« 2025年1月 | トップページ | 2025年4月 »

依頼修理の月琴(4)

UAG_04.txt
斗酒庵,重たい月琴に出会う の巻2024.11~ 依頼修理の月琴 (4)

STEP4 怪奇月琴のはらわた

 四方四塊、中央付近に内桁1枚----という、唐物月琴などで定番の、すなわちは日本に伝わった段階における、月琴という楽器のもっともプリミチヴでオーディナリーなスタイルの内部構造であることが判明した、今回の依頼修理の月琴ではありますが。

 その内桁の上のほう、左右の内壁に並んだこの凹溝は何ぞや?

 さらに観察してみますと、凹溝の周辺や表裏の板ウラに、明らかに何度もやり直したと思われる作業痕が多数発見されました。
 ううむ----作者はどうやら、この楽器の完成までに、様々な構造を試してみたようでありますな。
 先に報告したとおり、この楽器の棹は胴体を貫通しているタイプになのですが、その棹なかごには不自然に継ぎが多い。「ここで継ぐ必要ある?」ってくらいが驚異の四段継ぎとなっております。そのことと、この内部の凹溝、そして板ウラについた接着痕の重なり等から総合的に推察しますに、この楽器の内部構造が現在の状態に至るまでには、おおよそ次のような過程が踏まれたものと考えられます。

 まず第一段階。当初おそらく、作者はこの楽器を国産の月琴でもっとも一般的な二枚桁の構造として製作したものと思われます。(以下解説4画像は、クリックで別窓拡大)

 この時点ではおそらく、棹なかごはまだ楽器中央くらいまでしか長さはなく、上桁は同様の構造の月琴とくらべ、かなり上のほうに位置していました。中央の空間を限界まで広くとって、ここで音を響かせよう、と考えたんでしょうね。
 ただこれですと、見た感じ、胴体の中央部がスカスカで構造として見た目バランスが悪く、強度への不安があったのでしょうか。

最上部の桁溝----均等の深さに刻まれており、おそらく組立前に加工されたと思われる。

 次の段階では、上桁を中央やや上くらいの位置、下桁も板厚1枚ぶんくらい下げて、唐木屋や松派の月琴などに近い、国産の月琴でもっともよく見られる、安定感のある構造に変更しています。
 見た目にもバランスがよく、実績も多い一般的な構造----庵主なんかですと「もうコレでいいじゃん」となるところですが、いえいえ、さすがは明治御一新を越えてきた気鋭の匠----ここからなぜか、思いつきと迷走という名の実証実験が、突如開始されたようであります。

 すでに定番である案に安住せず、いままで誰も考えたことのないアタラシくスバラしい構造をハッケンしよう!----とでも腹をくくったのでしょうか。上下桁の位置をさまざまに工夫した様子が、接着痕から見て取れます。
 多くの場合、上桁は Take2 と同じ位置だったようですが、時には最初の位置に戻したりもしていたようです----当たり前のことですがこの場合、それぞれの構造を検証するためには、いちど完成した楽器を、都度々々分解したり組み立てたり(最低でも裏板は剥がす)しなきゃならないのですから----すごい労力になりますよね。

2・3段めの桁溝----おそらく組立後、表板が接着された状態で裏板のみ剥がした状態で加工。溝底が斜めで浅く、工作が粗い。

 なおここまでの段階においては、内壁の桁の溝の上下に直接木片を接着したような箇所も見受けられるので、響き線は現状の左(楽器正面からだと右)肩口に直挿しではなく、左右壁のどこかに木片を接着、そこから横向きに取り付けられていた可能性があります。これも唐物月琴ではなく、国産月琴の定番構造ですね。


 そして最終段階!彼の情熱は天に鳴り響くかあッ!!!!----と、アニメとかなら盛り上がりなんかゾーンに入ったみたいな幻想的な光景が繰り広げられるようなところですが。ここでなぜかストンと……ある意味実験的なところのない、別のところ(大陸)での「定番」をただ模倣しただけの構造に落ち着いちゃうんですよねえ。

 下桁が廃され内桁は上桁一枚だけとなります。新たに溝が切られて、桁は胴のほぼ中央に移され、響き線は左肩口からの長い孤線に。棹なかごは延長されて、地の板中央に小孔が切られ、胴を貫通する型となりました。

