまえばいい。

 ここまで準備して,いよいよ!

 裏板がわのすでに剥離している部分から刃物を入れ,詠唱しながら胴材の縁を一周させまあす----さあ,我が前に顕現せよ! 刻(とき)の闇に封ぜられし古代の叡智よ,失われし栄光よ! 月の臓腑(ぞうふ)をイケニエとし,滅びし理(コトワリ)もて現世(うつつよ)すべてを混沌へと引きずりもどせッ!

 -ぼぼーん!-

 …………

 なんか意外と 「ふつう」 じゃね?

(つづく)


福州清音斎2(1)

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斗酒庵に再会す の巻2021.5~ 清音斎(1)

STEP1 漢は黙って初志貫通!

 さて----

 音斎 が終わったと思ったら,こんどは 「音斎」 がやってきました。
 作者,一字違いで続いてますねえ。もしかすると次は 「清斎(山田縫三郎)」かな?

 日本の明清楽で「清音斎」というと渓派の流祖・鏑木渓菴の別号でもあり,彼自身楽器も自作する人だったので,ちょっと紛らわしいところもありますが,こちらの清音斎は天華斎や玉華斎と同じ,中国は福建省のメーカーさんです。
 だいぶん前になりますが,すでに一面,扱ったことがありますね。

 http://gekkinon.cocolog-nifty.com/moonlute/2011/12/post-dbfb.html

 前回の楽器(左)ではラベルの一部に損傷があったため文章の一部が分かりませんでした。今回の楽器のラベル(右)もそれほどキレイな状態ではありませんが,前回の楽器のと合わせることで,ほぼ10年ぶりにようやく,清音斎のラベルの店名以下の部分全文を解読することができました。ありがたや~。

  本号福省南関外/洋銀街坐西朝東
  開張七代老店造/文廟楽器各款各
  琴諸公賜顧者請/認三記長房不悞

*福省南関外洋銀街:福建省の省都福州は城郭内に最も古い町があり,そこから南の港方向へのびる道を中心に発展した。旧城南門(南関)から出て真ん中あたりで右に曲がって,天華斎のある茶亭街のいちばん西がわが「洋銀街」だったと思う。
*坐西朝東:風水的におめでたい立地。
*文廟楽器:福州では文廟音楽が盛んでありました。文廟は孔子廟,文廟楽器はその祭礼などで用いられる楽器のことですが,ここでは「高尚・上品な楽器」ていどの表現と考えたほうがよろしい。

 訳すなら 「弊店は福省南関外の洋銀街の好き地に店を構え七代続く老舗でございます。みやびな楽器を各種お値段色々取り揃えております。皆々様のご愛顧と永のおつきあいをお願い申し上げます。」 といったあたりでしょうか。「七代(or 八代)続く老舗」 という表現は同時代の天華斎・老天華なんかのラベルにも見えますが,いちばん古そうな天華斎にしたところで,このころまだ三代目くらいですからね。こういう広告文でのただの常套表現と考えたほうがよろし。

 見た感じ,春先にやった老天華同様,流行晩期の輸出用量産型月琴ってとこでしょうか。材質やお飾りの意匠が同じです。

 蓮頭が割れててっぺんのあたりがなくなっちゃってますね。
 裏に薄い板が貼られています。吹雪さんとこの玉華斎なんかでも最初同じようなことがされていましたが,これは蓮頭が落ちにくいようにする工夫で,前所有者の仕業です。このお飾りはだいたいかなりスカスカに透かし彫っているので接着面がせまく,ちょっとした衝撃ではずれちゃうことが多いのです。

 糸倉はアールが深く,蓮頭の接着面がほぼ正面を向いています。
 狸さんとこの天華斎(天華斎正字号=おそらく天華斎仁記)とか25号しまうー(これもおそらく天華斎仁記)などが同じ形式の糸倉になってました。晩期の唐物量産月琴によく見られたデザインだったのかもしれません。

 糸巻は3本ついてました。
 糸倉との噛合せも悪くなく,現状で使用上問題はなさそうですが----一般に唐物月琴の糸巻は溝の深い六角形で,ドライバーの握りみたいに角を丸めたものがほとんどなのですが,これは国産月琴と同様の,六角面取りのカタチになっています。上右画像の25号のような例もありますので,一概にないこととは言えませんが,オリジナルか後補かは多少迷うところですね。

