福州南台太華斎2(7)
![]() STEP6 サイボーグじゃないほうのクロちゃん ![]() 裏の廃墟に住んでいるクロちゃん(♂5歳)が2時間半もふもふさせてくれたおかげで,少しSAN値が戻ってきた斗酒庵主人です。 はっはっは…クロちゃん,よせやあい。 その触手は反則だよぉ。 田島真斎,修理もラストスパートです。 何度も書いてますが今回の修理,前修理者が何もやらず,棹もない首ナシ状態でいてくれたところから始まったほうがよっぽど極楽でした。作業のほとんどは「修理」というより前修理者の「やらかし」のリカバー,尻拭いですぅがっでむきるゆー。 まずは半月を戻します。 棹の3箇所に中心を出し,それを延長しながら楽器の新しい中心線を決め,事前の記録と痕跡から半月のあるべき位置を求めますが。庵主,最終的には糸張って,実際に目で見て確認しながら調整しますね。 ![]() ![]() ![]() 接着位置が決まったところで,保定中に位置がずれないよう当て板を噛ませ,板と半月ウラの接着面をよく湿らせてから接着します。けっきょく原作者の元貼ってた位置からほとんど動かなかったのですが,確認しないで貼ってやり直しになるより絶対お得です。 ![]() ![]() 事前に測ってみたところ,予想される弦高は,山口(トップナット)がわで12,半月(エンドピース)がわで9ミリくらい。棹は山口のところで3ミリほど背がわに傾いているので,ここから3ミリ,半月のほうはちゃんと結わえると,糸は縁裏のポケットの中,上面より1~2ミリほど下がった位置から出てきますので,実際に弦を張った時は,山口がわが半月のほうより1~2ミリほど高くなるはずです。 この落差がないとフレットの高さの差が小さくなり,調整しにくくビビりやすい楽器になってしまいますし,ありすぎればそれもまた,運指に支障が出ます。庵主が棹角度の調整をいっしょうけんめいやるのも,このせいで楽器の使い勝手がずいぶん変わってしまうからですね。 ![]() ![]() さあ,フレッティングです! 従前はオリジナルのフレットはなくなって,何か茶色に塗りたくられた竹板が並べられていました。原作者の胴体の工作から見て,元々はちょっと良いめの楽器だったと思われますので,フレットも,柘植とか象牙とかちょっと良いめの素材だったかもしれませんが,ここはいつもの竹フレットでカンベンしてもらいます----まあ庵主の竹フレットは無駄に手間かけるぶん,下手な素材のものよりゃよっぽど上等だと思いますがね。(w) 棹が後補だったので,そもそもフレット位置が製作当時と同じかどうかは分からないんですが。フレットを修理前に測った位置に配置し,4C/4Gで調弦した場合の音階は----
2・5フレットの音がちょうどEbとEの中間あたりになっちゃってますが。清楽器の音階としてはそれほど大外れというわけでもありませんね。6フレットでピッチも合ってるみたいですし,意外とフレット位置はオリジナルからズレてなかったかな? ![]() フレットは古色をつけ,ラックニスにドボンして固めてから磨き直して,西洋音階準拠で接着。補修・補彩して磨いたお飾りも接着したら---- 2021年12月16日, 田島真斎の月琴,修理完了です! (全景画像はクリックで別窓拡大) ![]() ![]() 背中には残っていたラベルの欠片を,元のラベルのカタチと大きさのスオウ紙に移し,貼りつけました。銅版印刷なんで字が細かくて,さすがにコレは贋作(w)できませんね~。 もともとの工作が良く,材も美しいので,元ついてたような余計な装飾は要りません。オリジナルについてたものでじゅぶん。 ![]() ![]() 石田不識の楽器とほぼ同様の構造ですが,彼のより響き線が繊細なため,その効果が十全な演奏姿勢の幅が若干せまくなってます。不識のよりはやや横に傾けたくらいですかね。 ![]() ![]() 余韻はそれほど長くも大きくありませんが,うまくつくと,シィーンと落ち着いたきれいな減衰音が聞こえます。 