 この棹が胴を貫通するタイプの構造は、現代中国月琴ではごく一般的であり、古く大陸から輸入された月琴でも当初から混在してはいましたが。棹なかごが内桁で止まるタイプに比べると、日本の流行期においてはそれほど一般的ではなく、清楽・明清楽に供される楽器として数多く輸入されるようになったのは、明治の比較的遅いころになってからだったと庵主は考えています。
 見ないこともないけど、あんまり見慣れない----くらいの感じでしょうか。わたしも今回のを含め、数例ほどしか扱ったことがありません。
 さてでは、あれだけイロイロと試行錯誤し実験し検証してきた作者が、なぜ最終的に、ただの模倣であるこの構造に行き着いたのでしょう?
 すでに述べたように、この一枚桁の構造は、唐物月琴----すなわち大陸の月琴ではごく一般的なものです。この楽器のいちばん原初的な構造であり、起源たる本場でのスタイルなわけですから、それに合わせること自体に不思議はないわけなのですが。作者がもし、最初からそれを知っていてそれが目標であったのなら、そもそも回り道になるような数々の実験は必要なかったはずです。
 ですので庵主は、この楽器の作者は製作当初、大陸の月琴の構造を知らなかったもの、と考えます。

 二枚桁で中央に響き線を置く国産月琴の構造は、輸入月琴のそれとは異なり、日本で独自に形作られたものと考えられます。過去の修理報告でも何度か書いたように、この楽器の構造としては、唐物で定番の中央一枚桁でじゅうぶんな強度が得られるのですが、主にこうしたものの内部構造に対する日本の職人の感性から、国産月琴では(見た目上)より安定感のある二枚桁という構造が採用されたのだと庵主は考えています。
 ですので、そうしたある意味民族的な感覚である「見た目の不安感」みたいなところから、一枚桁を二枚桁に、すなわち国産月琴の一般的な構造に変更したというなら納得がゆくのですが、心に不安と葛藤が生じながらも、あえてその逆とするほうには疑問を感じざるを得ません。推測される理由としてはまず----

 1)作者が真正の唐物月琴の内部構造を、実際に見る機会があった。

ということがあったのではないかと。そして----

 2)作者製作目的が「楽器を作ること」から「"中国の月琴" を作ること」にシフト

したのだと思います。当初、この作者にとっての「月琴」は、清楽を演奏するための「音を出す道具」としての「楽器」であったため、彼の知り得た範囲における「より優れたもの」や「新しいもの」から努力と試行錯誤が繰り返されたのでしょうが。「本(場)物」の楽器を目にすることによって、それをより忠実に模倣することのほうに軸が移ったんでしょうな。明清楽やら清楽やらを演奏するなら、同じ月琴でも国産のものより、中国からの輸入楽器のほうが、なんか「正当性」みたいなものがある気がしますからね。
 しかしながらそもそも、明清楽というものは多分にインチキなところのある中国 "風" 音楽ですし、明治のころ中国から輸入された満艦飾の「月琴」は、楽器と言うより「輸出用の装飾品」として製作販売されたものらしく---さすがに最初から演奏不能なものまではないようですが---中には明らかに実用品の楽器の失敗作・歩留まり品を素体として再利用したようなものまで含まれていました。

要は当時の唐物月琴の大半は、いちおう月琴のカタチに組まれたモノに、それらしいテキトウなお飾りをイッパイへっつけただけのものだったわけですが。これがなぜか東洋の蛮族にウけて、飛ぶように売れてゆくものですから、売るがわからすればずいぶん分の良い商品であったのと思います。実際、唐物月琴には、楽器として必要な仕上げの調整が施されていないことが多く、そのままだと「ギリいちおう音が出る」といった程度のシロモノが多いですね。
 その意味では、そもそもの勘違い設定や考えすぎの無駄工作など問題は多々あるものの、いちおう最初から音の出る「楽器」として作ろうとしていた国産の月琴のほうが、ホントのとのところ、参考にするならいくらかマシだったかも----という一面もあったろうことを付け加えておきましょう。

 さて、分解作業の続きに戻りましょう。
 側板の細かな彫刻などの関係で、再組み立ての際にはかなり精密位置調整が必要となると思われましたので、当初はなるべく分解を控え、できれば表板と側板はつけたままで作業を進めたかったのですが。

 今回紹介した原作者による試行錯誤の影響や、各接合部位の工作不良、また表裏板の板ウラの加工が絶望的に粗かったことなどあり、けっきょくナミダの完全オーバーホールと相成りましてございます-----こりゃ組立作業の時、タイヘンだぞおい。

(つづく)


2025年4月!!月琴WS@銀狐!!!