 山口は材質から見てオリジナルのようですが…ずいぶん低く削られちゃってますね。高さ6ミリしかありません。フレットは象牙か骨か分かりませんが,これも低い----工作もテキトウですし,すべて後補のようです。ギターっぽく改造したかったのかな?
 フレットの丈に合わせたのか,凍石の柱間飾りの表面が削られて平らになってますね。このレベルの量産楽器では,輪郭だけ切り出したような板状の飾りが付けられることもあるってのは,前の老天華の時にも書いたと思いますが。表面がただ削ったまま,磨かれもせず白っぽくなってるあたりが不自然ですので,工作したのは後のニンゲン,山口を削ったりフレットまがいをへっつけたりした人だと思いますよ。
 胴左右のニラミはこないだの老天華と同じタイプのもの。獣頭唐草----おそらく龍を意匠化したものの一つと思われるお飾りです。胴中央に白くて丸い凍石の円形飾りがついてますね。ふちの部分の丸いくぼみは21個ありますがこれは意味不明,中央部分の透き彫りは 「楽」 の字をデザイン化したものじゃないかと思うんですがさて。

 小さめの半月。清楽の月琴の半月はもうすこしふっくらとしてますね。この頃になると現代月琴の横に長い半月に近いカタチにだんだんなっていってるのだと思います。糸孔はやや大きめです。糸を巻きつける上辺の部分に,糸擦れの痕跡がまったくと言って良いほど確認できないので,これは楽器としては,そんなに使用されてなかったんじゃないかなと思います。
 バチ皮になってるのは,たぶん三味線の皮です。

 楽器正面から見て,胴左がわの側板から地の側板にかけて大きく板が剥離しています。天の側板から右の側板のほうはほとんどハガれてませんから,側板自体か板のこっちがわに,何か不具合----反ったとか縮んだとか----があるのかもしれませんね。

 そして今回の楽器でいちばん興味深いところがコレです!

 そう,この楽器は棹が胴体を貫通しているんですね。

 清楽/明清楽の月琴,および響き線の入っている古いタイプの中国月琴の多くは,棹なかごが胴内の内桁のあたりで止まっており,こんなふうに胴体を貫通していることはありません。胴の下半分の空間には何もなく,響き線が自由に揺れて効果を発揮しやすくなっているわけです。

 現代中国月琴がこれと同様の構造になっているのは,弦を金属弦としたので,そのテンションに耐えるためだったと聞き及びますが,外国の博物館の所蔵楽器などから見ると,日本における清楽流行と同時期の輸出用でない(お飾りのない演奏用の)中国月琴にも,同様の貫通構造になっている例はふつうにあったようです。

 お江戸風俗百科事典『嬉遊笑覧』の作者・喜多村信節の 『筠庭雑考』 にある,お江戸のころに輸入された月琴の図(右)にも,この楽器と同じく,お尻のところに棹なかごの出っ張りがついてますので,明治の以前の日本にも清楽/明清楽の楽器として,このタイプの月琴がまったく入っていなかった,ということはなさそうですが。

 これと同じ棹貫通型の月琴は,現代中国月琴同様,響き線が入っていないことが多いんですね----なにせ棹なかごで胴内部が縦に二分されちゃいますから,空間的な制限が大きいので,効果の大きい長い曲線は入れれないでしょう。

 しかしながら今回の楽器。
 棹貫通型でありながら,振るとガランガラン…ちゃんと金属音がしますので。響き線,あるいはそれに類する構造が仕込まれているのは間違いありません。


 前修理者の蛮行の痕跡もあり,全体にかなり傷んでますから,分解修理は既定の路線なれども----さて,この楽器の内部はどうなっているのか?

