ウサ琴EX (1)
2022.1~ ウサ琴EX (1)
はじめに-マンモスハナアルキの夢- 『鼻行類』という本があります。 南洋の孤島に,鼻で歩くという独自の進化を遂げた生物群がいる,として。その生態や分類,進化の過程が書かれた本ですね。 もちろん,ハナアルキは実在しませんが,ハナアルキが実在しないということは,逆に我々がなぜ今あり,このような姿になっているのか,ということを考えさせもするわけですな。 庵主言うところの「清楽月琴」というモノは「絶滅楽器」です。 大元の大陸や台湾には,いまも「月琴」という名前の楽器が実在し,実際に演奏されていますが,現在の大陸の「月琴」は,胴体構造も弦制も古い月琴とは違うものになっています。この,現在通販とかでも気軽に買える現行の中国月琴は,伝統的な月琴の外面(ガワ)をもとに,解放後,「改良」の名のもとに創作された楽器なので,名前は同じであっても庵主は「中国現代月琴」もしくは「モダン月琴」と呼んで,4弦2コースの中国月琴や清楽月琴と同類の楽器とは考えていません。 あー,だからそこの今デキ月琴抱えて幕末ごっこしてるヒト……それ,名前が同じだけの違う楽器だからね。 中国南部および南西部では現在も,清楽月琴と同じく4弦2コースの月琴も作られ,弾かれていますが,構造的には現代月琴と大差ない頑丈な胴体をして,棹の極端に短いものが多いですね。台湾で「月琴」といえば長棹のほうが有名ですが,短い棹の月琴も存在しています。こちらも基本は4弦2コースですが,胴がぶ厚く,側部がギターのように薄板で構成されているものが多いようです。月琴が日本に伝わってから百年ちょっと,最大で見積もっても二百年かそこらですが,鳥のくちばしが短くなるように,その間にもそれぞれの進化は続いていったのですな。 清楽流行当時,日本に渡ってきた古い中国月琴---「古渡り」とか「唐物」とか呼んでるやつ---は,中国月琴の古形をそのまま今に伝えている,とか言いたいところではありますが。これらは「輸出用」の装飾品として作られていたフシがあり,当時の「楽器」として一般に使われていたモノとは別個のモノであったと考えたほうが良いかもしれません。ですので,厳密には「楽器」でないかもしれないモノも含む,これら清楽に使われた「唐物月琴」と,それのコピーからはじまった「国産月琴」というモノは,「月琴」という名前の楽器の歴史のなかで考えるなら,進化の流れからははずれ,どんずまりの中へと消えたギガントピテクス(途絶えた一族)みたいなモノなわけですね。 清楽/明清楽の衰退とともに,音楽の表舞台から姿を消した月琴ですが,明治のころにはすでに,主流は輸入品ではなく,国内で生産された楽器となっていました。流行に乗じて,けっこうスゴい数が作られたようで,国内に現在も残っている楽器の多くは国産品です。 すでに書いたよう,国産月琴ははじめ,輸入された唐物月琴のコピーからはじまりましたが,その短い流行期の間に独自の進化を遂げました----いや「遂げかけた」というくらいが正確なところかな? 文化文政のころ,お江戸の文化人の間に中国音楽が流行ったことがあります。当時,学問的にちょっとした変換点があって,その必要から「子曰く」みたいな古典的文章ではなく,「白話」と呼ばれるふだん使いの中国語に近い文で書かれた小説などを読むのが流行ったのですな。 いまもむかしも,活きた外国語をまなぶうえで有効な手立ての一つが,歌----音楽です。そこで長崎に留学経験があり,清国の人と交流があったような先生連の中から,そういうのも習ってきたようなヒトを招いて「最新の中国音楽を聴く会」みたいのが開かれたりもしました。 幕末から明治にかけて流行した「清楽」「明清楽」というのはその流れを汲むもの……ではありますが,実は学者先生を中心に広まったこの第一次の流行との間には一世代以上の途絶があって,後で流行ったほうはある意味,「中国風」を騙るインチキ音楽であります。一部に勘違いしている方もいますが,「清楽」とか「明清楽」とかいうのは,当時これに関わってた連中が勝手につけた呼び名で,べつだんそういう名前のひとかたまりの音楽が,大陸から伝わったとかいうわけではないんですよ。さしたる脈絡もなくバラバラに伝わった音楽をそれらしくまとめ,自分たちで捏造した「中国風」の楽曲や邦楽の俗曲でふくらましたのが,この第二次の流行,「清楽」とか「明清楽」と呼ばれた音楽なのです。 明笛でも唐琵琶でも阮咸(双清)でもなく,月琴という楽器が主流になった背景には,極論すれば,これがそのインチキ音楽を「それらしく見せる」ための効果的な「小道具」として,一番有効なものであったからとも言えます。