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柏遊堂の月琴 (3)

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斗酒庵 六度輪廻で柏遊堂 の巻2023.2~ 柏遊堂の月琴 (3)

STEP3 柏で遊ぼよその前に

 最初のほうでも書いたように,庵主が 「柏遊堂」 の楽器を扱うのは,今回で6面めとなるわけですが。いままでの記録を見ますに,それらの楽器には大きく分けて2つのパターンがあり,加工の稚巧や細部の工作の比較などから考え,それらはおそらく時系列的に前後の関係にあるのじゃないかと推測しております。

 とりあえず,前期のほうを「A」,後期を「B」としてみましょうか。
 今回の楽器はこのうち,比較的初期作と思われる「A」のほうに属しています。

 現在までのところ本修理報告で「柏遊堂」の楽器と同定されているのは,自出月琴の21・35・43・52号,依頼修理の「パラジャーノフ」の5面です。
 記録画像やフィールドノートから,本器以外でこの「A」に属すると思われるのは21号と52号。

 後期生産型と考えられる「B」がそれ以外の35・43号とパラジャーノフです。

 このうち「柏遊堂」のラベルが完全に残っていたのは21号のみ,棹のなかった35号はその量産に適した構造から当初,清琴斎・山田縫三郎の作としていましたが,後に内部構造等の比較から「柏遊堂」の作だろうと考えなおし再度分類し直しました。

 AとB,共通の特徴は----

 1)棹なかご,延長材部分側面のエグレ。
 2)響き線の取付け方法。

 1)の棹なかごの側面に浅くエグレがつけられているのはA・B共通の特徴ですが,エグレ自体は右だったり左だったりで,さして決まりはない様子。工作の違いは見ての通り延長材の先端部分にあって,Aでは先端が三角に削られてますが,Bはスパッと真っ直ぐ切り落としたカタチとなっています。

 2)も,響き線の基部を側板と板の間にはさみこんで固定する,という方式は同じですが,Aではその基部が表板がわにあるのに対し----

----Bではこれが裏板がわになっています。

 1)の形状変化は先をトンがらせる理由がないことに気付いたからでしょうが,2)の取付け位置の変更は,響き線の機能と組みたて工程の問題に起因するかと思われます。

 直線型響き線のもっとも一般的な工法では,下図1・2のように,線の基部は胴材に直接か,あるいは胴側内壁に接着された木片に埋め込まれており,鉄もしくは竹製のクギで締めて固定されています。直線の場合線の振れ方は,基部を中心に先端が円を描くようなカタチとなりますが,この円の振れ幅や方向は,取付後もあるていどは調整可能です。

 さて,月琴の胴体は通常,表板がわを起点として,側板と内部構造を組み合わせ,最後に裏板を閉じて完成という手順で組まれていたと推定されます。この作業はほとんど,表板を下に,胴体を水平にした状態でなされていたと思われますが,今回の楽器でも響き線はその状態----胴を水平に置いた場合----では,胴内で片持ちフロートの機能状態となってるんですが,演奏姿勢に構えると板にへっついて機能しなくなります。これは作者が響き線の動作確認を「楽器を水平に置いた状態」でしかやっておらず,さらには「それで良い」と考えていたからだと考えられます。
 そもそも,柏遊堂の響き線の工作では取付後の修整がほぼ不可能なので,裏板を閉じる前に響き線がぜんぜん機能していないことが分かったとしても,けっきょくは裏板を閉じてそッと出荷するしかありません。また,この線の形状で表板がわに基部を置いた場合,線の表裏方向への振れ幅は,上図3・4として描いたように,表板方向より裏板方向へのほうが若干大きくなりますので,工作時にいくら「表板からちゃんと離れていた」ことを確認したところで無意味というものでしかないでしょう。
 この響き線の工作不良に関しては,基部の位置を裏板がわにし,取付けの順番を最後のほうに回すだけでかなり解消できるようになるので,AからBへの変化は至極必然であったと考えられますね。

