明笛について(28) 53号(2)

MIN_28_04.txt
斗酒庵 長いものにまかれる の巻明笛について(28) 53号(2)

STEP1 

 内部のインチキ塗料が多少劣化しているほか,管体にさしたる故障はなく----まあお酒を飲んだ直後に吹くとエラいことになるだろうなーという以外,演奏するにもさして支障のなさげな状態の明笛53号ですが。

 庵主はお酒飲みなので,これを吹くにはとても困る(w)ということもあり,まずはこの塗料をできるだけ削っちゃいましょう。

 ときに,この明笛53号の管体には派手に見事に黒い斑模様がついていますが,これはふつうの篠竹を高価な「斑竹」に見えるよう薬品で処理したものです。
 この「人工斑竹」の作りかたは,明治時代の「工芸裏ワザ集」みたいな本によく載ってますが,簡単に言うと皮付きの状態で薬品をふりかけて表面を焦がし,ザッと削って磨いて仕上げるというもの。
 その工法上,管体の表面に竹でいちばんカタい表層部分が中途半端に残ってしまっているため,素材としてはやや不安定で,場合によってはただの皮付竹や完全に皮を剥いた管より割れやすくなっていることがあります。
 量産型で加工が粗いのもありますし,ここは管体保護のためにも表裏ちゃんと磨き,塗り直してやらなきゃなりますまい。

 ----これも粗い加工の賜物。(www)
 管内を削り直してる作業中に,管頭の詰め物がすぽんと抜けとれてしまいました。

 うーむ,ふつうもうちょっとちゃんと固定してあるんですが,これはほぼ紙丸めてつっこんであっただけみたいですね。ちょっとつついただけでポロリですわ。反射壁(唄口に向いたがわ)は塗料で塗りこめてしまうので,それで固定されると考えたのでしょうか。

 ともあれ。
 以前の修理でも何回かありましたが,この管頭の詰め物は笛の製作年代を知ることのできる貴重な資料です。
 さっそく慎重に展開してみましょう。

 出てきたのは,いつかのどっかの新聞の切れ端だと思いますね。
 残念ながら何年何月発行,みたいな部分は残ってなかったものの,記事のひとつに少し興味深い部分がありました。
 記事自体が断片で全体は分かりませんが,今ある部分から察しますに,桑名の物持ち,諸戸清六さんが,建ててから一度しか足を踏み入れたことのないような豪邸を大隈重信の未亡人に寄贈した,というものらしい。
 大隈候が死んだのは大正11年ですから,この笛はそれ以降に製作されたもの,ということになります----比較的新しい明笛ですね。ぴったり何年何月みたいな情報ではありませんが,笛の場合は製作年代の下限が分かっただけでもかなりのみッけもんです。

 詰め物を入れ直します。
 元の詰め物は固定がユルユルだったうえに,ピッチもかなり合ってなかったようなので,そのへんもついでに多少なんとかしておきたいところですが----ま庵主,笛専科じゃないんで,キッチリとはいきますまいが(汗)

 新しい詰め物はコルク。

 コルクは管内に少しユルめにおさまるよう削り,和紙を巻いておさめます。何度か軽く吹いてみて,位置を探りながらピッチを整えたら,管に触れている縁の部分に唄口から,溶いたニカワを筆で挿して和紙に吸わせ,固定します。
 最後に,反射壁になる面全体にニカワを刷いて,管尻から挿した棒の頭でトントンと軽く叩き,表面を平らに整形したら出来上がり。
 あとはしっかり乾燥させてから塗るだけです。

 固定するまでの調整がラクなのと,紙を丸めただけのものだと,塗料を吸っていつまでも乾いてくれないことがありましたので,庵主はこの方法でやっていますね。

 さてこれで残りは表裏塗り直すだけ。
 一日一塗りで,塗った後は何もできませんから,この間にお飾りにも手を入れておきましょうか。
 前回書きましたように,この笛管尻のお飾りは欠けてしまっています。これは「使ってる」うちどっかにブツけて欠けちゃった,とかではなく。「作ってる」うちに材料が粗悪で欠けちゃったのを 「まあいいか」 ということでそのままにした(^_^;)もののようです。

 この製作者には,割れ面をすべすべに加工しておく,くらいの気持ちはあったようですが,そもそもこれを使わない,交換するといった選択肢は,精神面からも経済面からもハナから無かったご様子----まあなんてことざまぁしょう!

 というわけで,後代これを手にした貧乏性で神経質な者が,さンざに文句を言いながら尻拭いをする,という歴史構図となっております,がっでむ,つーよーにー(w)

 牛骨フレットの端材を使いましょう。
 ちょうどいいくらいの厚みのものを切って削って,欠けてる部分にエポキで着けて,磨きます。
 小さいうえに固いんでけっこうタイヘン。
 ----色味が違うので多少BJ先生感は否めませんが,まあこんなところでイイでしょう。

 そうこうしているうちに(とは言っても1ヶ月くらいかかっちゃってますのよ),管体の塗り直しも終わりましたのでさっそく試奏!----うん,これはダメだ。

 この段階では笛を「使用可能な」状態にしただけですので,塗装を削ったり表面を磨いたりはしたものの,唄口や指孔はほぼ製作当時に近い状態のままなんですが。

 唄口の加工が劇的にヒドいですね。
 笛表面に見えている孔の縁は比較的キレイなんですが,孔自体が内がわに向かってわずかに先細りになっている上,内壁がひどく凸凹しています。ちょっとおおげさに描くと上の図みたいな感じになっちゃってますよ----どんな加工具を使ったらこんなふうにできるのか,とりあえず鉄製の椅子に縛り付け両手両足に指締め具を噛ませてから尋ねたいくらいです。

 とりあえず,唄口の孔の縁を整形。
 内がわの凸凹を均し,孔の縁が図下の右みたいに,まっすぐ切り立ったカタチになるよう削り直しました。

 だいたい削れたところで組み立ててお外に出ます。

 頭尾のお飾りの取付けが少しユルくなってたので,持って歩いてもはずれないよう,薄い和紙をニカワで貼って調整しました。接着してはおらずきっちりハメこんであるだけですが,イザという時のメンテナンスを考えたらこのほうがイイです。
 公園に出かけて試奏です。冬なのでちと寒いですが我慢我慢----思いっきり吹いて確かめたいですからね。
 唄口はいちばん大事で繊細な部分です。
 実際に吹きながら,細い丸棒の先にペーパーを貼った治具でさらに調整してゆきます。

 元が劇的にヒドかったので,多少の粗が残るのはカクゴしてたんですが…唄口をざッと削っただけで,ビックリするくらいイイ感じで鳴るようになりました,イヤほんと。
 調整終了後,削り直した唄口や指孔の縁を塗り直し,あらためてオモテもウラもピカピカに磨いて完成です!

  ○ □ ●●● ●●●:合 4C-20
  ○ □ ●●● ●●○:四 4D+40
  ○ □ ●●● ●○○:乙 4E
  ○ □ ●●● ○●○:上 4F#-35
  ○ □ ●●● ○○○:上 4F#-20
  ○ □ ●●○ ○●○:尺 4G#-40
  ○ □ ●●○ ○○○:尺 4G#-30
  ○ □ ●○○ ○●○:工 4Bb-40
  ○ □ ●○○ ○○○:工 4A+45
  ○ □ ○●○ ○●○:凡 4B-5C
  ○ □ ○●● ○●○:凡 4B+25
  ○ □ ○●● ○●●:凡 4B+20

 全閉鎖「ド」のいわゆる 「ドレミ笛」 ですね。
 チューナで測ると全閉鎖から第3音までの間隔が多少おかしいのですが,まあただ聞いてるぶんにはさほど違和感はありません。呂音での最高は ○ □ ○●● ●●● で5Cと5C#の中間くらい……ちょっと高めか…うーん,ピッチの調整,もう少しだったかな?
 ふだんは響孔をマスキングテープでふさいで吹いてるんですが,ひさしぶりに笛膜使ってみたらまあビビるビビる(wwほんらい明笛ではそれで正常)触れてる指や唇にけっこうな振動がくるぐらいです。
 清楽の楽器としてはちょっと使いにくいものの,ドレミ音階の明笛としては悪い出来ではないかと思われますな。


(つづく)

明笛について(28)52号(3)/53号(1)

MIN_28_03.txt
斗酒庵 長いものにまかれる の巻明笛について(28) 明笛52号(3)/53号(1)

STEP0 来笛閑話

 楽器というのはフシギなもので。
 こうやって何か直してやってると,関連する何かが引き寄せられるようにやってくることがあります。

 52号修理中に2本の笛が届きました。
 1本はこちら----

 明笛53号----ラベルも破損することなくしっかり残ってますね。
 他の製造元のラベルは管頭飾りのがわを「上」にしているほうが多いのですが,ここのは唄口がわが上,と逆になってますね。上段が 「OSAKA JAPAN」 真ん中斜めに 「SHEIZO MOTO-H.KIDA」 下段が 「MINTEKI TOKUSEIHIN.」

 ----うむ…多少ヘンテコな表記が混じってますが 「大阪・日本」「製造元-H.Kida」「明笛 特製品」 で間違いなかろうもん。
 いまのところ,大阪の「H.Kida」に該当するメーカーさんに行きついておらず,製作者については不明です。

 明治後期から大正時代ぐらいの明笛ですね。
 唄口がやや大きく,表の管尻の飾り孔が省略されています。

 人工斑竹(竹の表面に硫酸等の薬品をふりかけて焦がしたもの)の管体,骨製の頭尾飾り。

 管内外ともに比較的きれいな状態で,使用痕もほとんどありませんが,管内の塗りが経年劣化を起こしており,唄口・指孔の縁をはじめ,あちこちでボコボコになっています。
 この「塗り」はウルシではなく,例のエタノで拭くとベトベトになる顔料系の塗料ですね。清掃ついでに消毒しようと管内に流したら,露切りの布が真っ赤になって出てきましたわい。

 あと,これは「損傷」には含めませんが…尾飾りの一部が欠けています。
 欠けてる部分がキレイに磨かれていることから,これは後でぶつけてこうなったとかじゃなく,製作時に欠けちゃったのを,そのままハメこんでツラっと出荷したもののようですね。このレベルの明笛は,楽器というより玩具一歩前の扱いだったようなので,製作者の「もうイイヤ」加減が堪りません。
 息を入れてみると,多少ひっかかりはありますがいちおう音は出る様子。全体に「キズ」は少ないので,問題となるのは内塗りの塗料と,このお尻の欠けたとこをどう処理するか,といったとこでしょう。
 音はまだ分かりませんが,派手な外見の笛なので吹いてるとカッコ良さげに見えましょうなあ。