フレットも低めにまとまったので,操作性は悪くありません。まあ庵主はこの手の,棹の長い関東型月琴で身体が慣れてしまっているので問題ありませんが,よりコンパクトな関西型や唐物から持ち帰る場合には多少違和感はありましょうか。 ![]() ![]() で,いつものフィールドノートです。(クリックで別窓拡大) ![]() ![]() いつもはもっと前の段階で公開してるのですが,今回は本体計測後の書き込みも入った 「最終バージョン(w)」 です。 分解とかしてる時だけでなく,修理中にも新しいことが分かったらどんどん書き込んでますからね。いつものよりはちょっと汚くなっちゃうんですが,寸法など諸元詳細お知りになりたいかたはどうぞ~。 (おわり)
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![]() STEP6 唐揚げは二度揚げで表面がカタい さてさて,側板の接合・補強も終わり,胴体がしっかりとした「桶」にまで戻った太華斎。 これで裏板を戻せば,胴体は元通りの「箱」の状態となるわけですが,この裏板がちょいと曲者でして。 ![]() 板の接ぎはしっかりとしており,剥離の際にも割れることなく一枚板状態で分離されたものの。板のあちこちに厄介な節があるうえ,板ウラには加工アラの大きなエグレ。測ってみたら厚みが所により2ミリ以上違ってます。そしてなによりも---- かてェよ…板が硬ェんだよ。(泣) ふつうの桐板は,5ミリくらいの厚さでも,このくらいの大きさになれば両端持ってポヨンポヨンと軽く歪ませられますがコイツ…ビクともしません。桐板とは思えない硬さです。まあ,こんなに節だらけで木目の入り組んだとこ切り出したらそうなるわな。 この手の弦楽器の工作として考えれば,オモテが柔く,ウラが硬いというのは,振動が楽器前面に反射されるので,音を響かせるためには有効です。うむ,さすが。それを見越しての材選びか…………とか,いちどは考えましたが。 たぶんこれ作った人,そんなことミジンコほども考えてませんね。 ![]() ![]() 板ウラの大きなエグレは,薄板として切り出す時に,混んだ木目と板の硬さのため失敗したもの。板の厚みがマダラに違っているのも,表面を均したとき硬い部分が残っただけの話しのようです。いちおう全体を均一にしよう,とした痕跡はわずかに見られるものの,やっぱり板が硬すぎ,作業がタイヘンだったので,早々にあきらめた模様。 ![]() ![]() さらに節目が多せいで,コレ,かなりの暴れ板です。 手で曲げようとしてもビクともしないくせに,端を少し濡らしたぐらいで,全体があっちゃこっちゃの方向に強力にそっくり返ります----このまま戻したら,保定の間に楽器を壊しかねません。いや逆に,よくこれまであの程度の状態で済んでたなあ。 ![]() 板ウラの大エグレは桐板を薄く削ったので埋めるとして,板全体の変形を小さくするため,現在3つの大きめな小板で構成されているのをいくつかに分割し,間にふつうの柔らかい桐板をスペーサとしてはさみこんで,変形時の緩衝帯を作ります。 そして厚みを均一に,削る削る削る削る削る!!! ![]() ![]() ……さっきも言いましたが,桐板とは思えない硬さです。 このくらいの厚みのふつうの桐板ですと,紙ヤスリの#120とか#80あたりをかければ,数分で穴があくと思うのですが,#60番という,およそ桐板に使うもんじゃないような番手でも歯が立たず,ひさしぶりにアラカン(工具)ひっぱりだしました。 それでも歯が立たず,けっきょく厚みのある部分を挽き回し鋸でガリガリっとひっかいては,アラカンで削り,紙ヤスリで均すといったぐあい。 ![]() ![]() つごう二日ほどかけ,全体をほぼ3ミリ均とすることに成功しました。もともと周縁附近で3ミリほどしかなかった板なのに,けっこうスゴい量の木粉が出ました----うううう,肩があがらん! 裏板にてこずってる間に,胴体オモテがわのほうは完成させておきましょう。