月琴65号 清琴斎初記(6)

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斗酒庵,春秋を思ふ の巻2024.4~ 月琴65号 (6)

STEP6 運河を穿ちお城のお濠を埋めたてた男の楽器は行く

 半月の手入れが終わったところで,全体の組上げに向け,表裏板の清掃に入ります。
 工房到着時の状態では表面板に水ムレの痕が見てとれ,ちょうど胴体の半分ぐらいのところで上下うっすら色が分かれてましたね。

 今回のヨゴレはけっこうキツくしつこく。

 最初の洗浄液は表板の半分ぐらいで真っ黒になってしまいました。あと中央部や左右のニラミ周辺に薄いシミが残ってしまっていたので,清掃作業はなんどか乾燥をはさんで間をおき,楽器の状態を確認しながら3度ほど繰返しました。
 ヨゴレの状態は保存してあった場所や環境の影響もあったのでしょうが,この楽器の表裏板の染めは,二記山田縫三郎のに比べると若干濃く,砥粉もやや多めに感じられましたね。

 けっきょく,このところ修理したのの平均からすると,まだ少し色黒な感じになっちゃったんですが,この色味には桐板自体の質も関係しているようなので,水ムレや大きなシミが目立たなくなったあたりで終わりにします。

 数日乾燥して,いよいよ組立てに入ります。
 まずは半月の接着。
 楽器の中心線を出し,正確に位置決めをします。

 保定中にズレないよう,周りを板で囲んで軽くクランピング。
 一晩置いて完了です。

 これで棹のほうに山口をのせ,フレットを置けばいよいよ楽器としての復活!----と,なるわけなんですが…ここで非常事態発生!!!

 いちおう仮組みして糸を張り,フレットを置いてみたところ。
 低い,低すぎる!

 フレットの頭と糸の間が3ミリくらい開いちゃってますね----残念ながら,このオリジナルフレットは使えませんや。

 前回書いたよう,半月にはすでにゲタを噛ませてありますので,そっちの弦高はもうじゅうぶんに下がっているはずです。
 さらに山口のほうをさらに2ミリほど削っても,オリジナルフレットがまともに使用できるような高さにまで糸を下げられませんでした。こうなるともうあとはどっか削って棹角度の設定を変えるとかなんですが,これも前の記事で書いたように楽器自体がかなりギリギリな作りなので,これ以上は難しい所……現状の弦高に合ったフレットを作り直したほうが断然早いですね。

 補作のフレットは竹製。オリジナルフレットが真っ白な骨牙製でしたので,山口も色を合わせて白っぽい材料で作ってたんですが。かなり削っちゃったので,またツゲで作り直しました。板がちょいと色黒ですし,竹フレットもこれに合わせてちょっと濃いめの色に染めるとしましょう。
 新旧のフレットをならべてみるとこんな感じになります。

 新旧の高さの差は最大で2ミリ近く。
 他の作家さんの楽器でも似たような事態はちょくちょくあるんですが,これは当時の職人さんの「フレット楽器への無理解」のほか,こうした量産楽器では生産数を上げるためもあったかと思います。

 この楽器のフレットの加工は,本来なら庵主がやっているように,個々の実器合わせで正確な設置位置を探りつつ,各フレットの頭と糸の間をギリギリに,かつ前のフレットに干渉しないような高さに調整してかなきゃならないんですが,これは手間もかかるし時間もかかる。
 そこで基準となる楽器,あるいはスケール定規のようなものを用意して,それを参考にフレットの位置をどの個体でも同じ固定のものとし,各フレットを本来の理想的な高さよりいくぶん低めに製作する事で,製作と調整の手間を省き,製品としたときの歩留まりを回避したのだと考えています。

 まあ,このころの日本人にとって,月琴と似たようなフレット楽器となると琵琶くらいなものでしたからね。薩摩や筑前といった同時代に一般的であった日本の琵琶は,糸が太く弦高がきわめて高く,フレットは少なく,細かな音程は弦をフレットに「押しこむ」ことによって取ります----だからたぶん,月琴もそうやって「糸を押しこん」でも問題ないくらいに思ってたんでしょうね。

 琵琶とは違って月琴のフレットは基本的に1枚で1つの音にしか対応していません。弦長が短く糸のテンションも弱いので,琵琶のように押しこんで押さえると音程が安定しません。いくら「正確な位置」に設置してもあっても,「正確な音」は出せないんですね。そのあたり何となく伺い知れるのが,下に掲げた音階調査表----

開放
4C4D+104E+74F+114G+144A+115C+275D+45F+29
4G4A+114B+45C+65D+145E+25G+165A+45C+27

 このころの月琴としてはかなり露骨に西洋音階寄りですね。これは頼母木源七や山田縫三郎が,ヴァイオリンとかも作る人だったからかもです。清楽の音階としてはEのところが30%くらい低いのがふつうですが,西洋音階準拠と考えると,チューナーで測って,平均10%前後の誤差なのだから,かなり正確なほうです。
 ほぼ均等な低~中音域に比して,高音域,特に最後の3枚のあたりで誤差の幅が搖動し,最終フレットで30%近くになっているのは,高音域のほうが耳で差異を拾いにくいのもありましょうが,まさに上に書いたよう,オリジナルのフレット高では音程が安定しなかったろうことも影響しているかと思います。

 さあて,まあフレットの問題が片付きますれば,あとは組上げです!
 オリジナルのお飾りは左右のニラミと,窓飾り。ともに細工も良く,唐木のそこそこ上等な材で出来てます。剥離の際に片方がバラバラに割れてしまいましたが,すでに修復済。これらはキレイに清掃して,さッと油拭きすれば元のツヤが甦ります。

 欠損していた蓮頭も用意しました。
 清琴斎初記の楽器は参考となる例が少ないので,二記・山田縫三郎の作例の中から,最もここの工房のオリジナルだと考えられる意匠を撰んでます。
 とはいえ,これ自体,田島真斎の楽器に良く付いていた蓮頭の模倣ではあるのですけどね。

 糸巻は2本がオリジナル,2本が補作。
 ベンガラとスオウで似た感じに補彩してあります。今はまだ補作のほうが多少色濃いですが,数年するとスオウが褪せて,似た色合いに落ち着くでしょう。

 最後にバチ布と修理札を貼って,2024年11月19日。
 「運河を掘ってお城のお濠を埋めた男」こと,
 清琴斎初記・頼母木源七の月琴,修理完了いたしました!!