 もう1本は…うん「明笛」ではありませんね。

 尺八?洞簫?……尺八はオモテ4孔ウラ1孔,洞簫はオモテ5孔にウラ1孔ですが,これは明笛や古典調の篠笛と同じにオモテ6孔,管尻がわの裏面にもう一つ孔があいてますが,ニンゲンという生物の指で押さえるのは不可能な場所にあるので,おそらくは明笛の裏孔と同じく筒音を決めるための孔でしょう。
 清楽の明笛といっしょに出品されていたので,清楽器として使用されていたものである可能性は高いのですが。
 さてコレ,なんなのでしょうねえ?
 イロイロとギモンはありますが,とりあえずこちらについての考察は後回し----続報をお楽しみに。



STEP3 なんじ牛刀となるも劉備となるなかれ

 さて,52号の修理は終盤。
 いつものように¥100均のめん棒を削って,頭と尾のお飾りをこさえます。

 前々回触れたように,この作者の笛のお飾りはごくシンプルな形ではありますが,頭のも尾のも単純な円筒形ではなくほんのすこーしだけ先のほうが広がっています。寸法が短いのもあって,この微妙な開きを再現するのは意外とタイヘンでした。

 次に,この楽器は両端にあったお飾りの取付部が削りとられてしまっています。

 頭飾りはお飾りのほうに凸付けて管頭の孔に挿しこめばいいのですが,尾飾りのほうはそうはいきません。せっかく最長不倒記録を出した管で,ちょっともったいなくはあるのですが,端のほうを数ミリ削って段差を作り,取付部分を再生することにします。

 骨とか象牙っぽく見せかけるため,これらは白木のまま緩めたエポキを塗ってキツめに目止めして木材っぽさを消し,ラックニスやカシューの本透明でツルツルのピカピカに磨き上げます。

 んで管頭のお飾りにはこうト----いつもの悪戯 「金鈴子」 を仕込みます。

 以上これにて修理完了!----さっそく音出しに公園へ!

  ○ □ ●●● ●●●:合 4Bb_4B
  ○ □ ●●● ●●○:四 5C+25
  ○ □ ●●● ●○○:乙 5D-5
  ○ □ ●●● ○●○:上 5Eb_5E
  ○ □ ●●● ○○○:上 5Eb_5E
  ○ □ ●●○ ○●○:尺 5F_5F#
  ○ □ ●●○ ○○○:尺 5F_5F#
  ○ □ ●○○ ○●○:工 5G_5G#
  ○ □ ●○○ ○○○:工 5G_5G#
  ○ □ ○●○ ○●○:凡 5A_5Bb
  ○ □ ○●● ○●○:凡 5A+35
  ○ □ ○●● ○●●:凡 5G_5Bb

 うむ…楽器の音階としては少々アレですかな?
 もちろん唄口は再生ですから,オリジナルの音階とピッタリ同じというわけではありません。まあ,チューナーの針が高いほうで振り切れて次の音階の低いほう中間くらいまで行くというあたりでは逆に「見事に揃って」ると言えましょうか。
 上の記録はまだ初期のころので,この時は呂音の最高 ○●● ●●● が出せませんでしたが,ちょっと練習してから測ってみたら,5Bb+40くらい----ピッチはだいたい合ってるようです。
 前回の報告で書いたように,後々調整するのを考えて唄口を小さくあけてるので,慣れないうちは甲音が少し混じり気味になりましたが,慣れると中間音になってるあたりも,だいたい低いほうの30%ほどプラスのあたりでまとめられるようです。


 いままでにも「小山」銘の明笛は,何度か見る機会はあったのですが,実物をじっくり調べられたのは今回が初めて。管体が若干細いのもあって,やや扱いにくいところはありますが,51号などと同じく筒内に塗りが施されていないので,音はかなり中国笛子っぽい感じになり,アタック音がけっこう効きます。内塗りがないぶん多少管理に手間がかかりますが,慣れるとそこそこいい音で鳴ってくれますね。

 この笛で残る疑問はこの管頭の刻書----ううむ…クセがかなり強くて読めませぬ。
 最初が「一枝」じゃないかなとか,5・10文字目は「去」かな,とかくらいで…いつもですと一部が分かればそこから何らかの漢詩が検索ヒットするんですが,今回はいかんとも…(^_^;)

 お判りの方がおられましたら,是非ともご教授くださいませ。


(つづく)

明笛について(28)52号(2)

MIN_28_02.txt
斗酒庵 長いものにまかれる の巻明笛について(28) 明笛52号(2)

STEP2 ふさぎこむもの

 篠笛とかに比べると,明笛の唄口は小さい。

 Webで見ると,管径に対して唄口が小さいと甲音ばっかり出て呂音が安定しない,みたいな事がよく書かれてますが……これホントでしょうかねえ?
 庵主はいっつも,甲音が出ないんで苦労してるんですが………………

 52号,修理に入りましょう。
 前回書いたように,この楽器で唄口が広げられたのは,そういう使用上の調整ではなく,前修理者が間違って一番大事な唄口の真ん中へんを潰しちゃったためと推測されます。
 孔を広げる工作もちょっと雑で全体の形も少し歪んでますし,その広げてる方向にヘコミが続いてるのですから,そもそもこのやりかたではどれだけ削ってもキレイな周縁には戻りませんな。

 ヒビ割れ修理のため,管を紐か細いハリガネで縛ったためについたものであろうこのヘコミは,ごくごく浅く,ちょっと見には分からないていどのものですが,唄口を横から見ると,本来ならきれいな弧になってるはずのラインが,真ん中のあたりで微妙に歪んでしまっているのが分かります。

 さて,まずはこのヘコミをどうにかせにゃならんわけですが。
 肝心のヘコミがあまりにも浅すぎるので,通常のパテ盛り工作ではうまくいかなそうです。
 こういう場合はむしろ,削って均してしまったほうがラクなんですが,管の肉厚がそれほどないようですし,唄口の周辺ですので,後々どういう影響が生じるか分かったものではありません。
 そこで,まずは骨材を入れずエポキだけを盛ってみました。

 木固めの塗装下地でここだけ厚盛りしたようなものですな。
 エポキだと浅いヘコミにもしっかり食いつきますし,透明なので硬化してから均し,上から保護塗りをすれば目立たなくなります。

 一晩置いて整形。
 とりあえず唄口周縁の管表面が面一で平らになりました。
 これでふつうに音が出れば,唄口の拡張工事自体には目をつぶり,全体をさっと保護塗りして終われたとこだったんですが。

 試奏してみたところ。
 呂音は若干引っ掛かりがあるものの普通に出せましたが,甲音がまったく…ピクリとも…いくらふンばってもスカしてもプっとも出ない状態----なるほど唄口が大きくなると…(以下略,冒頭にもどる)
 つても篠笛に比べると,現状でもずいぶんと小さめなんですが。(^_^;)

 まあ前修理者の工作が雑だったあたりで,こうなる予想はないでもなかったんで,あきらめて唄口を再生することといたしましょう。
 今回はツゲの木粉をエポキで練ったパテを使い,こんな工法でやります。

  • まずはクリアファイルを幅3センチほどの短冊状に切ります。
  • 丸棒に両面テープを少し貼り,先ほどの短冊を巻きつけて,細いマスキングテープで留めます。
  • これを管内に差しいれ,唄口のところでマスキングテープを剥がし,管の内側に展開させ,棒をそっと抜き取る。
 ----従前は,ちょっと固めに練ったパテを硬化直前に唄口へねじ込んでいたんですが,それだとオリジナルの部分への食いつきがイマイチなのと,管の内がわにあふれたぶんをキレイに均すのが(表からまったく見えない作業なので)けっこうタイヘンだったのですが。この方式だと,パテが多少緩くても管内にほとんど入り込まないので,後々の作業がかなりラクですね。

 骨材を混ぜると,エポキの硬化が若干遅くなるようですので,二日ぐらい時間をとってから次の作業に。
 管表面の余計な部分をなるべく傷つけないように,パテを管表面と面一に整形したところで,パテ部分の強化のため,エタノで緩めたエポキを塗って滲みこませます。また一日置いて,表面をも一度整形。

 そして穴あけです。

 クリアフォルダは,孔を開けたあと,ツマヨウジか棒で少し押しこんでやれば,ペコンと簡単にはずれてくれます。
 そこでこれを入れる時に使った棒に最初より多く両面テープを貼り,くっつけて管からひきずり出したらお役御免。

 指孔の大きさカタチを参考に,孔を広げてゆきます。

 時折息を入れ,具合を確かめながら削ってゆきます。
 実際に吹いてみるまでちゃんとした調整は出来ませんが,それを見越し,後々で拡張可能なよう,ちょっと小さめなところでやめときましょう。
 パテ部分はそれなりに固いのですが,角の部分はまだごくモロいので,だいたいのカタチができたらもう一度,緩めたエポキを滲ませまておきます。
 ここまでやったところで外に持ち出し,吹きながら最後の調整。

 せっかく直した唄口が傷つかないよう,やわらかい紙を幾重にも巻いて,公園まで持って行きましたよ~

 従前よりずいぶんと小さい唄口となりましたが,こんどは呂音も甲音もいちおう出るようになりました。
 あとはパテ盛りした部分の補強と補修箇所の誤魔化しのため,少し濃いめの色で保護塗りします。


(つづく)

明笛について(28)52号(1)

MIN_28_01.txt
斗酒庵 長いものにまかれる の巻明笛について(28) 明笛52号(1)

STEP1 長いものにはマカロニ

 さて,モノは夏の草刈り帰省から帰ってすぐくらいに届いてたんですが。
 イロイロありまして報告が遅れております。

 明笛52号は管長575……お飾りもなく管がいくぶん細身なので,ちょっと見そんなに長いように見えませんが。これは庵主がいままで扱った明笛の中で,竹の管部分だけだと過去最長。ひとつ前の51号が更新したばかりの記録(560)が,またまた更新されました!

