柏遊堂5 パラジャーノフ (6)

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斗酒庵いろいろみろり の巻2018.6~ 柏遊堂5 (6)

STEP6 告白

 さてさてさて,こんどこそ組立てこんどこそ仕上げ……
 お願い!もうナニも起こらないでえッ!!!(泣)

 色の褪せてた側板を染め直します。
 指板と同じくスオウ染めミョウバン媒染。乾性油を染ませて乾いたところで柿渋塗布。ロウ磨きで仕上げです。

 同時進行で再びのフレッティング。
 まずはオリジナル位置にフレットをたてた時の音階を----

開放
4C4D+104E-434F+114G+114A+55C-C#5D+125F+24
4G4A+44B-425C+95D+145E-145G+215A+86C+14

 棹角度をかなり変更しているので,数値は参考程度のものとなります。
 第2フレット,開放からの第3音が半音近く下がってますね。毎回書いてるように,この音が若干低いのが清楽の音階の特徴の一つなんですが,これはさすがに下がり過ぎ。そのほかの部分は最大でも誤差が20%,だいたいは10%代でそろってますから,これもまた先の初代不識・61号同様,西洋音階に比較的近い並びになっていたと思われます。

 原音階の調査後,チューナーを使って西洋音階準拠で立て直してみると,第3フレットの位置がけっこう大きくズレ,フレットの丈が合わなくなってしまったため作り直しました。第2・3フレット間は間隔がせまいため,高さの差が一定以上になると押さえにくく,音を出しにくくなってしまうのですね。2枚のフレットがほとんど同じ高さ,わずかの差になってないとフェザータッチでの発音が実現できないんで,ちょっと難しいところです。

 で,第3フレットの丈が高くなると,こんどは従前の高さに合わせていた第4フレットがガクッっと低くなっちゃうのは理の自然----これも作り直し(^_^;)
 月琴のフレットは丈が高く,また棹に角度もついてる関係で,フレットの高さは単純な減衰線を描きません。この楽器は関東風の作りですので第4フレットまでが棹の上ですが,だいたいはこの第4~第5フレットのところでガクーッと丈が低くなります。今回は第3フレットがわずかに移動して高さが変わった関係もあって,ガクーッと低くなるポイントが,第4から第5フレットに移ったということですね。単純な構造の楽器ではありますが,このあたりは実に微妙なものです。

 第3フレットは尺合調(D/G調弦)の時,第4フレットはふだんのC/G調弦の時の糸合わせに使われるため,正確な音程の求められる大事なフレットですし,ここらのフレットの高低差がうまい具合になだらかになっていないと,正直かなり弾きにくい楽器になっちゃいますので,位置と高さの調整では特に気を配る箇所----ここまできてこんくらいの手間ならもう「三歩進んで五歩さがる」とか言っておられません(w)

 こちらも61号同様,そのままだと若干半月での弦高が高いようなので,オリジナルの音階を測った後,半月に象牙の端材でゲタを噛ませ,1ミリほど弦高を下げました。山口の丈は削ってないので,低音域ではほとんど変わりませんが,高音域でフレットと糸との間がぐっと近くなるので,運指への反応や音の安定が改善されます。

 調整の終わったフレットは表面をよく磨いて,染め汁にドボン。一晩漬け込みます。
 翌朝これを取出し乾かした後,薄目に溶いたラックニスを染ませてさらに2~3日乾燥。竹のフレットは,唐物・国産通じて月琴でもっとも一般的なもの。調整や加工はラクなんですが,けっこう手をかけないといかにも安っぽく見えてしまいますので「作った後の作業」のほうがタイヘン(w)かもしれません。唐木や骨・牙の類だと,だいたいは磨けばそこで作業終了ですもんね。

 フレットの仕上げ作業とほぼ同時進行で,お飾り類も染め直します。
 この楽器のお飾りの材はホオの薄板ですね。スオウで染めてありますが,色褪せちゃって白っぽくなっちゃってました。スオウをかけてオハグロで鉄媒染。ごく軽く油拭きした後,ラックニスをタンポ塗り----ザクロの色が甦ります。

 仕上がったフレットとお飾り類を接着し,板の補修個所にちょちょいと補彩を施して。

 七夕前日の2018年7月6日。
 依頼修理の柏遊堂,修理完了しました!

 ふだんですとそれほど差はないんですが,今回の楽器では修理前の画像とくらべると,棹の傾きがけっこう変わってるのが分かりましょう。

 いつも書いてるとおり,キレイなバラにはトゲがあり,キレイな古物にゃアラがある----の典型的修理でした(w)  いや,今こうして見比べてみても思うんですが,修理前の状態,ほんとにキレイなんですよね。フレットは数本とんでますが,糸巻もそろってるし一見そんなに汚れてない。
 けれど修理前の画像とノートをあらためて見かえしてみますと。
 この楽器,表裏板の清掃の時の観察から,本体にほとんど使用痕がなかったにもかかわらず。表板の下縁部と棹の左右あたりが妙に黒ずんでいました。ふつうだとこれは使用による手擦れなのですが,すでに書いたように表板には楽器として使った痕跡----バチ痕等が見えないわけですから,何かがオカシい…今にしてみればこれ,古物屋さんによる「修理」の痕跡だったわけですね。おそらくは汚れた状態で補修作業をした際に,接着に使ったニカワがゆるすぎてこぼれたりあふれたりし,それが滲みて清掃前の汚れが残ってしまっていたのではないかと。
 やれやれ…ボンドべったりにくらべると手間は少なかったものの,今回も素人古物屋さんの仕業に苦しめられた修理でした(w)

 音は国産月琴らしい,コロコロとした,耳触りの良い素直な音がします。
 普及品レベルの楽器なのでドスも効きませんし,音量や音の深みはさほど出ませんが,細い響き線の効きはよく,直線特有のすーっと減衰してゆく余韻がキレイにかかります。線鳴りは少ないほう,けっこう崩れた姿勢で弾いていても,響き線はそれなりに効いてます。
 演奏姿勢にあまり制限がないのと,棹およびフレット周りの調整をしつこくくりかえしたおかげで操作性は上々。糸を押しこまなくてもほぼフェザータッチで発音されます。

 あとバチ布に貼った「荒磯」,以前の修理で複数作ったのの最後の一枚なんですが,これがバッチリはまった感じでよく似合いましたねえ。(自己満足www)

 いちおう注意点も書いておきますと,再接着に妙に手古摺った棹基部とあたらしい延長材のあたりに若干不安が残ります----これはどうやら木の「相性」に由来するらしいので今ひとつどうなるかハッキリしません。調弦がうまくいかないだとか,糸張ってるとなんか棹が持ち上がる,みたいな症状が出たらこのあたりの故障が原因ですのですぐにご連絡ください。
 あとは虫食いを補修した糸巻がある日突然ポッキンとなるかもしれませんが,このあたりはそうなってからでないと次の対策がたてられませんので,今のところはむしろぶッ壊してやるおつもりで,気にせずガンガンと弾いてやってくださいね。

(おわり)


柏遊堂5 パラジャーノフ (5)

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斗酒庵いろいろみろり の巻2018.6~ 柏遊堂5 (5)

STEP5 村いちばんの若者

 この期におよんでクギ?
 …クギとなッ!?