小さく可愛らしく物珍しく,見た目にインパクトがあり,取り扱いが容易で教えやすい----そして,他と比べて「利益率」が大変によろしい。(www) まあ,インチキだの詐欺行為だと言っても,やらかしてることは落語「酢豆腐」の若旦那ていどのものなので,あまり目くじらを立てないでいただきたいものではあります。 とはいえ「詐欺」とか「インチキ」というものは,100%の虚偽ではまずもって成立いたしません。もちろん,清楽や明清楽の音楽が100%日本人による捏造なわけもないのですが,第一次の「お偉い先生たち」が気に入って弾いたり聴いたりしていた曲にすら,ほんとうに中国人から教わったのか怪しげなものはあり,当時捏造された創作曲も,教わる時に何もおことわりがなければ,二人目からは「中国の曲」になっちゃいますので,どれがホンモノでどれがニセモノなのかを判別することは,曲が古くなればなるほど難しい。 ましてやレコードもカセットテープもCDもMDもICレコーダもない時代,もともとの中国人が鼻歌レベルで覚えていたような曲が,どれだけ原曲を伝えているのかも知れたもンではないでしょう。 研究者として清楽やら明清楽の資料を見る時は,まずもって根っこのとこから真偽を疑う,というあたり,胸の奥に留めておく必要はありますよ,ぜったい。 さて,清楽や明清楽というものがインチキであることは,開国開化を経て,さまざまな情報が入ってくるようになると,ちょっと鼻の効く,勘の良い連中はたちまち気づいてしまいました。楽器のカタチや使い方の違い,日本式のやり方で読めない楽譜,教わったのと合致しない音楽理論,「流行ってた」ハズなのに,向こうの人が誰も知らない歌や曲----そうした連中(とくにこの分野に関わって上のほうでドヤ顔してた類)は,周囲に気づかれないうち,静かに河岸を変える(琵琶とか尺八とか一絃琴とか)とか,そこからフェイドアウトしてゆくとか,あるいは「清楽」というものそれ自体を「なかったこと」にして,以降見ぬふり聞かぬふりをキメこんだわけですな。 「日清戦争」という大事件と,それに向かう対清国感情の悪化というのも,これを「ホンモノ」として商売していた連中にとってはもちろん大きな打撃でありましたが,それ以上にそしてそれ以前から,新しく押し寄せた「情報」という大波によって,「清楽」という音楽分野はすでに根幹から破綻しつつあり,その象徴楽器として一蓮托生だった「月琴」とともに消えてゆく運命にあったのだと,庵主は考えております。 ----前置きのハナシが長くなりましたが。 庵主は思う,音楽分野自体の衰退によって,独自の進化を「遂げかけた」で終わった国産月琴でありますが,もしこれが「ちゃんとした楽器」として,あのまま進化していったら,どのような楽器になっただろうか,と。 STEP1 皐月のころはまだつぼみ 今回の製作のきっかけは,ちょっと前にやった「太華斎」の修理でした。 この楽器の表裏板は工作がヒドく,質的にも問題が多かったので----庵主,もしオリジナルの板が使えなかった場合のため,楽器表裏に貼れるくらいの大きさで同じくらいの厚みの桐板を接いで作っておいたんですね。 けっきょく,オリジナルの板をなんとかして戻すことには成功したんですが。そのため,用意しておいた板が余っちゃいました。 いざという場合の予備としてこさえただけのものではありますが,コレ,なんかもったいないなぁ…… そうだ,ウサ琴つくろう! 胴側はウサ琴の最後のシリーズを作った時に,予備として途中まで組んだものが3セットほど残ってましたので,これを使います。 円形に撓められたスプルースの板を輪に接合して,ネックブロックとエンドブロックが付けられた状態になってます。 棹は過去の修理で,今回の桐板みたいに,予備として作ったものや,研究用に複製してみたものがいくつかありました。 そのなかから今回は「唐木屋」の棹の複製品を選択します。 やや太めいくぶん頑丈そうに見えるタイプなのですが,いままで触った中では,これがいちばんクセがなく,使いやすいカタチだと思います。 ちなみに----棹の造形としての美しさで言えば,名古屋の鶴屋・林治兵衛の楽器のなんかがキレイでしたね。店名にかこつけたわけではないでしょうが,鶴の首のような優しい曲線を描く細身の棹が特徴でした。ただし,キレイなことはキレイなんですが,鶴屋とか石田不識の棹とかには独特のクセがあって,「弾きやすいか」どうかはまたかなり判断が分かれる,とも思いますね。 さあ,これでだいたいのコンセプトが決まりましたので,ひさびさに,いっちょう作ってまいりましょう! (つづく)
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