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福州清音斎2(7)

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斗酒庵,清音斎と再会す の巻2021.5~ 清音斎(終)

STEP7 福州洋頭街の梁山泊

 1ヶ月半…いいえ,けっきょく2ヶ月近くもかかっちゃいましたか。福州清音斎,修理も最終局面となりました。

 清掃と染め直しの終わった胴体に棹を挿し,半月を接着します。
 まずは位置決め。原作者の目印は残ってますが,それを容易く信用するほど庵主のココロは純心ではありません(ふッ…ヨゴれちまったのさァ…)
 棹の指板部分に先端から数箇所,幅の中心になるところに印をつけ,それを目印に中心線を胴体のほうへ伸ばしてゆき,半月の上縁(真っ直ぐになってるところ)でそれと垂直に交わる線を設定----うむ,上辺位置は原作者の指示線とほぼ重なりましたわ。

 つづいて指板の先端,山口が乗っかる所に小さな孔を1つ。そこに竹釘を挿して糸を渡し,中心線と重なるようにしながら,半月のところまでひっぱります。「半月の中心」は全体の寸法の中心ではなく,糸孔間の中心になりますので,半月の上面にもマスキングテープを貼って,中心位置をしるしてあります。

 この半月の中心を楽器の中心線と重ねて行って……おお~,ここもオリジナルの指示線との差は1ミリほどです。国産月琴でもちゃんと測ってみたら5ミリくらいズレてたりするもンなんですが----さすが老舗,きっちりすべきところはちゃんと仕事してますね。

 半月の材は接着難◎の唐木のじゃじゃ馬・タガヤサンですので,接着面をペーパーで荒し,筆で湿らせたうえ。クリアフォルダの上に置いてしばらく放置し,表面によーく水気を染ませておきます。

 表板がわも筆でじゅぶんに濡らし,やや緩めに溶いたニカワを何度も塗っては拭いて染ませて,固定中に位置がズレないよう,板で囲んで接着します。

 半月の補強と山口の補作は,もうずいぶん最初のほうでやっちゃってます。ほかの部品も胴や棹の補修と並行で作ってしまっているので,あとはほとんど組み立てるだけですね。

 ではここでその他の部品の工程を----

 蓮頭は付いていたものを参考に,欠けた部分を想像で補って補作しました。

 材は前々回の老天華でも使ったホワイトラワン。
 本器も棹や胴側は同じ系統の材が使われています。


 ただ,この工房到着時に付いていたコウモリの蓮頭のデザインは清音斎のほかの楽器に付いていた例とかなり異なっているので,これが元々付いていた「オリジナル」なのかについては多少怪しいですね。接着はたしかにニカワでしたので,取替えられたとしても最近ではないと思いますが…

 相違点としましては,まず全体のカタチ。
 一般に国産月琴がやや横長なのに対し,唐物月琴の蓮頭は縦横の寸法が同じくらいになっています。これに対し本器のものは,推定される限りやや縦幅が小さい。国産月琴のもののほうに近いのですね。

 次にコウモリ自体のデザイン。
 左の画像の左がわは,ほかの清音斎の楽器に付いてたコウモリ蓮頭ですが,上端中央の渦巻に接している翼の先端が二股になってますよね----本器のものはこれが1本しかありません。最初上のほうが折れたんだろうと思ってたんですが,破断面を見てみるとそういう部分が付いてた形跡はありませんでした。そもそも,左のほうを見て分かる通り,渦巻に接しているのは二股になってる上のほう。本器のものは一本なのに接触しちゃってますから違いは明白です。

 あとコウモリの顔がね……
 唐物の蓮頭のコウモリの目は楕円形か円形が多いですね。本器のような三角目のほうが彫るのラクなので,量産型なためそうなったのかな?----とは考えられますが。
 ともあれ,彫り上げた蓮頭はスオウ染めオハグロ仕上げ,黒染を少しムラムラにして,棹の使用感と合わせてみました。

 つづいて,胴左右のニラミは庵主言うところの獣頭唐草----おそらくは雲龍を簡略化した意匠だと思われます。前々回の老天華と同じ類ですね。

 右のお飾りに欠損がありますんで補修しました。破断面を均し,補材を接着して整形します。
 ちゃっちゃとな~庵主の好物系作業ですので楽しいです。

 これが「龍」だとすると,この欠けてた部分はおそらく尻尾の先端と,前足のどちらか片方なんだと思いますよ。
 全体に色が褪せ気味でしたので,スオウやオハグロで染め直しました。
 通常,こういう左右対称のお飾りを作る時は,薄板を二枚接着し,だいたいのカタチに整形してから剥がして2枚にする,という技法が使われますが,本器の2枚は重ねても全然合いません。工作を見る限りどちらかが後補というような差異も見られませんでしたので,おそらくは量産目的の作業簡易化のため,同じ部品を大量に作った中から適当に選ばれた2枚なのでしょう。まあ重ねてみたりしない限り分からない程度の差異ではありますが。