 月琴の修理はなにしろ,演奏不能な「古物」の状態からの出発。演奏可能な状態になってみてはじめて分かるような不具合も多々ございますが,じっさい,こんな仕上げの間際になってこれだけの事態が見つかるのは珍しい。
 あわててもう一度全体を調べ直しましたが,打たれてたクギはどうやらこの2本だけのようです----よかったぁ。
 こういう素人修理で打たれた鉄釘は楽器にとって癌の腫瘍であり最悪の病巣,さッさと摘出して適切な手当てをしとかないと,無限に近いはずの楽器の寿命が大きく縮んでしまいます。
 まずこれを打ったヤツ(もう逝ってるかもしれませんが)に, ギックリ腰と足の小指の付け根に魚の目20年分の呪い をかけた後,修理に入ります。

 釘は細いものですが,細工釘とかではなくふつうの鉄釘ですね。打たれてからけっこう年月が経っているらしく,サビが板のほうにも滲みだしています。
 ふぅッ----とアタマの中に40号クギ子さんの悪夢が甦りました。

 とにもかくにも。頭を落としてあるのでそのままでは抜き出せません。
 1本はアートナイフで釘の周縁の板を彫り込みペンチで引き抜きましたが,もう1本は芯まで腐っており,ペンチではさんだとたん一瞬で砕け散る始末。側板に入ってる部分ももはやほとんどクギといえるような形状を保ってはいないようです。こちらはもう引き抜くのを諦めて,2ミリのドリルで赤錆のカタマリごとほじくりました。
 ドリルからあがってくる粉が,もう木の色じゃなく鉄の粉の色になってましたわい。

 この釘打ち補修箇所と,最初のほうでやった表板の虫食い補修箇所のうちもっと大きな二箇所は,パテ埋めだけだとちょっと目立っちゃうので,もう一手間かけることにしました----右画像は過去の修理において虫食いで除去した古い板。中のほうは食われてスカスカ,皮一枚になっちゃってますが,これのその「皮」の部分を使います。
 パテ埋めした箇所の表面を少し削り,この「皮」を移植。接着してあとで平らに均します。
 キレイに直そうと思うなら本来こうするのが本式なんですが,比較的直線的な食害痕にしか使えないのが玉に瑕。複雑なグニャグニャ溝や,細い食害が集中しているような場所だと却って目立っちゃうのが欠点ですね。

 さて,最期のほうで思わぬ事態も発生しましたが,これで胴体の修理も今度こそ完了!
 仕上げに向けて進んでゆきましょう----と,心根もあらたに組み立て,フレッティングまで進みましたところ。
 おや……フレットがなんだかずいぶん左右非対称になるなぁ。
 棹の調整は3度もやりなおし,棹の傾きもバッチリ。指板の端と表板の接合部だって面一で触っても接合部が分からないくらい……段差なんかないし傾いてもいないハズですよ?
 ははあ,こりゃオリジナルの山口の加工がまずってたのかな,と我点してお尻のがわから糸倉のほうを眺めてみた結果。

 ………棹が,ねじれてます。(泣)

 それも根元先端から全体的に,ではなく棹のちょうど真ん中らへんから左方向へ回転するような感じで。

 うわああぁぁあん!

 まあ「棹のねじれ」ってのは,糸倉の頭からなかごまで一木作りの不識の楽器などではけっこうある事態なんですが,月琴の場合,三味線やギターと違って棹が極端に短いし,弦も絹糸が主なので,弦圧によって棹が変形するといった故障は滅多にありません。ましてやこのレベルの普及品の楽器では棹はホオやカツラといった,木材としては軟らかいが比較的安定した材料が用いられます。スゴいテンションでギリギリに糸張り続けたとか,棹のほうを下にして置いて上に荷物載せてた(w)とかいうような事態でもない限り----あ,そういえばこの楽器,棹と胴がホオじゃなくエンジュかトチだったか……狂いの度合いについては知らないけど,エンジュはたしか乾燥の難しい材だったはずだ。
 くーそー。

 今度はいちど,フレッティングのとこまで進んだんですが(泣)
 いちど棹を抜いて4度目の棹調整作業に入ります。
 測ってみたところ山口の上辺左右に傾きはありませんでした。棹のねじれが製作当初からのものだとすれば,この山口の左右も傾けてあるはずですので,このねじれは無使用保管中に生じたものと推測されます。
 まずはこの山口の上辺を基準として,棹指板面と胴表板面が面一になるよう調整をします。

 棹の基部を削ったりツキ板を貼ったりして,お尻がわから見た時,山口上辺と半月の上端が平行になるよう,左右の傾きを調整すると,胴との接合部のところで,ねじれのぶん指板の左がわがもちあがりました。そこで棹を挿した状態でこれを削り,指板面と表板を面一に近づけます。
 意外とけっこうなねじれで,ギッチリ合わせると1ミリ近く削らなきゃならなくなるようだったため,削り直しはほどほどのところで止め,あとは棹上のフレットの左右をわずかに傾けることで対処することにしました。あんまり削ると今度はせっかく直した棹の傾きとか,棹自体の操作性に影響が出そうでしたので。これでも最初の状態よりははるかにマシになってますし,器体への影響も考慮するとこのあたりが限界,棹自体の材取りおよび工作のマズサせいもありますので,これ以上は新材で棹ぜんぶ作り直しちゃったほうが早いかと。

 調整を終えた棹の指板面,染めがすっかりハガれて木地がでちゃってますので染め直しです。
 刷け塗りだと時間と回数のかかる分,水気が内部まで滲みてまたぞろねじれの原因ともなりかねませんので,濃いめの染料をたっぷり刷いてラップがけ。部分的に,イッキに染め上げます。
 ミョウバン媒染でも同じようなことをし,発色後,乾燥させて油拭き,油が乾いたところで柿渋塗布,ロウ磨き仕上げ----修理前の状態だとスオウがだいぶん褪せちゃってたんですが,製作当初はこんな感じの色合いだったと思いますね。

 仕上げ直前でつぎからつぎへと襲いくる不具合!
 ううむ…これぞまさしく「三歩歩いて五歩さがる」のノロイ。(汗)


(つづく)


月琴61号 マツタケ (終)

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斗酒庵いろいろみろり の巻2018.6~ 月琴61号 (終)

STEP5 香りマツタケ味シメジ

 さて,組立てです。
 今回は7枚残っているオリジナルのフレットが,材質も加工も良いのでそのまま使おうと思うのですが,量産期の月琴のフレットというものは,寸法表とか型みたいなものに合わせ本体とは別口で作られていたらしく,歩留まりを少なくするためかなり低めに作られています。

 庵主がいつもやっているよう,実器合わせでフレットを削り,頭を糸のギリギリにすると,運指も楽になるし音も正確に出せ理想的ではありますが。量産を考えると,それぞれ一面ごと各8枚のフレット一枚一枚,精密に調整・加工するというのは手間も時間もかかって大変です。しかしそういう理想的な設定の数割ていど全体均等に低く作れば,運指のなめらかさや音の正確さはいくぶん失われますが,寸法表に合わせるていどの大雑把な加工でも,楽器本体に工作の誤差が多少あっても使用可能なフレットをあらかじめ大量に作っておくことができます。あんまり低くしすぎると糸の押し込みのせいで音程が狂ってしまいますが,「どの楽器につけても(さほど)支障が出ない」というくらいのレベルのものなら,さして難しくはなかったことでしょう。
 当時は今と違って音を視覚的に,正確に把握できるチューナーみたいな道具もなかったですし。フレットの位置(=音階)はだいたいのところが合っていればよく,高さはとにかくビビリが発生しなければヨイ,といった認識だったんだと思いますね。

 まずは山口とフレット,あと補作した第6フレットを並べ,オリジナルの音階を調べます。

開放
4C4D+124E-114F+144G+124A+75C-145Eb-245F-5F#
4G4A+104B-105C+115D+145E+25G-175A+456C+20

 初代不識の楽器…というより渓派準拠の楽器は,関西のものや唐物月琴に比べるともともとやや西洋音階に近い設定になってるのが特徴です。実際,下のようにオリジナルとチューナーできっちり西洋音階準拠に並べ替えた時の画像をならべてみても,ほとんど差異が分かりません。この楽器もEをのぞけば,全体10%高いくらいですもんね。この開放からの第3音が低いのは清楽の音階の特徴ですが,このくらいだと実際に弾いてみても音階的にそれほどの違和感を感じません。東京あたりはいち早く西洋音楽が流入して広がっていったので,そういう影響もあったかもしれませんね。

 さてさて,補作の山口が高さ12ミリで,棹の傾きが約3ミリ。オリジナルの工作だと,半月での弦高が意外と高くて 8.5ミリほどのところから糸が出てました----もうちょっと下になると思ってたんですが----これで糸を張ったら弦高は表板の水平面とほぼ平行になりました。