棹とのフィッティングもあらかた終わっているので,あとは響き線を戻すだけですね。 ![]() ![]() 例によって,響き線の木部につっこんであった分はかなり錆び朽ちており。その先端一部が木のなか残っちゃってるのと,周囲に鉄分が滲み,変色・変質してガサガサになっちゃってるので,少し大きめのドリルで周辺ごとエグって取り除いてあります。 そこを木粉を混ぜたパテで埋め,あらためて小孔をあけて接着。表面がわにズボっといかないよう,ちょうどいいところにテープを巻いて印にしておきましょう。 ![]() ここの接着はさすがにエポキです。 何回も書いてますが,よくここの接着に使われてるニカワは,長い間に湿気を含んで従前のように鉄を錆び朽ちさせてしまいます。知識のある人は,線基部に柿渋を塗布したりウルシを塗ったりしてあるていど防錆しようとしてるようですが,いずれも完全なる防錆には到らず。腕の良いヒトはニカワなんかつけなくても,孔あけて竹釘挿しただけで見事に留めちゃってますが,木そのものも呼吸しているので保存状態によってはやっぱり錆びちゃいますね。 今回は線そのものの状態が比較的良かったので,基部の先っちょがちょっと欠けちゃったほかは,オリジナルのほぼそのままです。サビを落し柿渋やラックニスで防錆処置した線を入れ,接着剤が硬化するまで板との間に木片を噛まして,ベストに近い位置で固定します。 ![]() ![]() 二日かけて,ようやくふつうに言うことを聞いてくれるようになった板を,さっそく胴体に戻します。 ![]() ![]() 胴体が「箱」になり,スペーサを噛ましたぶんのハミ出しを切り取って,木口・木端口を均したら,今度はそこをマスキングして側板を染め直します。 まだかなりの部分でオリジナルの染めが残っていますが,天の板や右の側板など補修の手のかかったところは,さすがに削っちゃいましたからね。 ![]() ![]() スオウをかけミョウバン媒染。そのあと薄めたオハグロを何度もかけて,オリジナルの色味に少しづつ近づけてゆきます。 染まったところでシーラーを塗布し,染めた側板の表面を保護。さらに木口のマスキングテープを一回はずして,こんどは側板のほうをマスキング----表裏板の清掃に入ります。側板の染めに使ったスオウは,表裏板の洗浄に使う重曹(弱アルカリ)にも反応してしまうし,トップコートの塗料も溶かしてしまうので,どのタイミングでこの作業を行うのかちょいと迷いましたね。 今回はそこらのDIYでも売ってるアクリル系のシーラーを使いました。古楽器の修理ではいささか反則感はないでもありませんが,これなら洗浄剤にも反応しませんし,この後の磨きでほとんど削り取っちゃいますからね。 ![]() 表板のヨゴレはそれほどキツくはなかったんですが,かなり頑固な手合いの黒ずみ。同じようなヨゴレは炭鉱町から出たとか,北海道みたいに石炭小屋になってる物置みたいなとこにほおりこまれてた楽器で何度か経験しました。 たぶん石炭なんかに含まれてる成分---鉄分とか硫黄---が,板に使われてる染料のヤシャブシに反応したものだと思います。 ![]() ![]() 部分的にくすみが少し残ってしまいましたが,表板には樹脂で埋めたものの,虫食いでスカスカになってた部分もあるので,あんまりゴシゴシともできませんな。まずほどほどのところで。 ![]() 裏板のほうはたいした虫食いもないのでぞんぶんにゴシゴシできますが,厚みを均す作業で,表面もだいぶん削りとってしまいましたので,清掃よりはむしろ補彩が必要な状態。部分的に残ってるオリジナルの部分を清掃しつつ,ヤシャブシ液に,修理の際,表裏板から出たヨゴレを煮込んだ斗酒庵特製の「月琴汁」を垂らしたもので古色をつけつつ染め直してゆきます。 上にも書いたとおり,表板のヨゴレが落ちにくかったので,清掃してはいちど乾燥させ,様子を見てからもう一度,というぐあいに数度繰り返しました----うーん,それでも完全にまっちろ,は無理かなあ。数年したらまたそこそこ濃いめの色に戻るかと。 季節がら,乾燥してはいるものの,気温が低いので塗料やら水分は乾きが遅うございます。 とはいえここで無理したり急いではナニが起こるか分かりません。いつもより,ちょっとのんびりやらせていただいとります。 (つづく)
