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玉華斎2(2)

GK02_02.txt
斗酒庵 たまたま玉華斎にまた出会う の巻2023.11~ 玉華斎2 (2)

STEP2 タマモクロス

 さてでは,この楽器の作者について考えてみましょう。(斗酒庵探偵モード)
 いちおう,裏面にラベルが残ってるんですが----

 ほんの一部,ちょぴり~は残っているものの,これ単体では,文字はほば解読不能ですね。
 では他の作家のラベルなんかと比較しながら,外堀を埋めてゆくことにしましょう。
 まず,唐物と言ったら,の「天華斎」から。

 うん,違いますね。緑丸のところが合いません。
 あと,カタチはだいたいいっしょなんですが,このラベルはサイズが天華斎のものより一回りくらい大きい。

 天華斎の後継の「老天華」,南台の「太華斎」,前に修理した「天和斎」などはいずれも文字のレイアウトや外枠のデザインが違ってますし,「清音斎」では,店名だけのこの四角いラベルを貼ってた例を見たことがありません。
 ではこれだ----

 うん,一致しました----「玉華斎」ですね。
 残ってた文字のカケラのうち「玉」の横点の部分が,ほかの諸例とは一致せず,これだけで一致します。さらに調べてゆくと----

 以前に見た同作家の楽器に,今回の楽器とほぼ同じ意匠の半月のついてるものが見つかりました。

 この半月の「海上楼閣」は,唐物楽器の上等品ではよく見る意匠なのですが,これを板状の半月全体を使って,透かし彫りで表現した例は実はほかになく。

 老天華は上面に薄板を貼って表現していますし,ほかは前に手がけた天和斎のように,曲面の半月上に展開しているほうが多いですね。さらに「海上楼閣」の外がわは波で囲むのがふつうで,さらにその外がわに回紋をめぐらせているのは,いまのところ玉華斎の楽器だけです。

 そのほか蓮頭でも,同じ作家のさっきのとは違う楽器で,ほぼ同じ意匠工作のが見つかりましたので,まあまず作者は「玉華斎」で間違いないかと。

 ----とまあ,外堀埋めをしてきたわけですが。
 じつは庵主,この糸巻をはずして見た瞬間,作者が誰だかはなーんとなく判かってしまっておりました。

 庵主の「勘」みたいなもんですが「玉華斎」という作家さんは,おそらくもともと楽器が専門の人ではないと思います。
 平井連山あたりが使用し,当時の清楽家が天下の名器みたいに持ち上げていたため,江戸から明治の流行期にかけて,福州天華斎の楽器というのは,日本の清楽家連にとってあこがれの楽器だったようです。
 「日本に持っていけば高く売れる」というわけで,福州では天華斎の近所・茶亭街の同業者および関連業者などが盛んにこの楽器を作り,輸出するようになりました。「玉華斎」もそうした天華斎のエピゴーネンの一人であり,外貨獲得のための「輸出用月琴」作りにいそしんでいたものと思われます。
 特徴としては天華斎よりやや大ぶりで,素材は本家の天華斎よりヘタすると良いものがゼイタクに使われたりしてますが,「楽器」として見ると少々チグハグな工作も目につきます。

 その最たる一つが,この糸巻ですね。

 うんただの「糸巻」としては確かにこれでも充分なんですよ。
 材質も悪くないし,糸,いちおう,ちゃんと巻けますからね。
 しかし「弦楽器のペグ」としては,使い物にならんのです,このナスビどもわ。
 この糸巻は,以前に手がけた14号でも,ほぼ同じ状態でした。

 この糸巻がへにゃ曲がってるのは,工作のせいもあるんですが,材質もちょっとヘンなんですよね……え~と,使ってる木材の種類とかじゃなくてですね……丸木を削り出して作られてる……と…コトバだと分かりにくいでしょうから,ちょっと図にしましょうか。

 ----こういうことですね。
 つまり,ふつうは図上のように,もっと大きな材料から小分けに切り出された,角材や丸材を削って糸巻を作るわけですが,玉華斎はなぜか,糸巻の太さくらいの枝を削って作ってるんです。
 ふつうの工作でも,木の質や木目によって多少変形することはあるし,玉華斎の場合,工作自体もやや雑で「まっすぐに削れてない」のもありますが,それ以上に,へにゃ曲がりやすい枝材を使っている関係もあって,こんなにぐんにゃり変形しちゃってもいるんです。

 ほかにも「楽器屋の楽器」としておかしいところは,たとえばこの半月の工作。

 まあそもそも,弦の力のかかるこの部品をスカスカに透かし彫るというのがアレなんですが。高音弦の出るあたり,フチが少し欠けてますよね。これは使用によって減ったのでもなければ,前所有者がどッかにぶつけて欠いたのでもありません。回紋彫り回してる時に原作者が欠いちゃったヤツですね。
 これが楽器屋の作る「演奏用の楽器」なら,半月自体が作り直すか,不良品・歩留りとなる案件です。そのまま日本に流しちゃうあたりからも,彼らが日本向けの輸出品であるこれらの「楽器」を,どういうものと考えていたのがうかがい知れますね。

 庵主は「玉華斎」の本業を,おそらく日本でいう指物屋とか家具屋だったんじゃないかなあ,と考えています。
 それだと唐木の素材を楽器屋の天華斎よりゼイタクに使ってるのも分かるし,糸巻の材取りがおかしいのも分かります。楽器ではあまり見ませんが,この糸巻の木取りは,家具だと飾り棚の支柱や,机の脚なんかでよくありますね。
 もともと木工の素地があるうえ,まわりにお手本がいたろうし,実物もあったろうし。あるていどの修行もしているようなので,楽器として使えない,というほどではありませんが,楽器という「音楽の道具」としてよりは「高価な輸出用装飾品」のほうに重心の向いた作りになってる気がします。

 まあとはいえ,上にも書いたように,材料には良いモノが使われてるし,工作そのものも悪くはないんで,ちゃんと調整すればそこそこ鳴るようになる,というのも面白いところ。その意味では,流行期の月琴作家のなかでは比較的マトモなほう,とは言えましょう。

 原作者本人があと一歩踏み出せなかった部分を継ぎ足す----というのはちょっと「修理」ではない部分もありますが,「装飾品寄りの楽器」としてただお飾りにされるよりは,「ちゃんと鳴る楽器」として使われた方が,楽器のカタチで生まれてきたモノとしては幸せだと思いますよ。

 ----ではそんな玉華斎の再生作業,開始いたします!

(つづく)


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