 A・Bともに内部構造は2枚桁で,上桁のデザインや加工・取付方法はどちらも同じですが。下桁のほうは,Aでは真ん中がコの字型に大きく切り込まれているのに対し,Bは3箇所丸い孔を穿って音孔としています。Bのほうは他の作家の楽器でも比較的よく見る工作ですが,Aのほうは柏遊堂以外で見たことがなく,いちおう柏遊堂の「創意」の一つであったろうと認めることができます。
 庵主の想定のようにAからBへという移行があったとするなら,前回紹介した下桁の板自体のナゾ加工(左右で厚みが違う)を含め,この下桁が「均等な厚みの板」「3箇所丸い孔をあけただけ」の「ふつうの工法」になった理由は,単にそれら初期の「工夫」「何の役にも立ってはいない」うえに「ただの手間」であることが分かってきたからだと思われます。

 ちなみにBタイプの下桁は,Aでは接着のみだった接合を,上桁と同じ側板内壁に切った溝に左右端をはめこむ方式に変えています。これもそれまでかけていた「余計な手間」を「丁寧な工作」のほうに転換したものと考えられますね。労力の総量はたいして変わらないか,むしろBの工作のほうが少なくなっていると思われますし。

 あとA・B共通の特徴として,どちらも指示線や書き込みがぜんぶ墨線だということもあげられましょうか。ほぼ同時代と思われる他の作者では,エンピツが使われてるのがけっこう多いですね。文字の場合ほど顕著ではありませんが,指示の位置や線のクセみたいなものも共通しているようです。

 さて,裏板を剥いで内部構造も分かったので,とりあえずの情報をまとめてフィールドノートにしておきましょう。(下画像,クリックで別窓拡大)
 この後も作業中に不良個所とか虫食いなんか発見されて,書きこみはいくぶん増えるかとは思いますが,楽器の諸元寸法などの詳細情報はだいたいそろっていると思われます。

 おもな要修理・改修箇所としては,まず散々書いてきたように,機能していない「響き線」がありますね。これについてはイロイロ考えてますが,まだどうするかは完全に決めてません。そのほかは----

 1)棹角度の調整:現状は棹の指板部分が胴表面板の水平面とほぼ面一となっています。これは月琴を製作初期のころの作家さんによくある設定間違いで,唐物や国産のちゃんとした楽器では,山口のあたりで表板水平面から3~5ミリほど背がわに傾いています。現状のままでも弾けないことはありませんが,フレットが全体に高めで高低差があまりつけられないので音や運指への影響が良くありません。

 このあたりは当時の使用者も分かってたらしく,柏遊堂5パラジャーノフの前所有者さんなんかは,延長材をほとんどなくなるくらいまで削って調整していました(上画像)----ただしやりすぎて傾き過ぎちゃってましたけど。

 2)軸孔の工作不良:これも第1回で書きましたが,けっこうヒドいです。特に一番下の軸孔は安定が悪いままで使い続けたせいで,左右両方がかなりユルユルに広がっちゃってますね。ほかの箇所はそれほどでもないのですが,糸巻との噛合せはどこも良くないので補修と調整はやっとかんと。
 弦楽器ですからね。ここの動作不良は操作性に直結してますから,ちゃんとしとかんとならんのですが,繊細でやりにくい,けっこうイヤな作業になりそうですね~。

 3)表板の虫食い:意外と重症だったようで。板の接ぎ目に沿って上下貫通しちゃってましたね。表がわからはほとんど見えない感じですが,ほじくったらけっこうなものでした。

 4)欠品:上から,蓮頭,糸巻2本,山口(トップナット),棹上のフレット3枚。このあたりは無くなった物を足すだけなんで,調整やら改修やらに比べれば気持ち的にはいくぶんラクな作業になります。だいたいいつもやってることだしね~。

 次回から,作業開始です!!