 頭部刻字の最後に 「小山」 と刻まれるこの作者の笛は,だいたい同じような姿寸法で,明治の明笛としてはちょっと古めかしいタイプに当たります。
 明楽・清楽の明笛の多くにはラッパ状の飾りが頭尾についています。これ,当初はごくシンプルなものだったのですが,明治の後半くらいになるとカタチも様々,デザインもやや派手に,大きく長くなってゆきます。

 これに対し,この作者の笛の飾りはだいたい,ごく短く頭尾ともに先端に開きのあまりないシンプルな筒状をしています。

 これは清楽流行前に 「南京笛」 と呼ばれていたタイプ----唄口や指孔の前後に籐や糸が巻いてある----今現在の中国笛子により近いスタイルですね。

 さて,その頭尾の飾りですが,今回はいづれも欠損。
 飾りがないのに取付の凸部だけ残ってたんじゃ見栄えが悪かったからでしょうか,どっちの端もキレイに削られちゃってます。

 明笛のお飾りは取付けが比較的ユルユルで,また素材が骨とか象牙とか牛の角とか動物質のものであることが多いため,落として壊れたりネズミや虫に食われてしまったりでなくなっちゃってることも少なくありません。
 お飾りが壊れたり無くなったりした後の対処として,これと同じように取付け部を削り,両端をふつうの竹笛みたいに整形しちゃってる例はけっこう見ますね。

 管内の汚れがスゴいです…真っ黒ですわ。
 響孔のところに紙を貼った痕もありますし,管のところどころに細かな傷もあり,これが楽器として使用されていたものであることは間違いなさそうです。

 唄口とその周辺には,補修らしき痕跡が見えます。
 その頭がわ少し上に,管をぐるっと巻いて何かが擦れたようなキズ。
 唄口真ん中あたりの縁には,削ったというより圧がかかって潰れたようなごく浅いヘコミができ,上下の縁にも同じようなヘコミが見られます。いづれもちょい見で分かるようなものではありませんが,唄口周辺,けっこう傷だらけですわ。
 唄口の寸法は指孔より一回り以上大きくなってますが,これも製造段階からこうだったのではなく,この修理後の調整・補修として前使用者によって拡張されたもののようです。

 たぶんなんですけどね…コレはまず唄口の上がわにヒビが入ってしまったので,接着剤を割れ目に流し込み,管を糸か細いハリガネで縛って固定したんじゃないかと思います。ところがその作業中に,こんどは唄口の下がわにもヒビが発生----接着作業をもう一度やったんですが,その際なぜかよりにもよって,唄口のど真ん中あたりを思いっきりふン縛ってしまったご様子。
 ……あわててたんでしょうねえ。

 ヒビ割れの処理は接着剤もウルシで当時の定石通り。キッチリきれいに仕上がっていますが,終わってみればエアリード楽器でいちばん大事な唄口の縁が壊滅状態。
 潰れたりへこんだりしてしまった縁をもう一度立てようと,唄口周縁を全体的に削り直した----ってとこでしょか。ただしこちらの作業は,ちょっと見にも縁の内壁がデコボコになってるのが分かるくらいで,お世辞にも上手とは言えません。

 損傷や不具合のある個所をまとめると----こんなとこでしょうか。

 まあ指孔のズレは後付けでなく原作者によるデフォルトなわけですが。
 全体にヨレてるわけではなく,右手・左手でそれぞれふさぐ三つづつで分かれてるので,もしかしたら人間工学的なことを考えて穴掘った結果かもしれません(うーん,たぶん3%くらいの確率だとは思いますwww)。

 中を洗ってちょっと吹いてみましたら……うん「音が出ない」というほどではありませんが,かなり息力がいる感じ。呂音はヒョロヒョロ,甲音は全く出ません。

 今回の修理のメインは,なによりこの唄口の再生になりそうですね。


(つづく)

月琴15号張三耗 再修理(2)

G015RE_02.txt
斗酒庵張三耗と再開 の巻2020.5~ 月琴15号再修理 (2)
STEP2 張三耗の大黒様

 糸倉の破損で帰ってきた15号。

 そちらのほうは破断面を継ぎ,これでもかと補修を重ねました----この楽器の損傷としては重症の手合い。糸倉は最も力のかかる箇所のひとつですのでやってやりすぎ,ということはありません。お父さん,心配性なもので。それでも不安はないではありませんが,日常の使用にはとりあえず問題ありますまい。
 さて,修理痕を隠すため棹を黒染めしたものの,この楽器,もともと全体に色が薄めでしたので,さすがに棹だけ真っ黒になったんじゃげぇばえ(外映え)が悪いというもの。
 全体のバランスをとるため,胴側や半月も染め直したいとこですね。ついでに前修理の時にはできなかった箇所の再調整なんかもいろいろとやっちゃいましょう。

 まずなにはともあれ,表板からお飾り類をはずします。

 フレットやニラミはまあいいのですが,あいかわらず凍石のお飾りが頑固ですね……唐物や国産月琴でもいちばん困るのがこの石のお飾り。正直これ,楽器の機能上はほんと何の役にも立ってない「お飾り」ですし,こうやってメンテの時はジャマ以外のナニモノでもありませんで,いつもとッぱらってふてちゃいたいと思ってるんですが,これもふくめて「清楽月琴」という楽器に内包される文化の一部ですんで,あなおろそかにもできませぬ。
 とくにこの蝶のお飾り…庵主渾身の作なんですよねぇ。


 むかし上野の書道道具屋さんから譲り受けた,とっても良い石が使われおります。たぶんもうそうは手に入らん石なんで,なるべくなら壊したくない----そう思って当時ムダに頑丈にへっつけたもので,あんのじょう最後まで残りまして。けっきょくすべてのフレット・お飾りを除去するまでにあしかけ三日ほどもかかってしまいましたよ。
 次はメンテの時もうちょっとはずれやすいようにへっつけます。(w)

 はずしたお飾りのうち,左右のニラミは褪色により左右で色味が異なり,片方シッポが切れちゃってます。全体としては損傷のきわめて少ないほうでしたので前回はスルーしたんですが,今回はこのあたりも徹底的に。

 まずはホオ板からシッポを切り出し,接着。
 この時,破断面だけでなく継ぎ目を中心にその裏面にもエポキを塗り広げ,薄い和紙を当てて浸透させ,裏面に継ぎ目をつなぐごく薄い樹脂の膜を作ってしまいます。こうすると小さい部品でもふたたび壊れにくくなりますからね。

 補修部分の補彩とともに染め直しをしながら,左右の色味をそろえてゆきます。二三回のリテイクの後,なんとかそれっぽくそろえることに成功……うん,けっこう難しいですね。片方が薄いと思って濃くしたら,今度は反対がわより濃くなっちゃう,みたいな?

 塗装と違って,染め汁が乾いて磨いてからじゃないと色味の違いが分からない,というのも難点ですわい。薄めた染め液で少しづつやってくのが,時間はかかりますがいちばん確実かと。

 半月にゲタを噛ませ,山口をより唐物に近い富士山型のと交換します。
 唐物のパチモノが「倣製月琴」ですから,その本来の意図に沿った部品のほうがいいですわいな。

 最初の修理で胴側には部分的なアラ隠しのためベンガラと柿渋が塗られていました。当時はマスキングなんてこともしてなかったようで,今回帰ってきたのを見たら,木口についた柿渋が発色して,胴側との区別がつかないくらい真っ黒になっちゃってましたよ。

 いまならもう少しうまくできますな。
 まずはその真っ黒な表面を削り落としましょう。

 水拭きしキレイに磨いたら,板の木口と胴側板が見えてきました。この作業中に楽器のお尻あたりに板の浮きを発見。
 刃物ですこし広げ,薄めたニカワを流し込んで再接着しておきます。

 一晩おいて補修部分の接着が確認できたところで,表裏板の清掃。
 そんなにヨゴレてはいませんが,お飾り類の除去で予想外にてこずったため,ちょっと水ムレもできちゃってますんで。

 乾いたら半月の周辺と表裏板の木口をマスキング。
 染めに入ります。

 まずはスオウで赤染め----オリジナルのも前修理のも側板の塗装はまとめて削り落としちゃいました。そうしてようやく気がついたんですが,地と右の側板は真ん中にでっかい節がありますね。いままで気が付かなかったってことは,原作者はこれを隠す意図で塗りを施してたのかな?
 二日ほどかけてスオウを重ね,ミョウバンで媒染。
 同時進行の63号でも同じことしてるんですが,材質の違いからか発色の具合が異なります。こちらのほうがやや薄いので,あと数回スオウを重ねて赤味を足しておきます。
 一日休ませてから,オハグロで黒染めですね。

 棹のほうは黒染した上からカシューで固めてますが,こちらは柿渋と亜麻仁油で定着させてロウ磨きで仕上げます。

 ----そして1ヶ月!

 庵主,その間夏の帰省,北の大地で草刈りに励んでいたわけですが,あの酷猛暑の中,密閉された四畳半一間にとじこめてましたからね~。
 帰ったころには油も塗料も完ッ全に乾いておりました。

 棹は水砥ぎで塗膜を均し,亜麻仁油と研磨剤,カルナバ蝋で磨き上げます。
 塗りっぱなしではギラギラしてた棹が,しっとりと落ち着いた艶になりました。

 ----せっかく磨き上げた棹ですが,この塗膜の上からだとニカワのつきが悪いので,割箸に紙ヤスリを貼って作った「フレットやする君」でてきとうに荒してから,山口とフレットを接着します。

 山口は唐物月琴に多い富士山型でいつもより少し背が高めです。この楽器の棹は背がわへの傾きが浅く,そのままだとフレット丈が全体に高くなっちゃうので,半月には煤竹のゲタも噛ましてあります。フレットも山口と同じツゲで一揃い,新調いたしました。

 あとはお飾りを戻せばいいだけなんですが----ここで問題発生!
 フレットが前より少し厚くなった関係で,棹上2・3柱間に付いてたお飾りが入らなくなってしまいました。
 急遽,入るようなお飾りを彫ったくって交換します。

 あと,第1フレットが少しズレてついちゃってたのでやりなおしたり,いちばん上のお飾りを取り替えたり,バチ皮がどっかいっちゃたんでバチ布に貼り換えたり………最後の最後にけっこうバタバタしちゃいましたが,

 ちょこちょこッとクリア。

 5月のWSで受け取ってからですからね…ホントにおまたせしちゃいました。
 2020年9月19日,倣製月琴13号三耗,
 再修理完了です。

 メインであった糸倉割れの修理は上々。

 いまのとこ糸巻をどう操作してもぜんぜん大丈夫ですし,割れ目もまず気づかれないくらいキレイに埋まってます。
 ただ,修理部の保護補強のため,塗り棹にしちゃったんで。持った時の感触や見た目の質感が修理前とはかなり違っちゃってます----カシューの塗膜はきわめて丈夫なので,ヨゴレとかは付きにくいですけどね。庵主自作の実験楽器や創作楽器は塗り棹が多いので,自分ではあんまり気にしたことがないのですが……このあたりは実際に持ってみて好みの分かれるとこか。
 まーこれでまた壊れたら,次は棹丸ごと複製してやりますで,気にせずガンガン使ってやってください。

 できるところは調整しまくり前よりはいくぶんか使いやすく仕上がってると思います。フレット高を下げたので,高音域での響きが少し改善されましたね。前より音の伸びがいいです。楽器の調整の腕前はたぶん10年前よりは上がってますからねえ(w)

 記録を見ると,この楽器を最初に修理したのが2009年の暮れ…ああ,もう11年もたっちゃったんですね。

(おわりのはじまり)


月琴63号唐木屋(5)

G063_05.txt
斗酒庵夏にもさかる の巻2020.3~ 月琴63号 (5)

