玉華斎2(3)
2023.10~ ウサ琴EX3 (3)
STEP4 2023年宇宙のウサ琴 間に内桁についてのよもやまはさみましたんで,報告が進んでませんね~もうしわけない。 限界まで削った内桁と,半月下の補強材を胴輪に組みこみます。 内桁は胴の内がわに彫り込んだミゾ---胴輪自体,厚みが5ミリないくらいなうえ柔らかい針葉樹材ですので,けっこう慎重に彫り込みました---に,補強材のほうは表板がわの縁に刻んだ凹にハメこみます。補強材もただ平らな板ではなく,内桁同様に真ん中を少し厚く,端のほうを薄く削ってありますよ。 接合部にニカワを塗り,ゴムをかけて一晩。 これで胴体の骨組みが完成しました。 さて----そしてここから,ウサ琴EXシリーズ固有の地獄作業がハジマリます。 板を…板を挽きます。 よいですかみなさん。 この場合の「挽く」というのはコーヒー豆を粉砕することではありません。 そう,ノコギリで,板を,切ることなんですが。 今回の場合,そのノコギる方向が,正直あまりやりたくない向きなのです。 一枚の板をノコギリで切って2枚にします----縦挽きでも横挽きでも,言葉にするとそれはいっしょなんですが。その「2枚にする」方向が---- こッちなんですね。 「厚さ」6ミリの板を,ノコギリで挽いて,半分の厚みの板2枚にするのです。 一般的な清楽月琴の表裏板の厚さは4~5ミリていど,ウサ琴EXシリーズはそれを半分くらいにしてるわけですね。 ウサ琴は,胴体の直径がだいたい32センチほど。 幅7センチの板でこれを覆うためには,5枚必要です。 表板に5枚,裏板に5枚で,1面につき10枚。 今回はそれが3面なので,最低30枚。 加工に不安があるので,予備となる板も多少欲しいものです。 それも含めて,少なくとも20枚近い板を半分に挽き割ることになりますね。 …………何日かかったことでしょう? 少なくとも一週間くらい,毎日板挽いてた気がします。 月琴の面板が窓にびっしりたかって,ひくひく蠢いてる悪夢を見るくらいにはがんばりました。(SAN値低下) 続いて,挽いた小板を組み合わせ,横に接ぎまくります。 朝,仕事に行く前に1枚へっつけて保定,夕方帰ってきたらそれをはずして,夜までにもう1枚----がんばって1日2枚ってとこですね。 桐は接着性の良い材料ですが,なんせ「のりしろ」が2ミリちょいくらいしかないので,板同士の擦りあわせをしっかりしないとちゃんとくっついてくれません。けっこうたいへんでした。 接いでできた板を,とりあえず八角形にしておきます。これは角ばったまンまだと,どこかにひっかかったり,ぶつかったりした時に割れやすいからですね。 板オモテに製材時のキレイな面を使い,鋸の通ったほうは板ウラとしています。板ウラには作業時のキズやエグレがあって凸凹ですが,とりあえず大きな凹になってた部分は,接いでる間に桐塑で埋めておきました。 あとで凸部分を削って均すのですが,それでも残った凹の桐塑で埋めた部分は,樹脂を浸透させて補強してあります。 板が出来てきたところで,表板に使うものと,裏板に使うものを分け,裏板には竜骨を接着----今回は実験的に黒檀の薄板を使っています。 伝統的な月琴の胴体構造には,縦方向への支えとなるモノがなく,基本的には胴をはさみこむ表裏の板の剛性に頼っているわけですが。ウサ琴はその板が通常よりも薄々なので,これを補強するための構造がこの竜骨です。 竜骨を組み込む手順については,正直けっこう悩みました。 ネックブロックと内桁とエンドブロックの裏板がわに,これをハメこむための凹が彫りこまれているわけですが。先に胴体に接着して,後で板を被せた場合,板との接着面にちょっとでも浮きが出てしまうと,構造として弱くなってしまいますし。板に接着してからだと,胴体がわの凹の調整ができません。 なのでまずは板のついていない状態で,竜骨が胴にきちんとハマるよう,接合部をてっていてきに調整しておき,仮組みした状態で接着位置を確認し,この段階で裏板に貼りつけておくこととしました。裏板への接着位置も,表板が着いてない時じゃないと分かりませんからね。 裏板への竜骨取付け作業が終わったら,いよいよ表板の接着です。 胴輪にクランプをかけやすいよう,板の余分をさらに切り落しておきます。続いて胴側と内桁にまんべんなくニカワを刷き,内部構造との密着具合を確かめながら,真ん中>内桁・補強材左右端>そのほかの部分,という順番でクランプかけて固定してゆきます。 一晩置いて,接着完了! 浅いアーチトップ,ラウンドバックになるよう内桁にアールをつけてあるので,考えナシに固定しちゃうと,真ん中だけ浮いちゃったりしてタイヘンですね。 縁からハミ出たぶんを切り落し,表面を磨いて。とりま胴体組みたては一段落。 といったあたりで,お次へ続く---- (つづく)