 銘は「孤雁」,添詩は----

 寒蝉数弄咽柳條  寒蝉数弄,柳條に咽び
 孤雁一声堕江浦  孤雁一声,江浦に堕つ

 誰の詩の一節かは検索してや。

 うん凄い----「透徹」とでも形容しましょうか。
 輪郭のはっきりした,澄んだ音の楽器です。
 余韻もすごいね----「中途半端なカタチ」なんて言ってゴメン。直線型より深みがあり,曲がりの深い線より胴鳴りが発生しにくい。うちのZ線と同様,直線と曲線の特性のイイとこどりしようとした構造だったんですね…まあZ線と違って曲げが微妙なので,この部分に関しては生産性が良くなさそうです。

 木部の工作自体は精密で頑丈ではあるものの,棹と面板が面一だったことや,響き線にちゃんと焼きが入ってなかった事を考えると,オリジナルは操作性も若干アレだし,響きもこんなにはなかったと思いますよ。元は楽器として考えると「悪くないけど良くはない」程度の数打ちの量産品だったと思われますが,この楽器にとっての理想的な設定に近づけるべく調整に調整を重ねた結果,現状は市販車がレーシングカーになっちゃってる,みたいな感じですね。
 胴の厚みがあるわりに多少楽器が軽めなので,ふだん重たい楽器使っている人には,取回しに少しだけ違和感があるかもですが,現状,その程度しかアラが見つかりませんね。

 ただコレ…正直,まったく素人さん初心者さん向きの音ではないなあ。

 あまりにも「音の輪郭がはっきり」しているので,上手い人は上手く,ヘタクソはヘタクソに聞こえます。上手く弾ければそのまま上手に聞こえますが,ちょっとミスすれば誰の耳でも聞き取れる感じ。デバフはかかりませんが,補正もかかりません。

 個人的にはジャズが似合う音だと思いますよ。

 ゆうつべのほうに試奏あげています。聞いてみてください----

  1)Moon River
  2)Fly Me to the Moon

 修理は終わりましたが清琴斎初記のお話は,あと1回続きます!
 といったところで請読次回。


(つづく)


えいこうの月琴WS@亀戸!ラストワルツ!

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斗酒庵 WS告知 の巻月琴WS@亀戸・最終回! 2024年12月!!!



 

 

*こくちというもの-月琴WS@亀戸 ラストWS のお知らせ-*


 
 2024年,12月の月琴WS@亀戸は,討入もクリスマスも越えた28日(土)の開催予定です。



 会場は亀戸 EAT CAFE ANZU さん。
 いつものとおり,参加費無料のオーダー制。
 お店のほうに1オーダーお願いいたします。

 長年会場を提供してくださっていたANZUさんが,年内でお店を閉じられるため,@亀戸での開催は今回でラスト!!----いまのところ1月以降はなんもかんも未定ですので,この最期の機会にどうぞお立ち寄りくださいませ~。

 なお,いつもどおりお昼さがりのゆるゆる開始ですが,ANZUさんフェアウェルとも重なるので,17:00までの早じまいの予定です。

 参加自由,途中退席自由。
 楽器は余分にありますので,手ブラでお気軽にご参加ください!

 初心者,未経験者だいかんげい。
 「月琴」というものを見てみたい触ってみたい,弾いてみたい方もぜひどうぞ。


 うちは基本,楽器はお触り自由。
 1曲弾けるようになっていってください!

 



 

 

 

月琴65号 清琴斎初記(5)

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斗酒庵,春秋を思ふ の巻2024.4~ 月琴65号 (5)

STEP5 ほんにそなたは枯野のススキそよぐばかりで心(しん)のない

 さてと,時系列と順番は前後しますが,今回はここから。
 この楽器,事前の調査で分かったのは,部材の加工や接合の工作はどこも丁寧精密で素晴らしいものの。明治流行期の他のにわか月琴師および儲け便乗の量産作家と同様,「月琴」という楽器に対しての理解不足からくる「足りない(あるいは余計な)工作」がいくつかあるということ。
 まあ,外から見えるカタチや寸法は簡単に真似できますが,そのカタチや寸法の意味や内部構造,ってのは,そのモノを正しく理解できてなきゃ,作者の想像や都合に流されがちになります。ストラディヴァリウスのヴァイオリンをスキャンして,3Dプリンタで内部ガン無視の樹脂のカタマリとして出力しても,「楽器」にはなりませんわな。
 その無理解による「足りない(あるいは余計な)工作」のひとつが,前回処理した「棹の傾きがナイ」ことですが,もうひとつがコレ----

 この響き線,ヤキが入ってません。

 いちおう軟鉄のハリガネではなく,鋼線ではあるんですよ。ただコレ現状,エフェクターとしてもリゾネーターとしてもほとんど機能してません……ほぼ楽器内部でぶよんぶよん揺れてるだけのシロモノですね。

 いつも書いてるように,月琴という楽器の良し悪しは,胴体がどれだけちゃんとした「箱」になっているか,でほとんど決まってしまいます。この楽器のそこらへんの工作は素晴らしいのですが。画龍点睛を欠くと申しましょうか,「清楽月琴の音のイノチ」ともいえる響き線がこの状態だと,「鳴りはするけど響かない」---月琴特有の余韻のまるでない,箱三味線みたいな音の楽器になってしまいます。

 さてこれはどうしたものか。
 響き線がサビサビか,根元が腐ってたりでもしてくれてたなら,躊躇なくヘシ折るなりぶッこ抜くなりできるのでハナシは早いのですが,表面に小サビ浮き,ヤキが入ってないものの,線自体の状態は健康そのもの。おまけに頼母木源七,基部固定の工作にもソツがなく,ちょっとやそっと引っ張っても抜けそうにありません。

 とはいうものの----まぁ,現状の取付けられたままの状態でも,なんとかやりようはありましょう。ただしそれは,表裏に板のついてる状態だと難しいので,板の補修の済んでない,胴が外枠フレームのみの時じゃないとできません。

 まずはライターで線全体をなるべく均等に熱します。
 よさげな温度になったところで,あらかじめ濡らしておいた布かキッチンペーパーですかさずくるむ!----ジュッ,とな----

 さすがに気の抜けない瞬間ワザで。作業中の写真は撮れませんでしたので,作業後のでご容赦アレ。ほかには直接コンロにかざすとか,9V電池直結して線自体を発熱させるとかも考えたのですが,どれも安全性に欠けるため却下。理想的な加熱状態が得られなかったため,完全に満足のゆく結果とまではいきませんでしたが,それでも先端がガンブルーになるくらいの根性は入れれました。
 従前は弾いても,ぶよよんぼよよんと揺れるだけでしたが,焼き入れ後はキーンカーンとちゃんとした「響き線」の音が出るようになりましたよ。

 この楽器にとっては重要なものの,きわめて地味な響き線の補修と処理は完了。
 棹の調整もひと段落し,これで内部からしなきゃならないこと,出来ることは片付きましたので,いよいよ裏板を戻して,胴体を「桶」から「箱」に戻します。