 楽器の設定としてはこれでもいいんですが,最初に書いたようにフレット自体が理想値より低めに作られているため,このままだと第1フレットの頭から糸までの間が2ミリちょい,最終フレットでは5ミリ以上も開いてしまうんですね。この半分ていどならまあ許容範囲なのですが,さすがにこれではどこのフレットでも糸をいちいち押しこまなければならず,音が安定しません。
 糸のコースも理想としては,山口のほうが1~2ミリほど高く半月に向かってゆるやかに下ってゆくようになってるのが良いんですが。山口はもともとこれでも高めの設定。また現状,第1フレットからしてすでに低すぎる状態ですから,これ以上山口のほうを高くしても,スキマが開くだけになってしまいます。

 いちばんカンタンな解決法は,現在の弦高に合わせてフレットを全部作り替えちゃうことなんですが(w),今回はこのオリジナル・フレットを活かそうという主旨なので,楽器本体のほうにいささか手を加えることとします。
 まずは半月にやや厚めのゲタを噛ませました。材は黒檀。これで半月での弦高は 7.5ミリと約1ミリ低くなり,あとは第1フレットに合わせて山口の底を1ミリ削って11ミリに。これで第1フレットの頭はけっこう糸ギリに近くなり,棹の傾き3ミリを引いても,0.5ミリ山口がわが高い設定となりました。まあたった0.5ミリ……ちょとギリギリですが,楽器としてもこちらとしてもこれがギリギリの妥協点(w),運指もずいぶん楽になり,ほぼフェザータッチで音が出るようになりました。

 せっかくの高級楽器,見かけだけでなくちゃんと「それなりの人が使っても」使えるくらいにしておきたいですもんね。


 左右のニラミ,扇飾りはともに唐木製でした。損傷もなく,軽く油拭きしただけでほぼ元の色ツヤを取り戻します。数日置いて油が乾いたところで,補作の蓮頭などとともに貼りつけましょ。

 バチ布には「蘭」の模様の布を。
 かなり前からあって,模様はいいンでいちど使ってみたかったんですが,これ色合いが少々微妙でして………(^_^;)
 以前にも柿渋で染め直してみたことがあったんですが,イマイチでした。今回はこれをヤシャブシ染,ミョウバン媒染で染めてみます。
 もとが青っぽい色だったので地色が緑に,模様の銀色は金色っぽくなってくれました----これなら大丈夫!
 ニラミが「菊」なので「蘭(この場合はラン科の植物じゃなくオミナエシの類)」が加わるとそれだけで「秋風辞」だなあとか思いつつ。

 2018年7月3日,自出し月琴61号,
 修理完了いたしました!!

 ちょーエコロジィ全自動冷暖房「大自然」(w)装備のわが部屋は,夏温かく冬涼しいため,本格的な夏暑が続くと作業不能,やッたら死ぬ,の状態(泣)になります。この6月は例年に比べるとやたら暑かったもののその間隙をぬって作業を進め,なんとか夏の帰省前に修理を終わらせることができました。
 依頼修理なんかではこの時期「完成は秋以降になるけど…」とお断りすることもありますからね。

 さて,いままで扱った石田義雄(初代不識)の楽器の中では,おそらくいちばんの高級品であろう61号----月琴としてのその音にはもちろん文句がありません。いかにも唐木使用の楽器らしく,低音はずっしり重く,高音はコロコロと軽やか。
 低音弦と高音弦の間で少し音のメリハリに差があるのと,高音高音域で多少余韻に金属的な倍音が感じられ,庵主的には耳につきますが,このあたりは好みですね。
 弦高の調整で運指を追求しましたので,操作性には問題ナシ。ただやはり,棹が糸倉からなかごまで紫檀のムクなのに対し,胴はサクラに唐木の薄板を巻いたものですのでバランス的に多少ヘッド・ヘビーなところがありますが,座奏のときいつもより楽器をわずかに倒して弾くとさほどの支障にはなりません。

 あとは不識の月琴に共通した点として,関西方面で作られていた楽器や関東だと唐木屋あたりの楽器に慣れてると,棹が長かったり,楽器のバランス位置が異なったりしますんで多少慣れるのに時間がかかろうかと。
 庵主の場合ははじめに触った月琴がこの人のでしたので何も問題ありませんでしたが。(w)

 勧業博の賞牌のマークは銅板印刷なのでイマイチ真似できんかったのですが,修理札代わりに不識の錦町時代のラベルを偽造して貼りつけておきましょう。贋作(w)なので一部の文字の画を違えて,ワタシのハンコも捺してあります。

 黒々とした紫檀の棹,ほの赤く照る継ぎ目のない胴側。
 唐木の深みを湛えたニラミと扇飾り,半月。
 スラリとした棹のフォルムとも相俟って,美しい楽器。
 音量も結構あるので,ちょっとした会場ならライブ用にも使えますね.

 いまだ銘は決まってませんがこの61号,先に修理した同じく不識作の57号時・不知とともにお嫁入り先募集中!
 修理記見ててなんかピンときた!----とか。
 ワレこそは!----と思わん方はご連絡アレ。
 

(おわり)


柏遊堂5 パラジャーノフ (4)

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斗酒庵いろいろみろり の巻2018.6~ 柏遊堂5 (4)

STEP4  火の馬

 新しい延長材の接合で三回しくじり,そのたびに調整をやり直したのでけっこう時間を食われちゃったものの。
 表板の割レ,胴材との剥離部分,響き線の手入れ,そしていつものように接合部を和紙で補強,と一通りのことは済みましたので,裏を閉じようと思います。
 第2回目でも書いたように,この楽器の作者は桐板の矧ぎがあまり上手じゃなく,裏板は剥離の段階で4枚ほどに,その後の補修作業中にさらに割れてほとんどバラバラみたいな状態になってしまいました----いや,ほんとヘタクソ(w)

 まずはこれを矧ぎなおして3枚にまとめます。
 きちんとつくよう矧ぎ面を再度整形,ニカワを塗ってそこらの板の上に並べ,左右からちょっと圧をかけながら半日ほど置きます。


 ちなみに右画像は明治時代の木工技術の本から。
 いまの指物屋さんや楽器職のかたならハタガネとか使うところですが。ひもが皮ひもとか麻紐からゴムになっただけで,庵主やってることはこれと基本的には変わりません。
 まあ桐板は接着の良い材ということもありますが,レトロな技術でもなんとかなるものはなんとかなるということで。

 ややお粗末な板の工作に対して,胴材には狂いがほとんどなく,接合部はほぼ健全な状態。こちらの木の仕事はほぼ完璧のようです。胴の変形幅がわずかなので,スペーサを入れるスキマもごく細いもので済みます。

 板クランプではさんで圧着後,スペーサを入れて整形。表裏板の清掃に入ります。

 見た感じ,そんなに酷くなさそうだったんですがけっこうヨゴれてました。洗浄に使った重曹水が真っ黒になりました。そういえば,前に扱った52号は同じ作者で,かなり奇跡的といえるような保存状態だったんですが,表裏板の染めはごく薄く,ほぼ真っ白みたいな感じでしたもんね。
 この楽器も,ほかの楽器と比べるとそんなに色濃くなかったんですが,実のところこれでかなり変色しちゃってた,ってことなんでしょう。

 板が乾いたところで半月を戻します。
 いちおう糸倉から糸を引いて調べてみましたが,左右の傾きがわずかにあったくらいで,ほぼ元の位置に貼り直して問題ないようです。

 その作業をしている最中に,表板の半月の真下あたりに剥離が発生。
 以前に一度割れて修理されたことがある箇所だったらしく,お湯を含ませたら劣化した古いニカワが滲みだしてきました。さらにお湯を挿し,割れ部分をもみこんでこれをあるていど除いてから,新しいニカワを入れて固定します。

 これから半月つけようって時にもう!----場所が場所だけに処置しとかないと先に進めませんもんね。
 ううむ,延長材の件でもそうだったんですが…前に進もうとすると新しい障害が現れて,前の地点より後退してしまう。なんかこの修理,「三歩あるいて五歩さがる」のノロイでもかかってるんじゃないかって気がします。(w)