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2023.11~ 玉華斎2 (2)
STEP2 タマモクロス さてでは,この楽器の作者について考えてみましょう。(斗酒庵探偵モード) いちおう,裏面にラベルが残ってるんですが---- ほんの一部,ちょぴり~は残っているものの,これ単体では,文字はほば解読不能ですね。 では他の作家のラベルなんかと比較しながら,外堀を埋めてゆくことにしましょう。 まず,唐物と言ったら,の「天華斎」から。 うん,違いますね。緑丸のところが合いません。 あと,カタチはだいたいいっしょなんですが,このラベルはサイズが天華斎のものより一回りくらい大きい。 天華斎の後継の「老天華」,南台の「太華斎」,前に修理した「天和斎」などはいずれも文字のレイアウトや外枠のデザインが違ってますし,「清音斎」では,店名だけのこの四角いラベルを貼ってた例を見たことがありません。 ではこれだ---- うん,一致しました----「玉華斎」ですね。 残ってた文字のカケラのうち「玉」の横点の部分が,ほかの諸例とは一致せず,これだけで一致します。さらに調べてゆくと---- 以前に見た同作家の楽器に,今回の楽器とほぼ同じ意匠の半月のついてるものが見つかりました。 この半月の「海上楼閣」は,唐物楽器の上等品ではよく見る意匠なのですが,これを板状の半月全体を使って,透かし彫りで表現した例は実はほかになく。 老天華は上面に薄板を貼って表現していますし,ほかは前に手がけた天和斎のように,曲面の半月上に展開しているほうが多いですね。さらに「海上楼閣」の外がわは波で囲むのがふつうで,さらにその外がわに回紋をめぐらせているのは,いまのところ玉華斎の楽器だけです。 そのほか蓮頭でも,同じ作家のさっきのとは違う楽器で,ほぼ同じ意匠工作のが見つかりましたので,まあまず作者は「玉華斎」で間違いないかと。 ----とまあ,外堀埋めをしてきたわけですが。 じつは庵主,この糸巻をはずして見た瞬間,作者が誰だかはなーんとなく判かってしまっておりました。 庵主の「勘」みたいなもんですが「玉華斎」という作家さんは,おそらくもともと楽器が専門の人ではないと思います。 平井連山あたりが使用し,当時の清楽家が天下の名器みたいに持ち上げていたため,江戸から明治の流行期にかけて,福州天華斎の楽器というのは,日本の清楽家連にとってあこがれの楽器だったようです。 「日本に持っていけば高く売れる」というわけで,福州では天華斎の近所・茶亭街の同業者および関連業者などが盛んにこの楽器を作り,輸出するようになりました。「玉華斎」もそうした天華斎のエピゴーネンの一人であり,外貨獲得のための「輸出用月琴」作りにいそしんでいたものと思われます。 特徴としては天華斎よりやや大ぶりで,素材は本家の天華斎よりヘタすると良いものがゼイタクに使われたりしてますが,「楽器」として見ると少々チグハグな工作も目につきます。 その最たる一つが,この糸巻ですね。 うんただの「糸巻」としては確かにこれでも充分なんですよ。 材質も悪くないし,糸,いちおう,ちゃんと巻けますからね。 しかし「弦楽器のペグ」としては,使い物にならんのです,このナスビどもわ。 この糸巻は,以前に手がけた14号でも,ほぼ同じ状態でした。 この糸巻がへにゃ曲がってるのは,工作のせいもあるんですが,材質もちょっとヘンなんですよね……え~と,使ってる木材の種類とかじゃなくてですね……丸木を削り出して作られてる……と…コトバだと分かりにくいでしょうから,ちょっと図にしましょうか。 ----こういうことですね。 つまり,ふつうは図上のように,もっと大きな材料から小分けに切り出された,角材や丸材を削って糸巻を作るわけですが,玉華斎はなぜか,糸巻の太さくらいの枝を削って作ってるんです。 ふつうの工作でも,木の質や木目によって多少変形することはあるし,玉華斎の場合,工作自体もやや雑で「まっすぐに削れてない」のもありますが,それ以上に,へにゃ曲がりやすい枝材を使っている関係もあって,こんなにぐんにゃり変形しちゃってもいるんです。 