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![]() STEP5 今宵星降る刻こぼれ堕つ調停者 ![]() 原作者のもともとの工作が巧いので,前修理者の「修理」箇所を徹底的に除去するほかは,簡単な虫食いの処置といつもの補強以外,あまりすることのない胴体ですが。 木の仕事はだいたい巧い田島真斎が,イマイチど下手クソなのが 「桐板の接ぎ」 なのですね。 裏板にはもともと割レが複数個所入ってたんですが,内部修理のための剥離作業でほぼバラバラになってしまっております----あんまり上手じゃないくせに,10枚以上も接ごうなんてするから……無茶しやがって。 ということで,このアベリベリバラバラな裏板を接ぎ直します。ついでに,再接着時に困らないよう,間に二箇所スペーサを入れて左右の幅を少しだけ広げておきましょう。 ![]() ![]() ![]() いつも切ったり貼ったりで使っている作業台に小板を並べ,簡易的な板接ぎ台にして一晩。 スペーサを均したら,裏板は再生完了。 接着位置を決め,板クランプではさんでまた一晩。 ![]() ![]() 側板にマスキングテープを巻いて,周縁のハミ出しを削り,表裏板を清掃します。 最初のほうでも書いたかと思いますが,この楽器の表裏板はナニヤラ油が染まされちゃっており,色濃くまっ黄ッ々になっちゃっています。 ![]() なんですかね,木製品->油ヌルみたいな本能が古物屋には生まれつきあるのかもしれませんがモノを考えろ。ちょっと和箪笥とか知ってるヒトなら…いえそうでなくてもマトモな古物屋なら必須知識なんですが----桐板を使った箪笥や木箱に油は厳禁です----シミになっちゃう。 さらに,塗るとしてもふつうなら亜麻仁油みたいな乾性油でしょうに……これ,何ですかね? オリーブ油? いやいや,地中海のヨーロッパ家具じゃないんだから。 現状,ギトギトもヌルヌルもそれほどしてはおりませぬが,マスキングテープでさえ貼ってもスグにぺろりんと剥がれる状態。この後の作業にも支障がありますので,まずはこの表面の油を抜いてやらなきゃなりません。 ![]() ![]() いつもの重曹液に中性洗剤を一たらし。 いつもよりちょい強めに Shinex で磨いては,浮いてきた月琴汁をしごくように拭い取ります。 一度,全体を磨き切ったところで一旦乾かし,様子を見ます----おのれ古物屋(もしくは前修理者)! どんだけぶッかけたのォ!? ![]() ![]() しばらくしたらまた,表面に油が浮いてきたので,取り切れなかったところを中心に,このあと二度ほどくりかえしましたでがっでむ。 ![]() ![]() まあ何年かしたらまた滲みこんだぶんが浮いてくるかもしてませんが,とりあえず,表面と木口はマスキングテープが貼りつくくらいまでは脱脂できたようです。最後に水拭きをして数日乾燥させます。 さて,同時進行で棹をスオウ染めます。 ![]() ![]() 今回は糸倉も新しく接いでますし,指板も貼ったし基部も再生----糸倉はラワン,基部はマコレ,指板は縞黒檀,本体は前修理者の補作棹を使ったホオで,間木と延長材がサクラ。ほかにもスペーサやなんやらで,つごう木材5種類以上は使ってます。 ![]() ![]() ド派手にツギハギしましたので,誤魔化しのためにも最終的には黒染めですね。棹本体の真ん中あたりを少し薄くして,なんちゃってサンバーストに仕上げましょう。 糸巻も削ります。 田島真斎の糸巻は一般に石田不識のとほぼ同形。国産月琴の定番である六角1本溝で,溝の彫りが深く帽子(握りの先端)がやや突き出ているものが多いのですが,高級品だとやや太目で,帽子にさらに一手間,彫りが入ってたりすることもあります。 ![]() 先端が細く,握り部分側面の立ち上がりがややキツくなっているのも特徴ですかね。ラッパ状に広がってゆく側面のラインがキレいです。 こちらもいつものように材料は定番の¥100均麺棒。 前回,素体を多めに作っておいて良かった----おかげで今回は削るだけ,ほんとうに助かります。 ![]() ![]() 先端がきわめて細いので,補強のため,糸倉に入る部分や糸孔を中心に樹脂を滲みこませ,少し強化しておきます。 ![]() ![]() こちらはスオウで赤染め,オハグロは薄めにしてダークレッドに染め上げます。 ![]() ![]() ![]() ほかの工作もしながら,棹のフィッティング作業を繰り返します。もう第何次か分からん! 棹が半分になってもいいんや~,ワイはキッチリスルピタをめざすんや~。(w) ![]() ![]() 表裏板の木口木端口をマスキングして,側板部分のお手入れ。作業でついたキズを落し,磨き直し,亜麻仁油と柿渋を軽く刷いておきます。 「田島真斎」という人の仕事の良さは,ここからも分かりますね----この薄い胴体が,何の支えもなしに,ほぼ正確に楽器の中心線どおり真っ直ぐ自立します。なんという工作,なんというバランス。作る時に削りかすの重さとか測りながらやってるのかしらん? 棹は前修理者と庵主の合作みたいなもので,ひどいツギハギですから重量バランスもへったくれもないはずなんですが。コレ挿してもちゃんと自立しますもんね。スゴい。 (つづく)
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![]() STEP5 唐辛子紋次郎 さて,前回までの作業で表板に側板がつき,いちおう「箱」の手前,「桶」の状態にまで戻った太華斎。まずは胴体の続きです。 ![]() いつもですと,側板を輪にしてから入れる内桁ですが,今回は側板のほうの工作があまり良くなくまだ調整の必要があるため。内桁を先に固定し,楽器の中央構造をしっかりと固めてから,四方接合部の再接着という流れになります。 ----で,その内桁。 唐物月琴の場合,胴体構造を保持するのはこの内桁1枚だけですから,これが楽器の背骨でもあり腰骨でもあるわけですが,なにせオリジナルは反ってへにゃ曲がっててこんな状態ですんで,とうぜん使えませんな。 ![]() ![]() オリジナルは桐板で,へにゃ曲がった状態でくっついていたことから,おそらくこの変形は,組立て時にサイズの合わないところに無理やり押し込んだためと考えられます----組みこんだ後で変形したのなら,表裏板との接着はハガれてたはずですからね,補修の痕もなかったし。 というわけで,ここは新しく作らにゃなりません。 板はオリジナルと同じ桐でもいいのですが,全体の工作(もちろん悪い)から考え,もうちょっと丈夫な材を入れたいと思いますので,今回はエゾマツの板でいきます。 ![]() ![]() 内桁の取付けに先立ち,これをはめこむ側板の溝を調整します。右側板(楽器正面から見て)の溝が少し斜めになっちゃってるんですね。 前回書いたよう,左のは板厚ギリギリだったし,こっちは曲がってるし……なんですかこの胴体作った奴は,よほどの考えナシですか。 修整の結果,少し幅が広がっちゃいましたが,新しく作った内桁はオリジナルよりわずかに厚かったので,むしろ好都合。 内桁の両端は側板の高さに合わせてありますが,中央部分は端より1~2ミリ膨らんだカタチになっています。オリジナルは量産型のせいか手を抜いて,端から端までほぼ同じ高さになってましたが,ここは一手間----老天華なんかは量産品でもこの設定で工作されてましたけどね。このあたりは如実に職人格差。 で,この板の中央に棹なかごを受ける棹孔を,端に響き線を通す木の葉型の孔をあけるんですが……ここでまた原作のアラを発見。 ![]() 月琴の棹は,通常(作者がちゃんと構造を分かっていれば)やや楽器背がわに傾いたカタチで取付けられます。 