 剥離個所と半月の接着をしながら,ほかの部品のお手入れも済ませてゆきましょう。
 まずは山口。
 破損はなく,材質は紫檀のようですし高さも11ミリとふつうなので,このまま使ってもいいんですが,多少厚ぼったい。
 おそらくは棹の傾きが過度だったため,この形じゃないと山口の上面に弦がきちんと乗っからなかったんでしょうが,傾きを浅くしたいま,上面のアールがゆるいので,このままだと逆に弦が引っかかりすぎます。
 山口と弦の接触部分がせまいと弦の安定が悪くなりますし,逆にべたーっと乗りすぎてるとそれはそれで余計なノイズの原因になってしまいますので,少しシェイプして弦との接触面をせまくしときましょう。

 おつぎに糸巻。
 この楽器の糸巻はオリジナルのものが4本そろってましたが,握りのお尻のところをネズミに齧られて少し手に触る部分のあるものが1本あります。
 まあ,このくらいなら唐木の粉をエポキで練ったパテでちょちょいと----

 うん,これでネズミの齧ったガタガタが,指先にひっかからなくなりました。
 そのほかの糸巻もいちおう点検していたところ,1本の糸巻の先端がわになにやらウロンな孔ポコを発見。その孔に針をさしこんで触診してみますと………おおぅ,ズブっと逝きますねこりゃ。

 針先でかんまわしたら粉状になった木屑も出てきました。
 けっこう盛大に食われちゃってますねえ。
 まずはこの孔からエタノールを流し込むなどして,食害がどう広がってるのかを調べてみます。孔は1センチほど進んだところで左右に分かれ,先端方向へ向かって糸孔のちょと手前のあたりまでトンネルになっているもよう。
 握り部分の孔は広げられるだけ広げ,ほかの食害部分もできるだけホジくります。

 ----こんなンなりました(泣)

 補修はまず,エタノールでシャバシャバに緩めたエポキを,これでもかってくらい上の孔と下の溝から流し込むところから。つぎにそれがまだ固まらないうちに,エポキで唐木の粉を練ったものを充填。どっちかの孔から押し込むと,ほかのどっかからニョロリするくらいに押しこんだら,エポキがだんだん固まってくる間,表面にあふれだしたぶんを指先や爪楊枝の先を落としたものでさらにつめこんでギッチギチにします。
 糸巻は力のかかるところですので,ニカワなどを使った伝統的な技法では,虫食い部分を除去して複雑な木組で別木をはめこむぐらいしか方法がありません。庵主さすがにそこまでの技量はありませんのでここは現代カガクに頼らせていただきます。
 虫食いが比較的単純な形状でしたので,これであんがい保つと思いますが,まあ折れちゃったら今度こそあきらめて新しいの1本削りますのでご安心を。(^_^;)
 作業箇所をスオウとオハグロで染め直すと----ほらもう,そう簡単には分からない。

 半月とその下の剥離部分の接着が終わったので,クランプをはずし,圧着の時ヘンに力がかかってヘコんじゃったところがないかな。と,表板の周縁部をなでていたら,その剥離していたあたりで,なにやらイヤ~な感触が指先に……

 ……クギ,ですね。

 きわめて細いクギなうえ,頭を落としてあったのでぜんぜん気づきませんでしたが,あらためてよーく見るとクギの周りに鉄滲みがうっすら丸く広がってます。表板の清掃とここの再接着で濡らしたところに圧をかけたものですから,桐板がわずかに沈んで,桐の頭が指先にひっかかるようになったんですね。
 さっきも書いたよう,この部分は庵主の前に一度修理した者がいたようなんですが,そいつのシワザですねこりゃ。板がカパカパに開いちゃったもんで,ニカワだけじゃシンパイになって打ち込んだんでしょうが……くーそー! 前にも書いたけど桐板にクギは効きませぬ。「桐にクギ」は「糠にクギ」と同じなんだぞおッ!!
 補強の効果がないうえに,錆びて板や部材に悪影響を及ぼすシロモノです。これはしっかり取り除いておかなきゃなりません!
 ああ,やっぱりこの修理「三歩あるいて五歩さがる」の呪いがかかってますわあ(泣)



(つづく)


月琴61号 マツタケ (4)

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斗酒庵いろいろみろり の巻2018.6~ 月琴61号 (4)

STEP4  Tricholoma robustum
 もともと内部の損傷も少なかったですし,表板の割レと部分的なハガレの補修,響き線の防錆,棹の角度調整と,やることは終わってしまいました。いつもなら接合部の補強とかあるんですが,今回の楽器は外周に貼りまわした薄板が,構造をしっかりしめつけて護ってくれてましたので,接合部にはユルみ一つありません。

 裏板を戻しましょう。
 もともと2枚に割れてましたが,左の矧ぎ目の弱ってたところから切り離して,3枚に分割。中央付近にスペーサを入れます。胴にほうにゆるみがないものですから,そのままでも結構正確にもどしてやることは可能なのですが,それでも板の収縮から,左右あわせて2ミリほどの段差が出来てしまってますので。

 裏板を貼りつけている間に,欠損している部品を補作しておきましょう。蓮頭と糸巻1本,あと山口ですね。
 横向き菊のついてるころの不識製の月琴ですと,蓮頭の意匠はほぼ例のよくわからん模様(下画像参照。たぶん「海上楼閣」の意匠が簡略化されていったもの,作家により少しづつ異なる)一択となっているのですが----

 この人,コウモリの意匠が好きだったようで,正面向き菊の付いてた時期の楽器には扇飾りか中央飾りのどちらかに,かならずのようにコウモリがついてました。今回の楽器は大量産期のもの,あまりにも忙しかったからか菊も扇飾りもよくある通り一遍的なデザインのものになっちゃっていて,コウモリさんがおりません。
 というわけで,今回の蓮頭はコウモリでいきましょう。
 まあ,オリジナルはなくなっちゃってますし,いつものデザインのはこないだ57号で彫ったばかり,同じものを二回連続彫るのもヤですから。(w)

 いつものようにカツラの板を抜いて削って彫り込みます。
 スオウ染,ミョウバン媒染で真っ赤にしたら,薄目に溶いた黒ベンガラをムラムラに塗り,オハグロがけ。
 ラックニスをはたき,磨いて完成です。
 不識の彫ったコウモリの資料もいろいろとあるんですが,今回はシンプルなよくあるデザインで。


 糸巻はいつもの¥100均めん棒。
 正面向き菊のころにくらべると若干太め短めな感じですが,お尻のとがりかた,握りの溝の入れかたあたりは変わってません。月琴の糸巻のお尻の高さはふつうの作家さんだと3~5ミリですが,不識は7ミリくらい取ってます。あと溝がやや深く,お尻のあたりでさらに少し切りこんで,幅も広がってるのが特徴。だいたいはみなスッ----っと上から下まで同じくらいの太さで切ってるものですからね。
 蓮頭同様,こちらもスオウ染からの黒塗り。
 下地に強烈な赤を染め,オハグロかけるところまでは蓮頭と同じ,あとはスオウとオハグロを数回交互にかけ,さらに色の深みを増します。ちょっと見では区別つかないくらいに,ばっちり真っ黒に染めあげましょう!
 今回の楽器は糸巻も唐木の黒檀ですからね。
 ある程度染まったところで一度油拭き,そして亜麻仁油と柿渋を交互に数度重ねます。柿渋による補強の意味もあるんですが,柿渋が下に塗ったベンガラと反応して,さらに黒に深みをつけます----ほれ,いつも響き線の防錆でやってますでしょ?鉄と柿渋はけっこう強烈に反応して,その汁は一度布にでもついたらまずとれないくらい真っ黒な染液になるんですよ。
 一週間ばかり乾燥させた後,仕上げに握りのとこだけにラックニスをしませ,軽く磨いて完成。

 側面から見ると軽く台形になってますが,不識の楽器の山口はこれといって特徴のない縦割りカマボコ型。ただしこの人の楽器の棹は,この部品の乗っかる「ふくら」の左右がぐッっと張ってますので,ほかの作家さんのに比べると若干長く大きめです。オリジナルは象牙・牛骨が多く,まれに唐木のものがあります。作風からおそらく師匠と思われる田島真斎の楽器では,山口の底とふくらの接着部分に穴を穿ち,棒材を通して接着の補強としていますが,不識の楽器ではまだ見たことがないですね。
 材を何にしようか迷ったんですが,端材入れからキレイなトラ杢のトチの端材が出てきたんで,これにすることに。ラックニスを染ませてから磨いたら,宝石のキャッツアイみたいな変彩が出て,光の角度で景色が変わり,なかなかに美しい。
 今回は7本残ってるオリジナルのフレットに合わせて調整しようと思ってるので,丈はとりあえず高めの12ミリにしておきます。

