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痩蘭斎旧蔵月琴01 (5)

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斗酒庵,縁ありて修理いたす の巻2025.9~ 痩蘭斎旧蔵月琴01 (5)

STEP5 ※※作者変更のお知らせ(W)※※

 内部構造と胴体オモテ板がわの作業がだいたい終わったところで、いちど棹を挿し、半月も載せて、楽器の中心線の確認をします。

 結果、再組立て後の中心線は半月のところで、原作者の設定した中心線より左に5ミリほどズレているらしいことが判明。元がバラバラだったので、これが庵主の組立てのせいなのか、はたまた原作段階からこうだったのかは定かでありませぬが----後ほど、半月の貼り付け位置に反映させましょう。

 それではさらに組立てを進めます!

 ここまでくれば、あと裏板を貼り直すだけで胴体が箱に戻りますね。

 表板は、それ自体が組立ての基準なので問題がないんですが、一度バラバラになっていた胴体に、円形の板をズレなくぴったりもどすのは至難の業----というより長年の放置により、裏板自体もそれ以外の部材も、わずかながら変形しているので、もともと「ズレなくぴったり」ということ自体、不可能と言えましょう。
 そこで再接着の際は、板を中央付近から2枚に割り、間に数ミリのスペーサを噛ませ、左右に寸法的な余裕を作ったうえで接着して、最後に余った板端を整形し直して仕上げるのが、庵主の常法となっております。

 今回の場合、表板と同じく裏板も、最初から2枚に割れちゃっていたのではありますが、割れ目が少し端寄りだったため、これをそのまま使うわけにいかず、いちど接ぎ直してから、あらためて適当な位置で2枚に割る、ということになります。

 多少迂遠な作業とはなりますが、修理において「作業のための作業」はけっこう大事。こういうのをメンドくさがると、後でその数倍よけいに苦労することになるのを、庵主は経験則として知っております。

 さて----響き線のお手入れとか防錆も、済ませてありますんで、後は組み立てるだけ、なんですが…このあたりから、庵主のムネに、この楽器の作者に関する疑念がムクムクと湧いてきたのでありました。

 当初は、特徴的な響き線の形状、棹なかごや棹全体の感じから、日本橋本石町・唐木屋の作、といったんは同定したのですが。その時点では完全にバラバラで、「楽器」として全体を俯瞰できる状態ではありませんでした。

 まだ完成してはいないものの、ようやくいちおう「手に持てる」状態となり。はじめに違和感があったのは、持った時に手指から感じられる感触的なものでした----何か違う----同じ唐木屋作の7号月琴は、庵主のふだん使いの相棒ですから、手指はとうぜんその感触を覚えているわけで………

 まずは楽器全体の重量バランスですかね。
 唐木屋の月琴は総じて胴が軽く、ややヘッドヘビーであることが多いんです。しかるにこの楽器、棹は7号より少し長めになっているにもかかわらず、重心が胴のほうに寄っているように感じられました。

 次に全体の、総合的な「作り」。
 これも当初がバラバラでしたので。部分部分に唐木屋の楽器の定則にそぐわないところがあっても、それらは「後で部分的に改造されたもの」とか考えてたわけですが。
 たとえばこの楽器は、本体の作りからして数打ちの量産器であることは間違いないんですが。唐木屋の同じようなレベルの楽器だと、半月やニラミに高級な黒檀や紫檀が使われることはなく、たいていはホオやカツラの木を染めたものとなってます。唐木屋で黒檀や紫檀が使われるような楽器は、もうすこし高級上等な類で、その場合はボディの工作なんかも、もう少し手が込んだ凝った作りになっていますね。
 また、今回の楽器の半月は、曲面で透かし彫りが施されていますが、唐木屋の楽器で、半月が透かし彫りになっていた例はほとんど見つかってないんですよ。
 上にも書いたように。このへんを庵主は、前使用者がほかの楽器から取ってきて交換したのじゃないか?----と思ってたんですが、この半月も含めて、いざあちこちハガしてみると、そうした箇所に後人による作業の痕跡はほとんど見つかりません。つまり疑問箇所のほとんどは、原作者によるオリジナルの工作であったわけです。

 そして最後、棹の形状です。
 この楽器の棹を図面に起こした場合、その形状ならびに寸法は、以前修理した唐木屋の楽器のそれと、共通点が非常に多いのですが。実際に演奏状態で握った時の感触が、全然違っているのですよ。
 唐木屋の棹は、棹の胴がわからうなじのあたりまで、断面がUシェイプ。ほとんど同じ船底形のまま、糸倉がわに向かって均一に、わずかにすぼまっているだけですが。
 今回の楽器の棹は、糸倉に向かう2/3あたりのところから、棹背の部分だけ幅がせまくなってゆき、うなじの手前ではほぼVシェイプのような形状となっています。
 同じような工作は、今まで扱ってきた唐木屋の楽器では見たことがありませんが……同じような作りの棹を、庵主は知っています。ていうか----