 柱飾りは5つ残ってましたが,すべて前修理者によるギター化魔改造の一環で,表面が平らに削られてしまっていました。5つのうち3つは,形状と周縁に残った彫りやいままでの経験から,元がどんなだったのかだいたい想像できるのですが,残りの2つはまったく分かりません。

 今回は意匠が復元できそうな左の3つを彫り直して使い,後4つを補作して追加することにします。

 篆刻もやってたんで工具は揃ってますが,凍石は石ながら普通の彫刻刀でも彫れちゃいますからね~。彫りあがったら,表面をコンパウンドで磨き,裏に和紙を貼っておきます----次のメンテの時,はがすのがラクになりますからね。

 あと,前々回の老天華の記事でも触れたかと思うんですが,通常だと5・6フレット間にある扇飾りは,唐物の量産器の場合,ふつうの柱間飾りに置き換わって付いてないことがあります。

 本器の場合,それっぽい痕跡が見えないでもないのですが,本当に付いてたのか?と言われると少し自信はないですね。
 とまれ,無いと何か物足りない感じがするので,桐板で作っておきましょう。これもデザインは天華斎より流用。

 さて,部品も揃ったところで,いよいよフレッティングです。

 従前ではやたらと低い骨か象牙製と思われるフレットが付いてましたが,大きさも高さも滅茶苦茶なうえ,ボンドやセメダインで接着されてましたので,すべて前修理者による後補部品と考えられます。そもそも唐物月琴では,かなり高級な楽器でもフレットはふつうの竹板のことが多いですね。

 というわけで,今回のフレットもホームセンターで買える竹材を使います----例によっていささか手間は加えますがね。

 山口を丈13ミリにしたので,1~3フレットまではやや高めですが,4フレットからガクっと低くなって最終フレットでは5ミリちょい。
 庵主はそもそもフレットの丈をビビるぎりぎりに調整してますので,たいていオリジナルよりは高めになりますが,それで5ミリというのですから,唐物としてはかなり低いほうですね。
 胴上の各フレットの長さは,オリジナルの接着痕がほとんどあてにならず,分からないので,53号天華斎のデータを参考にしています。一般に唐物月琴のフレットは国産月琴のものより幅の変化が小さいもので,一番長い第6フレットでも5センチくらいです。

 推定されるオリジナルのフレット位置で配置した時の音階は----

開放
4C4D-64Eb-4E4F#+124G+194A-4Bb5C-5C#5D+405F-7
4G4A-74Bb-4B5C+345D+145F-485G+385A+346C-25

 フレットの原位置については,清掃した結果,オリジナルの指示線や接着痕がハッキリと分かるようになりましたのでほとんどはそれに従っています。清掃前は汚れと前修理者の接着剤のせいでほとんど分かりませんでしたからね。ただ第5フレットのところだけ指示線が不鮮明で,主に接着痕から推定しましたので,原位置なのか前修理者の何か貼りつけた位置なのか少し怪しいです。

 モノが竹なので切った削ったはたやすいのですが,さすがに真っ白なままだと悪目立ちしちゃうので,古色付けをします。

 どこのご家庭にもある 「月琴の搾り汁」(表裏板清掃後の洗浄液を煮詰めたもの数面ぶんのをMIX)にヤシャブシ液を適量加え,ひと煮たちさせたものにドボン----数時間置いて引き揚げ,乾かしたら次にアルコールで少し薄めたラックニスにドボン----

 数日乾かし,磨いて完成です。
 いつもながら,ふつうただの白竹製フレットにかける手間ではありません。また「古色」とはいうものの,これはあくまでも 「それッぽい色」 にしてるだけ。そもそも自然状態で竹がこんな色になってたら,たぶん竹肉の部分は風化してボロボロになっちゃってるだろうな~と思いますよ。まあ,偏屈職人の自己満自己満(www)。

 フレットが仕上がったところで,西洋音階準拠で並べ直し,少し再調整して接着。
 そのほかのお飾り類を付けて----

 2021年7月13日。
 福州洋頭街の楽器舗・清音斎の月琴,修理完了!