STEP8 劇場版 カラキヤ オールスターズメモリーズ


 63号を作った本石町の「唐木屋」さん,ですが。
 明治・大正時代の資料ではその創業は 「元禄二年」 と書かれておるものの,江戸時代の資料をいくらめくっても,「唐木屋」という楽器店は見つかりません。それもそのはず----そのころの「唐木屋」はまだ 「楽器屋」 じゃなかったんですね。
 『江戸買物独案内』(文政7)で「唐木屋」は「呉服」と「小間物諸色問屋」のところに出てきます。

 え,商売が違うのに同じ店かって?
 まあ住所が同じ(本石町二丁目)で商号が同じ(マル七),そして店主通称が「唐木屋」ですからね。
 まず間違いありません。
 お疑いならためしに,同じ本で商号「マル七」で「唐木屋」っていうお店,ほかにあるか探してみてください----庵主は見つけられませんでしたヨ。(w)

 この頃には呉服と小間物がメインになっていたようですが,その店名の通り「唐木屋」は,はじめ黒檀や紫檀といった輸入木,そしておそらくはそれを使った商品を扱っていた店であったようです。


 「唐木」は三味線など楽器の材料でもありますし,それを使った中国風の家具や道具は,月琴と関係の深い煎茶趣味でよく用いられるもの。また小間物商はお箏三味線の糸やらバチやらも扱っていることが多く,その伝手で楽器そのものの購入の仲立ちとかもしていました。どちらも直接ではないものの,もともと楽器と関連が深い業種ですね。

 唐木屋がいつごろから楽器を主力商品とするようになったのか,正確なところは分かりませんが,明治12年に出された『商業取組評』(明治12年)という本----お江戸の各分野のお店を相撲の番付っぽく仕立てたものですが----ここに載っている「三味線番付」で,唐木屋は日本橋本町の柏屋(石村)などとともに,すでに三味線屋の「勧進元」に挙げられています。

 東の大関が長谷川町山形屋の井出武四郎,うちの13号月琴作った西久保八幡の石村義治が西の大関で現役でしのぎをけずるなか。この時点でもう実際にお相撲取らなくても「じゅうぶん有名」なほどの「楽器の老舗」の一つとみなされていたわけですから,少なくとも幕末のころには楽器のほうにシフトしていたとは考えられます。


 ついで,明治13年に出された『東京商人録』。
 ここでは唐木屋の主人はまだ「七兵衛」ですが,当主は 「京都住宅に付」 き「藤兵衛・六兵衛」に店の支配人を任している,と付記がされています。

 大正5年,集古会発行の江戸時代の商標を集めた『紫草』に,唐木屋の三味線糸のラベルを取り上げて----

 唐木屋は,唐木と小間物を商ひて繁盛したる店なり。
 此唐木屋七兵衛は,元亀天正の昔,明智光秀に仕へたる入江長兵衛の末裔なり。
 長兵衛は山崎合戦破れし後,明智左馬頭と共に江州坂本に落ち延び,後ち弓矢を捨てヽ商人となり,徳川氏入国と共に通本石町に住したる旧家といへり。
 毎年此家にては,光秀の為めに仏事を営みて,其冥福を祈りしと伝え聞きたれど如何あらん尚可尋。
 此家明治に至りて退転せり。

----と,解説があるのですが,この最後にある 「此家明治に至りて退転せり」 というのが,『東京商人録』にいう七兵衛の 「京都住宅」 なのでありましょう。すなわちこの明治10年代初頭時点で,唐木屋七兵衛はおそらく実質隠居して江戸を去り,経営を次代に任せていたと考えられます。

 庵主の知る唐木屋主人「林才平」 という人物が,そうした唐木屋七兵衛の親族なのか,あるいは老舗の店をその商標ごと買っただけの赤の他人なのかは分かりませんが 庵主の作ってる「明治大正期楽器商リスト」で「林才平」の名がはじめて見つかるのは,いまのところここから10年ほどたった明治23年,『東京買物独案内』に 「唐木屋才平」 として出てくるのが最初です。

 その後の唐木屋は林才平のもとで,和楽器・清楽器だけでなくヴァイオリンなどの西洋楽器も扱う,総合的な楽器商として展開します。第二の転換点は大正9年

 この年の十月,唐木屋は 「株式会社唐木屋商店」 となりました。
 社長は「長坂悌助」となり,店主だった林才平は「専務取締役」に就任----こりゃ七兵衛さんの時と同じく,実質お店を譲って隠居…ってとこでしょうねえ。

 そしてこの時,監査役に就任したのが 「駒井慶輔」 という人物………

 唐木屋で駒井…ふむ,どっかで----あ,もしやこいつ!
 前々回書いた唐木屋における二人の月琴製作者のうちの一人,まさに63号の作者「唐木屋B」と目される,「漢樹堂駒井」その人かその関係者ではないでしょうか!!

 左画像はそのあたりの人事のわかる,『日本全国商工人名録』大正11年版です。(クリックで別窓拡大)


 世の中,いろんなところでいろんな事が深く静かに連動しているもので。

 大河ドラマでいま盛り上がってる明智光秀。
 その家臣の子孫が作った(のかもしれない)楽器が,ちょうどよく舞い込んでくるなんてね。(ww)

 それはともかく,このあたりの事情から唐木屋の月琴が,関東の楽器屋でありながら関西の松派に近いモノになっていたのか,おぼろげながら推察できるようになりました。店主の一家がほんとうに明智光秀遺臣の子孫であったかどうかは分かりませんが,隠居後,京都に引っ越すぐらいですから,少なくとも関西方面に一族の故地か拠点のようなものを有していたのでしょう。
 江戸時代は「下リもの」といって,関西方面から仕入れた商品が,関東地産のものより一段上に見られておりましたし,唐木屋の起点である唐木細工は大阪や京都がその中心ですから,仕入れにしても,雇い入れる使用人や職人にしても,そういう自前のネットワークがぞんぶんに使われていたのだと思います。
 さらに想像するなら,63号の作者と目される唐木屋B,こと漢樹堂駒井,彼もそうした縁故により関西方面から江戸に連れてこられた職人だったのかもしれません。
 京都麩屋町に駒井七兵衛という三味線なども手掛ける職人がおりまして,その一族に多く優秀な唐木細工師を輩出しております。もしかすると漢樹堂駒井もそこの出身者では----なんてことまで考えたりもしてみました。

 こういうことが不意打ちみたいに分かるので楽器屋探し,やめられませんね。
 ここまで,資料画像はすべて国会図書館のアーカイブからひっぱってきましたあ。



STEP9 スマイル・カラキヤ!

 さて,63号では唐木屋,修理ラストスパートとまいりましょう。
 胴が箱になったいま,あと残るのは各部の染め直しと組立てです。

 棹の染め直しは,胴体の補強が終わったあたりからすでにはじめていました。
 従前の状態では,握りの部分の染めはほぼ完全に落ちてしまっており,オリジナルの色は糸倉左右に残っている程度。
 この棹材のもともとの木色は灰緑色なので,この薄茶色も元の染め色が褪色した結果ですね。

 この棹の指板部分には紫檀の薄板が貼ってあります。
 ここは染めずに後で油拭きの上ラックニスで艶出しをしますので。まずは余計な汁がかからないよう,指板部にマスキングテープを貼ってから赤染めを開始します。

 上にも書いたとおり,褪色しているとはいえ表面に染めの若干残っている状態ですので,オリジナルの染め薬と反応し,いつものように鮮やかな真っ赤にはなりませんが,このくすんだ赤,色味的には糸倉基部などに残ってる下染めの色そのものですので,これはこれでよし。
 深みのあるダークレッドになったところで媒染して色止め,さらに上からオハグロをかけ全体をオリジナルの色に近づけてゆき,亜麻仁油で定着,カルナバ蝋で磨いて仕上げです。

 画像だとかなり容赦なく,塗ったように真っ黒ですが,基本「染め」なので,実際には光りに透けて木目が見えるくらいになってます。赤紫系の黒ですね。
 書くと数行ですがこの作業,これで半月ぐらいかかってるんですよ。(^_^;)

 胴体も同様に染めてゆきます。

 表裏板を清掃の後,擦り直した表裏板の木口をマスキングし,棹と同じく劣化損傷や修理作業でハゲてしまったところから重点的に染め,だんだん全体を同じくらいの色合いにしてゆきました。

 染めの作業の合間に,とりはずしたお飾りの手入れもしときましょう。

 剥離作業中に片方のニラミのシッポがモゲてるほか,もともと5・6フレット間のお飾りが一部壊れ,欠けてしまっています----ちょうど角の部分が一つなくなっちゃってるカタチですね。
 ニラミのシッポを継ぐほうは一瞬ですが,柱間飾りのほうは欠損部分の補充から。

 ホオの薄板を刻んで,なくなってる部分にはまるよう継ぎ足します。

 そういや同時期に入手した62号清琴斎も,これと同類のお飾り付けてましたね。
 庵主はこの意匠を 「獣頭唐草」 と呼んでますが……おそらくこれの正体は 「龍」 だと思われます。
 上下画像だと180度ひっくりかえしたのが正位置で,輪の切れてるところが口ですね。まあ,デザインの伝言ゲームと意匠化で,ほとんど何だか分かんなくなっちゃってますが。

 いつものことながらこの手の修理は庵主の得意分野。
 はめこんだ補材を周囲に合わせて削り,染めて磨いて溶け込ませてゆきます。

 どやぁ…もうどこを直したか分かりますまい。

 上左画像がこの飾りの正位置ですね----分かります? 龍だって(w)
 あとは山口やニラミといっしょに油拭きをして磨き,乾燥させときます。

 各部が仕上がったところで組立てですが。

 棹に山口を取付けて挿し,試しに弦を一本だけ張ってみたところ。弦高がかなり高く,オリジナルフレットを置いた場合にも,かなり押し込まないとならないことが分かりました。
 唐木屋の楽器は棹の傾きが小さいので,もとより想定されていたことであり,オリジナルのままでも使用上さほどの支障はありませんが,弦高調整のため,半月にゲタを噛ませることにします。
 量産数打ち品ゆえの調整不足----まあ,原作段階での手抜きが原因みたいなところもありますので,改善できるところはやっといたほうが後々のためによろしいでしょう。

 少し厚めの骨板を噛ませ,半月のところで1ミリちょい弦高を下げました。
 これだけのことでも高音域での操作性と音の伸びがかなり向上します。

 オリジナルのフレットは煤竹。
 片面に茶色くなった竹の皮の部分をそのまま残し,裏肉を斜めに削いだだけの国産月琴でよくあるタイプのフレットですが,流行期の量産月琴のフレットは,製品の歩留まりと加工調整の手間をはぶくため,本来最適な高さよりもかなり低めに作られております。

 残っていた63号のオリジナルフレットは胴体上の3枚のみ,ゲタを噛まして弦高を下げたとはいえ,それでもまだ低すぎるくらい背丈が低い。
 また,染め直しが上手くいって棹も胴体も真っ黒ツヤツヤになりましたんで,いッそもう少し栄えるものに換えてあげたいところですね。