 そうこうしているうちに胴体が箱にもどりました!
 裏板のスキマにスペーサを入れて整形したら,表裏板の清掃です。

 表板の墨書が残せるかどうか……前の57号でも書きましたが,墨書というものは,板に直接書かれた場合にはちょっとやそっとのことでは消えません。よく奈良時代とか中国の春秋戦国のころの木簡・竹簡が出て来るでしょ。紙ならば数百年で朽ちるところ,木の板に書かれた墨書はゆうに千年の時を経てもそこにとどまり続けます。
 しかしながら----たとえば竹簡の場合は「殺青」という処理をして竹の油分を抜きますが,あそこからも分かるように,下地の竹や木の表面に油分が残っていると墨がはじかれてしまい,字は書けてもそれは板の表面にへっついてるだけみたいな感じになってしまうんですね。57号裏面の墨書なんかも,さんざ使い込んだ楽器のヨゴレの上に書かれていたため,濡らしたらヨゴレといっしょに墨が浮いて,カンタンに消えてしまいました。

 さて,今回はどうでしょう?
 13号でやったように,板の上に重曹水を刷いてキッチンタオルをかぶせ,乾かないようラップをかけて板のヨゴレを吸い取らせました。墨が板にちゃんとのっていれば,板のヨゴレだけが浮いてきてキッチンタオルに吸い込まれます。

 ……あう,これもダメですね。
 墨がぜんぜん木地に染みこんでません。
 10分ほどしてキッチンタオルの最初の交換をしようとはずしたら,ゆるんだ墨が滲んでちょっと広がっちゃってました。墨書部分を指先でちょっと擦ったら,もとから無かったものかのようにキレイに木地が出ます。
 この墨書もかなり後になって入れられたものだったようですね。
 多少もったいなくはあるのですが,これを残すのはあきらめて,表板,キレイにしちゃいましょう。


 初代不識の月琴の板の染めはかなり濃いめで砥の粉も通常より多めに使われており,そのせいもあって残っている楽器の多くは濃い色に変色してしまっていることが多いです。

 染に使われるヤシャブシにはタンニンが含まれてますので,桐板の染めは防虫効果を狙ったものという説もありますが,晒してあっても桐板自体にかなりの渋が残っていますので本当のところはどうなのか。(w)ヤシャブシの色とそこに微妙に含まれているロウ分による磨き仕上げ上の効果が主目的のような気もしますね。だいたい「防虫効果」があるはずの割には,もー縦横無尽に食われちゃってる例もそこそこ見ますから,そのへんは怪しいところです。

----話がそれましたが,染料としてのヤシャブシは反応の良いほうで,いろいろな物質と結合してさまざまに発色します。布袋にでもつつまれていれば別ですが,蔵のなかでほこりまみれになってた場合にはだいたい真っ黒ですね。蔵のニオイって独特ですよねえ。ああいうところのホコリって,けっこう鉄分はじめさまざまなミネラル分含んでいるみたいで,その色合いによってその楽器の置かれていた環境や,もしかするとその出所の鍵みたいなことが推測できる場合もないでもありません。
 ちなみに,うちなんかはホコリまみれの四畳半一間,夏期間はほぼ開けっ放しみたいな環境に何面もの月琴をモロ出しそのままでぶらさげてあります。「お手入れ」といっても,たまにホコリはらって弾いてやるくらいのものですが,それほど板に変色は出ません。
 ですのでこの件に関しては,あんまり神経質にならずともよろしいですよ。

 「楽器にとっての一番のメンテナンスは弾いてあげること」それさえ忘れてなけりゃ,モノはちゃんと応えてくれるものですから。


(つづく)


柏遊堂5 パラジャーノフ (3)

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斗酒庵いろいろみろり の巻2018.6~ 柏遊堂5 (3)

STEP3  石の上の花

 天の側板の補修の合間に,響き線の手入れなどしていたんですが……
 案の定モゲました。
 そりゃもう見事に根元からポッキリと。

 黒いシミになってるあたりはもう,鉄が朽ち果てて木に吸い込まれて線のカタチすら留めてませんでしたからねえ。逆に今までよくカタチを保ってたものだと。

 予想の範囲内の事態でしたので大して慌てもしません。
 かえってお手入れがしやすくなったな,と。

 最初の曲がってるところあたりまでは完全に腐っちゃってますのでニッパで切り取り,その下の部分を90度に曲げます。
 次に新しい取付け孔を,もとの取付け位置の下あたりに穿ち,新しい基部にエポキを塗って挿しこみます。取付け孔が側板と板の接着面から側板の裏がわに変わりましたが,曲げ直したぶん基部の場所を下げただけで,角度も位置もほぼ同じですね。

 接着剤がニカワからエポキになりましたので,基部が短くてもシッカリ固定されてますし,こんどは腐る心配もナイ(w)
 線の処理は61号と同じ。
 サビを落とし柿渋で処理した後,ラックニスを刷きます。

 そうこうしてるうちに 天の側板の補修・補強が完了しましたので,もとに戻しましょう。
 左がわにあった大きな虫食いは,側板・面板ともに木粉粘土で充填整形済み。さらにエタノでゆるめたエポキを吸わせて補強もしてあります。
 この人の木の擦り合わせや接合の工作は悪くないので,基本的にはニカワを塗って元の位置にハメこむだけです。
 クランプと太ゴムで固定,一晩おいて胴体が「桶」にもどりました。新しく足した棹口の補強板もバッチリくっついてます。

 胴体構造が固まり,構造が安定したところで,表板の上のものをハガしましょう。半月にも浮キが出てますから,今回はぜんぶはずしてしまいます。

 扇飾りの下からボンド…セメダインかな?いくつかのフレット下と,あとバチ皮の下から木工ボンドが出てきました。

 バチ皮の左がわ,皮の損傷した個所を切りぬいて,他から切り取ったヘビ皮でパッチをあててますね。ボンド漬けですので古物屋さんのシワザでしょうが珍しい。
 後でニカワが効かなくなってしまうので,浮き上がったボンドは徹底的にこそいでおきます。

 お飾りはずしで濡らしたついでに,大きな虫食いが二箇所発見されました。楽器右肩と左の端っこのほう。

 どちらも表面は皮一枚になってました。いつも「ほじくる」と書いてますが,実際にはケガキの尖ったほうなどで,薄皮一枚の天井をつき崩して潰してますね。そこに木粉粘土を充填,けっこう太く食われちゃってますのであとでエポキで補強もしておきましょう。

 はずした半月,裏をキレイにしたらこんな感じになりました。
 確かに染めてもいますが,この木は元から黒っぽい色をしています。でも重量からして黒檀みたいな唐木の類ではない。なんだろうな~といろいろ調べた結果,どうやらエンジュの心材のようです。
 そういえば,この楽器の棹や胴体も,色合いはホオに似てるんですが硬さとか重さが若干異なります。おそらくこっちはエンジュの辺材が使われているのではないでしょうか。
 山田縫三郎あたりが月琴の材料の一つとしてあげていたと思いますが,庵主,いままでこれこそ,と思える例に会ったことがありませんでした。エンジュは木の中心部と周縁部で材の色が違います。中心部は黒っぽく,周縁は白っぽい。かなりキレイなツートンカラーなので,よく輪切りにした板がコースターとか盆栽の敷板なんかに使われてますね。
 さあてエンジュかぁ……ふだんあまり使うことのない材料なので,いまいち知識がありません。加工性は良いほうのようですが,接着とか濡らしたあとの狂いとかはどうだったかな?