 ひさびさに面白い構造の楽器だったので,わっひょーい と調査に身が入っちゃったのと,コロナ下での稼ぎ仕事との兼ね合いもあり,いつもよりすこーし時間がかかっちゃいましたが,なんとか夏の草刈り帰省前に間に合いました。

 音はやっぱり唐物月琴の音。
 天華斎・老天華よりは玉華斎なんかに近いかな?

 板がまだ完全に乾いてませんので本気の音ではありませんが,弦音に太い響き線が唸るような余韻をかぶせてきます。なかなかに迫力のある音……国産月琴の厨二病的な余韻ではなく,健康的な「響き」ですね。
 「余韻」とは書きましたが,掛かりが少し早く,音尻よりはアタック音のすぐ後から効果が迫ってくる感じですね。音のヌケは少し悪く,余韻が短いぶん一音がやや短いのですが,板が乾いてきたら,このあたりにも多少の変化があることでしょう。

 唐物にしては長い棹----4フレットまで棹上ということは,関東の渓派の楽器と同じで,全長が645。不識あたりよりは数センチ小さいものの,唐物月琴の平均よりは1~2センチほど大きい感じです。しかしながら,さして取り回しや楽器の重心に違和感はなく,バランスは良く扱いやすいほうだと思います。お尻のところにポッチがあるので,立てて弾く時は膝の上で楽器が滑らないってのも利点ですね。

 フレットの工作とスケールの関係で,第2・3フレット間がややせまくなっており,指がポジションに当らないとうまく音が出ない時があります。通常,指はフレットの少し手前におろし,フレットの頭には触れないようにしないと音がミュートしちゃうんですが,ここだけは弦を3フレットの頭に斜めから押しつけるようにしたほうがうまく音が伸びます。
 このあたりは調整どうこうより,楽器の癖として慣れちゃったほうがラクですね----この点をのぞけば,操作性に関してさしたるアラはありません。

 修理前と比べると現在表裏板がかなり白っぽくなってますが,もともとの染めがかなり濃かったので,おそらく1~2年もすると色が上ってきて元の状態に近い色に戻るかと思います。



 清音斎には庵主の扱ったこのラベルのあるものののほかに「祖廟清音斎」「祖伝清音斎正老舗二記」「福州清音三六代老字号」といったラベルの楽器が確認されています。最後のラベル(三六代)が「三代目」だとするなら,お店の始まったのは天華斎とさほど違わない時期じゃないかと思われますが,そのへん今のところほかに資料がないので何とも言えません。
 今回の楽器は「二記」のラベルのものにほぼ同様の構造をした近似例があることなどから考え,初代ではなく二代目以降の作でありましょう。

 日本で清楽が興り,流行し,急激に衰退してゆく間に,大陸の月琴は国産月琴とは違う方向に変化してゆきました。今回の楽器は輸出用で,棹やスケールには日本の月琴の流行が取り入れられており,同時期に「楽器として」当地で作られていた月琴とは,一部異なる工程をはさんで作られていたものと思われます。
 流行が隆盛な時期だと輸出用の「特別品」として,現地仕様のものとはまったく違う工程で作られてたかもしれませんが,このころになるとおそらく,部分的に同じ工程・同じ部品が用いられるようになっていたのではないでしょうか。

 日本人が大陸の月琴を真似て作ろうとした時に,理解できない構造や加工があったのと同じように,中国人も日本人が真似た自分たちの楽器を見た時に「なぜここをこうした?」「なぜここがこうなっている?」といった疑問はあったと思います。

 日中両国人が純粋に「楽器としての」月琴を求めていた場合,そうした疑問は相互理解の種ともなり,やがて解消されていったでしょうが,この楽器の場合,売るほうも買うほうも,まあほとんど良く分からない状態でやっていたようです。そのためこの種の改変には,どこか不安定でチグハグな感じのすることが多いですね。
 音を奏でる道具でありながら,「音楽」そのものとほとんど関係のない,二つの国の商売事情のはざまで揺れ動いた結果と思われるそのカタチや構造に,いろいろと考えさせられることの多い,面白い修理でありました。

(おわり)


福州清音斎2(6)

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斗酒庵,清音斎と再会す の巻2021.5~ 清音斎(6)

STEP6 色づく人生の愉しみ

 響き線の防錆と調整,内桁や側板の再接着,接合部の補強…そして棹の調整とフィッティングも(いちおう)終わり。「桶」の状態でやっておくことはもなくなりました。
 いよいよ裏板を貼って,胴を「桶」から「箱」に戻しましょう!