ほかにも「楽器屋の楽器」としておかしいところは,たとえばこの半月の工作。 まあそもそも,弦の力のかかるこの部品をスカスカに透かし彫るというのがアレなんですが。高音弦の出るあたり,フチが少し欠けてますよね。これは使用によって減ったのでもなければ,前所有者がどッかにぶつけて欠いたのでもありません。回紋彫り回してる時に原作者が欠いちゃったヤツですね。 これが楽器屋の作る「演奏用の楽器」なら,半月自体が作り直すか,不良品・歩留りとなる案件です。そのまま日本に流しちゃうあたりからも,彼らが日本向けの輸出品であるこれらの「楽器」を,どういうものと考えていたのがうかがい知れますね。 庵主は「玉華斎」の本業を,おそらく日本でいう指物屋とか家具屋だったんじゃないかなあ,と考えています。 それだと唐木の素材を楽器屋の天華斎よりゼイタクに使ってるのも分かるし,糸巻の材取りがおかしいのも分かります。楽器ではあまり見ませんが,この糸巻の木取りは,家具だと飾り棚の支柱や,机の脚なんかでよくありますね。 もともと木工の素地があるうえ,まわりにお手本がいたろうし,実物もあったろうし。あるていどの修行もしているようなので,楽器として使えない,というほどではありませんが,楽器という「音楽の道具」としてよりは「高価な輸出用装飾品」のほうに重心の向いた作りになってる気がします。 まあとはいえ,上にも書いたように,材料には良いモノが使われてるし,工作そのものも悪くはないんで,ちゃんと調整すればそこそこ鳴るようになる,というのも面白いところ。その意味では,流行期の月琴作家のなかでは比較的マトモなほう,とは言えましょう。 原作者本人があと一歩踏み出せなかった部分を継ぎ足す----というのはちょっと「修理」ではない部分もありますが,「装飾品寄りの楽器」としてただお飾りにされるよりは,「ちゃんと鳴る楽器」として使われた方が,楽器のカタチで生まれてきたモノとしては幸せだと思いますよ。 ----ではそんな玉華斎の再生作業,開始いたします! (つづく)
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2023.11~ 唐物月琴(仮称) (1)
STEP1 平成3強のバラード ウサ琴作りの途中ですが,依頼修理の時間です。(w) 多少見慣れない工作・構造の部分はありますが,古渡りの唐物月琴ですね。 さて---- 全長:(含蓮頭)628 胴径:352,厚:33 表裏板は側板に埋め込み,胴外縁7ミリほどに側板がかかる。 有効弦長:395 棹・胴ともに主材は鉄刀木(タガヤサン),蓮頭や糸巻・半月なんかはツゲの類ですね。 フレット2枚と柱間の小飾りが欠落している以外,部品はおおむねそろっているようですし。まだ細かく見てないので分かりませんが,ぱっと見,状態は悪くなさそう----しかし,楽器は本来「道具」なので,古物でキレイというのは逆におかしい,オソろしい,というのがいつものハナシ。 「道具」は使ってナンボ,廃れた楽器とはいえ,たとえば「使われなくなった」のではなく「使われなかった(だからキレイ)」と言うような場合,そこにはかならず理由があるもんです。注意深く観察していきましょう。 頭から見てゆきましょう。 まず蓮頭。意匠は牡丹で,老天華や天華斎の楽器などでも良く見るデザインになってます。ただでさえツゲや唐木の類は接着が悪いのに,それをこういう透かし彫りにすると,接着面も不安定で落ちやすくなります。その対策として所有者が,こうやって裏に桐板など接着のいい別板を貼ってるのはよく見る手なんですが。そもそも天地逆にへっつけられてますし,桐板貼ったにしてもやたらガッチリとくっつきすぎてるので,再接着の疑いアリです。 糸倉には問題ナシ。軸孔の工作に多少雑なところはありますが,使用上の問題はなさそうです。背面側の角を丸めて断面を船形にしてるのはよく見ますが,この楽器ではオモテがわの角も丸められてますね。 真っ黒になってますが山口さんもツゲのもよう。 胴上のフレットは竹のようですが,この棹上の3枚はツゲっぽくみえます。 その棹上のフレットのうち2枚に再接着痕。ハミ出てる部分を爪先でつついてみると弾力があるので,たぶんゴム系の接着剤ですねえがっでむ。 唐物にしては棹が細く,寸法として特に長いわけではありませんが,スマートな印象があります。