 お飾り剥離で濡らした部分が乾いたところで,表板のヒビを埋めます。右に上下貫通したのが1本,左にバチ皮の手前あたりまでのが1本,どちらも細い割れなので,断ち切りで広げてから。
 2~3箇所,板のハガレかけてるとこも見つかりましたので,そこもついでに再接着しておきます。

 棹をキレイにしてみたら,握りのあたりにうっすらとトラ杢が浮いていました。糸倉の黒っぽいところもヨゴレかと思ったらこういう模様のようです。
 ここはエンジュじゃなくてトチかもしれませんね。

 さて,第1回で触れましたように。

 この楽器の棹は月琴の定跡通りちゃんと背がわに傾いてはいるのですが,山口のところで3~5ミリでいいところ,9ミリも傾いていまして,これではどうで傾き過ぎ----基部を調整して少し戻さんとなりません。
 いつもと逆の作業ですね(w)

 まずは棹と胴体との接合面を削り,5ミリの傾きの時,胴とぴったり合わさるように調整します。
 つぎに延長材。
 さすがにあのオリジナルは使えませんので,ヒノキで新しいのを作りました。
 これを所定の角度でおさまるように接合面を調整して接着するわけなんですが……どうやらこの棹材,エンジュかトチか分かりませんが,ホオと違って接着に少々難があるらしく,3回ほど接着に失敗しました。
 ホオとかカツラ,サクラあたりではあまり聞かないのですが,木によっては接着に関して,組み合わせによる相性みたいなものがあるらしく,あるものは同材同士がダメだったり,あるものは針葉樹との組み合わせがNGだったりすることがあります。

 たいていはちょっとした工夫とか下ごしらえで回避できるのですが,庵主も前にも40号クギ子さんでクリとカヤの相性の悪さに泣かされたことがあります。

 今回3回目でちょっとニカワを多めにして成功しましたが,これでダメだったらエポキか何か最終兵器出さなきゃならんとこでしたわい(^_^;)

 オープン修理なので,かなり精密なとこまで調整ができます。組上げた段階でだいたいは合ってましたが,微調整のため,さらに基部と延長材の先端に薄板を貼り,スルピタきっちりを追求いたしました。
 半月の高さが9ミリで推定される弦高が7ミリ,棹の傾きが 4.5ミリで,オリジナルの山口の高さが 11ミリですから,これでもまだ理想値には最低でも1ミリほど足りませんが,そのあたりは例によって半月にゲタ噛ませ,全体の弦高を下げる方向で参りたいと思います。


(つづく)


月琴61号 マツタケ (3)

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斗酒庵いろいろみろり の巻2018.6~ 月琴61号 (3)

STEP3  Tricholoma bakamatsutake

 でわでわ----初代不識の高級月琴61号,修理開始いたします。まずはお飾り類をハガしてゆきましょう。

 なぜか山口のところにへっついてた第4フレットと,最終第8フレットの接着痕から白いアイツ,木工ボンドが出てきましたが,今回はこのくらいなようですね。
 まあでもいちおう呪っておきましょう(w)----これをやらかしたヤツ,三日連続して起きがけに足の小指をぶつけますように。ふんぎゅるぷぎゅる。

 事前の調査では,内部構造は響き線に多少サビが浮いているほかは問題ナシ。ほかの作家さんの楽器と違って,この人の月琴では表裏板と内桁の接着が強固。月琴の胴は「 "太鼓" ではなく "箱"」であるとちゃんと分かって作ってるからですね。
 「太鼓」ならば皮の材質と皮張りの工作如何で音が決まりますが,「箱」は各部の接着・接合がしっかりしていればしっかりしているほど,構造の全体が共鳴して音が良くなります。

 ただ,表板右の貫通した割れ目。中央がわが少し反って,割れ目から幅1センチほど内桁からハガれてますので,ここはしっかり再接着しておきたいところです。
 まずはお飾りはずしで板を濡らしたついでに,反ってる部分も湿らせ,当て木に板を渡して太ゴムで圧迫,軽く矯正しておきます。二日ほど置いて様子見,板が平らになったところで剥離部分を接着。次に割レを埋めます。

 左右の割レともに細いので,いちど断切りの刃先を入れてすこし広げてからにしましょう。ここに桐板を薄く削いだのを挿しこむんですが,なるべく奥まできっちり押しこみたいのに,そのままだと板が薄すぎてうまくいきません。そこで薄板が割れずにまっすぐ入るよう,横に添え木を渡して薄板を支えてもらいます。
 この楽器も割れたままでずいぶん長いこと放置されてたみたいですね。埋め木接着のため割レ目にお湯とニカワを挿したら,裏から真っ黒になった汁が出てきました。裏板ハガしたときの内部のホコリ,けっこうなものでしたが,アレもここらから入って行ったんでしょうねえ。

 右の長い割れ目と半月下の短い割れ目の間,地の側板の中央付近にもハガレが出てますので,これも接着しておきます。ここはいつも言ってる「楽器の背骨」にあたる部分。月琴の修理は内部構造とこの「楽器の背骨」から始めるのが基本です。あらかじめこういうの部分さえ固めておけば,ちょっとぐらい無茶な工作してもだいたいは保ちます。
 翌日,長いほうの割れ目の埋め木を整形,短いほうの割レを埋めます。ついでに数箇所,バチ皮の貼られていたあたりに虫食いによる浅いエグレ,あと裏板がわから見て棹口の左がわにも板から侵入した虫による食害部分がありますんで,こちらも木粉粘土で埋めておきます。

 続いて響き線のお手入れ。

 不識の楽器の響き線はやや太目で,形状も直線ですからお手入れはラク。よほど錆びついていないかぎりポッキリ逝ったりしませんからね(w)

 まずは下にラップを敷き,サビやら汁やらがこぼれないようにします。月琴の板は「ヤシャブシ」という染料で染められているのですが,これが鉄と反応しやすい。ちょっとした鉄粉でも時間が立つと空気中の水分と結合して黒いシミの原因になってしまったりしますので。
 まずは表面を Shinex#400 で擦ってサビ落とし,#1500 くらいので磨いたら,柿渋を塗布。一度目のはキレイに拭き取もう一度塗って表面に黒い被膜を作ります。
 柿渋のほうがヤシャブシよりも反応が早いですからね。塗った瞬間から真っ黒になってゆきますです----ああ,やっぱりカガクってスゲぇなぁ(w)
 柿渋が乾いたところで布でよーく拭い,ラックニスを軽く刷いてできあがりです。
 作業が終わったらラップをはがし,まるめてポイしましょう。鉄粉がこぼれないよう,慎重に~ですよ~。

 ついでに原作者のつけたこのでっかいスペーサも整形しときます。接着自体は強固でしたので,ハミ出してる部分を切り取るだけですね。

 修理前の計測によると,この楽器の棹ははじめから山口のところでちゃんと3ミリ背がわに傾いております。位置や角度のほうは問題ないんですが,取付にややガタが出てまして,棹に力がかかるとややお辞儀をするのと,楽器のお尻がわから見てわずかに右方向へネジれていました。基部の左右と先端背がわにツキ板を貼って調整します。

 胴との接合面の微調整とスペーサ3枚で解決できるあたりはさすがですが,不識のウデマエから考えると若干調整が甘い----これも大量生産期の弊害でしょうか。

 大流行したといっても,月琴はそんなに高額な楽器ではなく,利益率はあまり良くありません。箏とか三味線に比べると,薄利多売で儲けるしかない楽器なんですね。当時は流行りに乗って,作れば作ったぶん売れたんでしょうが,あまりに仕事が増えすぎれば工作精度が下がる,あたりまえのことですね。
 まあこの楽器の場合は,初代不識なのでこの程度で済んでるって感じもないではありませんが,庵主がいままで見てきた中にも,内桁を省略しているもの,ギターみたいに棹を接着してるのとか,響き線に焼きも入ってないただのハリガネぶッこんでるのなんかがありました。ああいうのもほとんどは,大流行期の無知と大量生産のためのコストの追求から生まれたもンだったんでしょうねえ。



(つづく)


柏遊堂5 パラジャーノフ (2)

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斗酒庵いろいろみろり の巻2018.6~ 柏遊堂5 (2)

STEP2  ざくろの色

 依頼修理の柏遊堂。
 全体の測定と外がわから見た要修理個所の確認は終わりましたので,こちらも中をのぞいてみましょう。

 棹口の割レの補修もありますので,オープン修理は既定の路線。まずは裏板をへっぺがしますベリベリ。

 パラレルの2枚桁,胴をほぼ三等分してますね。
 上桁は左右に木の葉型の音孔のあいたよくあるタイプ,下桁はツボ錐で3つ孔をあけた簡易版。35・43号がこれとほぼ同じ作りになっていました。
 材質はヒノキのようです。目の詰んだ,わりといい板を使ってます。
 表裏の板が割れたまんまで長いことあったせいか,細かな灰色のホコリがかなり入り込んでました。

