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月琴65号 清琴斎初記(2)

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斗酒庵,春秋を思ふ の巻2024.4~ 月琴65号 (2)

STEP2 むすめさんの若いころの通り名,「月下の美人」だったってよ。

 前回は,長々と作者の人物伝を掘り下げましたが----ああ,そうそう。頼母木源七の楽器工房を継いだ,清琴斎二記・山田縫三郎については,こちらの記事をごらんください。

    「月琴の製作者について(3)」

 さて,では今回の楽器の解説に戻りましょう。

 主要な寸法は以下----

 全長:660(除蓮頭)
 棹長:295( 〃 )
 胴幅:縦355,横357
 胴厚:37
 有効弦長:425(山口欠損のため推測)

 さすが師弟,過去に扱った山田清琴斎の楽器の資料と見比べたら,寸法とかあちこち合致してますね----なに,同じ楽器なんだからあたりまえ? ふッ…昔の国産月琴,ナメたらあかん。何面か扱ったら分かりますよ。(泣)

 この楽器,みんなほぼお金のため,ナリフリ構わず大量生産してるもンですから,材料や工程のコスパ的な関係で工作の差がヒドく,同じメーカー同じヒトの作でも,寸法が平気で5センチくらい違っちゃったりするんです。あ「ミリ」じゃないですよ? 「センチ」ね。

 見てるとね,その理由も……あ~節があったからここで切っちゃったんだな,とか。ああ,端材で無理矢理でっちあげたんでこの寸法かあ----とか,プロの仕事にはあるまじき&「楽器」の工作とすると考えられないような,すぐ分かるようなのが多くて。
 これだけばっちり合致したりすると,庵主的には逆になんかコワくなったりしますが。これは考えてみますと,他のメーカーが部材の整形から組上げまでほぼ家内制手工業の手作業なのに対し,頼母木さん・山田さんのところは,規模は小さくても機械工作を取り入れ,部材を画一的に加工していたからなのでしょう。
 前回引いた伝にもあった 「月琴の高価なるに着眼して是を廉価に売出せし」 ということのできた理由が,まさにコレですね。手の仕事はワンオフのものを作るのには最適ですが,同じものを大量に,しかも安価に作るとなるとやはり機械にはかなわないものです。
 サイズ的なところはほとんど同じ,何らかの近代的な工作機械で加工してる部材の正確さや,接合の緻密さも同じではあるのですが,それでもやはり違いはありますね。

 棹各部のラインや糸倉のアール,飾りや,半月の加工も----初記のほうがやや繊細。
 二記のほうがわずか武骨で,比べるとやはり各部の工作に粗さが目立ちます。


 思うに,頼母木さんのころはまだ,基礎的な加工を機械でやれちゃってるぶん,安価にしても仕上げや装飾に回せる余裕があったんでしょうが,山縫になってからは,流行の加速と生産量の増大で,そのあたりができなくなったんじゃないかと。機械を入れるとヒトは楽になるか,と言えば,そうとも限らないっていう,現代社会の病巣例のひとつでしょうか。(おお,社会派)

 トップナットの山口もフレットも,棹にへっついているものは尽く後補ですね。

 山口っぽい角材表面に溝状の擦痕が残ってますから,実際に使ったかどうかは分からないものの,何らかの糸を張ってみたのは間違いないでしょう。
 工房到着時,糸巻は四本ささってましたが,そのうち二本は三味線の糸巻を改造したものでした。残りの二本は間違いなく月琴のもので,加工から見てたぶんオリジナルで間違いなさそうですね。

 あと糸倉のてっぺんに付いてる,このまあるいお飾りですが。

 コレなんでしょうねえ----まあ鯛なんでしょうけど。初見で思わずゴッコさん(ホテイウオ)を思い浮かべちゃいましたよ。ゴッコ鍋…美味しいんだけどねえ…あのヘドラの幼体みたいな見た目と,さばく時の感触がなんとも……SAN値下がる系なんですよ。(請検索&試食)

 棹材はタモかな?

 指板もなくシンプルな作りですが,弦池(げんち-糸倉の内がわ)のところは天に間木をはさめない彫り貫きになってます。今は薄い色をしてますが,もとはスオウ染がされていたらしく,糸倉の先の方やうなじのあたりに濃い色が少し残ってます。棹裏の褪色具合が,なんかヴァイオリンの使い込まれたのっぽいなあ----とか思いましたが,そういやこの人,ヴァイオリンも作ってたんだっけね。

 延長材はヒノキかスギ…たぶんヒノキでしょう。
 接合部はしっかりしてますね。

 同時代の楽器の中ではやや厚めの胴体,ここも二記と同じです。関東の月琴は,石田不識など鏑木渓菴の自作楽器の工作を受け継いだと思われる作家の影響で,棹が長く,薄めの胴体になってることが多いのですが,そのなかではちょっと異色です。
 月琴のこの胴体側部は,四枚の部材を組み合わせて作られているんですが---すごいですねこの工作精度---木目もわりと合わせてあるみたいで,かなりしっかり見ないと,継ぎ目が見つかりません。

 表板は水がかかるかしたらしく,真ん中あたりを境に,下半分が水ムレで少し薄くなっちゃってますね。また,表裏板とも下部・地の板を主として周縁にハガレや段差の出来ているところが見受けられます。

 胴上のフレットはオリジナルのようです。骨か象牙か分かりませんが,細めでしっかりした作りです,左右の菊のニラミと5・6フレット間の四角いお飾りは,染め木じゃなく,唐木の類で作ってあるみたいですね。前回書いたよう,源七さんは楽器商としてだけではなく,唐木細工師としても都内で「名工」と呼ばれる人だったみたいですから,やや小さめで,比較的シンプルなデザインではあるものの,このへんはきっちり作ってるみたいです。

 半月もたぶん唐木製ですね。細い毛彫りの溝に,薄く削った骨か象牙の板を埋め込んで簡単な象嵌を施してます----じつに繊細な細工ですね。この半月のみ二記の作と大きく寸法が違ってます。といっても差はまあ1センチないくらいですが,初記のほうがやや小ぶり,でも糸孔の間隔は初記のほうが広めなんですね。どちらも楽器のレギュレーション的には問題のない寸法ですが,使用感にかなりの差が出ると思うんで,そのあたりは修理が終わってから,実際に演奏して確かめてみましょう。

 表裏板の数箇所に虫食いが見えます。

 とくに表板中央のと,裏板向かって右がわのが重症なご様子。そのほかにも数箇所,虫食いで弱ってる部分がありそうです。
 被害の目立つのは主に小板の接ぎ目ですが,これが横方向にどれだけ広がっているかによって,修理の方針がぜんぜん違ってゆきますねえ。

 どうか----あんまりヒドいことになってませんようにッ!


(つづく)


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