指板の部分で幅が26ミリ,棹背のいちばん薄いところは19ミリくらいしかありません。 棹背に大きなエグレがあり,またそこから糸倉基部に向けてのあたりのラインがみょうにヨタついていて不自然なことから,このあたりに素材的な問題……たとえば節目があったのを避けたとか,削ってたらいきなり割れたとか---「最狂」の称号を持つ唐木・タガヤサンではよくあること---があって,そのせいでこんなになったのじゃないかと思われます。エグレの下に薄いヒビも走ってますので,このあたりの材質に問題があるのは間違いなさそうですね。 胴上,ニラミは龍。細身でかなり意匠化されちゃってますが,まだまだドラゴンと分かるレベルですね。 扇飾りのほかは,中央に凍石の丸飾り,意匠は鸞です。 そして----うん,なにより目立つのがやっぱりこの半月ですね。 全体の形状はよく見る板状半月なんですが,そこに透かし彫りで「海上楼閣」が描かれています。船運で栄えた福州の楽器ならでは,って感じもありますか。右下のほうに顔を出してるのが「蜃」。ここでは巨大ハマグリではなく,ミズチ(蛟龍)の姿になってますね。口から吐かれた息が,くるりと一回転して,何もない海上に壮麗な楼閣を出現させ,波から花も咲くこりゃ。 さらに上辺と側面にもびっしりぐるりと回紋がめぐらされてます。 彫りそのものの腕前はそんなにスゴくないんですが,素材や時間を考えると,かなり気合入ってますねえ。 ----といったあたりで,次回に続きます! (つづく)
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2023.10~ ウサ琴EX3 (2)
STEP2 時計仕掛けのウサ琴 さて,前回までの工程は,工作の精度も含め従前のウサ琴での工作とさして変わらないところでありますが,シリーズEXの真骨頂はここから。 まずは内桁を徹底的に削ります。 前2作の時に,削りすぎて何枚かへし折っちゃったりしましたので,どこまで削れるのかの加減はだいたい分かってきました----たぶんね(w) 途中からは寸法でなく,指で触った感触で削っていきます。ヤバくなってくると,すッとなぞったときに,わずかに毛羽立ってるような抵抗が感じられたりするんス。 内桁と補強材の材質はいずれもヒノキです。エゾマツとかでもいいんですが,ヒノキのほうが若干削り込める感じですねえ。 内桁左右のこの孔。 楽器の解説だと「音孔」とか書かれ,いかにも楽器の音や響きに影響してそうに思えますが,じつのところ,月琴という楽器においては,コレ,あまり意味の加工で----事実,この孔がキレイにあけられてるのにクソも鳴らない楽器もあれば,孔のないただの板がつっこんであるだけなのに,激鳴りな楽器もあるんですね。 まあ,そもそも月琴の胴内空間というものはせまいので,内桁に孔をあけてちっと空気の通りを良くしたぐらいでは,そんな都合のいい劇的変化が起こり得るはずもありません。 さらに言うならこの孔,「月琴」においては,もともと「音」のためにあけられていたものじゃないんですね。 STEP3 閑話・月琴の「内桁」のハナシ 画像は53号天華斎。 作者は福州南関外茶亭街の天華斎----の後継のたぶん「老天華」。 古渡り月琴の胴内は,これとだいたい同じ構造になっています。 棹孔のほか内桁にあいているのは,片側に木の葉型の孔がひとつだけ。そしてこの孔は,「音」のためというよりは,単に「響き線を通すため」にあけられているものでしかありません。 国産の月琴も,当初はこれと同じ形式を採っていたと思われます。 じっさい,連山派と関係が深いと思われる関西の「松」のつく一派,松音斎の初期の楽器は,孔の形こそ違え上の唐物とほぼ同じ構造になってますね。 国産の清楽月琴では響き線の基部が,演奏姿勢の違い(大陸は椅子に座って足を組む,日本は畳の上で正座する)などにより,やがて楽器の肩口から胴の真横に付けられるようになってゆきます。 これに伴い「響き線を通すために必要」だった内桁の孔は,基本必要なくなったわけで。じっさい先の「松音斎」の後継と思われる松琴斎や,同じ系を引くと思われる関東の唐木屋では,ツボ錐で申し訳程度の孔をあけた,ほぼ「ただの板」を入れるようになりましたが---- 同系と思われる松鶴斎の楽器などでは,響き線の構造は変っているのに,なぜか唐物楽器や松音斎の楽器と同じ位置に,孔があいてたりしています。 おそらくはこの時点で,職人さんたち自身にも,この孔の意味自体がなかば分からなくなっていたんでしょうねえ。 