 というわけで----今回はオリジナルを用いず,新しくツゲで1セット作ることにしました。

 いえ,オリジナルと同じ煤竹の材もあるんですがね。国産ツゲの切れ端がけっこう溜まってましたのでそれを活用しました。まあ元が端材なんで色味がちょっとバラバラになっちゃいましたが----でもやっぱ,国産ツゲはキレイだな(w)

 色味を少しそろえるために,スオウ,ヤシャブシに柿渋なんかで少し染めてもみました。数年もすれば色が上がって,より目立たなくなるでしょう。

 オリジナルの位置での音階は----

開放
4C4D+94E-214F+134G+204A-195C+285D+75F+21
4G4A+124B-235C+105D+155E-285G+245A-26C+20

 第3音(2フレットめ)の音が開放をドとした時の西洋音階より2~30%ほど低いのが清楽音階の特徴と言われておりますが----まさにこれ,そのとおりですね。
 関西風楽器の定石をなぞり,実音に関係なく第4フレットを胴の縁に置いているので,ここだけわずかに高くなっちゃってますが,低音弦のEと高音弦のEもほぼオクターブになってるし,全体に破綻と言えるほどの箇所もなく,この楽器としてはかなり正確な音階に調整されていたものと思われます。

 音階を調べ終わったところで,いつものように西洋音階準拠に並べ直して接着。

 胴の縁に置かれていた第4フレットが,棹と胴の接合部のほぼ真上になっちゃいましたねえ……まあ今回作ったフレットは,底の部分がいくぶん厚めなので大丈夫でしょう。

 さらに…あや…第5・6フレット間がわずかに狭くなったため,柱間のお飾りが入らなくなってしまいました。
 とりあえず当ってる四方を軽く削り,オハグロで補彩してハメこみましょう。

 左右のニラミも,オリジナルの位置ですと低すぎて,若干情けなさそうな表情に見えちゃいますので,1センチほど上にあげて接着します。

 最期にバチ布を貼りつけて。

 2020年7月16日,東京日本橋区本石町二丁目,
 唐木屋製の月琴63号。
 修理完了いたしました!!


 うーむ,ツヤツヤ真っ黒の棹や胴体が薩摩拵えのごたる。

 バチ布の選定にいつもはけっこう悩むとこなんですが,今回はこの棹や胴体の色味合うのがほかになく,黒(黒紺)の梅唐草一択でしたよ。
 いかにも実用本位,と言いますか,しつじつごーけんな感じに仕上がりました。

 6月はうだるような暑さだったんですが,7月に入り,日によってはちょいと肌寒いくらいの気候が続いたおかげで,いつもなら不可能な夏の修理が完遂できました。

 庵主,この楽器をはじめた最初のころから,同じ作者の7号コウモリ月琴を常用の一面としております関係で,もともとここの楽器に手がなじんではおりますが。そのあたりをさっぴいても,この63号は 抜群に使いやすい楽器 だと思いますよ。
 太目の棹,厚めの糸倉,調整してなおやや高めの弦高----スタイルとしては庵主の常用のもう一種,不識の楽器と正反対ではあるものの。変な気取りのないデザインと,少し武骨に思えるほど余裕を持った頑丈な作りは,道具として手になじみがよく,持った時になにか安心感みたいなものまで感じられます。「楽器」てのはまあもともと丈夫でなくてもあたりまえ,のモノではありますが,そのへんもギリギリ作りでいささかピーキーな不識の楽器とは真逆・対照的ですね。(w)

 音もやわらかく,あたたかく,嫌味なところがありません。

 同じくらいのレベルの量産楽器でも,山田清琴斎の楽器なんかのほうが音が若干硬めでしょうか。こちらのほうが 「こなれた」音がしますね----このあたり,老舗の地力ってやつでしょう。

 もともと大きな損傷はなく,作業の中心は接合部の継ぎ直しと染め直しくらいなものでしたが。音孔の整形にしろ響き線の交換にしろ,やったことはちゃんと出る音のほうに反映されてるみたいですね。
 胴鳴りも少なく,余韻もきちんと広がるし,音量もかなり出せます。
 その操作感のイージーさとバランスの良さも相俟って,ギグの戦力として即投入できるレベルの実用楽器に仕上がってますよ~。

 64号とともに,お嫁入り先ぼしゅうちゅうです!

 試奏の様子を庵主のゆうつべのチャンネルのほうで公開しておりますので,

 https://www.youtube.com/user/JIN1S

 吾と思わんかたはご参照のうえ,どうぞお気軽にお尋ねくださいませ。


(おわり)


月琴63号唐木屋(4)

G063_04.txt
斗酒庵夏にもさかる の巻2020.3~ 月琴63号 (4)

STEP5 フレッシュ・カラキヤ!

 いちおう 形は保っていたものの,各接合部はハガれ分離し,構造としてはほとんど分解寸前だった胴体のほうは,再接着も済み接合部の補強も完了----水も漏らさぬ「桶」の状態となっており。次なる目標,裏板の再接着に向け着々と進行中でございます。

 この裏板は製造当初から内桁にほとんどくっついていなかったようで,接着剤をつけた痕跡はしっかりとあるものの,内部にたまったゴミが,その痕跡のうえにへっついていたうえに,くっついてたとこは濡らすとじゅうぶんに接着力のある状態でニカワが活き返りました。すなわちこれは保存環境が悪くてニカワが劣化したためにハガれたのではナイということです。

 裏板がちゃんと接着されなかった原因のいちばんは,作者・唐木屋Bによる雑な仕事----というあたりが結論とはなりますが,「どこ」を「どう」雑にしたためなのか,というあたりは,裏板を胴体に戻す前にきっちり調べておかないといけますまい。

 で,さっそく発見。

 桁の接着面がかかるところに,段差がありました----画像,黒っぽいホコリのついてるがわがヘコんでますね。
 継いだ小板の厚みが均一でなかったことによるわずかな段差ですが,この上から桁を接着しても,この段差になってるところがスキマになり,この周辺だけ接着されません。貼りつける前に表面一撫でしておけば確認できた類の失態ですな----あるいはそんな余裕もない労働環境(泣)だったのかもしれませんが。

 前回書いたように,ニカワというものはこの季節,ちょっと油断するとたちまち腐って接着力を失ってしまうようなナマモノなのですが,接着面の工作が精密で密着している状態だと,容易に分離できないくらい強固な接着力がいつまでも持続されます。しかし,このように一箇所でも浮いたところがあると,そこからベロンとハガれてしまうのですね。

 このままくっつけても,またすぐに裏板が剥離しちゃう未来が目に見えてますので,ここは埋めときましょう。

 桁のかかる部分だけでいいですね。
 木粉パテで埋めてきっちり平らに整形,緩めたエポキを浸透。そのほかにも数箇所,虫食いや板表面が荒れてる箇所があったので,同様に処理しておきます。


STEP6 ハートキャッチ・カラキヤ!

 さてもうひとつ。

 第二回の内部構造のところでも述べましたように,オリジナルの響き線は,基部のあたりがすでに朽ち果てており,ほおっておいても早晩ポロリとれちゃいそうな状態となっております。

 まあ書くの忘れてましたが,作業でゆすってるうちにもうポキンと逝きそうだったし,音孔の整形でジャマだったのもあり,先手を打ってさっさと折り取ちゃいました。 あんのじょう,基部に埋め込まれていた部分は完全に朽ち果てており,てンで抜けません。線ごとドリルでえぐったらザリザリの茶色い粉になって出てきましたよ。

 このばあい修理の正道からいえば,

  1)朽ちた根元を切り縮めたオリジナルを入れ直す。

 か,あるいは

  2)同じ形状の響き線を新しく作り,完全に調整したうえで取付ける。

----の,いづれかが定石なわけですが。

 そもそもこのオリジナルの響き線は,その形状や寸法と胴内の動作空間がびみょーに合っておらず,健全であった時でもまったく機能していないか,効果にかなりのムラがあったものと考えられます。

 響き線,というものは,金属の線がプヨプヨと勝手に動いているところに,弦を弾いた音が勝手に入ってきて,金属音のエフェクトが勝手にかかるというシロモノで。基本長ければ長いほど余韻にかかる効果が期待できるのですが,長くなるほどに振れ幅は大きくなり,線の自重による変形も考慮しなければならなくなります。
 何度も書いてるとおり,月琴という楽器の胴体内部はせまい。動いている線が内桁や胴内部に一瞬でも触れてしまいますとエフェクトは消滅しますので,月琴製作者はそのキワメテ限られた空間の中で,どうすれば,どれだけの演奏姿勢の幅で,どこまで最大の効果が得られるのかということを----うん,ほとんどみんな考えてませんね。(w)
 「月琴だし…まあ入ってりゃいいや」ていどでテキトーに入れてるほうが多いみたいですが,まあマジで考えるとなると結構タイヘンだ,ってくらいに思っといてください。

 直線型の場合,長さの限界はどうやっても胴の直径+わずかくらいなものですが,曲線の場合は極端な話,胴内を何周もぐるぐるとめぐらせることもできなくはありません。ただし,直線型に比べるともともと振れ幅の大きい曲線型は,ある程度の長さを越えるとちゃんと機能するようにセッティングするのがきわめて難しくなりますので,現実的には唐物月琴のようにやや太目の線で胴内を半周くらいが限界でしょう。

 今回の63号----作者が同じと思われるうちの7号コウモリや31号では,線形は同様ながら,もう少し先を切り詰め,響き線が胴内にひっかからないようになっていましたので,おそらくこの楽器を作った時,作者はまだ最適の長さや曲がり加減を模索実験していたのかもしれません。

 さて庵主,修理の目的はオリジナルの構造・工作や音階など基本的なデータの収集。基本的な構造・工作のほうはすでに調査済のうえ,すでに内桁音孔も改造しちゃってますのでコレに骨董的な価値はあまりナイ。 音階のほうは,楽器が使用可能な状態に戻ってくれさえすればふつうに調べられますので,正直なところ元から分からないオリジナルの音色とやら百年前と同じ響きに乾杯とやらはどうでもよろしい。

 あとは調査後の運用を考え,令和に生きる月琴弾きとして,楽器としての使いやすさやとか,「伝統音楽」やら「明清楽」やらといったバイアスのない,現在ふつうに聞いて美しい音とかを追及させていただくことといたしましょう。

 まあ,上下桁が完全にはずれてくれるような状況ならば,桁の配置を唐木屋Aと同じにして,松派・唐木屋で共通の山鎌型の曲線を入れ,唐木屋Bのボディに唐木屋Aのタマシイ(響き線)の宿る 「真・唐木屋合体月琴」 をでッちあげたとこなのですが,現状,この基部の位置,この動作空間で機能することが保証されるのは,オリジナルより曲りの浅い曲線か直線,もしくはZ線型の響き線と考えられます。
 オリジナルの基部の位置を無視するなら「渦巻線」という選択肢もありますが,曲線直線タイプとはまったく異なる音色になっちゃいますし,作る手間を考えるとなるべくやりたくありませんね。手がマメだらけになっちゃう。(w)
 曲りの浅い曲線は,そもそも響き線として効果が低く,その割には調整が難しくなるだけのシロモノです。また基部と上桁がきわめて近い位置関係にあるため,直線の場合,上下の振幅に制限ができ,これもあまり効果が期待できません。