 裏板は,右から2/5くらいのところで割れて2枚になっていました。接合部の上端から半分くらいのとこまで虫に食われてましたので,表板の場合同様,小板接合部の虫食い部分を埋めて整形・樹脂浸透で補強。そのほかの虫損は,内桁との接着部や周縁部に少しある程度で,表板ほどヒドくはありませんでしたね。
 あとはこれを1枚に接ぎなおしたこれを胴に戻せばいいわけですが。
 表板の時と違って,こんどは内部構造との位置関係がまったく見えない状態でやることとなるので,1枚に接ぎ直す前に,板ウラに残っている原作者の指示線や,元々の接着痕,そして実際に合わせてみた結果を頼りに,新しい接着位置の目安になるシルシをあちこちに付けておきます。

 胴や板自体の,板の中心とかは原作者の残してくれた指示線,ほぼそのまま使えましたね----これも元の工作や木取りが良かったため,変形による誤差がきわめて小さかったおかげです。ほんと仕事は丁寧だ。再接着の作業余裕として小板の間に噛ませるスペーサも,最小の2ミリ程度の幅で済みました
 赤いクランプぐるりと回し,一晩置いて接着完了!

 あとは胴側からわずかにはみ出した板端を削り,胴体は無事「箱」に戻りました。

 棹と胴体,楽器としての主構造部分の補修はこれにて完了。
 ではいよいよこれを「楽器」に戻すために足りないあれこれを作ってゆきましょう。

 まずは糸巻。
 そういやこの楽器がはじめて工房に到着した時,ネオクの画像のとぜんぜんちがうゴッつい琵琶の糸巻が入っててビックリしたもんでしたねえ(出品者さんが同時に出してた他の楽器のと間違って入れちゃったらしい)。

 数日後に届いた糸巻は,2本がオリジナル,あと2本は三味線糸巻を改造したものとなってました。
 オリジナルの糸巻は状態も良かったのでそのまま使い,2本を補作することとしました。部品入れあけたら,ウサ琴作りの時大量にこさえた予備の素体がまだ2本だけ残ってましたのでこれを使いましょう。

 いつものように,ナイフと鬼目のヤスリでだいたいのカタチに削り,途中から実器合わせで先端を調整しながら,全体を仕上げてゆきます。

 ジグソーも旋盤もないんで,1本あたり1時間くらいはかかりますが。今回は大キライな素体作りの工程がないんで実にキラク,じつに楽しい!----ああ六角形のウツクシさ!
 というわけで。側面わずかに反りのある多面体に悶えながら,最後に帽子(握り部分のてっぺん)を研ぎ出し,溝を刻んで完成です。
 材料はいつもの100均めん棒ですが,これ数年前より素材が硬いブナの類から軟らかい白楊等になってますんで,力のかかる先端部分を中心に,樹脂を何度も浸ませて強化しときます。
 これをオリジナルの色味に合わせて補彩。

 今回は茶ベンガラを中心に,スオウ染めを組み合わせて赤茶っぽくしました。現状オリジナルより若干色味が濃いめですが,数年してスオウが褪色したらちょうど良いくらいになるかと思います。

 半月のお手入れもしておきましょう。
 オリジナルの半月は紫檀製。材質も悪くないですし,工作も良い。
 オモテ面に細い溝を刻み,そこに銀の薄板を打ち込んで装飾としてあります。意匠はたぶん水面に咲く蓮の花ですね。
 損傷は下縁部右がわに少しカケによるヘコミがあるのと,装飾の左がわの端のほうで一部銀の板がはずれてなくなっちゃってるくらい。

 ヘコミのほうは唐木の粉をエポキで練ったのでちょちょいと埋めましたが,銀の板のほうは手持ちにちょうどいい材料がないもので,とりあえず象牙の板をうすーくうすーく削ったのを埋め込んで誤魔化しておきましょう。

 あと事前の調査から,弦高を下げる必要のあることが分かってましたので,ウラ面のポケットになってる部分にゲタを貼りつけておきます。

 今回は煤竹を使用。
 弦が当って擦れる面に皮の部分を向け,細く削って貼りつけます。
 これで半月から出た時の弦高が,少なくとも1ミリほどは下がるはずです。


(つづく)


月琴65号 清琴斎初記(4)

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斗酒庵,春秋を思ふ の巻2024.4~ 月琴65号 (4)

STEP4 板コいちまい冬ジゴク,ほい。


 はい,では清琴斎初記,分解の続きです。

 とはいえ,今回は胴の主構造の作りが素晴らしく精密・頑丈で,接合部の劣化等強度的な問題もないため,表裏板を剥いでしまった段階で分解完了です。

 裏板も剥がしましょう,ぺりぺりぺり----この感触,そして濡らすと白くなる表面。最初はニカワが劣化してるのかと思ったんですが違います。

 この楽器,表裏の板だけソクイ(米粉の糊)で接着されてますね。

 同様の工作は国産の月琴で時折見るんですが(唐物では見たことがない),おそらくこれは三味線の工作の影響。日本の職人さんの 「三味線の「皮」はソクイで接着するもの > なら月琴の板もソクイだな!」 というていどの,やや短絡した思考から来てる工作----所謂「ドグマ」ってやつにハグされちまった結果ですな。

 もともとほぼ考えナシでやらかしてるともいえる意味のない工作ですし,後々のメンテや修理の関係上不便なだけなので,ここはキレイにして再接着はニカワでやります。

 劣化していなければ,濡らしただけで何度も甦るニカワに対して,ソクイは接着力こそ強力ですが,一度剥がれたら接着力は戻りません。また,三味線の皮は張り替えることが前提ですが,月琴の表裏板は通常張り替えることのない部分です。そんなとこに,一部分でも剥がれたら「全面張り替え」が必要になるような技術使いますかね?----みんな勉強がなっちょらん!