これらとは別に,関東で作られていた楽器は,もともとが大陸から来た本物の構造をちゃんと分かっていたかどうかあやしいヒト----渓派の祖・鏑木渓菴の自作楽器などを参考にしていた可能性が高く,庵主所蔵の文久3年製13号も,鏑木渓菴の系を引く田島真斎や石田不識の楽器も,唐物の月琴とは全く関係のない独自の構造になっています。 内桁が2枚になってるのは関西の松派などでも同じですが,ここは中国人と日本人のモノヅクリの「嗜好」に由来するかと----日本の職人さんは実際の強度に関わらず,「丸に一」の構造が不安でガマンできないんですね。「安定」を求めてどうしても「丸にニ」のカタチにしてしまいがち。そして関東の職人さんは元の楽器を知らへんもんやさかい,ただの板でエエちゃうん,てとこにガマンができず----なんとのぅ,あけるようになっちまったのが,この内桁の「音孔」なんですねぶぶ漬け食うていきなはれ。 上にも書いたよう,古物の清楽月琴において実際の楽器の比較からは,この音孔の工作如何で,楽器としての性能が劇的に異なる----なんてことはないわけで,おそらくは,内桁によって分断される胴内の空間をつなげることで「通り」をよくしよう,ていどの思いつきだったとは思うのですが,松鶴斎の孔のように,まったく効果のないことでも,先行する誰かがやっていると,何か意味がありげに思ってしまい,つい無批判に継承してしまうものです。印刷物の普及とともに初期の通販的なものがはじまり,関東の楽器が全国に広まるようになってからは,ほかの地方の楽器も同じような構造になっていったようです。 ちなみに,ここに孔があってスカスカの状態になってても,面板や内桁の接合・接着が悪ければクソほども鳴りませんし,孔のないただの粗板みたいなものがつッこんであっただけでも,「箱」としての作りがしっかりしていればふつうに激鳴りします。 もちろん孔があいていて工作も良ければ,そのほうが鳴るわけですが,それは「孔が開いていて内部の "通り" がイイから」ではなく,「"箱" の振動を邪魔するよけいなモノが少ないから」なんですね。ここを通って空気の対流がどうの言うてるヒトもおりますが,サウンドホールもない楽器のこの胴内の閉鎖空間のどこから,楽器の音が変るほどの大量の空気が流入し,どこから出ていくのか教えてほしいところであります(w) すでに述べたよう,明治の職人さんの多くは,そもそもこの孔の意味もよく分からず,ただ「そういうものだから」といったていどで貫いていたようですが。ふつう,外から見えることのないこのあたりの構造は,たいへん御上手に手も抜いておられることが多く,孔の周縁がガタガタだったりするのは当たり前,錐であけた小孔に挽き回し鋸通して横に挽いただけ,なんて超雑な工作も見たことがあります。 きっちりしっかり丁寧にあけたところで,さして影響のない孔ではありますが。まずい工作や中途半端な加工をされればもちろん,かえって振動の邪魔になったりノイズ発生の原因になったりするわけで----おかげでなんど過去に戻ってサツジンを犯したくなったことか……… ちょっと長くなってしまいましたが。つまり庵主がウサ琴の内桁を研ぐのは「共鳴空間を広げる」ためではなく,「余計なものを極力削る」ためなのですな。楽器の構造上,この内桁は,棹を支えるためと,表裏板を胴に固定しカタチを保つために必要なものではありますが,強度的に必要なぶんを以外は「余計なモノ」が少なければ少ないほど,箱全体が振動するようになります。 まあ前にも書いたようにこの部分,近現代の中国月琴(4弦2コース「中国現代月琴」じゃない伝統的なほう)や,台湾・ベトナムの長棹月琴では---- ----と,棹孔のあいた板を,面板の補強材を兼ねた細板ではさみこむカタチになってることが多いですね。これも「音孔を大きくしたかった」のではなく,「棹孔以外の部分を必要最小限にする」ための構造であり工作と考えられます。 まあ上の構造は単純で,削る手間は要らず組み立てるだけの工作で,最小限の構成が達成できるわけですが,パーツが増えるぶん,どんなに接着をうまくしても伝導になにかしらのロスが生じます。すごい数作るわけでもないので,庵主は従来の一体型の桁で,内桁の限界を目指すとしましょう。 ----と,いったあたりで次回に続く! (つづく)
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