 残るZ線。
 これは工作や調整も楽ですし,基部の位置も今と同じでよろしいうえに,この63号のような比較的狭い動作空間においてもきちんと機能することが,ウサ琴での実験や56号「烏夜啼」改造結果などでも実証済み----取付け位置が横なタイプの中では,庵主これが最も進化したカタチの一つだと考えてます。

 この型は,根元の曲げ方と直線部分の傾けかたで,さまざまなセッティングが可能です。基本的には 「Z」 の縦寸法を短く小さくするとより直線風に,長くすると曲線風の効果になるようですね。今回はオリジナルの曲線と似た感じで,かつこの動作空間内でもしっかり機能するよう調整してゆきたいと思います。
 オリジナルの線の根元をバイスで固定し弾いてみて,この線が万全に機能していた場合,どんな感じになるのか確かめ,比較しながら,Z線を曲げます。
 ほんとうはもう少し斜めに傾けたほうが効果が強く出るのですが,動作空間を考え,演奏姿勢に立てた時に直線部分の先端が,下桁から1センチほど上で止まるくらいの位置で止めます。いちばんプルプルしてる先端部分のすぐ外で,ピックが弦を弾いてる,って感じが理想ですね。

 だいたい思ったとおりの角度や曲りになったところで焼き入れ。

 曲線タイプはこの「焼き入れ」を均等にするが難しいのも欠点の一つですが,Z線は基本直線なのでペンチでつまんでコンロにかざし,水を張った金ダライにつっこむだけ。慣れればさほどの問題がありません。
 水気をふきとり根元の表面をペーパーで少し荒らしたら,基部の孔につっこみます。ニカワを使って悲劇をくりかえしたくはないので,ここは線の根元にエポキを盛ったうえで煤竹の竹釘をおしこんで固定----こういう場合のエポキは,硬化してしまえば最強なのですが,カタまるまでに時間がかかります。それまでの間,せっかく調整した設定が万が一にもくずれないよう,途中や根元に支えを置き,線の角度や位置を保定しておきましょう。
 一晩たって,根元がガッチリ固まったところで,線の基部をもう一度微調整。その後,線の表面にラックニスを軽く刷いて防錆処置を施しておきます。


STEP7 すうぃーと・カラキヤ

 接合部の調整と補強,音孔の整形,裏板の補修,響き線の交換……楽器の修理は外から見えない内部がいちばん大切です。弦楽器の内がわは,糸の音が 「楽器の音」 になるところ。ここがしっかりしていてハジメテ,楽器はその楽器らしい音で鳴ることができるようになるからですね。

 内桁の角のわずかに出っ張ってるところや,側板の裏板接着面等をきれいにし。不備不良なきよう何度も確認したら,いよいよ裏板の再接着です!

 例によって,板を真ん中に近いところから2枚に割ります。
 今回の経年誤差は,左右片側をピッタリに合わせた時,反対がわに1ミリあるかなしか足りなくなる部分ができる程度。
 このあたり狂いが少なくて済んでるのは,唐木屋Bの工作が少し雑なものの,棹も側板も太め厚めの余裕ある材取りをしてくれてるおかげですね。

 切り分けて断面を整形した裏板を,少しだけ離し。整形時になるだけ縁を削らないで済む----もっとも被害の少なそうな配置で接着します。百年間の部材の収縮は一定ではないので,均等に離しゃ済むというわけではありません。事前になんども確認し,マスキングテープなどで貼りつけ位置が分かるように目印を付けておきましょう。

 前回書いたとおり,時期的にニカワの扱いが難しいのですが,基本どおり,作業中に接着面が乾かないようじっくり湿らせ,ニカワを染ませ。あとはなるべく手早く作業を終える方向で。

 一晩置いて,接着具合を確認したら,桐板から切り出したスペーサを削って埋め込みます。これでまた一晩。
 翌日,ハミ出したスペーサと裏板の縁を整形します----ふんふ~ん,いつもどおりでルーチンルーチン(w)……ザリッ!!

 あぅ……………

 側板の一部に傷をつけてしまいました
 うううう…とりあえず均しておきますが…ああ,オリジナルの塗りが一部ハゲチョロに。
 まあ,接合部付近でも狂いによるわずかな段差を解消するため削りましたし,もとより染め直しは既定の路線ですのでいいんですが,やっぱ何事も気を抜いてはイケませんね。(^_^;)


(つづく)


月琴63号唐木屋(3)

G063_03.txt
斗酒庵夏にもさかる の巻2020.3~ 月琴63号 (3)

STEP3 ふたりはカラキヤ


 「唐木屋」 というメーカーさんは,楽器を扱う商店としてはお江戸の中でも古いお店----いわゆる 「老舗」と呼ぶに値する楽器屋のひとつだったわけで。

 これくらいのお店になりますと当然,当主自身が楽器の製作や修繕に関わることは少なく。おそらくは自身の店で職人さんを何人も雇い,もしくはあちこちの町にいる手飼いの職人さんたちに,各個仕事を割り振って商売をしていたと考えられます。

 そんな唐木屋で月琴を作っていたのは,おそらく二人の人物。
 どこの誰かは知らないけれど,誰もがみんな知りはせぬ,この二人の製作者を仮に 「唐木屋A・B」 と呼称いたしましょう。

 18号とぼたんちゃん,あとたぶん9号早苗の製作者は「唐木屋A」。
 Bに比べると糸倉左右がやや薄く,棹本体も少し細めになっています。棹茎は細く長く,先端に向かってテーバーがつき,先細りになっています。
 胴材や胴表裏の板はかなり薄く,半月は浮彫のある曲面形が多く,全体に繊細な作りになっています。また,この人は棹茎や胴内に付せられるシリアルを漢数字で書きます。

 これに対し,庵主が常用している7号コウモリさんや,クリオネ月琴からニャンコ月琴へと変わった31号。
 そして今回の63号を作ったのが「唐木屋B」です。

 糸倉の形状はほぼ同じですが左右は厚めで,指板の左右はあまりすぼまらず,ほぼまっすぐに見えるくらい。棹背もが峰の狭い----ギターで言うところのVシェイプに近くなっているところ,は峰の広いUシェイプなため,くらべるとBのほうの棹はかなり太めに感じられます。棹茎は幅太く,ほとんどまっすぐで,先端まであまり幅が変りません。半月は平たい板状。シリアルはアラビア数字で,かなりちゃっちゃと素早くなぐり書いています。

 あと見分け方としましては,Aの糸巻は寸法的にふつうだがBはかなり太めだとか,蓮頭の意匠が同じでも形状がわずかに異なるとかいろいろありますが,技術的なところから言うと,のほうがやや工作が繊細・精密で,にはやや雑というか稚拙なところがあると申せましょう。

 そして,ここからはまだ証拠が少なく,あくまでも庵主の推測なんですが……

 お江戸は下谷,伝七親分の住んでた黒門町に 「栗本桂五郎」 という楽器屋さんがおりました。
 そんなに大きな店ではなかったようですが,腕は良く,明治のころの商人録にもたびたび取り上げられております。

 庵主,「唐木屋A」 の正体はこの人ではないかと考えております。

 ひとつに,楽器の特徴がよく似ていること。ただし,唐木屋の月琴自体が,明治のころの関西風国産月琴としてはごく標準普通なものなので,これは糸倉とか棹の形状から類似のニオイがわずかに感じられる,くらいのことでしかありません。栗本桂五郎の楽器に触れる機会がもっとあれば,さらに確かめられる点も多いとは思いますが,現状では印象ていどですね。

 ふたつに,この連載の最初のほうでも取り上げましたが,栗本桂五郎のラベルは左のように,唐木屋のものとほぼ同じ形状・体裁をしています。このカタチのラベルは,関東では唐木屋と彼,そして後述の「漢樹堂」くらいでしか確認されていません。
 唐木屋の楽器と関連があると思われる大阪の松派の作家たちなんかでもそうなんですが,ラベルのカタチとか体裁といったものは,同じ系列の作家間ではけっこう共通してしまうもの----当時の状況などから考えますと,たぶん商売上の縁故から,同じ印判屋さんが使われるせいだとは思いますが。

 では 「唐木屋B」 は?----というと。
 こちらにも実は容疑者が一人います。
 それが先にもちょと触れた,「漢樹堂」という作家です。

 「漢樹堂」のラベルには名前だけの縦書きのものと,唐木屋などとほぼ同じタイプの二種類があります。庵主,当初これは,唐木屋が月琴や清楽器の高級品にだけ付けていたラベルだと思っていました----なにせ「漢樹」は訓読みすれば 「からき」 とも読めますし,住所も同じ日本橋区の「本石町」でしたからね。

 先に 「高級品」 と書いたように,いままで庵主の見た「漢樹堂」の楽器は,比較的手の込んだ細工や装飾の施されたものが多く,簡易な量産品と思われるものを今のところ見たことがありません。唐木屋の数打ち普及品や栗本桂五郎の楽器に比べるとかなり装飾過剰気味で,実用的にはどうなんだろう?と思うくらいですが,太めの糸巻やコンパクトな半月の形状,そしてその糸孔に取付けられたやや大きめな牙板など,彼の楽器は 「唐木屋B」 の楽器と一致する特徴を有しています。

 「漢樹堂」の本名は上に挙げた2枚目のラベルの文面から,「駒井」姓と推測されますが,いまのところ「楽器商リスト」にとりあげた資料等からは,これに相当する人名があがってきていません。
 いくらなんでも同じ町内で赤の他人に「漢樹堂」なんていう紛らわしい名前の出店を,老舗である「唐木屋」が容認するとは思えませんので,唐木屋で長く仕事をしていた職人をひも付き状態でのれん分けさせたものか,あるいは月琴流行期のごく一時的な支店----たとえば大量の注文をさばくため,店のごく近所で「月琴製作部門」を独立させた,というような扱いだったのかもしれませんね。



STEP4 Yes!カラキヤ63号!