 というわけで,バラバラになりました。
 さらには剥がした板も,虫食いのある弱った接ぎ目からバラしてゆきます。

 けっこうあちこち食われてましたし,表板中央部分なんかはそこそこやられてましたが,食害は幸いにも接ぎ目に沿ったものばかりで,全体に横方向への広がりはない----これならあまり手を加えないで修理できそうですね。

 まず木端口の細い虫食い部分に,桐塑(桐の木粉を寒梅粉で練ったもの)を詰め込みます。場所によっては表裏薄皮一枚,みたいになってますからね,ちょっとづつそッとですが,竹串やら爪楊枝も使い,なるべく奥までキチキチに…最後は乾燥によるヒケも考えて,木端口からあふれるくらい盛っておきます。

 中まで固まったところで平らに整形。
 もちろんこれだけではおが屑を詰め込んだだけのようなもの,この部分に強度はまったくありません。そこでここには樹脂を染ませて固め,強化しておきます。桐塑は水にも弱いんですが,こういう時は逆に樹脂が滲みこみやすくて助かります。

 作業後に,食害周辺をケガキの先とかで触診してみましたが,充填不良個所や新たな被害は確認できず。食害がもっと横へ広がっていたら,表裏からほじって樹脂注入とかになっていたでしょうが,今回の楽器の桐板は,目の詰まった硬いもの----会津あたりの桐かな?----だったのもあり,さほど食い広げられなかった模様です。
 なるべく余計なところは削らないようにしましたので,食害が表面にまで達しているところ以外は,接ぎ直せばほとんど分からないくらいになるでしょう。

 これを順繰り剥ぎなおしてゆき,再接着用の作業余裕を作るため,3ミリのスペーサを間に噛ませて,1枚の板に戻します。

 上に書いたとおり,オリジナルのソクイじゃなく,ニカワで再接着します。
 スペーサのぶんはみ出た周縁部を削って,胴体は「桶」の状態になりました。

 いつもの作業からすると,多少拙速な感じがするかもしれませんが。上にも書いたよう,この楽器の胴体の主構造は,工作も良く頑丈ではあるものの,さすがに表裏板のない状態では構造的に不安定ですので。このままにしとくと,なんかの拍子に壊れちゃったり,気候状況等により変形しちゃう可能性もあるので,今回はとりあえず表板を戻し,少しでも安定した状態にすることを優先しました----いやあ,さすがに骨組みだけの状態では,棹の抜き差しや,響き線の調整するのもコワいですからね。

 安心して作業続行可能な状態になったとこで,次だ次。
 棹角度の調整をします。

 オリジナルは面板から棹の指板面まで,鏡のように見事な面一でしたが,これもこの楽器についてちゃんと勉強しなかった作り手のよくやる間違いで。本来は楽器の背がわに少しだけ傾いでいるのがベストです。
 もちろん現状の面一状態でも楽器としては使用可能ですが,ストレスなく演奏するためには色々と不都合がありますので,いつものとおり調整しようと思います----まああんまりにも精確無比な工作でしたので,正直このままにしてやろうかとも思ったのですが,楽器はあくまでも道具。いくら見事な工作でも,それが作者の無知のあらわれでしかないのなら,それを後世に残す意味もありません。

 とはいえ。
 こういう腕に自信のある巧い人ほど,一箇所を下手にいじると全体がダメになってしまうような,余裕のないギリギリの仕事をしがちです。
 元の寸法や強度に余裕がないので,こちらも常に全体への影響を俯瞰しながらのギリギリ工作しかできません。

 けっきょく,延長材の先端・表板がわ面を1ミリほど。内桁の棹孔も同様に表板がわを1ミリほど下げました。これによって棹を傾けることに成功。ほんとうはもう少し傾けたかったんですが,これ以上削ると延長材や内桁の孔の強度に問題が出そうでしたので。

 この作業の最中に,棹基部と延長材との接合部に割れが見つかったので補修しときます。数打ちの月琴ではよくある故障の一つですね。ここもちゃんと接着はニカワなんですよねえ----なんで表裏板だけ。

 最後に胴体の棹孔のひっかかる部分を少し削り,内桁の棹孔や棹基部にスペーサを噛ませて,きっちりスルピタ抜き差しできるよう調整します。
 いつものことながら,これでまだ第一弾の調整ですからね。
 この棹と胴体のフィッティングは,楽器としての使い勝手にダイレクトに影響しますので。この後もまだまだ,修理完了の直前まで繰り返されます。

 とりあえず今回はここまで----

 分解作業も終わり,当面の記録はだいたい採り終えましたので,恒例のフィールドノートを公開しておきましょう。(下画像,クリックで別窓拡大)

 表裏部分は例によって「真っ赤だな」(w)です。


(つづく)


月琴65号 清琴斎初記(3)

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斗酒庵,春秋を思ふ の巻2024.4~ 月琴65号 (3)

STEP3 婿さん(逓信大臣)はグルメと盆栽に夢中。

 さて,前回に引き続き調査です。

 外がわから見えるところは,だいたい記録し終えましたので。とりあえず棹をはずして内部を覗いてみましょう。

 そういや以前ここの二記の楽器で,外がわはキレイなのに,中がホコリまみれ粉塵爆発寸前の真っ白!----なんてこともありましたね。あれは板の虫食いが見た目以上に酷かったのが原因でした。今回の楽器も,表裏板に虫食いが見つかってます……さあどうなってることか。

 思ってたよりずっとキレイですね。

 視界良好,ホコリもほとんど溜まってません。
 上桁の音孔の向こうに,少し太めな響き線が覗いています。これも基部のほうにちょっとサビが浮いているようですが,銀色に光っている部分も多く。表板に水ムレがあったことを考えると,こんなもんで済んでて幸いといったところです。

 以降の作業に支障ナシ,と判断いたしましたので,フィールドノートに諸元寸法書き入れ終わったところで,分解作業へと入ります。

 まずはいつもどおり。表面にへッついているものをへッぱがします。
 脱脂綿を細く切ったのをたくさん用意。

 はずしたいモノ周辺に筆でお湯を刷いたら,これで囲んで堤防を作り,それから中心部に水気をふくませてゆきます----なるべく余計な部分,濡らしたくないですからね。
 表面が乾かないよう濡らした脱脂綿で覆い,ちぎったラップをかぶせたら1~2時間放置します。

 はずれてくれるお飾りはヨイお飾り,はずれないお飾りはワルいお飾りだぁ!

----というわけで,接着がオリジナルのまま,あるいは修繕が加えられていたとしても,それが古い時代のものならば接着剤はニカワなので,たいていのモノはこれで接着がユルみ,ハガれてきます。

 胴上,中央上部のフレットは4枚現存,第4フレットのみ欠損で。残っているうち第5フレットには最近の修理痕…というか,なんか接着剤ハミ出てんぞオイ。
 というわけで2,この第5フレット以外もまあ下が桐板ですから,近世の接着剤が使用されてても,木地が緩んだらはずれてはくれましたが。
 ニカワでの接着痕は,布でぬぐうていどでキレイになるのですが,こういう最近の接着剤による接着痕はちゃんと除去しとかないと,次のニカワの着きが悪くなりますので,後始末がかえってタイヘンなんですよ。
 第5フレット以外では,楽器向かって左がわのニラミ(左右のお飾り)が頑固でしたね。どちらもニカワ付けではあったものの,右がわは点付けで,一度めの作業で比較的簡単にハガれてきたのですが,こちらは後で補修したものか,裏全面にべったりとニカワを塗ってへッつけたものらしく,部品・板の精度が高かったのも災いし,容易にはずれてくれません。