修理前の前の測定で,この楽器の棹もそういう造りになっていることが分かっています。棹の指板部分の面と棹なかごは水平でなく,わずかに角度が付けられていており,棹なかごの上面--表板がわに向いてるほう--が,棹口から内桁の孔まで,表板とほぼ平行になるようになっているんですね。 表板とほぼ平行,ということは。棹なかごと表板の間隔は,起点である棹孔のところから,終点である内桁の孔のとこまでほぼ同じになってなきゃならんわけですな。 しかるにこの楽器の内桁の棹孔は……うん,ど真ん中に穿たれてますね。なンも考えてない,ど真ん中に。 これだとどういうことになるのか----図説しましょう。(下図:クリックで拡大) ![]() 棹はまともな造りになってるのに,胴体がやたらと----いえ正直言えば,かなりヒドい造り----工作があちこちバラバラなんですね。 胴体も,表裏の板なんかは--表面柔らか,裏面硬く--と,ちゃんと材質が選ばれたりしていますが,その板自体の加工と組立てがヒドい。量産型なので複数の職人が分業でやっていたとは思いますが。素材と個々の工作技術はまあまあなのに,その間に立って調整したり,全体を統括してまとめたりする役がいなかったか,あるいはその立場にある者の能力もしくは責任感が著しく欠如している……うん,いまもブラック企業でよくある労働環境だったみたいですねえ。 とりあえず,新しい内桁の棹孔は棹のほうに合わせ,あるべき位置(上図①)で開けときますね。 唐物月琴の内桁についている響き線の孔は,くりぬいたものではなく,木口から鋸を入れ,そのまま木の葉型に挽き回して貫いてることが多く---- ![]() ![]() 天華斎(上右画像)でさえこの手でやってます。まあ,いくつか小孔をあけて,間をちまちまと挽き切って貫くより,こっちのほうが格段にラクですし,機能の面では孔さえあいてりゃいいわけですが。これと同じにやった場合,内桁の片端が二つに割れてるのと同じ状態になってしまい,これが原因となった不具合もいくつか見てますので,ここは庵主,馬鹿丁寧な日本の職人式に,切らず丁寧に刳りぬきます。 ![]() 最初のころは,一見手抜きにしか見えないこの工法,なにか楽器の性能上のヒミツが隠されているのか!?----とか考えたりもしてたんですが,どう考えても「手間」以外の問題はなく,庵主は納期までにいくつも作らなきゃならないわけでもなく,原価を下げたいわけでもないないので……あ,お出汁は昆布やニボシでちゃんととる派です。 内桁・四方接合部の再接着の前に,右側板の内外に板を貼りつけておきます。この右側板,表板がわは比較的均等な厚みになっているんですが,裏板がわが極端に薄くなっており,さらに全体が両手でタオルを絞るみたいに,中央からそれぞれ逆方向にねじれてしまっています。ある程度は矯正したのですが,それでもこのまま接着すると,天の板との間にけっこうな段差ができて,現状だと端っこのほうを,最大で1ミリ以上2ミリ近く削らなければならなくなりそうです。 ![]() ![]() ![]() 再接合の際,さらに矯正するので,実際にはもうすこし小さい段差で済むでしょうが,どちらにしろ現状3ミリほどしか厚みがないところを1ミリ削るっていったらけっこうなもんですので,補強も兼ねて裏がわに板を足しておこうというわけです。 ![]() ![]() ![]() 同じく右側板,反対の地の板がわの端は,逆に外がわがへっこんでしまっているので,こちらにも板をちょい足ししておきます。 ![]() ![]() そしていよいよ内桁と四方接合部を接着。 ![]() ![]() つぎに桐板で作った補強板を,四方接合部の裏がわに接着します。同時進行の田島真斎は凸凹継ぎだったので,これを整形するのがすこし大変だったんですが。こちらはこちらで板自体の工作が見事にバラバラなため,接合部が3D的に不定型な形状になっており,かなりタイヘンでした----うまく合わせられなくて,板5枚くらい失敗しましたね(w) ![]() ![]() ![]() 貼りつけた補強板はギリギリまで厚みを落し,外がわからもスキマを徹底的にふさぎます。 