(つづく)


柏遊堂の月琴 (2)

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斗酒庵 六度輪廻で柏遊堂 の巻2023.2~ 柏遊堂の月琴 (2)

STEP2 柏に遊ぶ君


 さて,前回もちょっと触れた「柏遊堂」の正体探し。

 第一容疑者である本所松井町の柏屋・石川栄(永)次郎さんですが。商業案内や博覧会・共進会の受賞目録などにはよく名前が見えるものの,もうちょっとつっこんだ,「どういう人なのか」についてのあたり,まったく記事が見当たりません。

 いろいろと探し回ったものの,なんとか見つかったのが左の大正2年版 『交信要録』 の広告記事でした。(左画像クリックで別窓拡大)

----ふむふむ。幕末安永年間(1772-1781)にお店を開いてると…すると月琴が流行していた明治の10年代後半から20年代のあたりでももう,100年以上続いてる老舗だったのですね。
 関東に 「俗曲を演るオキテ破りの二絃琴(二絃琴は「神様の楽器」なので原則俗っぽいこと禁止)」 の流派があったということは,記憶の片隅にとどまってましたが,あれを流祖・藤舎蘆船(呂船)とともに開発したのがココ,松井町柏屋だったみたいですねえ。昭和2年の『現代音楽大観』(東京日日通信社「東流二琴絃(*マ)」)にも,「東流二絃琴」は 「当初本所二ツ目松井町三丁目の柏屋永次郎が一手に製作した」 とあります。
 いまは月琴同様マイナー底の楽器・音楽分野ですが,この「東流二絃琴」も,一時期は錦絵に描かれるくらい流行ったものですから,松井町柏屋というお店は,そういう流行楽器を生み出すのみならず,かつ生産を一手に引き受けるだけのキャパシティを持っていたということになります。
 前記事にも書いたように,この松井町柏屋が 「月琴」を作っていたということは,博覧会の目録などから確実なところなのですが,やっぱり「松井町柏屋」と「柏遊堂」を結ぶ,直接的な記事なり証言は欲しいとこですね。和楽器の研究家や,御子孫の方なり,見ておられたらご教授アレ。

 さて,まだ調査は続きます。

 ここまでの外観調査から,地の板の大きな損傷,棹取付のガタつき…そして何より 「響き線が機能していない」 という非常事態が判明し,オープン修理確定となった柏遊堂。
 まずはいつものとおり,表面上のフレットやらお飾りやらをはずしてゆきます。

 棹上のモノはすべて後補部品。
 月琴のフレットにしては薄すぎる象牙か骨製の板が,透明な接着剤で固定されていました。

 この手の接着剤は,ちょっとでも残るとニカワでの再接着に支障の出ることがありますので,刃物の先を使って細かいとこまで丁寧に取り去ります。

 オリジナルの部分はなるべく傷つけたくないので,これはこれでそこそこイヤな作業ですね。

 胴体上のフレットや左右のニラミ・半月は,いづれもニカワ接着で,バチ皮はフノリかでんぷん糊,たぶんここはオリジナルか,手が入っていたとしても古いものでしょう。

 ニラミの裏面,全面べっとりとニカワが付着しています。

 このあたり,柏遊堂の知見の限界が見て取れますね。「ちゃんと分かってる」作家さんだと,ここは最低限の箇所のみの 「点付け」 で接着するところです。この部品はメンテの時にはずすのが前提なのと,なくなっても「楽器(音)的には困らない」部品ですからね。
 またこの楽器でも右のニラミが最初から割れてたように,こういう薄いお飾りは下地の木との収縮率の違いとかで,はずれやすかったり割れたりしがちなものです。「はずれやすい」ほうを何とかするため裏面ベタ付けにしたのでしょうが,そうすると今度はこうして 「割れる」 ほうの故障が発生するわけです。これを防止するため,丁寧な作家さんだと,飾りのいちばん面積の大きいところの裏を浅く刳って対処したりしてます。この加工で,お飾り自体の強度はいくぶんか下がりますが,板の反りを防止するのと同時に,収縮の影響とかを受けにくくなるのです。
 丁寧な工作ではありますが,この楽器を製作した時点で柏遊堂の月琴経験値は,まだその域までは達していなかった,ということですね。