20250426.txt
斗酒庵 WS告知 の巻月琴WS@銀狐! 2025年4月!!!


*こくちというもの-月琴WS@銀狐 夕暮れWS のお知らせ-*

 
再開の月琴WS、4月場所は、

月末26日(土)16:30よりの開催です!


 会場は台東区下谷にある小野照崎神社(通称・小野照さん)のお隣、「銀狐」さん。
 最寄駅はJR「鶯谷」もしくは地下鉄「入谷」となりまあす。

 前とかわらず、参加費無料のオーダー制。
 お店のほうに Drink or Food のオーダーお願いいたします。
 ほぼ銀狐さんの通常営業にまぎれての、酔いどれ飲み会WS。

 予約は特に不要、参加自由、途中退席自由。
 楽器は余分に持っていきますので、手ブラでのご参加もお気軽に~~~!

 初心者、未経験者だいかんげい。
 「月琴」というものを見てみたい触ってみたい、弾いてみたい方はぜひどうぞ。


 うちは基本、楽器お触り自由。
 絶滅楽器「清楽月琴」なんてぇものに触れられるエエ機会。
 1曲弾けるようになっていってください!



 修理報告なかなか進まず。
 お待ちのみなさま申し訳ない。伝えたい内容はだいたい決まってるのですが、表現が難しいですねえ。ほら庵主、音楽用語とか専門でないので…

 明笛57号石生刻は修理完了。全長73センチはかなり長大ですが、重心位置が比較的ちゃんとしているので取り回しは悪くないです。
 細身の明笛は、吹きにくいのが多めの印象なんですが。
 これは唄口をやや大きめに切ってあるせいか吹きやすいですね。

 合(筒音)4B-20、上が5E。呂音での最高が5B+20なんで、少しだけピッチが合ってないかな?
 筒が細身なのと元々の材質、またバキバキに割れてたのを固めたので、やや硬音・高音気味なところあり。
 こっちも早々に報告あげないとなあ。

 ほかはまず40号キリコさん。
 9年近く Anzuさんでマスコット兼置き楽器として働いてくれました。引き揚げたついでに各所のヒビ割れなどを補修。

 新しい会場「銀狐」さんにても、置き楽器としてがんばってもらいます。WS以外の時でも「銀狐」さんへお立ちよりの際はぜひ、弾いて触ってあげてくださいね。

 続いて、去年10フレット化した64号不識の糸巻がナスビみたいに変形しちゃってたので緊急交換!材質を替えて補作しました(すまなんだ…すまなんだ…泣)

 不識の糸巻は先端が細いんで、染めとかの過程で影響が大きかったみたいですね。

 うちで修理したもので同様の症状になってたら、無償で交換しますからね。おきがるに~


 あと40号クギ子さんが出戻ってきました。

 前オーナーさんに大切にされてたおかげで、フレットが1枚なくなったくらい、じゅうぶんに使用可能な状態ではありましたが、せっかくなんでこちらも糸巻を新作のものに交換してあげようかと。
 オリジナルの糸巻は3本現存、ただし使用による身痩せて、糸巻から先端がつきだしちゃってる状態です。
 64号のついでもあり、ちょっと丈夫な同じ材質で。
 こっちはまだしばらくかかりそう。

月琴65号 清琴斎初記(終)

G065_07.txt
斗酒庵、春秋を思ふ の巻2024.4~ 月琴65号 (終)

STEP7 再考・運河を穿ちお城のお濠を埋めたてた男の楽器

 さて、修理は完了しましたが、今回の楽器について、あと少しおつきあいくださいまし。

 流行当時の広告なんかを見る限り。
 明治の後半において月琴という楽器は、薩摩・筑前琵琶やお箏や三味線という、同時代に一般的であった弦楽器とくらべ比較的安価なモノであったと言えます。そしてまた、この 「安くて手軽な楽器」 という点が、この時期における月琴大流行の一因でもあったと、庵主は考えています。

 しかしながら、以前紹介した 『東海三州の人物』 は、65号の作者・頼母木源七の商業的な成功について----

  当時流行せる月琴の高価なるに着眼して、是を廉価に売出せしかば、忽ち繁盛し…

----と書いてます。
 実際、幕末から明治の初期にかけて、中国から輸入された唐物月琴や、それを真似て紫檀や鉄刀木などの高価な材料をふんだんに用い、一流の職人によりワンオフ製作された国産の倣製月琴は、正確な値段こそ分かりませんが、ごく一部の趣味人のための、新奇な高級品であったことは間違いありません。
 そうしたものと比べるなら、頼母木源七の月琴が「安価」なものであったということは、使われている材料から見ても間違いありません。
 では言葉を変えて----
 実際に目にした頼母木源七の月琴は「安物(ヤスモノ)」だったでしょうか?