 ふだん苦戦することの多い半月(テールピース)なんかは,下地の板が虫食いで弱ってたためか,左がわが半分がほとんどついておらず,右がわの端っこだけで板についていたみたいなんですが……このへッついてた部分がなかなかに頑丈で,ここも最後まで残ってしまいました。
 というわけで3。あんまり時間をかけると,ただでさえ古くて傷んでいる板への影響が大きくなってしまうので。どちらもあるていどスキマができたところで,クリアフォルダを細く切ったものを挿し入れ,ゴシゴシと挽き切ってはずしてやりましたよ。

 さて次だ,前回書いたとおり,棹上のものはぜんぶ後補部品。その形状や寸法から見て,楽器として機能させうるようなシロオノではないため,最近になってから,カタチだけ整えるためにへっつけられたものだろうことは明らか。

 手順は同じですが,基本的には「ハズす」「ハガす」というより「モギとる」ってのが正しい表現ですかな?
 木地を湿らせるとこまでは同じですが,これは接着剤を緩めるためでなく,木を軟らかくしといて,モギる際の被害を抑えるためですね。また,こういう最近の修理者は,だいたい前からあった接着痕を清掃もせず,そのままへッつけちゃってることが多いんで,そこに前のニカワの層が残っていれば,多少ヤバい接着剤が上に盛られても,下にあるニカワの層がしみこみを止めてくれてるはず&そこは水で濡らせばゆるむので,比較的安全にモギれてくれやがるだろう,という算段があります。

 結果----山口(? トップナット)とフレットはこちらの想定通りにモギれてくれましたが,糸倉てっぺんのゴッコさんだけはビクともしやがってくれません。
 なんかコレ,ほかと違う,もっと凶悪な接着剤が使われたみたいですね。頼母木さんの下地の工作が精確すぎたせいもあり,これがもーばっちり密着・極悪接着されちゃってます。おまけにこのゴッコさん自体がなんかユルい染料で染められてるようで,濡らしたら脱脂綿に赤い汁が滲んできました。
 こりゃ通常の方法だと,下地が緩むまでに相当かかりそうです。この糸倉部分は,この手の弦楽器にとって重要ななしょですからね----方針を変えましょう。
 いったん乾かしてから,ぶッた斬ることにします。

 ごとん----
  へへ…へ。
  やったぜ,やっちまったぁ……


 うんむ,裏面に紐を通すようなクボミがありますね。
 もとは帯留か根付でしょうか。
 彫りからして,これ自体は古いものっぽいんで,犯人は古物屋かながっでむ。

 表板にじゃまものがなくなったところで,さらに分解を進めてゆきます。

 といっても今回の楽器,胴体の輪になった主構造部分は頑丈健全なので,基本的に表裏の板をハガしたところで終わりですね。表裏板とも接着の浮いているところ剥がれているところから刃物を入れて回してゆきます。
 ペリペリパリパリ,キモチ良いくらいハガれてきますねえ。表板は虫食いのところから割れちゃいましたが,このくらいは想定内。

 ハイ!表板剥けました!
 まずは概況ですね-----埃はある程度入ってますが,表面的なヨゴレのわりには,やはり少なめです。
 墨書の類はナシ。接合部や,内桁の孔をあけたところの周囲に番号・指示記号や線みたいなものはありますが,特に文章になっているような書き入れはありませんね。「浅草の観音様の下にこの世のすべてを隠してきた。」みたいなメッセージでもあったら良かったのに(w)----指示線はぜんぶ墨書きです。

 側板は薄めで4枚とも均等に形が揃ってますし,音孔なんかも指示線内きっちり同じようなカタチで貫いてあります。
 数打ちの楽器では手抜きされることの多い内部構造ですが,各部ともに仕事が丁寧ですね。
 響き線は楽器垂直方向の中心あたりから,下桁ギリギリのあたりまで,ごく浅いカーブを描いて伸びています。線が若干太めな気もしますが,このあたりは二記山田の楽器でも同じです。
 響き線の基部は小さな花梨か紫檀の角材。大きさは 11x15xh.15 くらい。側板の内壁に,かなりの量のニカワでがっちり接着してあります。響き線自体の固定は基部に穿った孔に直挿し。とはいえ,たぶん先端を潰すかして突っ込んであるんだと思います。しっかりと固定されていますね。後代の月琴だと,ここは大きめの孔を穿って線を挿し,四角釘や竹釘を添え打ちして止めていることが多いんですが,これにそういうものは見当たりませんね。

 線の長さや基部の取付け位置は,山形屋や柏葉堂等ほかの関東の作家とあまり変わりありませんが,ほかは上画像のように,弓なりになっているのがふつうで,この清琴斎のような中途半端な曲がりのものはほかで見たことがありません。直線・曲線ともにメリット・デメリットがあり,その形状でそれぞれの作家さんの目指す「音」が見えてくるところですが,正直このていどの曲がりなら,いッそ石田不識や鶴寿堂のように直線を斜めに挿したほうが加工や調整もラクだし,効果も高いんじゃないかとは庵主個人的に思います。

----といったところで,今回はここまで。

(つづく)


月琴WS@亀戸!2024年11月!!!

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斗酒庵 WS告知 の巻2024年 月琴WS@亀戸!11月!!!


*こくちというもの-月琴WS@亀戸 ろうどうに感謝するWS のお知らせ-*


   起てバンコクのろうどう者。

 2024年,11月の月琴WS@亀戸は,きんろう感謝の日・23日(土)の開催予定です。


 会場は亀戸 EAT CAFE ANZU さん。
 いつものとおり,参加費無料のオーダー制。
 お店のほうに1オーダーお願いいたします。

 お昼さがりのゆるゆる開催。
 美味しい飲み物・ランチのついでに,月琴弾きにどうぞ~。

 参加自由,途中退席自由。
 楽器はいつも何面かよぶんに持っていきますので,手ブラでもお気軽にご参加ください!

 初心者,未経験者だいかんげい。
 「月琴」というものを見てみたい触ってみたい,弾いてみたい方もぜひどうぞ。


 うちは基本,楽器はお触り自由。
 1曲弾けるようになっていってください!
 中国月琴,ギター他の楽器での乱入も可。

 特にやりたい曲などありますればリクエストをどうぞ----楽譜など用意しておきますので。
 もちろん楽器の基本的な取扱いから楽譜の読み方,思わず買っちゃった月琴の修理相談まで,ご要望アラバ何でもお教えしますよ。個別指導・相談事は,早めの時間帯のほうが空いてて Good です。あと修理楽器持込む場合は,事前にご連絡いただけるとサイワイ。

 とくに予約の必要はありませんが,何かあったら中止のこともあるので,シンパイな方はワタシかお店の方にでもお問い合わせください。
  E-MAIL:YRL03232〓nifty.ne.jp(〓をアットマークに!)