 今からもう,見るのが楽しみでなりません。

(つづく)


松音斎(4)

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斗酒庵松の葉音のすゑに聴きゐる の巻2021.3~ 松音斎(終)

STEP4 遅れてきた男

 さて,依頼修理の松音斎。
 「観賞用の骨董品」として見た場合には,オリジナルの部分の保存が良く素晴らしく 「ウブい」 状態なので,修理などしないほうが,いッそよっぽど(骨董品的な)価値は高いのではありますが----

 「楽器として使用する」 ためには----誰も弾かぬままメンテもなく,数十年なり放置されてきたわけですから----どうしても修理・調整が必要になってきます。しかし,修理を施せば,せっかく百年以上保たれてきた貴重なオリジナルの部分が,大なり小なりかならず損なわれます。
 元の状態がヘタに良かっただけに,やるがわとしてはジレンマですな。(泣)

 たとえば,今回の修理の主要な作業のひとつが,表裏板の虫食いの処置。
 元の状態で表面上見えているのは,小さな孔とかうっすらとしたヒビ割れ程度でしかありません。個々の食害は程度も浅く,場所によっては放置しておいてもいいくらい大したことのない箇所もあるのですか,とにかく数が多い。

 食害自体は表面より板の内部で広がっているので,修理しようと思えばその部分を,ある程度の範囲でほじくるなり切り取るなりせにゃアカンのですが。数が多いだけに,ふつうにやってたんじゃ,板がたちまち切られ与三になっちゃいます。修理の範囲をなるべく最小限にとどめ,そこ以外をなるべく傷つけないよう作業はしたものの,修理すればするほど新しいキズが増えちゃうのは変わらない----ついでに作業のたび,古物愛好家のほうの庵主の繊細なハートにも,ズキズキとキズが増えてゆくわけですね(www)----イヤ,ほんと。むしろ原状が64号くらいボロけてたほうが 「ヒャッハー!やっちゃえ~ッ!」 でいけるので,気楽なんですが~。

 ほじくっては埋め,切り抜いてはハメる板の修理と並行し,棹の手入れもしておきます。

 全体に油切れしていたので,表面を清掃後,亜麻仁油で拭いてカルナバロウで磨き仕上げます。乾いてから指板部分だけラックニスを刷いてツヤ出ししました。
 最初に作った糸巻は,染めの最後のほうでしくじり,修整しようとイロイロ足掻いたのですがけっきょくダメで,4本1セット削り直しとなりました。
 ----うん,こんどは大丈夫。美しく真っ黒に染まったし,ハガれてもきません。

 つづいて桑材の胴側部分。接合部と内がわにはいろいろやりましたが,表面にさしたる損傷はないので,棹と同じく油拭き・ロウ仕上げ。油切れして白っぽくなっていたのが,桑材特有のチョコレートブラウンに戻りました。
 ふだんもやってることですが,今回は特に表裏の板がとてもピュアな状態ですので,ここで油染みとかつけようものなら台無しになりますゆえ。木口をしっかりマスキングし,胴をつかむための新品のきれいなウェスをもう一枚用意して慎重にやってゆきます。

 しっかり油を乾燥させたところで表裏の板を清掃。
 虫食いがあったのはともかく,板自体は新品みたいにまっ白ですんで,今回は「キレイにする」というよりは,修理で埋めた箇所や上物の除去で出来たにじみ痕を散らして目立たなくするほうがメインでしょうか。
 そもそも関東の石田不識や山形屋の楽器に比べると,松音斎の月琴の表裏板は染めが上品に薄いのです----

 今回の保存が良い中で,板だけがやたら虫に食われまくっていた原因の一つは,この原作者の染めがあまりに薄すぎた,ということがあるかもしれません。

 というのも,桐板というものはもともと「あく」の強い木で,これを漂白するために雪の上にさらしたり薬品で処理しておかないと,時間の経過とともに黒っぽくなってしまうのですが,逆に言うとその「あく」が含まれているおかげで苦く美味しくなく,虫が寄り付きにくいわけですね。そして桐板の「あく」も,染めに使われるヤシャブシも,主成分は同じ「タンニン」----お茶の渋みと同じ成分ですから,これを塗布するのには色付けのほか虫よけの意味合いも若干あるものと考えられます。

 清掃のついでに,うちで煮出したヤシャブシ汁を新たに垂らし,軽く染め直しておきます。今はあんまり分かりませんが,一年ぐらいすると色が上ってきて,前より少し濃い色になってくると思います。