さて,これで胴体構造はあるていど固まり,だいぶん安定してきました。あとは裏板でふさぐ前に,棹の取付け調整を徹底的にやってゆきます。 まずは胴オモテに新しく楽器の中心線を決め出します。 ![]() 側板の棹口も内桁の棹孔も,オリジナルのはやや大きめにあけられており,棹の取付けはかなりユルユルです。補作の内桁の棹孔も,位置は変えましたが(既述参照)孔自体の寸法はオリジナルと同じくやや大きめにしてあります。 以前にも書いたように,こうした唐物月琴の工作は,糸を実際に張ってみると,だいたいは使用可能な範囲で安定するようになってるものではありますが,こういうあたりがどうしても気にしィになる日本の職人としましては,角度バッチリ抜き差しスルピタを目指し,邁進してゆきたい所信であります。 ![]() ![]() 棹と胴水平面を面一にしたところ,棹の指板部分先端の右がわがわずかに高くなっていたので,擦り直しておきます。 ![]() あとこの楽器の棹の背がわ基部には,ふつうほかの唐物月琴で表裏についている段差が,何故か無かったのですが---- ![]() ![]() ![]() おそらくはこれも,胴体に棹挿してみたら棹がお辞儀して,背がわの根元に大きなスキマができちゃったため,誤魔化すために段差を削って均したものと考えられます。数打ちの量産楽器ですので,歩留まり回避のための辻褄合わせはしょうがないとしても……職人としてここまでやってイイかかなり悩む,ギリギリな工作ですね。 今回,棹と胴の関係をマトモにしたら,その段差のあったあたりが棹口にひっかかるようになりましたので,その修整を兼ね---さすがにちょっと浅いですが---あるべきところに段差を復活させます。 ![]() ![]() ![]() あと,棹と延長材の接合部に少々スキマができちゃってます。接着自体は頑丈で使用上の支障はありませんが,この手の工作不良は演奏中の音の狂いや調音の困難等の不具合の原因となりますので,ここもきっちりと塞いでおきましょう。 ![]() さらにフィッティングを重ねてゆきます----庵主,この作業に関してはしつこいですよ。 棹の角度も傾きも,そして抜き差し具合も,だんだんベストの設定に近づいてきました! (つづく)
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![]() STEP4 ( )人類には発音できない月琴の呼び声
ただいまあ~。
ああ,疲れた。 家はやっぱりいいねぇ。 はい,これ。お土産の「インスマス饅頭」----アンコが独特でさあ……え,原料? 知ラナイホオガ良イコトハ,コノ世ニイッパイアルンダヨ。 …タコっぽいモノをプレスした「インスマスせんべえ」もあるヨ。 旧支配者(=前修理者)により異空間に固定されていた棹の一件もなんとか一段落したので,お次は胴体のほうへとまいります。 ![]() エポキが流し込まれたことをのぞけば,胴体には原作者・田島真斎によるオリジナルの工作のままのところが多く残っています。 何度も書いている通り,腕前はお上の保証付きですので,木の仕事はかなり上手い。響き線にサビ一つなかったことから見て,胴体に限って言えば,もともとの(前修理者がやらかす前の)保存状態は,かなり良好であったと言えましょう。その意味では,内部確認と棹の除去のため,庵主が裏板ベリッっとひっぺがしたのが,現状,最大のキズかもしれませんね。 とはいえ製作されてから百年以上,まったく劣化がないわけではなく,天地の板と表板の一部,そして四方の接合部で接着がハガれちゃっています。 まずはここを再接着して,水も漏らさぬ「桶」の状態に復活してもらいましょう。 ![]() ![]() ![]() まずは天地の板。 板端に虫に食われているところもあるようですので,ハガレてるところに桐塑を詰め込んでから,ニカワを垂らして再接着します。 