 お店には41・49号2面の月琴が預けてあります。いちど月琴というものに触れてみたいかた,弾いてみたいかたで,WSの日だとどうしても来れないかたは,ふだんの日でも,美味しいランチのついでにお触りどうぞ~!


 「65号の修理は…"順調"。」
 佐官:「はぁ?」
 庵主:「"順調",だ。上には "順調",とだけ報告しておけ!…シベリアで凍ったピロシキを食べたくなければな。」

 ----というほどには苦戦してません。メンテと魔改造のため64号ちゃんが帰ってきてます。同時進行中です。



月琴65号 清琴斎初記(2)

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斗酒庵,春秋を思ふ の巻2024.4~ 月琴65号 (2)

STEP2 むすめさんの若いころの通り名,「月下の美人」だったってよ。

 前回は,長々と作者の人物伝を掘り下げましたが----ああ,そうそう。頼母木源七の楽器工房を継いだ,清琴斎二記・山田縫三郎については,こちらの記事をごらんください。

    「月琴の製作者について(3)」

 さて,では今回の楽器の解説に戻りましょう。

 主要な寸法は以下----

 全長:660(除蓮頭)
 棹長:295( 〃 )
 胴幅:縦355,横357
 胴厚:37
 有効弦長:425(山口欠損のため推測)

 さすが師弟,過去に扱った山田清琴斎の楽器の資料と見比べたら,寸法とかあちこち合致してますね----なに,同じ楽器なんだからあたりまえ? ふッ…昔の国産月琴,ナメたらあかん。何面か扱ったら分かりますよ。(泣)

 この楽器,みんなほぼお金のため,ナリフリ構わず大量生産してるもンですから,材料や工程のコスパ的な関係で工作の差がヒドく,同じメーカー同じヒトの作でも,寸法が平気で5センチくらい違っちゃったりするんです。あ「ミリ」じゃないですよ? 「センチ」ね。

 見てるとね,その理由も……あ~節があったからここで切っちゃったんだな,とか。ああ,端材で無理矢理でっちあげたんでこの寸法かあ----とか,プロの仕事にはあるまじき&「楽器」の工作とすると考えられないような,すぐ分かるようなのが多くて。
 これだけばっちり合致したりすると,庵主的には逆になんかコワくなったりしますが。これは考えてみますと,他のメーカーが部材の整形から組上げまでほぼ家内制手工業の手作業なのに対し,頼母木さん・山田さんのところは,規模は小さくても機械工作を取り入れ,部材を画一的に加工していたからなのでしょう。
 前回引いた伝にもあった 「月琴の高価なるに着眼して是を廉価に売出せし」 ということのできた理由が,まさにコレですね。手の仕事はワンオフのものを作るのには最適ですが,同じものを大量に,しかも安価に作るとなるとやはり機械にはかなわないものです。
 サイズ的なところはほとんど同じ,何らかの近代的な工作機械で加工してる部材の正確さや,接合の緻密さも同じではあるのですが,それでもやはり違いはありますね。

 棹各部のラインや糸倉のアール,飾りや,半月の加工も----初記のほうがやや繊細。
 二記のほうがわずか武骨で,比べるとやはり各部の工作に粗さが目立ちます。


 思うに,頼母木さんのころはまだ,基礎的な加工を機械でやれちゃってるぶん,安価にしても仕上げや装飾に回せる余裕があったんでしょうが,山縫になってからは,流行の加速と生産量の増大で,そのあたりができなくなったんじゃないかと。機械を入れるとヒトは楽になるか,と言えば,そうとも限らないっていう,現代社会の病巣例のひとつでしょうか。(おお,社会派)

 トップナットの山口もフレットも,棹にへっついているものは尽く後補ですね。

 山口っぽい角材表面に溝状の擦痕が残ってますから,実際に使ったかどうかは分からないものの,何らかの糸を張ってみたのは間違いないでしょう。
 工房到着時,糸巻は四本ささってましたが,そのうち二本は三味線の糸巻を改造したものでした。残りの二本は間違いなく月琴のもので,加工から見てたぶんオリジナルで間違いなさそうですね。

 あと糸倉のてっぺんに付いてる,このまあるいお飾りですが。

 コレなんでしょうねえ----まあ鯛なんでしょうけど。初見で思わずゴッコさん(ホテイウオ)を思い浮かべちゃいましたよ。ゴッコ鍋…美味しいんだけどねえ…あのヘドラの幼体みたいな見た目と,さばく時の感触がなんとも……SAN値下がる系なんですよ。(請検索&試食)

 棹材はタモかな?

 指板もなくシンプルな作りですが,弦池(げんち-糸倉の内がわ)のところは天に間木をはさめない彫り貫きになってます。今は薄い色をしてますが,もとはスオウ染がされていたらしく,糸倉の先の方やうなじのあたりに濃い色が少し残ってます。棹裏の褪色具合が,なんかヴァイオリンの使い込まれたのっぽいなあ----とか思いましたが,そういやこの人,ヴァイオリンも作ってたんだっけね。

 延長材はヒノキかスギ…たぶんヒノキでしょう。
 接合部はしっかりしてますね。

 同時代の楽器の中ではやや厚めの胴体,ここも二記と同じです。関東の月琴は,石田不識など鏑木渓菴の自作楽器の工作を受け継いだと思われる作家の影響で,棹が長く,薄めの胴体になってることが多いのですが,そのなかではちょっと異色です。
 月琴のこの胴体側部は,四枚の部材を組み合わせて作られているんですが---すごいですねこの工作精度---木目もわりと合わせてあるみたいで,かなりしっかり見ないと,継ぎ目が見つかりません。

 表板は水がかかるかしたらしく,真ん中あたりを境に,下半分が水ムレで少し薄くなっちゃってますね。また,表裏板とも下部・地の板を主として周縁にハガレや段差の出来ているところが見受けられます。

 胴上のフレットはオリジナルのようです。骨か象牙か分かりませんが,細めでしっかりした作りです,左右の菊のニラミと5・6フレット間の四角いお飾りは,染め木じゃなく,唐木の類で作ってあるみたいですね。前回書いたよう,源七さんは楽器商としてだけではなく,唐木細工師としても都内で「名工」と呼ばれる人だったみたいですから,やや小さめで,比較的シンプルなデザインではあるものの,このへんはきっちり作ってるみたいです。

 半月もたぶん唐木製ですね。細い毛彫りの溝に,薄く削った骨か象牙の板を埋め込んで簡単な象嵌を施してます----じつに繊細な細工ですね。この半月のみ二記の作と大きく寸法が違ってます。といっても差はまあ1センチないくらいですが,初記のほうがやや小ぶり,でも糸孔の間隔は初記のほうが広めなんですね。どちらも楽器のレギュレーション的には問題のない寸法ですが,使用感にかなりの差が出ると思うんで,そのあたりは修理が終わってから,実際に演奏して確かめてみましょう。

 表裏板の数箇所に虫食いが見えます。

 とくに表板中央のと,裏板向かって右がわのが重症なご様子。そのほかにも数箇所,虫食いで弱ってる部分がありそうです。
 被害の目立つのは主に小板の接ぎ目ですが,これが横方向にどれだけ広がっているかによって,修理の方針がぜんぜん違ってゆきますねえ。

 どうか----あんまりヒドいことになってませんようにッ!