 今回は小物の補作もほとんどなく,個人的にサミシイ(w)ので,「予備の蓮頭」を作ろうと思います。

 オリジナルの蓮頭も珍しく損傷のないほぼ十全な状態で残っておりますが,これは庵主が 「簡易蓮」 と呼んでいる,量産型の楽器によく付けられる飾りです。
 今回の楽器は確かに松音斎の量産数打ちの一本ではありますが,松音斎自体の腕が良いので,数打ちでもほかの作家の特注品ぐらいの品質はありますゆえ,その質にふさわしいお飾りを何か一つぐらい追加してあげたいものです。

 まあ蛇足の品ですので,気に入らなければ付け替えてもらって構わないということで,ちょっと遊びもしましょうか。(w)

 彫るのはコウモリ。


 庵主が最初に扱った松音斎の月琴には,コウモリの蓮頭がついてました。翼をひらめかせ口先に花をくわえたこの意匠は他の作家の楽器にも付いていますが,コウモリ自体のデザインは作家により微妙に違っているんですね。そこで,左画像の松音斎のコウモリを参考に,ちょっとだけデザインを変えて,ちょいとおめでたい中国語の洒落を,その口元に落とし込んでみましょう。

 オリジナルが花をくわえてるのに対し,庵主のコウモリがくわえているのはモモかスモモの実のついた枝です。

 中国語のコウモリが「遍福(へんふく=いいことだらけ)」に通じるというのは前にもたびたび書いてます,「桃」がザクロ・ブシュカンと合わせた「三多」というめでた尽くしの中で 「多寿(=多汁)」 という意味付けがなされている,というのも何度か触れましたね。(他ふたつは「多子」と「多福」)

 そこから,「コウモリが桃を持って飛んでくる」 という図は,「福」が「寿」を持ってくるという意味の 「福寿臨門」 という吉祥図になるんですね。さらにこの飾りは「蓮頭」と呼ばれており,月琴の丸い胴体につながっています。「コウモリと蓮と丸いもの」 の組み合わせはさらに,「福縁連至(コウモリ・円形・ハス) という別の吉祥図も呼び起こしますから,おめでた感マシマシですわ。

 あと,この部品には,糸倉を衝撃から守る車のバンパーみたいな役割があります。
 ここが先にぶつかって壊れたりはずれたりすることで,糸倉への損傷を回避するわけですね。今回は木地に樹脂を染ませて強化してありますのでこの部品,オリジナルよりさりげなく弾力があったりします。

 3月末にはじまり,出だしは好調だったものの,4月後半から稼ぎ仕事がコロナの影響で混乱,さらに糸巻の製作でしくじったり,月蝕の影響で庵主の左腕に封印されし暗黒邪龍がアレするなど……諸事情(w)ございまして,完成直前での足踏み状態が続いておりましたが----5月後半,ようやく組立てへと漕ぎ着けました。

 まずは半月と山口を取付けます。

 半月にもさしたる損傷はなかったので,染め直して表面を柿渋やニスで軽く固めた程度ですね。再計測して中心線を新たに出しましたが,ほぼオリジナルの位置----右にわずかにズレたくらいでしょうか。

 あらかじめ半月と山口を仮付して弦高のチェックをしたところ,オリジナルの山口で問題がないようでしたので,今回はこれをそのまま戻します。糸溝だけしっかり切り直しておきましょうね。
 国産月琴の作者の多くは,ここの糸溝の意味があまり分かってないのですね。本邦の弦楽器に 「複弦楽器」 というものがほとんどなかったのも原因でしょうが,ここの幅は弾き手の好みもかなり反映されるところなので,本来は購入者が自分の手に合わせて自分で切っていたようです。ただ,同じようにワカラナイで買っちゃってた人なんかは,溝も切らずツルツルの状態で使っていたりもしたようですね----弦が短いわりにはテンションもそれほど高くない楽器なので,ここで弦が糸溝にちゃんと噛んでいないと,糸をはじくたびに位置が動いたり調子が狂ったりするので,ただただ弾きにくいですよ。
 この松音斎のように「このへんだよ~」という目印ていどの浅い溝を切ってあるなどは,かなり親切なほうだったと思います。
 松音斎の目印は,外弦間14,内弦間 9.5ミリで,内外の幅はどちらのコースも同じでしたが,庵主は高音弦がわを糸の太さの半分くらい狭くしてあります。

