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柏遊堂の月琴 (2)

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斗酒庵 六度輪廻で柏遊堂 の巻2023.2~ 柏遊堂の月琴 (2)

STEP2 柏に遊ぶ君


 さて,前回もちょっと触れた「柏遊堂」の正体探し。

 第一容疑者である本所松井町の柏屋・石川栄(永)次郎さんですが。商業案内や博覧会・共進会の受賞目録などにはよく名前が見えるものの,もうちょっとつっこんだ,「どういう人なのか」についてのあたり,まったく記事が見当たりません。

 いろいろと探し回ったものの,なんとか見つかったのが左の大正2年版 『交信要録』 の広告記事でした。(左画像クリックで別窓拡大)

----ふむふむ。幕末安永年間(1772-1781)にお店を開いてると…すると月琴が流行していた明治の10年代後半から20年代のあたりでももう,100年以上続いてる老舗だったのですね。
 関東に 「俗曲を演るオキテ破りの二絃琴(二絃琴は「神様の楽器」なので原則俗っぽいこと禁止)」 の流派があったということは,記憶の片隅にとどまってましたが,あれを流祖・藤舎蘆船(呂船)とともに開発したのがココ,松井町柏屋だったみたいですねえ。昭和2年の『現代音楽大観』(東京日日通信社「東流二琴絃(*マ)」)にも,「東流二絃琴」は 「当初本所二ツ目松井町三丁目の柏屋永次郎が一手に製作した」 とあります。
 いまは月琴同様マイナー底の楽器・音楽分野ですが,この「東流二絃琴」も,一時期は錦絵に描かれるくらい流行ったものですから,松井町柏屋というお店は,そういう流行楽器を生み出すのみならず,かつ生産を一手に引き受けるだけのキャパシティを持っていたということになります。
 前記事にも書いたように,この松井町柏屋が 「月琴」を作っていたということは,博覧会の目録などから確実なところなのですが,やっぱり「松井町柏屋」と「柏遊堂」を結ぶ,直接的な記事なり証言は欲しいとこですね。和楽器の研究家や,御子孫の方なり,見ておられたらご教授アレ。

 さて,まだ調査は続きます。

 ここまでの外観調査から,地の板の大きな損傷,棹取付のガタつき…そして何より 「響き線が機能していない」 という非常事態が判明し,オープン修理確定となった柏遊堂。
 まずはいつものとおり,表面上のフレットやらお飾りやらをはずしてゆきます。

 棹上のモノはすべて後補部品。
 月琴のフレットにしては薄すぎる象牙か骨製の板が,透明な接着剤で固定されていました。

 この手の接着剤は,ちょっとでも残るとニカワでの再接着に支障の出ることがありますので,刃物の先を使って細かいとこまで丁寧に取り去ります。

 オリジナルの部分はなるべく傷つけたくないので,これはこれでそこそこイヤな作業ですね。

 胴体上のフレットや左右のニラミ・半月は,いづれもニカワ接着で,バチ皮はフノリかでんぷん糊,たぶんここはオリジナルか,手が入っていたとしても古いものでしょう。

 ニラミの裏面,全面べっとりとニカワが付着しています。

 このあたり,柏遊堂の知見の限界が見て取れますね。「ちゃんと分かってる」作家さんだと,ここは最低限の箇所のみの 「点付け」 で接着するところです。この部品はメンテの時にはずすのが前提なのと,なくなっても「楽器(音)的には困らない」部品ですからね。
 またこの楽器でも右のニラミが最初から割れてたように,こういう薄いお飾りは下地の木との収縮率の違いとかで,はずれやすかったり割れたりしがちなものです。「はずれやすい」ほうを何とかするため裏面ベタ付けにしたのでしょうが,そうすると今度はこうして 「割れる」 ほうの故障が発生するわけです。これを防止するため,丁寧な作家さんだと,飾りのいちばん面積の大きいところの裏を浅く刳って対処したりしてます。この加工で,お飾り自体の強度はいくぶんか下がりますが,板の反りを防止するのと同時に,収縮の影響とかを受けにくくなるのです。
 丁寧な工作ではありますが,この楽器を製作した時点で柏遊堂の月琴経験値は,まだその域までは達していなかった,ということですね。

 半月の取外しが最後になりました。
 ここは頑丈で良いところなんで,時間がかかっても文句はありません。

 二日くらい湿らせてようやくはずれました。
 胴側と同じ桑かな?----と思ったんですが,染めてない部分の導管の様子や重さからすると,朴じゃないかな。接着面の加工は素晴らしく,水だけでも吸い付くくらい狂いがないですね,凄い。

 まる一日ちょい乾燥させて,いよいよ次の作業に入ります。

 元・骨董屋の小僧として,現状傷一つない古物に,修理のためとはいえ刃物をつけるのは,心臓に畳針をぶッさすぐらいの内的ダメージが生じますが,なにせやらんとハナシが進まない----気を取り直して,一気にエイッ!っとやっちゃいましょう。

----ううううう。(心臓ズキズキ)