 裏板を剥がす前に開けておいたガイドの小孔が,ようやっと役に立つ時が来ましたね----ハイ,とはいえあちこち矯正した影響で,この孔を使ってもピッタリ戻らなくなっちゃっておりますが,目安のつけにくい円形の胴体ですから。大体の原位置が把握できるだけでも,再配置の合わせがずいぶんとラクになります。

 もっとも変形の大きかった左側板がわをカバーするため,板のそちらがわの縁を少しだけ余らせたいので,オリジナルの接ぎ目から板を二枚に分割します。

 国産月琴ですと何枚もの小板を接いで一枚の板にしてますが,この楽器の板は大小2枚だけ。分けた小さいほうがちょうど余らせたいがわで良かったです。
 まず大きいほうの板を,胴材となるべくピッタリ重なる位置で固定。いつもの板クランプで接着します。
 圧し板が傾がないよう,小さいほうもいっしょにはさんでありますが,この時点ではまだ接着してません。

 一晩置いて具合を確認したら,少しだけ空間をあけて小さいほうを接着します。とはいうものの,今回必要なスキマは1ミリないくらいで良いので,いつものように埋め木ではなく,接ぎ目に少し桐塑を盛るやり方で接着します。

 裏板がへっついたところで,また棹と胴のフィッティングをやり直し,細かいところの補修を数箇所。
 まずは表板左端。ちょうど真ん中の縁が,ネズミに齧られて削れてます。ここはガタガタになってる鼠害痕を斜めに削り均し,古い桐板の補材をへっつけるだけですね。

 接着剤が固まったところで余分を切り落として整形します。

 …ちょっと間に線がついちゃいましたか。ここは後でも一度補修しましょう。

 ついでいつものように表裏板のハミ出た部分を整形。唐物量産楽器のこのあたりの工作は少し粗いので,もとからハミ出てた部分もあったりしますね。ついでに地の側板や左側板の,矯正して収まり切らなかったぶんなども少し均してしまいます。

 さらに一補強。
 一般的な国産月琴と唐物月琴の棹の基部,接合部分の工作は少し違っていて----

 国産月琴では棹茎の周縁をわずかに刳って,接合部周縁のほぼ全面が胴と接触するようになってますが,唐物月琴の棹茎は,幅が棹本体と同じであり,棹茎をはさんだ接合面の上下端だけが胴と接触しています----まあフィッティングの加工がかなり粗いため,そもそも胴にちゃんと密着している例が少ないのですが,本来,設定としてはそうなるようになっています。(w)
 庵主はこの棹と胴体とのフィッティングを,それこそヘンタ…いえいささか偏執的にやっちゃってますので,修理した楽器では基本的に,この部分がちゃんと密着しているわけですが。唐物楽器の場合,この上のほうの接合部が表板の木口のところにかかっちゃうんですね。そうなると構造上,糸を張った時の力は,この柔らかい桐板の木口部分が集中して受け止めることになるわけで……そのため古物ではよく,ここが潰れたり変形したりしたせいで,棹が前にお辞儀しちゃってる例をけっこう見ます。
 ということで,楽器を長もちさせるため,棹の触れる棹口周辺の板木口を強化しておきましょう。

 まず,エタノですこし緩めたエポキを板木口に塗ります。あんまりドバっと塗るとシミになっちゃいますからね。小筆で少しづつです。
 で,そこに桐塑で使う桐の微細な木粉をパラパラ…時間を置き,少し固りかけたところで,指でおさえてなじませます。完全に硬化したら表面を軽く均してできあがり。
 ほかにもこの部分にだけ丈夫な材を埋め木するとか,突板を貼るといった手もありますが,金属弦を張ったりしない限り,月琴の弦圧はそんなにスゴイものじゃないので,この程度の補強でも十分に役立ちます。工作ラクですしね。(w)