----コレ(左写真左がわの棹)ですね。
 かなりむかしに修理した24号の棹です。
 修理で交換したほかの棹といっしょに、かもいの隅にひっかけておいたのですが、今回のことがあるまで、すっかり忘れてましたよ。
 縦方向の寸法は少し異なり、今回の楽器のもののほうが握りも糸倉もやや長め。うなじから棹背に至る曲面の処理にも、若干の差異は認められますが、握った感触はまったく同じです。

 これが決定打となりました。

 この比較による「感触」の差異同定。24号の作者、また本楽器のネオク出品当初、セットで売られていた楽器(痩蘭斎02)が大坂の「松音斎」の作であろうと推定されること、さらに「唐木屋の楽器に酷似している」ということ。


 これらをまとめて過去の資料を見直し、再度考察してみた結果。この楽器は唐木屋の作ではなく、

 大阪・北区西梅ヶ枝町、伊杉堂・松琴斎

 ……の楽器だったのではないかと。
 松琴斎の作にしては、棹や糸倉の形状がかなり関東寄りになっているあたりなど、まだ多少疑問は残っておりますが。とりあえずは間違いないかと思われます。




 詳しい関係や経緯等は分かっていませんが、唐木屋の月琴は、その外見や構造の共通点から、そもそもこの人たち、庵主が「松派」と呼んでいる、室号に「松」のつく松音斎、松琴斎といった作者の楽器を模倣したものであったと考えられます。
 大坂を中心に関西圏で勢力のあった連山派では、その門弟に「松」の字を与えることが多いことから、これら松派の作家は、連山派の影響下で、同派好みの楽器を主に製作・販売していた楽器商だったようです。

 現状、数人確認されているこの「松派」に属すると見られる月琴の作家のなかで、あるていどまで正体のわかっているのは「松琴斎」だけですが。唐木屋に比べれば少ないものの、現存する楽器の数もけっこうあるようなので、関西ではそこそこの大手であったようですね。関東の楽器に比べると、棹や糸倉が短く、胴がやや厚めなのが特徴で、倣製月琴ほどではありませんが、関東の楽器よりは大陸産の唐物月琴の影響が、寸法や形状に残っています。
 関東の月琴が、じつは本物の大陸の月琴を見たことがあるかどうかもちょっと怪しい鏑木渓菴自作の楽器を元としているのに対して。連山の月琴は福州の天華斎作のものだったと言われてますから、松派の連中が参考にしたのが、彼女の持物だったりしたのなら、そうなってもおかしくはありませんね。

 唐木屋はお江戸のど真ん中みたいなところ(日本橋)にあるお店でありながら、関西風の楽器を作っていたわけですが、関東にも連山派から派生し、東京に拠点を置いた梅園派があったので、「関西風」の楽器の需要はあったことでしょう。また、そもそも唐木屋の祖は京都で、本宅もそちらにあり、モノだけでなく職工の行き来なども常頻繁にあったようですから、松派との関係も、そのへんからもたらされたものだったのではないでしょうか。

 ちなみに----京都の唐木屋の近所に、唐物指物師で「駒井」と名乗る家があったようなのですが、東京の唐木屋が林才平のもとで会社組織となり、楽器業を中心に営むようになってのち、幹部となった者の一人に、おなじ「駒井」姓のものがおります。さらには、その作風の差異から、二人いると考えられている、唐木屋の月琴職人のひとり・コードネーム「唐木屋B」がこれと同一人だと推測しておるのですが、もしかしたら彼が、江戸に下るついでに、大坂で松派の楽器をおぼえてきたのが、唐木屋の月琴のはじまりだったのかもしれませんね。




 さて、ちょいと作業報告を中断しちゃいましたが、修理を続けましょう。
 裏板の接ぎ直し&スペーサ挿入も終わったので、これを貼りつけます。
 カモン!----板クランプ!

 側面をテープで保護し、胴体からはみだした板の縁を削り落とします。

 ここで表裏板の二次清掃を行います。
 すでに一度、重曹を溶かした洗浄液で洗ってるんですが、板の汚れが想像以上にひどく、木目に入り込んだ細かい黒いヨゴレが目立ってしまっています。

 板が乾いたところで、再び中心線の確認。
 そして、半月を接着します。

 補作した山口も棹に取付けましたので、ここまでくれば完成まであと一歩。

 というあたり、今回はこのへんで----
(つづく)


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