 フレットは牛骨で。
 補作は棹上の3枚だけ。胴上の5枚はオリジナルのものがそのまま使えました。
 数打ち楽器のフレットは個々の楽器に合わせたワンオフでなく,同一規格でだーっと作ったようなモノが多いので,いつもですと低すぎて半月にゲタを調節したり作り直したりすることが多いのですが,今回はオリジナルのままでまったく問題ナシ----このあたりもさすが松音斎。
 フレットをオリジナルの位置で配置した場合の音階は以下。

開放
4C4D-24Eb+494F-74G-34A-215C+65D+45F+13
4G4A-24B-495C-115D-115E-215G-145A-66C+1

 おおおおお…第3音(第2フレットの音)がやや低すぎるくらいで,かなり整った音階になっています。
 清楽の音階では月琴の最低音を「ド」とした時「ミ」にあたるこの音が,西洋音階に比べて20~30%低くなるのが定石。低音域の第3音は多少低すぎますが,そのオクターブ上にあたる高音弦第5フレットの音がマイナス20ですので,おそらく原作者はちゃんと分かっているのではないかと考えられます。ほか各コースの5度上やオクターブもかなり正確に出てますし,ほとんどの楽器で合ってることの少ない最終フレット最高音(低音開放弦の2オクターブ上)もほぼピッタリ。
 電子チューナーなんかない時代ですからね。
 フレット痕やオリジナルの目印などから見て,このあたりに後補の修整はあまり入っていない様子。それでいてドレミ7音階の第3音をのぞくほとんどの音が,西洋音階A=440のほぼ10%あたりでおさまっているとなると,それはそれで異常事態です----西洋音階準拠に並べ直しても,第2・5フレットの位置がわずかにズレたくらいしか違いが出ません。
 次代を考えると「名工だから」というだけでは少々足りないですね……ピアノで合わせたとか,かなり正確な調子笛みたいなものがあったとか……ふむ,興味深い。

 あとはお飾り類を取付け,バチ布を貼り。最後に裏板に模刻のラベルを貼って----

 2021年5月25日……たいへんお待たせいたしました!
 松音斎,いよいよ修理完了です!!

 何度も書いてきたように,外見上はもともと「素晴らしくキレイ」な状態だったので,このくらいのサイズの画像だと,修理前後であまり変化が感じられないかもせん。近くば寄ってじっくり見ても,虫食い補修などで修理前よりいくらかキズが増えてるくらいですかね。

 補作した部品は上から蓮頭,糸巻,棹上のフレット3枚。あとは内桁を1枚交換しました。果てしない虫孔との格闘のほかは,再組立てと棹のフィッティングを鬼のように精密にしたあたりが苦労でしたかね。

 関東の楽器や鶴寿堂とかに比べると,棹がやや太めですが,グリップに違和感はなく,楽器の重量バランスも良いので,操作性は抜群です。
 第1~3フレットは例によりビビるギリギリの高さで調整してあるので,ほぼフェザータッチ状態ですが,オリジナルフレットの部分でも運指に対しての反応はなめらか,低音域<>高音域とどちらに指を滑らせても,ひっかかりはほとんどありません。

 音量はやや小さめですが,優しげな広がりのあるやわらかな音と長く繊細な余韻……うん,これこそ「月琴」という名前から日本人が想像(妄想?)した楽器の音----って感じですね。これをさらに突き詰めてゆくと,最終的には山形屋の楽器のような,ガラスの風鈴みたいな余韻になっていくんでしょうが,そのへんはまだやや荒削りで,唐物月琴の構造と音色もいくぶん残しており,「国産月琴の音」の基礎というか萌芽みたいな段階でもある気がします。

 もともとちゃんと修理・調整されていれば,松音斎の楽器の操作性や音色に文句の付けようがあろうはずもありません。
 なんせ国産月琴においては庵主の認める「名工」の一人ですからね----

 楽器は道具,壊れたらまた直します。
 まずはこのキレイな音を楽しみつつ,バリバリ弾いてやってください!

(おわり)


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