 いくつかの小細工が終了したところで,表裏板の清掃に入ります。

 国産月琴の表裏板には,桐箪笥と同じようにヤシャブシと砥粉を混ぜたものを塗って染められていますが,唐物の場合は染液におそらくでんぷん糊の類と少量の油を混ぜたものが塗られているようです。濡らすと国産のものよりずっとベトベトしますね。
 関西の松派や唐木屋の楽器の染めは極端に薄く,保存が良い器体だとこないだの松音斎のように真っ白ですが,唐物の染めはかなり濃く,片面ぬぐっただけで洗浄液も拭き布も真っ黒になります。
 裏板のほうは,まず中央のラベルをクリアファイルのカバーで保護してから全体を清掃。カバーをはずしてラベルの縁ギリギリまで拭ってから,きれいな重曹液を別に用意し,これを含ませた脱脂綿をラベル全体にかぶせます。
 数分置いたら布で軽く叩くようにして汚れを浮かせ,脱脂綿を交換して数度くりかえします。

 オリジナルラベル,貴重ですからね。

 おそらくもとはスオウドラゴンブラッドで赤く染められていたものだったと思われます。すっかり褪せてしまっているので,さすがにそこまでは回復できませんが,字が読みにくいくらい真っ黒だったのが。下地部分の汚れが落ちたのでかなり分かるようにはなったと思います。

 板の清掃が終わったら一晩乾かして,こんどは表裏板の木口・木端口をマスキングし,胴側にシーラーをかけ,磨きます。

 部分的に表面を削っちゃってるので,胴側の染め直しは既定なのですが,修理前の状況を考えると胴側を構成するこの木材は変形しやすいのかなーと思われましたので,染め液が木の内部にまで染みこまないよう手を打っておきます。
 染みこまないようにするということは 「染まりが悪い」 ということでもありますが,そこは少しづつ塗っては乾かしの手数の多さで対処するとしましょう。
 赤染めに三日----染まりの悪いところを小筆で集中的に染め重ね,全体をなるべく同じような色合いにしてゆきました。
 それでも染まり切らなかったところと,補修で元の色が完全にハガれてしまったところを中心に,やや薄目に溶いた黒ベンガラを刷いて目隠しをしておき,ついでオハグロで全体を黒紫に染めてゆきます。

 胴側の変形等の再発など,不具合が発生しないか数日観察。
 問題がなさそうだったので,亜麻仁油を二度ほど拭いて仕上げました。

(つづく)


福州清音斎2(5)

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斗酒庵,清音斎と再会す の巻2021.5~ 清音斎(5)

STEP5 世界はスルピタのために,スルピタは世界のためにッ!!

 ゴムをかけ回し,位置を調整しながら,時折内がわから濡らして湿り気を足し,伸びた部分を矯正すること三日ばかり----
 ひどいところで2ミリ近くもあった側板のハミ出しも,だいぶんおさまりました。

 板が縮んだせいで合わなくなっちゃってた内桁も端を削り直し,表板から剥離してた(楽器正面から見て)左がわの部分もバッチリ再接着されてます。
 スキマがあってグラグラしていた右端は,桐板をはさみこんで止め,剥離していた裏板がわの木口面もニカワで付けなおしました。
 ついでに裏板の再接着が容易になるよう,切ったってわずかに飛び出ていた桁の両端を,少し斜めに削り落としてあります。

 側板を戻しましょう。
 まあ,そのまま組んだだけだと,まだあさーく板からハミ出ちゃうところもありますので,そこらは両端の接合部を調整して,なるべく許容範囲におさまるように再接着しました。接合部が単純に木口同士をくっつけたタイプだったら削るにしても足すにしてももっとラクだったんですが,例によって見栄えだけの凸凹継ぎなもんで,調整が少しタイヘンでしたね。

 Cクランプまみれで一晩。
 クランプをはずしたら,側板にかけまわしたゴムはそのままで,内がわから接合部の補強をします。
 上のほうで「見栄えだけ」と言ってるとおり,この接合部の工作は拙く。表面がわからちゃんと組み合わさって見えてるだけで,内がわはスカスカのスキマだらけだったりしてますので,そういうところは再接着の際,桐塑でスキマを埋め込んであります----遠慮なくベットリ盛られてますけどね,ここの桐塑には樹脂を滲ませていないので,濡らせばホレ,余分は布で簡単に拭きとれちゃいますのよ。

 思ったようなカタチになるまで,あるていど繰り返すことが出来る----桐塑の場合,パテのように硬化させる時にはさらに一手間必要ですが,「固める」と単に「詰め込む」工程の区別が出来るあたりは,木粉粘土と違って面白いですね。

 それぞれの接合部内壁に合わせて桐板を加工し,ニカワで貼りつけます。

 また一晩ほど置いて,接着の具合を確認したら,貼った補強板をできるだけ均等に薄く削りましょう。

 まあこのあたりは日本人しょくにんこんじょう的感性なんで,なにやら音響的な意味を大事に考えたうえとかいうことはありません。効能的にはただの小板をぺッと貼りつけただけでも,そんなに違いはなかろうもんですがね。