 半月の取外しが最後になりました。
 ここは頑丈で良いところなんで,時間がかかっても文句はありません。

 二日くらい湿らせてようやくはずれました。
 胴側と同じ桑かな?----と思ったんですが,染めてない部分の導管の様子や重さからすると,朴じゃないかな。接着面の加工は素晴らしく,水だけでも吸い付くくらい狂いがないですね,凄い。

 まる一日ちょい乾燥させて,いよいよ次の作業に入ります。

 元・骨董屋の小僧として,現状傷一つない古物に,修理のためとはいえ刃物をつけるのは,心臓に畳針をぶッさすぐらいの内的ダメージが生じますが,なにせやらんとハナシが進まない----気を取り直して,一気にエイッ!っとやっちゃいましょう。

----ううううう。(心臓ズキズキ)

 ハガしたのは当然裏板。
 胴構造の接着自体はちゃんとしてますし,音に直接関係のある表がわは,なるべくオリジナルのままにしときたいですからね。
 上下にパラレルで配置された2枚桁,真ん中の空間に直線の響き線----と,内部構造の概要はあらかじめ棹孔から覗いて推測したものとさほどの違いはなかったのですが。下桁がちょっと,面白いことになってますね………

 内桁にこういう左右で厚みの違う板が使われていたという例自体は過去にも見たことがあり,ずっとこれは,量産で手が回らなくなって,たまたまそこらにあった余り材の板でも使ったんだろう,と思ってたんですが。どうやら違うみたいですね。ほかのは加工も粗く工作も雑で,故意か偶然か微妙だったんですが,少なくともこの柏遊堂のはマジです----このカタチにわざわざ加工されてるもん,この板。

 下桁の一端(厚みの薄いほう)は胴材の内壁にぴったりつくように木口が加工されてますが,厚いほうはスパッと切り落とされたみたいにまっすぐのままで,内壁にはほとんど接していません。これもそもそもの厚みの差や中央の切り込み加工と同様ナゾの加工ですね。まあ一見意味ありげですが,まずもってわざわざするほどの利や効果は何も考えつきません。

 他例が複数あることから,下桁にこういう材を用いるという工作自体は,月琴の作家連の間で,少なくとも,ごく一時的に流行したものと考えられます。「ごく一時的に」 と限定しているのは,柏遊堂にせよ上に画像を挙げた松音斎にせよ,一部少数の楽器以外では,ふつうの,厚みが均等な板が使われているからです。
 唐物の比較的安価な楽器だと,見えない内部構造で材料をケチってる例をよく見るんで。おそらくはこういう感じのテキトウな板が使われてるのを見て誰かが, 「ナルホド…こうするのか」 みたいにナットク>即コピしたのが広まっちゃったんでしょうなあ。のち 「実はちあった(w)」 ことが分かってきて,すぐやんぴになったとかいうあたりでしょうか----トライ&エラーみたいのの実例ではありましょうが,ニポン人,ほんと真面目ね。(www)
 そもそも,製材段階でしくじった板をタダでもらってきたとかいうならともかく,意識してこんなふうに板を加工するのってけっこうな労力になります。実がないと分かれば,さすがにみんな止めますとも。

 上桁はふつうに厚みの均等な板。
 両端をわずかに斜めに削いで,胴材に薄く切った溝にぴったりとはめこんでいます。左右側板はうすうすですから,溝を切るのもけっこうな精密作業ですね。
 左右の葉っぱ型の音孔は,やや形がいびつなものの比較的丁寧にくり貫かれてますが,なぜか中央の,棹茎をうける孔の加工が粗く,片面の縁が左右両方ともささくれちゃっています。
 あってもなくても音的にはほとんど影響のない左右の音孔と違って,棹との接合部であるここがこんなふうになってると,音にビビリっぽいノイズの混じっちゃうことが多いんですから,むしろこっちをちゃんとしといて欲しかったですね。

 お飾りの接着や響き線の原状からでも分かるよう,この楽器製作時の柏遊堂には月琴についての知識・経験が決定的に不足していることから,自分として「あたりまえに」「ふつうにやった」つもりのことが軽くぜんぶ間違いだったり,「工夫した」つもりのところがぜんぶ余計なことにしかなっていないというようなやらかしは多いものの。
 楽器職としての柏遊堂の基本的な技量はかなり高度なものです。それがもっとも端的に顕れているのは,この四方の接合部の工作でしょうね。