(つづく)


月琴65号 清琴斎初記(1)

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斗酒庵,春秋を思ふ の巻2024.4~ 月琴65号 (1)

STEP1 運河を掘ってお城のお堀を埋めた人の楽器が来たよ。

 ちょー久しぶり の自出し月琴,65号。
 楽器自体は春先に落札してたのですが,今年前半はずっと,ウサ琴EX3の製作や清楽DBのほうに邁進してましたしね,夏の間…というより9月・10月になってもこの暑さ----超エコ動力エアコン「大自然」装備の我家では抗う術もなく,この頃になってようやく調査にまで漕ぎ着けました次第。


 さて,楽器はスマートな国産月琴。

 裏面のラベルから作者は 「清琴斎初記」 と分かっております。
 清琴斎----その作者の楽器は,このブログでも何度となく登場しておりますが,それらはすべて「二記(二代目)」山田縫三郎,山田楽器店の作でありました。
 今回の楽器は「初記」,すなわちその山田縫三郎のお師匠さん。
 「頼母木源七」の作なんですね。

 頼母木源七----音楽関係で調べてゆきますと,その名前は 「国産ヴァイオリンの最初期の製作者」 の一人として出てきます。娘の駒子さんは最初期の日本人ヴァイオリニストで上野の音楽学校で長年その教授を続け,数々の演奏者を育て上げた才媛。その娘婿となった頼母木桂吉は,後に政治家として逓信大臣にまでのぼりつめた人物です。

 源七さん自身の肖像や,詳しい伝記は見つかりませんでしたが,娘さんや婿さん,あとその二人の養子にあたる真六さんもみな一廉の人物なので,そういう家族の伝の中から探っていきますと,『東海三州の人物』(伊東圭一郎 T.3)という本に,源七さんについての言及が見つかりました----この記事,そもそもは娘の駒子さんの紹介記事なんですが……筆者,お父さんのほうにかなり筆が寄っちゃってますねえ。


…翁(*源七)は本県珍物伝中の人物にして,駒子の音楽家と為れるも亦た翁の境遇に負ふ所尠からず。翁は素と浜松の下駄商にて可也の資産家なりしが,或は運河の開鑿を企て,或は城濠の埋立を為し又は新聞を発刊して,家産を蕩尽し,落魄して上京せり。然れども生来,世話好きなる翁は米櫃空虚となるも平気の平左にて書生を養い,下谷の困窮生活時代の如き,妻君の分娩する場所なく已むなく隣家の空家で産落としたるが是れ駒子也。而して翁は其後職業を捜がし,当時流行せる月琴の高価なるに着眼して是を廉価に売出せしかば忽ち繁盛し,幾許もなくヴァイオリン其他音楽一式を大規模に製作する事となり,駒子も自然と音楽に親しむ様になれり。
   (伊東圭一郎『東海三州の人物』「洋楽壇の二才媛」より)

 おぅ…なかなかにトンデモな前半生……有難いことに,月琴を作るようになった経緯もさらりと書かれてますねえ。石田不識や田島真斎みたいに,自身も清楽家だったりした人をのぞけば,まあ,みんなだいたいこういう理由だったんでしょうねえ。流行り物は流行ってる時ならどんなものでも作れば売れます。やっぱりお金,お金はすべてを解決するんです!(w)
 もとは下駄屋かぁ……金玉均(朝鮮開明派の政治家・活動家)の伝記で「東京で有名な唐木細工の名工」とか言われちゃってるから,庵主,唐木細工師の出身だと思ってました…まあ,どちらも木を扱う細工の仕事,ってあたりはいっしょか。

 まあこの『東海三州の人物』はそんなに真面目な本でないので,面白おかしくするためこんなふうに書いてるんでしょうが。「運河の開鑿」てのは明治4年からはじまった「堀留運河」のことでしょうね。浜松から浜名湖を経由して遠州灘に通船させる工事でした。公方さんといっしょに静岡に落ちた士族の困窮対策も兼ねた公共事業だったようで,当時裕福だった源七さんの家も,地元の有力者として協力したのでしょう。「お城の濠」云々ですが,浜松城は明治6年に破壊,本丸以外の土地が売却されてますから,その時の話しなんでしょう----たぶんもとお城の土地を買った,程度の事だったんじゃないかと。7年生まれの娘の駒子さんの出生地が浜松になってますから,少なくとも明治の初年ごろは,浜松に住んでいたようです。推測しますに,「放蕩」というよりは,家でやっていたこうした投資が焦げ付くかして家が傾いたもので,べつだん源七さん本人が「うっひょ~い!」と運河を掘りに行ったり,「ひゃっはーッ!」とシャベル持ってお城のお堀を埋めようとした,というわけではなさそうですよ………たぶん。
 でもまあ言うなら,娘の駒子さんと婿の桂吉さんのなれ初めも,なかなかヒドい(wwほめ言葉)。

  頼母木桂吉と駒子夫人
その頃(*明治三十年代),新聞社に頼母木源七という人が訪ねて来た。この人は明治二十二年四月十四日の「読売」に……広告をだしたこともある楽器師だった。社を訪ねた用件というのは,音楽学校を出た娘に婿を貰いたい,案内広告に出して欲しいということだった。その時,応対したのは職業案内欄を担当していた井上慶吉だった。話を聞いているうちに「なんなら僕が行きましょうか」ということになり…
   (『案内広告百年史』読売広告社年史編纂室 1970)