 庵主の答えは----"否" です。

 加工の精度、部材の木取り、主構造の堅牢さ、半月の銀象嵌……メインの材料として、比較的手に入りやすい国産の広葉樹材が多く使われている、というその一点を除けば。彼の楽器の品質はかなり頭抜けたものとなっています。

 単純に音を出す道具----「楽器」として見た場合にはむしろ、彼以前からあった外貨獲得のための置物スレスレな唐物楽器や、黒檀や紫檀を多用してカタチだけでっちあげた国産の「高級月琴」より、はるかに優れていると言えましょう。

 もちろん、他の国産月琴の作者たちと同様、棹の角度や内部構造などには、研究不足や知識不足からくる伝統的な設定や構造の間違いが見えますが。少なくとも、その仕上がりと性能を見る限りにおいては、彼の月琴がもし「廉価品の安物」だったと言うのなら、よその月琴はそもそも値札を付けて売っちゃあいけないんじゃないかというくらいのレベル差がありますね。

 実際に見た楽器の仕上がりからも分かりますが、明治20年の『東京府工芸品共進会出品目録』では、頼母木源七の名は楽器と碁盤の両方でそれぞれ別箇に見え、葛生玄の『金玉均』(1906)という本でも、同氏に贈られた唐木細工の碁盤の作者 「東京で有名な唐木細工の名工・頼母木源七氏」 と名が挙げられていますので、明治前半、頼母木源七という人の腕前は、楽器と唐木細工の両方ですでにある程度知られるほどのものであったということは分かります。
 もともとのその腕の良さに加え、当時このレベルのものを「安価」で「大量」に売ることができたのは、おそらく入ってきたばかりの西洋風の加工機械などを積極的に使用したためと考えられます。

 加工痕などから少なくともジグソーやボール盤的なものが使用されたのであろうことは推測できるものの、実際、どのような機械を以って楽器の製作をなしていたかの詳細は分かりませんが、明治22年には新聞社に 「金属を以て手軽に製造し廉価に多数販売可相成日用品」 の専売特許譲渡に関する広告を出しているというので、このころにはすでに何らかの加工機械を入手使用していたのではないかと考えられます。
 細かな部分は従来通りの手工具でやっていたと思いますが、機械加工によって基本的な部材の加工が精密で均一となり、かつ時間や手間が大幅に縮小・軽減され、さらには同じ分量の材料から、より多くの部材を確保することが容易になったというのが、 「月琴の高価なるに着眼して、是を廉価に売出」 すことのできた最大の要因であったのでしょう。
 商業的に似たような効果は、たとえば工程を統一化し細かく割って外注を多くしたり、老舗なら優秀な職人を数多く集めるなどの人海戦術によって、手工具による工作でもある程度は得られたかとは思いますが、手と機械の差は、火縄銃百挺で機関銃一挺に対抗するようなものですし。さらに基本的部分が機械加工であったとしても、もともと腕の良い源七が、そこに仕上げを加えるのですから、多人数を関与させることによる品質のバラつきを考えるなら、そこに商品としても値段の上でも差が出るだろうことは想像に難くありません。

 まあ、何かモノが流行っている時、それを他者より安価に、大量に製造・販売して利益を獲るという、その手法自体はいつの時代でも常套手段なので。同時期彼以外に同じようなことを考え、実行した者が誰一人いなかったとは到底思えず、『東海三州の人物』の記述だけをもとに、頼母木源七を「ハジメテ月琴を機械量産したヒト」みたいに扱うのは、現実的には難しいのですが。
 同じ時期に、同じような目的で作られたと思しい月琴たちの外見が、互いに非常に良く似通っていることから考えると。少なくとも、彼が作り大ヒットさせた楽器が、ほかの量産月琴作者たちにとって、追従すべきフラッグシップ的なモノであった可能性は高かろう、庵主は考えています。