 接合の方法は,凸凹継ぎでも蟻組みでもなく,もっとも単純な木口同士の接着。言っちゃえば板の端を 「真っ直ぐに切って」 「くっつけた」 だけのことです----が。
 この部分を「真っ直ぐに切って」「すきまなくくっつける」というだけのことがどれほど難しいのかは,この手の木工を実際にやってみた人にしか案外わからないものかもしれません。

 そもそもこの胴側の材はカタい「桑」なので。 これを1センチない厚みで,キレイに円を構成する部材に加工するという技術が技術。さらにその左右端の厚みは4ミリ程度しかありません----この胴はその幅4ミリの「のりしろ」でつながって輪になってるわけですが,四方接合部は現状いづれもそれこそ「カミソリの刃も入らない」レベルでガッチリくっついちゃってますねえ。
 木材ですから経年の変化もあることですし,ふつうかなり上手な作家さんでも,どこかしらにわずかなスキマができてたりするもんなんですが,ここまで繊細かつ精密な加工が可能で,さらにその工作が長期間保たれているというのは,作者の加工技術はもちろんのこと,使用している材料の品質管理がきわめて良いものであったということでもあります。

 胴側の桑板は細やかな柾目材になってます。しかもそこそこ木目を合わせてあるので,表面からだと接合部が分かりにくいくらいです。木目を合わせて接合するなんてあたりは,表裏板ならよく見る工作ですが,これを側板でまでやってる例はそう見ません。
 これだけの材料の乾燥や管理には果てしない時間や手間がかかるものですから,木材の入手事情が現在よりも易かった当時としても,規模の零細の職人さんのところで同じことをするのはけっこう難しかったでしょう----このあたりからもやっぱり,老舗のニオイがしますな。

(つづく)


清楽月琴WS@亀戸 2023年4月!!!

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斗酒庵 WS告知 の巻2023年 月琴WS@亀戸!4月!!


*こくちというもの-月琴WS@亀戸 うづき場所 のお知らせ-*


 2023年,4月の清楽月琴ワ-クショップは,15日(土)の開催予定です!

 会場は亀戸 EAT CAFE ANZU さん。
 いつものとおり,参加費無料のオーダー制。
 お店のほうに1オーダーお願いいたします。

 葉ザクラ八重サクラはまだ咲いてましょうか。お昼さがりの大開催。
 今回はつごうによりちょい早~18時終了,御用のかたはお早めに~。
 美味しい飲み物・ランチのついでに,月琴弾きにどうぞ~。

 参加自由,途中退席自由。
 楽器はいつも何面かよぶんに持っていきますので,手ブラでもお気軽にご参加ください!

 初心者,未経験者だいかんげい。
 「月琴」というものを見てみたい触ってみたい,弾いてみたい方もぜひどうぞ。


 うちは基本,楽器はお触り自由。
 1曲弾けるようになっていってください!
 中国月琴,ギター他の楽器での乱入も可。

 弾いてみたい楽器(唐琵琶とか弦子とか阮咸とか)やりたい曲などありますればリクエストをどうぞ----楽譜など用意しておきますので。
 もちろん楽器の取扱から楽譜の読み方,思わず買っちゃった月琴の修理相談まで,ご要望アラバ何でもお教えしますよ。個別指導・相談事は早めの時間帯のほうが空いてて Good です。

 とくに予約の必要はありませんが,何かあったら中止のこともあるので,シンパイな方はワタシかお店の方にでもお問い合わせください。
  E-MAIL:YRL03232〓nifty.ne.jp(〓をアットマークに!)

 お店には41・49号2面の月琴が預けてあります。いちど月琴というものに触れてみたいかた,弾いてみたいかたで,WSの日だとどうしても来れないかたは,ふだんの日でも,美味しいランチのついでにお触りどうぞ~!