 さて,では月琴63号の修理にもどります。

 この暑い中修理作業をするうえで,いつもけっこう気にするのが 「ニカワ」の状態です。

 ……腐るんですよ。

 ニカワは不純物の多いものほど接着力が高く,精製されたものほど接着力は弱くなります。逆に,不純物をほとんどふくまないゼラチン----お菓子のゼリーの材料なんかは比較的腐りにくいのですが,工芸用のなんかはちょっと放っておくとスグ腐っちゃいますね。

 腐ったニカワは,もちろん作業には使えません。
 そこでこの時期は作業のたび,必要なぶんだけ少量づつ溶いて使用し,作業の合間は冷蔵庫に入れたりして使っています。いちいちニカワをふやかすとこからやりますんで時間もかかりますし,グルーポットにしてるワンカップ横目に 「ああ,腐る!アタシ腐っちゃううううッ!」 なんて気にしながらの作業は,けっこう辛悩なのであります。

 そんなわけで----つい水加減を間違えまして。

 暑い中,シャバシャバのニカワを使ったために,胴四方および内桁の再接合,一回目は失敗しちゃいました----塗ったニカワが木に吸い込まれて,ほとんど接着されてません。

 クランプはずしたら補強材がポロポロはずれてきやがんの(泣)接着部の養生のため,丸一日置いといたんですが,時間がムダになっちゃいましたね。

 新しいニカワの準備の合間,ちょいとほかに出来ることをやっておきましょう。

 「唐木屋B」の尻ぬぐいその1です。

 あまりといえばあまりな内桁の音孔を整形します。

 まあこの音孔,楽器作りの経験のある人にとってはごく自然な…こういう楽器にいかにも 「あって当然」 そうな工作なのですが。実のところコレ,月琴という楽器においては,ほぼ意味のないものの一つなのですね。

 もともと唐物で内桁にあいていた孔は,響き線を通すためのものでした。
 胴内を半周する長い響き線を入れるため,内桁の片側に一つ,円か木の葉型の孔が穿っただけのものです。松派の楽器なんかでは,響き線の形状が国産月琴で多い横向き型になり,響き線を通す必要がなくなっているのに,内桁の片側にだけ,唐物と同じように孔が一つあけられたりしてますね。

 実際,この孔が素晴らしくキレイにあけられているのに,まったく鳴らない楽器もあれば,孔のないただの板で区切られてるのに,素晴らしく鳴る楽器もあります。そもそも,この楽器は胴内の空間がきわめてせまいので,ここに孔を開け,ちょいと空気の通りを良くしたところで,さして劇的な変化は望めないんですよ。

 とはいえ,航研機の木村先生もおっしゃってたように,「機能の優れたものは美しい」 はず。

 外からは見えない内部構造ではありますが,物作りにおいて,見てウツクシクナイものをキレイにしとくことに,意味がないわけがありません(「気分の問題」もふくむwww)

 胴材との接着ははずれてるくせに,上桁も下桁も表板にはガッチリとへっついちゃってますので,中途半端に作業しにくい状況ではありますが,いまはなき稲荷町深沢さん謹製の特製ヤスリを駆使し,ヘロヘロだった音孔の縁を,強度の許す範囲でビシッと削り直し,ととのえました,見よ!----びふぉああふたあ。

 そうこうしてるうちに(w)新しいニカワの準備もできましたので,胴内各接合部の再接着,気を取り直しての再挑戦とまいります。

 こんどはニカワの状態もばちーり。
 かき混ぜたワリバシから,ほそーくたらーりたらりとガマの油のように糸を引きます。うむ,ベストなこんでぃしょなーである。
 前回,接着自体には失敗したものの,いちどたっぷりとお湯を含ませ,さらにシャバシャバのニカワを塗った上で一晩矯正したため,けっこうあった接合部の食い違いや段差が改善されてますし,木口表面が軽く目止めされた状態になっているので,一回目よりは作業がいくぶんラクになりました。

 一晩置き,補強板の余分を切りはらって側板と面一に整形します。

 さあ,これで響き線をつけ直したら,胴体を箱に戻ませすよぉ!----と,いったあたりで,今回はここまで。


(つづく)


月琴15号張三耗 再修理(1)

G015RE_01.txt
斗酒庵張三耗と再開 の巻2020.5~ 月琴15号再修理 (1)

STEP1 張三耗の大冒険

 月琴15号が帰ってまいりましたあ。

 15号か----記録によれば最初に修理したのが2009年の暮れ……もう11年も前のハナシなのですねえ。

 倒れてぶつかった拍子に,糸倉が根元のところからパックリ逝ったとのこと。

 重症ではありますがなんとかしましょう。
 庵主,11年前よりはずっと誤魔化すのが上手くなってますからね(「修理が上手くなった」とは言わないwww)。

 当時はまだ,いまみたいに詳しい記録をとってませんでしたので,フィールドノートもペラ1枚で,図もテキトウ,書き込みもほんの備忘録程度でしたから,今回は再修理のついでにいろいろと調べ直しちゃいます。

 この楽器は,いわゆる「倣製月琴」。
 唐物をコピーして日本で作られた楽器です。
 琴華斎とか太清堂の楽器なんかと同じですね。
 コピー品ではありますが 「贋物」 として作られたわけではなく,国産月琴の中で,唐物楽器を手本にしたもの,唐物楽器の影響が強く出ているやや古いタイプの楽器,といった分類となりましょうか。ちょっとした形状だったり材質や内部構造に,日本の職人さんの独自性や国内事情による変更が加えられている場合が多いです。

 この楽器の場合,唐物にしては糸倉のうなじが曲面になっちゃってるのと,指板左右に曲線付けちゃったのはちょっと余計でしたが,全体的には 「唐物っぽい」 感じにちゃんとなってると思いますよ。内部構造は1枚桁で,響き線も唐物と同じ肩から胴内をほぼ半周するスタイル----外からは見えないとこですが,このあたりもしっかりおさえてありましたしね。

 ちなみに庵主が振った銘,「張三耗」の「耗」は 「耗子(ハオツ)」,北京弁で「ネズミ」を意味します。
 うちにきた当初は,糸倉のあちこちが派手にネズミに齧られ,ボロボロだったんですよねえ。

 表面にカツブシでもまぶしてたのかな?----とか思うくらいでしたが,これをこうやって修理して,上から補彩して……このあたり,11年前のシワザですが。
 自分でやったことながら,今回修理の過程で塗装を落としてようやく「あ,ここも補修してたんだっけ」って気が付く----

----そんな程度にはちゃんと誤魔化せてました。
 なんか嬉しい(www)

 てことで,まずはフィールドノート。
 今回の損傷の記録というより,工房に来た当初の状態を思い出しつつ,実機で確認しながらの再記録となります。

 ***画像クリックで別窓拡大***

  なお,15号前回の修理報告へは こちら からどうぞ----



STEP2 張三耗の逆襲

 まずは糸倉を継ぎましょう。

 左右2箇所づつの4箇所に,竹棒を通すための孔をあけます。
 この棒はクギみたいに,それ自体で割れを継ぐとか補強するものではなく,接着の時に各部を正確な位置で固定するためのガイドの意味合いのほうが大きいですね。

 竹棒に部品を通し,割れ目がピッタリと噛合うことを確認したら。破断面をエタノでよく洗い,少し緩めたエポキで接着します。
 同じことはニカワでも出来るんですが,ここは楽器の中でも力のかかるところですので,強度と耐久性を考え現代的な接着剤を使います。そもそもここは,月琴の「道具」としての使用上は,本来「壊れるべきときに壊れるべき」場所ではありません。その時になしうる最良の手段を以って,出来る限りの万全を尽くすとしましょう。

 エポキシ接着剤は強力なので,きちんと継げていればこれだけでもいちおう使用可能な状態とすることができますが,楽器の将来を考えるとあと2~3手補強を加えておいたほうが,より安心して長く使い続けられますね。

 明日のために打つべしその1,として,次にチギリを打ちます。
 糸倉の左右,軸孔をはさんでその両側。中央で割れ目を渡るよう,輪鼓(りゅうご-ディアボロ)の形に刻みを入れ,板の半分くらいのとこまで彫り下げます。

 ツゲの端材からチギリを削り出し,接着剤を塗って埋め込み,一晩おいて整形。
 ここまでやるともう,よっぽどのことでない限り割れが再発することはありません----が。

 チギリってけっこう目立っちゃうんですよねえ。
 庵主自身は糸倉にこういうのがついてたとしても,いかにも 歴戦の勇者 みたいな感じで悪くはないと思うのですが。15号の棹や糸倉はやや小ぶり,全体的に繊細な印象のフォルムをしているので,これだと少し悪目立ちしてしまうところがあります。

 ということで,この補修痕の目隠し兼さらなる補強のため,糸倉の左右にツキ板を貼ることにしました。
 ツキ板にもいろいろありますが,ここは木地の色味の近いマコレを使います。

 より強度が必要なら,黒檀や紫檀といった唐木材を使うところですが,今回はこの貼る板自体に強度を求めていません。糸倉左右の表面を薄いエポキシ樹脂の層で覆ってしまうのが目的。
 補強だけのためならば,エポキを練って全体に塗りつければ済むだけの事なんですが,樹脂で覆っただけだと表面の質感が異常になって,ほかの部分から浮いてしまいますし,基本透明なので,そもそも補修痕を隠すこともできませんからね。

 いま使ってる接着剤はだいたい一晩で硬化するタイプなので,片面づつ,足かけ三日の作業です。
 両面一気に貼っちゃえば?----って。いや,それやっちゃうと後で軸孔を開けなおすのがけっこうタイヘンなんですヨ。(経験済ww)
 片面を貼ったら余分を切り落とし,軽く整形して,反対がわの孔から工具を通し軸孔をあけ直します。ツキ板は薄くモロいので,孔の縁とかチップしちゃわないよう,ネズミ錐で下孔をあけ,リーマーで慎重に広げて…ぐりぐりぐり………
 ちなみにこのツキ板は,棹本体の木の目と交差するような向きで貼ってあります。

 ツキ板は薄いので,このくらいならパッと見,太くなったようには見えませんし。
 悪くはないんじゃないでしょか?