 これらは外見的には関東の渓派の楽器に近しいのですが、渓派の月琴では棹上にある第4フレットが、唐物や関西の楽器のように、胴の縁ギリギリに位置しているあたりが違っています。
 渓派では、流祖・鏑木渓菴の自作の月琴を雛形に、弟子である田島真斎や孫弟子にあたる石田不識といった自身が清楽家でもある作家が、同派の好みに合う楽器を作っていました。坪川辰雄「清楽」(『風俗画報』102,M28)に月琴について 「…棹の長さは天神より八寸位なり、渓菴は之を一尺内外に造れりと云う…」 とあるとおり、渓派の月琴は唐物や関西のものより、棹と糸倉が長くなっていました。
 頼母木源七は東京に居を構えていたわけですから、売れる月琴を作るに際し、楽器全体のカタチを、周囲でもっとも流行っていた渓派のものに準じたことは当たり前の選択ですが。さらに第4フレットの位置を連山派・梅園派と同じにすることで、外見は渓派、スケールは連山派という、どちらの流派でも使えるような楽器としようとしたのかもしれません。


 柏遊堂、柏葉堂、山形屋(石村)雄蔵などの楽器は内部構造の一部を除けば、頼母木源七のものとほぼ同様の外見と寸法、設定となっています。
 馬喰町の菊芳(福嶋芳之助)も、初期のころはあまり他に似ない個性的な月琴を作っていましたが、後期にはこちらのスタイルのものを作るようになっています。また石町の唐木屋の月琴は、基本的には関西で使われていたトラッドな国産月琴のスタイルを踏襲していますが、そのほかに庵主が「唐木屋A」と呼んでいる、こちらに似て棹が細く、よりスマートな楽器も売られていました。この唐木屋の頼母木風月琴は、工作の特徴から下谷黒門町の栗本桂五郎が卸していたのじゃないかと庵主は考えています。

 そのほかラベル不明のものや、そもそも名もなき有象無象作で、頼母木源七とその楽しい仲間たちの楽器にウリふたつといった例は枚挙に暇がありません。庵主は数度しか見たことがありませんが、名古屋の箏師・小林倫祥作の月琴も、これに近いスタイルでしたので、頼母木源七の作り出した月琴のスタイルは、最終的には関東の枠を越え全国的な標準となったと言えるかもしれませんね。

(いちおうおわり)


2025年3月!月琴WS@銀狐!!!

20250322.txt
斗酒庵 WS告知 の巻月琴WS@銀狐! 2025年3月!!!


*こくちというもの-月琴WS@銀狐 夕暮れWS のお知らせ-*


 あけましておめでとうござます!(おくればせながら)

 おまたせいたしました----月琴WS、再開でえす!!!

 2月、移転しての初WSはお試しということで、こちらでの告知等はナシで、仲間内こっそり飲んでました(w)。

 2025年、3月の月琴WS@銀狐は、22日(土)の開催予定です。


 会場は台東区下谷にある小野照崎神社(通称・小野照さん)のお隣、「銀狐」さん。
 最寄駅はJR「鶯谷」もしくは地下鉄「入谷」となりまあす。
 江東区から台東区----西へ移ったのに「東」変わらずとはこれいかに。つぎは安東市か、はたまた広東か。

 前とかわらず、参加費無料のオーダー制。
 お店のほうに1オーダーお願いいたします。
 15:00時開始、17:00からは銀狐さんの通常営業にまぎれての、飲み会酔いどれWSとなりまする、うーぃ。

 予約は特に不要、参加自由、途中退席自由。
 楽器は余分に持っていきますので、手ブラでお気軽にご参加ください!

 初心者、未経験者だいかんげい。
 「月琴」というものを見てみたい触ってみたい、弾いてみたい方もぜひどうぞ。


 うちは基本、楽器はお触り自由。
 絶滅楽器「清楽月琴」なんてぇものに触れられるエエ機会。
 1曲弾けるようになっていってください!



 月琴の修理は帰省前ギリギリに終わって、現在はデータをまとめ、記事書きながら、明笛を一本また直してます。
 57号かな?
 バキバキに割れてましたが、なんとかなりそう。
 管体は細めですが、けっこう太めの音で鳴るみたいですね。

« 2025年1月 | トップページ | 2025年4月 »