 いきおくれのウサ琴EX2。(w)
 お嫁入りさき募集中です!
 うむ,がんじょう。それなりに弾きまくったので響きもあがってきましたよ。板が薄いせいか,楽器の育つのがちょいと早いですね。2年も弾いたら,かなりすごいことになるんじゃないかな?
 清楽月琴の上澄み技術でこさえた1本,ぜひWSにてお試しください。

柏遊堂の月琴 (1)

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斗酒庵 六度輪廻で柏遊堂 の巻2023.2~ 柏遊堂の月琴 (1)

STEP1 柏に遊ぶは誰ぢやいな

 さて,ひさびさの月琴修理報告です。
 依頼自体は暮れ前に届いていたのですが,庵主,ちょうど冬の雪かき帰省に出ていたため,ちょいとお待たせしてしまいました----もうしわけなし。

 ラベル等,直接作者につながるような証拠はなくなってしまってましたが,送っていただいた画像に,特徴的な半月が写ってましたのでほどなく確定。

 「柏遊堂」ですね。

 右が以前修理した21号(柏遊堂)の半月。そして庵主は,これと同じ意匠の半月を他の作家の楽器で見たことがありません。現状どこの誰かは分からない作者ですが,同様に構造や加工の特徴などから,同じ作者の楽器と後に判明したものもふくめると,いままで5面,これで6面めですから。こうやって修理にやってくる残機の数から考えても,かなり大規模に作っていたメーカーさんだと考えられます。

 やや小ぶりな器体で,スマートな棹や糸倉は関東流ですが,材質や糸巻が短い(=材料をケチってる)こと,また第4フレットを胴と棹との中間位置くらいに置き関東と関西の楽器の中間的設定としていることからも,清楽流派オールラウンダー入門版的な楽器として大々的に製造販売してたものでしょう。

 「"柏" 遊堂」 という名前や,正体のわかっている作家の中で,いちばん近い楽器を作っているのが 「柏葉堂」 こと高井徳治郎であることからも,製造元のお店の本号は 「柏屋」 でしょうねえ。三味線の「○○や」より,「○○堂」とか「○○斎」のほうが,唐渡りの楽器の作者として「それっぽい」からの変名別号で,まあ月琴作者としての 「月琴ネーム」 みたいなものでしょうか。本石町の「唐木屋」も「漢樹堂」名義(漢=から,樹=き)で月琴を販売したりしてますな。元の店名を残すあたり,「菊屋の芳之助」が「菊芳」を名乗るのと似たようなとこもあります。

 楽器全体の印象から,作り手は関東の人な気がしますが,お江戸だけでも「柏屋」と名乗る楽器屋さんはかなりの数ありました。しかしながら月琴流行期の「柏屋」号の大手処で,一時的にせよこういう楽器のあるていどの大量生産が可能なキャパを持っていそうとなると,浅草の 柏屋本店・高木芳五郎 か本所の 柏屋総本店・石川栄次郎 さんのとこでしょうか?(本店,と総本店でどう違うのかは知らん)

 なお,この二人だと,高木芳五郎さんのほうの取扱記録に箏・三味線しか出てこないのに対して,石川栄次郎(永次郎)さんのほうは,内国勧業博覧会や東京府工芸品共進会で月琴などの清楽器を出品してます---それでいてこの人名義の楽器を見たことがない---「柏遊堂」が「柏屋」の変名なのだと仮定するのなら,そのなかだとトップクラスに可能性が高い一人ですね。

 ともあれ,楽器の調査とまいりましょう。

 この作者の楽器は,なぜか古物の割にキレイに保存されている例が多いんですが,実は修理者的にはこういうのがいちばんコワい。
 何度も書いてますが,使いこまれてボロボロになってる楽器のほうが,修理はラクだったりするもんなんですよ。