 響き線は側板と板との接着面に小さな孔をあけ,そこに折り曲げた基部を挿しこんでいます。胴体が箱になると線の基部は側板と裏板に挟まれ,安全に固定されるって寸法ですね。
 ただ直挿ししたのよりはスポンと抜けそうになく,使っててもいくぶん安心できそうな加工ですし,線自体は直線なのでさほど細かな調整も要りません。そして響き線の基部として木片を別に接着するよくある方式に比べると,材料や工程が一つ二つ少なくなりますんで,経済的な効果もあります----が。

 この工作には致命的な欠陥がありまして。
 一つに響き線の基部が胴板を接着する工程で必ず濡らされること,二つにそこがニカワにくるまれてること----
 まあ,一年二年ならさほど問題ないんですが,木もニカワも呼吸してますんで,なにもしなくても10年は保たない工作だと思いますよ。早ければ2~3年で根元が錆び朽ちてしまうでしょうね----よほど「奇跡的な」保存環境下にでもないかぎり。
 この作家さんの響き線は細め,線本体のサビはたいしたものじゃなさそうですが,裏板の下になってた基部のあたりは線の鉄分が滲み出して真っ黒いシミとなっております。アートナイフの先で擦ってみるとガサガサしており,感触からするとやっぱり芯までボロボロに腐っちゃってる感じですね。現状,なんとかつながってますが,激しくゆさぶられでもしたら,簡単にポッキリ逝っちゃいそうです。そういえば同じ作者の43号も,うちに届いた時には響き線が根元から折れて胴内で転がってましたっけねえ。

 棹孔の少し下に墨書----まあ「目」印?なんでしょうね。
 コッチがオモテでココが上,といったところでしょうか。あとは,上桁の棹口とか側板の中心線とかに指示線が入ってます。これもこの人の楽器の特徴なんですが,こういうのがぜんぶくッきりとした墨線なんですよね,エンピツじゃなく。
 国産月琴の多くは明治のころに作られてますが,多くの楽器でこういった工作の指示線を引くのにエンピツが使われています。時代が時代だし墨のほうが多そうなものですが,実際には墨でキッチリ線を引いてる例は少ないほうですね。


 表板は6枚,裏板は10枚まで矧ぎ目が確認できました。
 柏遊堂,板の矧ぎがあまり上手じゃなかったようですね。
 板を横に矧ぐ(継ぐ)とき,接着面となる辺の中心部分がすこし凹んでる感じに削る,っていうのはけっこう良く知られたテクニックなんですが----その加工をいくぶんやりすぎてます。(w)
 そりゃ割れますわ,ハガれますわな。
 表板は基本的に柾目板ですが,裏板はやや板目になってる板を組み合わせてますんで,木の収縮もあってそらも~バッキバキに割れてます。剥がす前で5つに分かれてましたが,作業中にさらにいくつかに細かくなっちゃいました。

 内部の様子も分かったところで,フィールドノートを(下画像クリックで別窓拡大)----

 ではさっそく,修理をはじめます。
 棹口の割レの修理のため,天の側板を分離します。ヒビ割れのところから板も浮いてるし,片側の接合部も元からハズれていたので,比較的簡単にハガレてくれました。

 うおぉおお……ハガした下からでッかい虫食いが出てきました!
 板ウラだけじゃなく,側板の端も少し食われてエグれちゃってますね。
 ここは後で穴埋めです。

 問題の割れ目は,裏まで完全に貫通はしていないものの,ほとんど皮一枚ってとこでしょうか。指を入れて広げると,けっこうカパカパ開いちゃいますよ。
 ニカワでやってもいいのですが,ここは「壊れるべきところ」じゃなく,本来の使用では壊れちゃいけないところ。力のかかる大事な部分だけに,修理後も安心して使用し続けてもらうため特に頑丈にしときたいので,エポキを使います。

 割れ目が狭いので,練ったエポキをエタノで緩め,クリアフォルダの切れ端などを使って流し込むように挿し,割れ目を開けたり閉じたりしながらじゅうぶんに行き渡らせてクランピング。はみでたぶんは綿棒などでしっかり拭き取っておきます。
 一晩おいて竹釘を打ち,裏に補強ブロックを接着します。

 棹口の補修には掟破りのエポキも使ったし,接着自体もうまくいったので,おそらくは単体でも大丈夫かとは思うのですが。ちょっと前に帰ってきた「ぼたんちゃん」もこの工作をしておいたおかげで,棹は半壊したのに胴体の損傷は軽微で済みました。なにごとも保険をかけとくのが正解ですね。
 材はカツラ。接着面を側板内がわのカーブに合わせて削るのが,毎度のことながら辛悩ですわい。
 この補強ブロックの接着はふつうにニカワです。ここは「壊れるべき時に壊れていい」ところです。後付けだし,衝撃吸収のためハガれてもいい,またもっと良い修理法が確立されたらそれに取り替えてもイイからですね。
 ----あ,もちろん手は抜いてませんよ。胴体が箱になったら手出しできなくなる内部の部品ですしね。ふつうに使ってたらけっしてハガれないよう,丁寧にくっつけておきます。(w)

 棹は角度の調整があるので,延長材をはずしておきます。
 基部を筆でじっくり湿らせた後,濡らした脱脂綿を巻き,ラップと輪ゴムでくるんで一晩。
 問題なくハガれてくれました。基部の加工はちょっとガタガタですが,接合の工作は比較的丁寧です。

 補修・補強をすませ,整形した天の側板に棹を挿してみます。
 棹の角度とか調整はあとでじっくりやるんで,この時点では棹基部が棹孔に通ればとりあえず合格。

 ----といったあたりで今回はここまで。


(つづく)


月琴61号 マツタケ (2)

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斗酒庵いろいろみろり の巻2018.6~ 月琴61号 (2)

STEP2  Tricholoma matsutake

 さてさて,3面相次いで到着した夏直前の修理楽器。
 まずはこちらからはじめます。

 外がわからの観察では,欠損部品は糸巻1本と蓮頭,山口と第6フレット。棹上の第4フレットが山口のところにへっついてるのは,まあご愛嬌として(目が笑っていない)……このくらいならまあ少ないほうですし,現在ついてる部品もほぼすべてオリジナルと言って良いようです。
 あ,そういえば届いた時には須磨琴かなにかの糸巻が1本ささってましたけど,あれはノーカンで(w)

 損傷は表裏に貫通したヒビが1本づつ。あとは表板半月の下と裏板中央ラベル痕のあたりに短いヒビが1本づつ。 虫食いも数箇所あるようですが,裏板棹孔の左がわにちょっと大きな孔が見えるほかは,さほどヒドそうでもありません。前の「らんまる」みたいに,虫食いホジってはいほーはいほーで一週間てなことはなさそうですね----ほっ。

 棹孔からのぞいた感じ,内部は全体灰色にホコリをかぶっており,響き線に少しサビも浮いてるようでしたので,確認のため裏板を剥がします。

 いつもどおりの不識の月琴の内部構造ですね。
 パラレルの2枚桁,直線の響き線。
 内桁と側板本体はサクラ,側板の厚みは最大でも7ミリていどしかありません。外から見ての通り,丸く組み合わせた側板の上から唐木の薄い板を貼りまわしていて,その化粧板の厚みがだいたい1.5ミリですから,いちばん薄いところで側板本体は3ミリちょいくらいになっちゃってます。
 この手の工作をした楽器では,よく化粧板が部分的に浮いてブユブユになっちゃったりしてるもんですが,さすがに不識。薄いスキマは見えますが,接着の剥離している箇所などはありません。

 側板本体の接合は凸凹組み。四方ともに健全,ビクともしてません。側板と内桁は,一見ただ接着させてるだけのように見えたんですが,よく見ると側板の内側にごく浅い溝を彫り,そこにはめこんで接着してますね。上にも書いたよう側板ごく薄なんですがよくやったものです。