 まだ糸倉オモテとうなじのところに小さな補修痕が見えてますが,ここらはこのあとの作業で----

 糸巻を挿してみます。
 グリグリしても壊れません。
 うむ,まずまず一安心。

 では,修理工程次のフェイズに入ることといたしましょう。
 棹全体を磨き直し,スオウで染めてゆきます。

 この棹はちょっと面白い木取りの材で作られています。
 木はクワかエンジュあたりでしょうか。どちらも中心に近い芯材と皮に近い辺材で質に違いのある木材なんですが,これはそのあまり太くない樹の,芯材と辺材の中間あたりから採られたもののようです。

 こういう芯材と辺材で違いの顕著な材の場合,ふつうまあ避けるような部位ですね。
 辺材がわはかなり皮に近く,軽く病変か腐朽した部位も混じってたようです。棹背の「峰」のあたりが,木色マダラでかなりモロくなってました。原作者は全体を染め,生漆あたりを軽く塗って誤魔化したみたいですが,ツルツルに磨くはずの仕上げの作業で,そうした木地の問題で却ってついてしまった変なエグレや細いミゾ傷なんかが,そのまま残っちゃってました。

 庵主,スオウ染めのとちゅう,ようやくこれに気が付いたので,急遽染めを中断。エグレや傷を埋めエポキでシーラーをかけて,モロくなってる部分の表面を固めました。

 んで,再開。

 こんどこそツルツルに磨いたら,スオウ染め,ミョウバン媒染。
 オハグロをかける前に,前回と今回の補修箇所に目隠しの黒ベンガラを点しときます。


 ベンガラは隠蔽性が高いので,修理のアラ隠しには最適。前回はオリジナルの色にあわせて茶ベンガラでやりましたね
 ベンガラが乾いたら軽く擦って,余分を落し,色味を周囲になじませておきます。

 そしてオハグロで全体を黒染め。
 これで修理個所は自然なかたちでほとんど見えなくなります。
 画像だと真っ黒ですが,このあと油拭きしたり磨いたりしているうちに落ちて,もうちょっと赤っぽくなってゆきますよ。




(つづく)


月琴63号唐木屋(2)

G063_02.txt
斗酒庵夏にもさかる の巻2020.3~ 月琴63号 (2)

STEP2 プロレタな響き線

 さて----コロナコロコロ日も暮れて,
 万年貧乏底空飛行生活の庵主にも,それそこに影響ございまして。
 そこに6月初旬の毎天熱暑。
 完全エコロジーの全自動エアコン 「大自然」 完備のわが工房ではとても作業にならず,少々間が空いてしまいましたが----

 63号唐木屋,修理を開始いたします。

 例によって----

 1) 保存状態がやたらと良い。
 2) 使用痕がほとんどない。
 3) 一見,糸張ればそのまんまで使えそう。

 ----という感じの 「キレイな古楽器」(ふるがっき) というものには,かならずいやらしいアクマが棲みついております。
 「道具」というものは本来,メンテナンスをしながら使うものです。
 包丁や鑿なら砥ぎますし,ノコギリなら目立てします。筆だって使ったら洗うでしょう?
 そのように道具がちゃんと 「道具として使われてきた」 場合の故障は,いくらでも「直す」手段があるのですが,日常的なメンテナンスもない状態での 「使われていない道具」の故障や不具合 というものは,ほとんどの場合,さかのぼってはじめから作り直したほうがよっぽど早いようなことが多く。ちょっと前の鶴寿堂みたいに,作業がどーんと進んでからとつぜん,ふつう修理者が思いもしないようなエラい状況が発見されたりするので,庵主としては今回も,ちょいとヤな予感に身を震わせておりますですあなかしこ。(w)

 まずは小部品の除去と分解を。
 棹上に残ってるのは山口さんだけ,胴体のほうはフレットとお飾り類です。
 いまのところ半月の接着はだいじょぶそうですね。こないだ同じ製造元のぼたんちゃんが,オリジナル接着の半月ふッ飛びで帰ってきたばかりですが,さてこやつはちゃんと保つのかな?----作業しながらちょっと見守ってゆくことといたしましょう。
 工房到着時はついてたんですが,調査でいぢくッてるうちに蓮頭はとれちゃいました。接着面を見るとニカワが劣化して白くポロポロ……ほかの部分の接着が少し心配になってきましたねえ。劣化したニカワをこそぐため棹先端に濡らした脱脂綿を一枚,あとは細切りにした脱脂綿で山口の底部にぐるりと囲みます。

 バチ皮はでんぷん糊----「そくい」かな?
 しばらく濡らしたらペロ~っとハガれてくるんで,あとは残った糊をこそげればおしまいです。

 柱間のお飾りとフレット,山口なんかは10分ほどではずれましたが,頑丈にがんばったのが胴左右のニラミ----今回のは意匠が少し細かいので,接着剤のついてる部分が多いんですね。途中から,水がより細部まで行きわたりやすいよう,小さく千切った脱脂綿をお飾りのスキマに詰め込みました。2時間ぐらいふやかしたところで,周縁のわずかに浮いてるとこにクリアフォルダを挿しこみ,しごいてこそげとります。

 接着はすべてオリジナルでした。最期にニラミでちょっと苦労はしましたが,ボンド類での再接着箇所とかがなかったので,そのへんはラク。
 さすがは老舗・唐木屋。この楽器についてある程度 「分かって作ってる」 ので,基本的にメンテナンスの時はずせるものはちゃんとはずれるように組まれてましたね。

 つづいて板を片面ハガして内部の確認をします。

 表板も裏板も,天地の側板部分を中心に同じくらいハガれてるんですが,後々の作業を考えると,やっぱり裏板をハガすほうが無難かと。
 すでにはがれている部分に刃物を挿しこんで,ぐるりと回してゆきます。ふつうは最後に,内桁から板を剥がすため曲尺をつっこんで挽いたりするんですが,今回は胴体の縁を一周したら「パッコン」と音がして,あっけなくはずれてきました。

 内桁の裏板がわの接着面にホコリが……板のほうにも…ついてますね………
 これ,もしかしたら製造当初からちゃんとくっついてなかったんじゃなかろか?

 さてでは,内部の観察とまいりましょう----

 内部構造は二枚桁で,上桁がやや中央がわに寄り,一番上の空間がいちばん広くなっています。二枚の桁は完全な平行にはなっておらず,下桁がわずかに傾いて,画像だと左がわのほうがほんの少しだけ広くなっているようです。

 同じ関東の作者では,石田不識をはじめ,ここはほぼきっちり平行なことが多いんですけどね。

 二枚の桁が平行になっていないこの内部構造は,関西の「松派」の楽器の影響だと庵主は考えています。「松音斎」や「松琴斎」など,名前に「松」のつく大阪の作家…いままで何面か修理してきましたが,卑近だと50号フグの「松鶴斎」なんかもそうですね。
 「松派」の楽器では唐木屋のと同じように,二枚の桁を平行ではなく片がわをわずかに広げて配置しています。構造としてそのほうが安定している,とかいうことはありませんので,おそらくは長い弧線を胴内におさめるための工夫であったとは思われますが,これは彼らと唐木屋の楽器のほかではあまり見られない内部構造です。

 このほかにも唐木屋の月琴は,彼らの作る楽器と寸法や構造がきわめて似通っています。たとえば前にも書きましたが,関東の月琴は渓派の影響で棹がやや長く,第4フレットが棹上に置かれていることが多いのですが,唐木屋の月琴はここも関西準拠で,胴体の端に置かれていることが多いですね。

 上下桁ともに,胴体との接合は木口と内壁の単純な接着によるもので,内桁を固定するための溝や補助材はついていません。

 上桁は薄く厚さ5ミリほどしかありません。下桁は8ミリありますが,加工が粗く板の表裏がちょっと不均等に凸凹してますね。
 上桁は棹茎のウケ孔を中心に左右に音孔,下桁は中央に長く一本貫いてますが,どちらもまあ見事にテキトウな切り抜き加工。ラインはヨロヨロ,孔のフチがガタガタです。

 上にも書いたように内桁と裏板の接着は雑で,へっついてなかった部分のほうが多いくらいでしたが,表板がわとは全面かなりしっかりと接着されており,こちらにハガれているところもハガれそうな気配のあるところもありません----上下桁ともに胴材との接合も剥離しちゃってますから,この楽器は正直,この部分がついてるってだけでなんとかカタチを保ってた,という状況ですね(w)

 響き線は鋼線。線の太さは0.8ミリくらい。
 楽器正面から見て左がわ,上桁の下に基部を置いて,そこから弧を描き,先端は上桁の音孔から少しつき出ています。

 基部はサクラの木片で,側板の内壁と表板に接着されていますが,裏板からは6ミリほど離れ,上桁との間にもわずかなスキマがあってくっついてはいません。

 いままで扱った唐木屋の響き線は,これまた松琴斎などの楽器と同様に,根元のところでぐいッとキツく下方向に曲がり,下桁に近づいてから横方向へゆるくカーブしてゆく----そうですね~旧ソ連の国旗に描かれてた山鎌(下画像参照)みたいなカタチ----になっているものが多かったんですが,今回のようなカタチは庵主ハジメテ見ましたね。

 これまで見てきた唐木屋の響き線と比較すると,アールが浅くちょっと中途半端で不格好な感じがします。
 演奏姿勢に立ててみますと,いちおう機能はしてるんですが,振幅の三回に一回ぐらいは先っぽがどっかに当って止まっちゃったり,上桁の端に刺さっちゃったりしているので,正直「響き線」としてマトモに働いてた感じはありません。

 航研機の木村先生もおっしゃってるとおり,「機能」と「美しさ」というものがあるていど連動してるってのは本当ですわい。

 この響き線は,基部の木片に孔をあけて線の根元をつっこみ,短い竹釘で止めてるのですが,この時,竹釘を固定する目的か,余計な心配からか,根元にニカワをたっぷりと盛ったらしく。そのせいで現状,響き線の根元が朽ちてしまっているようです。アートナイフの刃先でちょっとコスったら,モロモロとどこまでも削れてしまいました。

 響き線のほか大部分は,それほど酷いサビつきもなく健全なほうなんですが……こりゃどッちにせい,ほじくり出して付け直してやらんとイカんかと。

 側板の接合部は4箇所ともにトンでますし,内桁も左右がはずれてます。おまけに調査でいぢってるうちに地の側板もポロリしちゃいました。蓮頭接着部のこともありますので,保存環境に,ニカワにキビしい何かしらの問題があったろうとは推測されますが,こちらははずれた痕がやたらとキレイ。これは使用したニカワが薄すぎたか,もともとの接着作業が雑だったんでしょうね。

 そのほか,内部構造で書いておくこととしましては書き込みでしょうか。大したものはありませんが,上桁と表板ウラなどに指示線がいくつか,あといちばん上の空間右手に大きく「62」に見える数字が書かれています。

 うむ…どう見ても「62」なんですが,たしか棹なかごに書いてあった数字は「12」だったかと----シリアルだとするとどっちが正しんでしょうねえ?

 書き込みはかなり薄めかすれ気味ですが,どれも墨線。ただし,線に沿って少し圧による筋が見えますので,おそらくはこれらは筆でなく,竹や木を削いだ道具……たぶん 「墨さし」 によるものだと考えられます。

 板中央に「こっちがウラ面」というつもりで付けたと思われる,圧縮痕による目印があるんですが,これもおそらく同じ道具によるもの。墨を付けないで使ったんでしょう。

 楽器職や指物屋なんかの人が使うのはもう少し線が細いのですが,この楽器についてるのは,大工さんが家の柱の加工とかで使うのの太さそのまんまですね。加工が大雑把なこともあるし…この楽器作ってた人は,大工さん出身のニワカ楽器職だったのかな?----なんてことも考えてます。

 はやいろいろと問題は出てきたものの,とりあえず内部構造の確認まで終わりましたので,あと詳細の確認は,恒例のフィールドノートでどうぞ----

 ***画像クリックで別窓拡大***


(つづく)


より以前の記事一覧