 糸倉の加工にまず気が付きます。
 糸を巻き取る部分を 「弦池」 って言い,たいていの月琴でここは,糸倉部分の真ん中を二股フォークみたいに切り取って,てっぺんに間木をはさめて塞ぐ,という工法がとられますが,これは 「彫りぬき」----糸倉の形に成形した後,真ん中を彫りぬいてるんですね。
 ここを同じようにしてるのは,石田不識などごく一部の作家さんだけです。
 ちなみに月琴は棹が短いので,音的にはここが間木だろうが彫りぬきだろうが,ほぼ影響はありませんね。むしろ強度面や後々のメンテに不安が出るというか……実際,柏遊堂の楽器は糸倉が割れてることが多いんですよね~。

 弦池を彫りぬき,なんていう手間をかけてるわりに,糸巻を挿す軸孔の加工がかなり雑です。いちばん下左がわの孔なんて御覧のとおり楕円形になっちゃってますからね。ほかも大なり小なり歪んでたり,欠けてるのをそのままにしてたり----ちょっと可哀そうなくらいです。
 弦楽器的にはとても大事な部分なんですが,これもとにかく数を優先させた結果でしょうねえ。

 棹上のモノはぜんぶ後補ですね。
 山口は欠損,かわりに三味線の上駒のつもりかな? 象牙の細板がへっつけてあります。
 フレットも同じ材質の薄い板が3枚----棹基に向かって高くなってますね。何のつもりでしょうねえ。

 この棹のなかごの形状も,柏遊堂独特のものです。
 延長材の片がわに浅いエグレがつけてあるのが特徴----ちなみにこの加工の理由は不明。たぶんつけたかっただけだと思う。基部の表板がわに墨書。胴の棹口のところにもおなじマークが書かれてますが,21号は三角だったし,ほかも数字とは言えない記号だったので,これはシリアルとかより,流れ作業でぺッぺッと作って,後で組み合わせるときの目印的な意味のほうが強いと思います。同時にかなりの数作ってみたいですからねえ~いちいち数えてらんなかったのかも。

 基部の加工はお世辞にも良いとは言えず,棹の取付け自体もかなりユルユルですが,ガタツキはさほどありません。
 ただし棹オモテ(ギターとかだと指板のある面)が胴オモテの水平面とほぼ面一に近い設定で,背がわへの傾きが足りませんから,山口がちゃんとついていたとしてもやや弾きにくい楽器だったでしょうね。

 胴左右のニラミは仏手柑。21号とまったく同じです。
 あと5・6フレット間の扇飾りが,前回もすこしだけ左に傾けて着けられてたんですが,なんかこだわりがあるのかな?

 胴右下接合部付近の表板がわから,地の側板の半ばあたりまでにかけてかなり大きな亀裂が走っています。高いところから落とされたか,婚約者でも殴ったのか,かなり大きな損傷だったようですね。いちおう補修されており,現状いつの仕業かは分かりませんが,接着剤がハミだしたままになってたりしているので,マトモな修理だったとは思えません。
 ここはどうなってるのか,ちょっと心配ですね。

 最後に,今回見つかったこの楽器いちばんの不具合なのですが……

 「響き線」がまったく機能しておりません。

 弦の音に金属の余韻を与え「月琴の音」のイノチともいえる響き線。
 棹孔からのぞいた限りでは内部の汚れもそんなにないし,響き線も銀色でほとんど錆びてない様子。もちろん線がはずれたりもしてはいませんが,楽器を水平にしてる時ちゃんと動いてるのに,演奏位置に立てると胴内に触れて機能停止って設定なんやねん,逆やろがい。

 地の板が割れた時の衝撃によって変形したものかもしれませんが,今回は庵主的にこれがいちばんイタいですね----アイタタタタ。
 この楽器の響き線が,ほかの作家の楽器でよくある固定形式だったら,棹孔から棒でもつっこんで調整を試みてみるところなんですが,柏遊堂の楽器の響き線は,量産のためか基部の固定もごく簡易的な形式になっており,線に直接力をかけると,間違いなく根元からモゲます。

 なもので,毎度のことながら道はオープン修理しかないわけですが,現状キレイな状態の古物に修理のため余計なキズをつけるってのは,何度やっても元骨董屋の小僧をやってた庵主の心臓にいたく負担がかかるのでありますいたたたたた。

(つづく)


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