 うむ……そもそも娘さんのお相手を新聞広告で募集しよう,ってなるあたりに何やら腑に落ちない感はありますが,すわ,未公開優良物件,と見て,すかさずゲットしたほうも目敏い----当時の記事からすると 「月下の美人」 と呼ばれてたそうですからね,駒子さん。
 この新聞社の案内広告担当・井上慶吉が後の頼母木桂吉で,後にこのことを同僚に冷やかされても「案内広告の良いことを,身をもって実践してみせたまでだ」と言って笑い飛ばしてたそうな。まあ源七さんも新聞発刊したりしてた人だからもともと新聞社とは縁があるし,下谷の困窮時代にも書生の世話をしてたとかもあるので,当時そのあたりの,桂吉さんくらいの年の若者たちにとっては顔だったでしょう----ですので,まったくの初対面でこうなったとも思えませんが,後に大臣にまでなる男,この養父にしてこの婿あり,ではありますな。

 ちなみに,この記事の最初に書いてある明治22年に出した広告は,楽器に関することではなく「ある日用品を大量生産できる特許をとったが,都合により専売権を譲りたい」というもの。ここに「金属を以て手軽に製造し」とあるんですが,これが「金属製品を」という意味でなく「金属機械で」の意味だとするなら,常々言っているよう,この人やその後継・山田縫三郎の楽器が,おそらく「西洋式の工作機械で作られている」という庵主の推測の証左となるんですが……まあ金属製品の製造についてのことだったとしても,やっぱり金属も加工できるような機械があったんでしょう,とは考えら得られますな。
 ちな2,こういうヒトの陰で絶対とんでもなく苦労したであろう奥さんの名前は「みせ」さん,弘化2年12月生まれというから夫婦ともに同じ世代。出身地も同じようなので幼馴染かなんかだったかもしれませんな。後に楽器店を継ぐ山田縫三郎も浜松の出ですので,彼も師弟となるにあたってはどちらかの実家の地縁などがあったのでしょうね。

 山田縫三郎のほうの伝によれば,頼母木源七が楽器店を譲ったのが明治28年(1895),理由は「老年を以て」となってますが,この時,源七さんは五十代のなかば。確かに江戸~明治のころの感覚では,孫もいて隠居するような歳ではありますが。上の記事に出てきた娘の駒子さんの結婚はここから十年近くも後ですし,本人かどうか確認はとれてませんが,明治30年代に亀戸までの乗合自動車の運営をはじめた人物に同じ名前の人がいたりもしています----そもそもその前半生から見て,この人が「楽隠居」なんかするとは考えづらいですねえ。
 例の新聞広告を出したのと同じ年,月琴はすでにけっこう売れていたでしょうし,『東京諸職業道案内』にも「クラマエ片丁十八バンチ 明清欧州楽器 頼母木源七」と広告を打てるぐらいにはある程度儲かってたと思われるんですが,それでも新事業を展開しようとしてたくらいです。『東海三州の人物』の書きようほどではないにせよ,多分に山師的なところもあったのでしょう----たぶん死ぬ直前までなんかいろいろやらかしてたんだろうなあ,とは思っています。(w)

 上野の芸大には源七さんの作った清楽器が一セット所蔵されているみたいです。いずれずらっと見てみたいところですね。


(つづく)


月琴WS@亀戸!2024年10月!!!

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斗酒庵 WS告知 の巻2024年 月琴WS@亀戸!10月!!!


*こくちというもの-月琴WS@亀戸 かんなづきWS のお知らせ-*


   2024年,10月の月琴WS@亀戸は,菊花賞前日・19日(土)の開催予定です。

 会場は亀戸 EAT CAFE ANZU さん。
 いつものとおり,参加費無料のオーダー制。
 お店のほうに1オーダーお願いいたします。

 お昼さがりのゆるゆる開催。
 美味しい飲み物・ランチのついでに,月琴弾きにどうぞ~。

 参加自由,途中退席自由。
 楽器はいつも何面かよぶんに持っていきますので,手ブラでもお気軽にご参加ください!

 初心者,未経験者だいかんげい。
 「月琴」というものを見てみたい触ってみたい,弾いてみたい方もぜひどうぞ。


 うちは基本,楽器はお触り自由。
 1曲弾けるようになっていってください!
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 特にやりたい曲などありますればリクエストをどうぞ----楽譜など用意しておきますので。
 もちろん楽器の基本的な取扱いから楽譜の読み方,思わず買っちゃった月琴の修理相談まで,ご要望アラバ何でもお教えしますよ。個別指導・相談事は,早めの時間帯のほうが空いてて Good です。あと修理楽器持込む場合は,事前にご連絡いただけるとサイワイ。

 とくに予約の必要はありませんが,何かあったら中止のこともあるので,シンパイな方はワタシかお店の方にでもお問い合わせください。
  E-MAIL:YRL03232〓nifty.ne.jp(〓をアットマークに!)

 お店には41・49号2面の月琴が預けてあります。いちど月琴というものに触れてみたいかた,弾いてみたいかたで,WSの日だとどうしても来れないかたは,ふだんの日でも,美味しいランチのついでにお触りどうぞ~!


 夏休みのしくだいを提出にむけてまとめちゅう。

 データ入力した清楽譜とか,復元した曲とか,古い関連資料の現代語訳とか。
 そのほか,春に落札した65号・清琴斎初記の調査計測も開始。

 稼ぎ仕事もあるんで,修理に入れるのは何時になることかですが,まあ気長に情報お待ちください。


月琴WS@亀戸2024年9月ぅ!!!

202409.txt
斗酒庵 WS告知 の巻2024年 月琴WS@亀戸!9月!!


*こくちというもの-月琴WS@亀戸 帰還場所 のお知らせ-*


   2024年,はずかしながら、内地に帰ってまいりましたあー9月の月琴WS@亀戸は,28日(土)の開催予定です。

 1ト月半、北の大地で次々と襲いくるなぞの人食い植物や、可愛らしい容貌で油断させて脳漿を啜ってくる人食いシマエナガと闘っておりました。自然は、敵だ!!(庭仕事、ともいう)
 会場は亀戸 EAT CAFE ANZU さん。
 いつものとおり,参加費無料のオーダー制。
 お店のほうに1オーダーお願いいたします。

 お昼さがりのとろとろ開催。
 美味しい飲み物・ランチのついでに,月琴弾きにどうぞ~。

 参加自由,途中退席自由。
 楽器はいつも何面かよぶんに持っていきますので,手ブラでもお気軽にご参加ください!

 初心者,未経験者だいかんげい。
 「月琴」というものを見てみたい触ってみたい,弾いてみたい方もぜひどうぞ。


 うちは基本,楽器はお触り自由。
 1曲弾けるようになっていってください!
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 もちろん楽器の基本的な取扱いから楽譜の読み方,思わず買っちゃった月琴の修理相談まで,ご要望アラバ何でもお教えしますよ。個別指導・相談事は,早めの時間帯のほうが空いてて Good です。あと修理楽器持込む場合は,事前にご連絡いただけるとサイワイ。

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