最初のほうの回でも書いたように,四方の接合部は凸凹継ぎ。精密強固に接合させるためではなく,ほとんど見映(みば)のためみたいな工作ですが,原作者の腕前がムダに良いので,接着がトン出る状態でもいちおうちゃんとくっついています。とはいえ,ここがきちんと密着しているかどうかが,この楽器の音色の良否をかなり左右するという箇所ですので,ニカワを足してただ再接着するだけではなく,いつものとおり補強をしておきましょう。 桐の小板を刻んで接合部の裏がわに接着します。 ![]() 凸凹継ぎなのと,内面が綾彫りモドキになってる関係で,凹凸がかなり複雑になり,合わせるは少々タイヘンでしたが,なんとか作成成功。 ![]() ![]() 補強板が完全にくっついたところで,余ってる部分を切り飛ばし,内がわからもギリギリまで薄く削って整形します。 ただたんに「強力に密着させる」ということが目的なら,それこそ接合部にエポキや木瞬でも接合部に流しこめばいいのですが,そうした場合,ここは二度と「直せなく」なります。 この部分は楽器の音色的には密着していないと困るところですが,胴体に衝撃がかかったとき,割れることで被害を最小にする,という役目もあります----つまり「壊れるべき時に壊れなければならない」箇所でもあるのです。 前修理者は接着剤を 「AとBを固定するもの」 というニワトリ以下に単純な考えで使用したようですが,修理において 「どこにどういう接着剤を使うのか」 という問題は,そのモノとその構造と部品個々の役割を良く理解したうえで正しく選択しなくてはなりません。 接着剤が強力であればあるほど,その選択はより難度を増します。おツムに自信がなく,腕前がクソ以下という自覚があるなら,いッそツバでもつけときなさい。そのほうが後世への被害は最小で済みますから。 さて,胴体が一段落したところで,ちょっと小物のお手入れでもしますか。 ![]() ![]() まずはお花の飾りをへっつけられ 「ヴェルサイユ」 と化していた半月。「ヴェルサイユ」はなんとかハガしましたが,その痕がいたいたしい… ![]() ![]() ![]() こんなもンへッつけんでも,元々の材料と工作が素晴らしい,ということが分からんあたり,古物屋としても失格ですな。 こびりついた接着剤をこそげおとし,ヴェルサイユにつけられたヘコミを唐木の粉を練ったパテで埋めます。そんなに大きくはないキズですが,目立つあたりなので丁寧に均しました。 ![]() ![]() ![]() 続いて中央飾りが真ん中あたりからポッキリ逝ってるのを継ぎ,左ニラミのシッポを継ぎます。 あとは…そういや前修理者が糸倉の頭にへっつけてた 「ふンぐるむん」 もありましたな。真ん中にへっつけられた凍石のカケラが邪神の召喚石なみに禍々しい,しかもなんかボンド垂れてるし……何を参考にしたのかは知りませんが,真似るならもう少しマトモに真似ろ。 ![]() というわけで,オーナーさんにお尋ねしたところコウモリの意匠をご希望とのことでしたので,補作の蓮頭は田島真斎風のコウモリさんを彫りましょう。 以前所有していた8号月琴がおそらく田島真斎作(当時は石田不識の楽器だと思ってましたが)で,これについてた蓮頭がコウモリさんでしたね。 ![]() ![]() ![]() …胴体がちょっと寸詰まりになっちゃいましたが(汗)。お顔はそれなりに似せれたと思いますよ。 あとひとつ,なくなってる扇飾りも作っておきましょう。 田島真斎はここに,けっこういろんな形の飾りを付けたりしますが,扇型になってる場合のパターンは三つくらい。その中でいちばん無難なやつでまいります。 ![]() ![]() ちなみにこの作者の場合,「いちばん無難なやつ」でもこの細かさになります。(^_^;)このお飾り,もともとの唐物月琴のも国内のほかの作家さんのも,もっと単純で,こんなに凝ってないんだけどなあ。 (つづく)
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