 胴体のカタチが「桶」に戻り,従前より安定した状態となったところで,棹のフィッティングに入ります----
 今回のはいつものと違って,棹茎が貫通してますからね。まずはふつうに挿してみて,あらためて現状どこがどうなっているのか調べてからにしましょう。

 表板の中心,円形飾りが付いてたあたりを基準とした時(月琴の表裏板は,内桁を中心とした浅いアーチトップ/ラウンドバックになっているので),棹の傾きは山口のところで背がわに約3ミリ----この点はこの楽器の設定としてほぼ理想値ですね。
 棹口にもお尻の孔にもそこそこスキマはありますが,前後左右へのグラつきはほとんどありません。

 ただこのぉ----内桁の孔がですね----

 見事にスカスカ。
 棹茎と触れているのは裏板がわの面だけ,ほかの3方向には5ミリ近くのスキマがあります。

 ここをこういう加工にすることについて,構造や音響の上で何らかの理由・利点があるものかどうか……二三日考えては見たのですが,まったく思いつけませんでした。(w)
 デメリットのほうはナンボでも思いつくんですけどね----
 たとえば,これだと現状,棹は上下側板の棹口だけで支えられているのと同じわけで----つまりはこれに糸を張れば,ほぼこの長い棹だけが弓なりになって楽器の構造を支えるということになりますな。清楽月琴は弦圧がそれほど高くないので,短期的にはそれでも問題はないでしょうが,まあそのうち逆サバ折りで四散しちゃいそうですね。
 そもそも共鳴胴の中心にこんな余計で不安定なスキマがあるということからは,ここで振動が止まったり,変なノイズの発生源になっちゃうだろうな~というようなことが容易に想像できるわけで……逆に何か,それによって特定の倍音とか,邪神を召喚するための特殊な音波を発生させるといった目的以外があったなら別ですが。
 ええ,もちろん。
 これを「楽器」として考えなければ,メリットはありますよね。
 流行のモノをひとつでも多く,効率よく,安く作るため,胴体と棹を別個に製作し,組み合わせて完成させるという工程の簡略化は,産業革命が起きてなくたって誰でも容易に思いつきます。
 ここですでに「箱」の状態になっている胴体に,別個に作った棹を挿した時,この内桁の孔が棹茎の寸法ギリギリだったら……孔のほうが修整できないだけに,ちょっとでもひっかかれば一発歩留まりになっちゃう可能性が高くなりますね。逆にこのくらいユルユルに加工しとけば,工作のバラつきがけっこうあっても,だいたいの棹は通るわけです。

 まあ,いつものように。
 「音」より経済的な理由のほうが優先されることの多い楽器ですんで,ケツロンとしてはたぶんこッちが真相だろうなあ----と。

 現在,楽器は裏板のない「桶」の状態になってます。
 製作時と同じように胴を先に完成させちゃった場合,内桁の孔は調整不能ですが,今ならナンボでも可能です。
 ここを通る棹茎をここで受け止めてやれば,弦の張力の負担も分散されますし,音響的にもむしろメリットがあります。ケーケン的に言っても,この楽器の音のヨシアシは,胴体がどれだけ 「キッチリした箱になっているか」 で決まっちゃうんですからね。

 内桁の孔のスキマには桐板を刻んで接着します。

 胴上下の棹孔のスキマにはホワイトラワンの薄板を。以上,胴体がわのスペーサの接着はすべてエポキ。内桁のなんかハズれたら困りますからね。
 一方,棹基部に貼りつけるほうはすべてニカワで。こちらは後でもけっこう調整しますんで。

 削ったり貼ったりで調整しつつ,棹の背がわへの傾きはそのままに,棹口には密着,指板部分と表板は面一に。抜き差しゆるぎなくスルピタを目指します。こちら大きなところはホワイトラワンの薄板,ブナの突板で微調整。

 いくらやっても外見的にはあまり反映されることない,地味~な作業ではあるのですが。楽器の操作性や音に最も影響の大きな部分ですので,例によって三日ほどかけて,地味~に完成……あ,これで終わりじゃないんですよ。

 胴体が箱になってからだって…何回も何回だって…アタシとアナタが,ぴったりスルピタになるその日まで……再調整してゆきますからね。(ヤンデレ的に)

(つづく)


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