 ハガしたのは当然裏板。
 胴構造の接着自体はちゃんとしてますし,音に直接関係のある表がわは,なるべくオリジナルのままにしときたいですからね。
 上下にパラレルで配置された2枚桁,真ん中の空間に直線の響き線----と,内部構造の概要はあらかじめ棹孔から覗いて推測したものとさほどの違いはなかったのですが。下桁がちょっと,面白いことになってますね………

 内桁にこういう左右で厚みの違う板が使われていたという例自体は過去にも見たことがあり,ずっとこれは,量産で手が回らなくなって,たまたまそこらにあった余り材の板でも使ったんだろう,と思ってたんですが。どうやら違うみたいですね。ほかのは加工も粗く工作も雑で,故意か偶然か微妙だったんですが,少なくともこの柏遊堂のはマジです----このカタチにわざわざ加工されてるもん,この板。

 下桁の一端(厚みの薄いほう)は胴材の内壁にぴったりつくように木口が加工されてますが,厚いほうはスパッと切り落とされたみたいにまっすぐのままで,内壁にはほとんど接していません。これもそもそもの厚みの差や中央の切り込み加工と同様ナゾの加工ですね。まあ一見意味ありげですが,まずもってわざわざするほどの利や効果は何も考えつきません。

 他例が複数あることから,下桁にこういう材を用いるという工作自体は,月琴の作家連の間で,少なくとも,ごく一時的に流行したものと考えられます。「ごく一時的に」 と限定しているのは,柏遊堂にせよ上に画像を挙げた松音斎にせよ,一部少数の楽器以外では,ふつうの,厚みが均等な板が使われているからです。
 唐物の比較的安価な楽器だと,見えない内部構造で材料をケチってる例をよく見るんで。おそらくはこういう感じのテキトウな板が使われてるのを見て誰かが, 「ナルホド…こうするのか」 みたいにナットク>即コピしたのが広まっちゃったんでしょうなあ。のち 「実はちあった(w)」 ことが分かってきて,すぐやんぴになったとかいうあたりでしょうか----トライ&エラーみたいのの実例ではありましょうが,ニポン人,ほんと真面目ね。(www)
 そもそも,製材段階でしくじった板をタダでもらってきたとかいうならともかく,意識してこんなふうに板を加工するのってけっこうな労力になります。実がないと分かれば,さすがにみんな止めますとも。

 上桁はふつうに厚みの均等な板。
 両端をわずかに斜めに削いで,胴材に薄く切った溝にぴったりとはめこんでいます。左右側板はうすうすですから,溝を切るのもけっこうな精密作業ですね。
 左右の葉っぱ型の音孔は,やや形がいびつなものの比較的丁寧にくり貫かれてますが,なぜか中央の,棹茎をうける孔の加工が粗く,片面の縁が左右両方ともささくれちゃっています。
 あってもなくても音的にはほとんど影響のない左右の音孔と違って,棹との接合部であるここがこんなふうになってると,音にビビリっぽいノイズの混じっちゃうことが多いんですから,むしろこっちをちゃんとしといて欲しかったですね。

 お飾りの接着や響き線の原状からでも分かるよう,この楽器製作時の柏遊堂には月琴についての知識・経験が決定的に不足していることから,自分として「あたりまえに」「ふつうにやった」つもりのことが軽くぜんぶ間違いだったり,「工夫した」つもりのところがぜんぶ余計なことにしかなっていないというようなやらかしは多いものの。
 楽器職としての柏遊堂の基本的な技量はかなり高度なものです。それがもっとも端的に顕れているのは,この四方の接合部の工作でしょうね。

 接合の方法は,凸凹継ぎでも蟻組みでもなく,もっとも単純な木口同士の接着。言っちゃえば板の端を 「真っ直ぐに切って」 「くっつけた」 だけのことです----が。
 この部分を「真っ直ぐに切って」「すきまなくくっつける」というだけのことがどれほど難しいのかは,この手の木工を実際にやってみた人にしか案外わからないものかもしれません。

 そもそもこの胴側の材はカタい「桑」なので。 これを1センチない厚みで,キレイに円を構成する部材に加工するという技術が技術。さらにその左右端の厚みは4ミリ程度しかありません----この胴はその幅4ミリの「のりしろ」でつながって輪になってるわけですが,四方接合部は現状いづれもそれこそ「カミソリの刃も入らない」レベルでガッチリくっついちゃってますねえ。
 木材ですから経年の変化もあることですし,ふつうかなり上手な作家さんでも,どこかしらにわずかなスキマができてたりするもんなんですが,ここまで繊細かつ精密な加工が可能で,さらにその工作が長期間保たれているというのは,作者の加工技術はもちろんのこと,使用している材料の品質管理がきわめて良いものであったということでもあります。

 胴側の桑板は細やかな柾目材になってます。しかもそこそこ木目を合わせてあるので,表面からだと接合部が分かりにくいくらいです。木目を合わせて接合するなんてあたりは,表裏板ならよく見る工作ですが,これを側板でまでやってる例はそう見ません。
 これだけの材料の乾燥や管理には果てしない時間や手間がかかるものですから,木材の入手事情が現在よりも易かった当時としても,規模の零細の職人さんのところで同じことをするのはけっこう難しかったでしょう----このあたりからもやっぱり,老舗のニオイがしますな。

(つづく)


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