 響き線の基部は紫檀の白太----黒くなれなかった部分を使ってます。材自体が貴重になってきたこともあり,今はけっこう色味の違いを面白がって使う人も多いんですが,ちょっと前までは切り取って捨てちゃってたところですね。
 響き線を止めるクギの頭が突き出ていないのも,この人の楽器の特徴です。
 ほかの作家さんの工作では,このクギを大きく突き出させて,響き線に軽く触れるようにした加工もよく目にしますが,あれは響き線というものを 「なんか楽器振ってガシャガシャ鳴らすためのモノ」 と勘違いしたところからきた妄想工作ですね。
 何度も書いてますが,この部品は基本「偶然に鳴っちゃう」ことはあっても「故意に音を鳴らす」ような構造にはなってませんので,修理人としましては,わざと振ってガシャガシャ鳴らすような野蛮な行為は,なるべく慎んでいただきたいところであります。
 不識の楽器でクギの頭がムダに出てないのも,この人がこの楽器のことを「ちゃんと分かって」作っているからにほかなりません。

 内部の観察でとくに目に付いたことといえば,まずこのスペーサ。
 前にも書きましたが,初代不識は月琴の棹を,糸倉から棹なかごまで一木で作る,というのを信条としているようで。そのため,一般的な延長材を接いだ形式の棹にくらべると,後でやる調整工作に限界があります。
 あとで調整している際に,棹の角度とかの修正がある程度以上必要になった場合。ふつうの工作だと延長材をはずして取付角度を変えるとか,いッそ作り直すとか。棹のほうの加工だけでだいたいのことは何とかなるのですが,不識の形式の場合は削るにせよ足すにせよ,そう大仰なことができないわけですね。
 そこでこうやって,胴体の棹を受ける孔のほうを加工してスペーサを噛ませることになるわけですが。彼は基本この工程を胴を箱にしてからやっているらしく----胴が密閉されたあとだと,取付作業は手元の見えない盲仕事になりますよね。それで作業をやりやすくするため,こんな大きなスペーサを使ってるんだと思います。

 もう一つ。
 裏板のウラがわから墨書が出てきました。

 初代不識は楽器に署名を含めてあまりシルシを残さない人で。ごくごく簡単な指示線すら引いてないこともあり,以前半月をはずしたとき,元の位置が分からなくなって困ったことがあります。(w)そのくらいなので,棹なかごに書かれた漢数字以外でこの人の文字を見たのはこれがハジメテかもせん。かなりの達筆ですね----ちなみに文面は 「此めん裏」
 うむ,もう少しなにか書いといて欲しかったですねぇ……たとえば「鏑木渓菴暗殺事件」の真相とか(w)

 同じ関東の作家でも,唐木屋や山形屋,清琴斎なんかの月琴の胴はほぼ真円に近かったりするのですが,不識の楽器の胴は月琴としては丸くなく,やや四隅が角張った感じになってるのがふつうです。この楽器の場合は,さらに1時7時方向にわずかにふくらんでますね。これは部材の狂いとかじゃなく,もともとの工作のようです。
 このため「楽器の中心」と「板の中心」が若干ズレてしまっていますが,まあさほど気にするレベルの差異でもなく,作家本人も分かって作ってますんで,あまり問題はないかと。

 表板は12まで,裏板は13まで矧ぎ目を確認しました。目の粗い柾目や板目の板では,ここまで細かく継ぐと自然な一枚板に見せるのが難しいんですが,この楽器の板はかなり目の詰んだ柾目板。ここまで細かいともう,とにかく真っ直ぐ切れば,木目合わせるのもラクそうですもんね~。
 ギターとかバイオリンのほうから考えますと,柾目のほうが音が良いから,みたいな結論になっちゃうんですが,前にも書いたように,国産月琴の表裏板の場合,これが板目から柾目になっていった理由は,音のことを考えてのことじゃなく,「柾目板のほうが均質な板を安く作れる」といったコスト方面からの必要のほうが大きかったと思いますヨ。

 ----といったあたりで。
 今回のフィールドノートをどうぞ。


(つづく)


月琴60号/61号/柏遊堂 (1)

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斗酒庵いろいろみろり の巻2018.6~ 月琴60号/61号/柏遊堂 (1)

STEP1 いろいろきた!!

 6月に入って。
 春から続いた太清堂ラッシュと59号までの修理が終わり,これで夏まであとはのんびり…とか思ってたんですが(w)
 まず1面め,こんな楽器がとどきました。

 自出し月琴60号。

 全長:615。
 胴:縦342,横343,厚40。
 有効弦長:387。

 全体としては当時の普及品の楽器のスタイルになってますが,よく見ると,うなじがビミョーなカタチだし,棹と表板の接合部に段差があったり,半月がマジで「半円」になってたり,糸倉のアールや孔の位置が特殊だったり----とヘンなところ満載のナゾ楽器です。

 お飾りもちょっと凝った彫り。
 花びらや葉の重なりに段差をつけて陰影を細かく出してますが…え~と,そもそもこれは菊?
 それともダリアかな?(w)



 ここなんかも面白いとこですねえ。
 胴のオモテとウラで,板の厚みが違ってます。
 オモテが5ミリ,ウラが3ミリ………考えたことは分かるよ,うん。
 表板には半月もあるし,棹からの圧だってかかるから丈夫にしなきゃならない。いっぽう裏板は身体のほうに向いてるだけだから薄くてもイイや,ってあたりか。
 いや,でもね----残念だけど,これ箪笥じゃなくって楽器なんだ。(w)
 いい音を出すことが最優先。
 強度は二の次なんだよね。やるなら工作がウラオモテ逆ですわ,orz

 棹がビクともしません,ハズれません。
 まだハガしてないので詳しくは書けませんが,裏板のハガレてるとこムキっとして中をのぞいたら,三味線のなかごみたいな丸棒が内桁にささってるみたいです。
 中央付近一枚桁で,ほかの部分の様子は見えず。振るとカラカラ音がしますので響き線は入ってるようですが,今のところ内部構造はナゾです。

 山口に糸の擦れ痕もあるし,半月にも糸圧痕があるので,実際に楽器として使用されたことはあるようですが,バチ痕はそれほど見えません。目立った損傷は,表裏の板割レのほか,胴向かって右上の接合部付近に,側板の大きな割れがあるくらい。
 この胴の材もちょっとナゾですね。あまり固そうな感じはしません。染めてありますが木地はなにやら白っぽい木のようです----針葉樹かも。
 糸巻も4本揃ってますので,状態としては悪くないほう。出品地は浜松……工作から見て木匠の類のヒト,だとは思いますが,月琴に関してはかなりシロウトさんの作かと考えられますので,まともに弾ける「月琴」にするためには,ちょっと「改造」に近い手直しが必要かもです。



 つぎにとどいた61号は,一目見て分かる初代不識製。
 すらりとまっすぐで長い棹,大きく薄い胴体,半月の形状はこの人独特のものですね。


 棹が紫檀のムク,胴側にも同じ紫檀の薄板をぐるりと貼り回しているので,表面からは四方の継ぎ目が見えません。半月もお飾り類も唐木,フレットは牛骨じゃなく象牙ですね。
 いままで扱った初代不識の月琴のなかでも,いちばんの上等品なんじゃないかな。
 糸巻も唐木でオリジナルが3本残ってます。
 もう一本オマケで,あきらかに月琴の糸巻ではない短いのが挿さってましたが----コレはたぶん一絃琴か二絃琴の糸巻じゃないかと。

 蓮頭無しで全長660は「時不知」とぴったり同じですが,胴縦358,横368は時不知より7ミリも大きい。ほかの作家さんの楽器と比べて,不識の月琴はだいたい大型なのですが,今回の楽器は今まで扱った中でもいちばん大ぶりですね。

 棹は304。坪川辰雄の「清楽」(『風俗画報』)に 「(月琴の)棹の長さは天神より八寸位なり,渓菴は之れを一尺内外に造れりと云ふ」 とあります。関東の作家の棹が概して関西のそれにくらべると長く,第4フレットが棹上にあるのも渓派の勢力が江戸で強かったためもありますが,さらに石田義雄は渓菴の弟子,明治になってからの渓派の幹部の一人でもありました。その楽器に渓菴の自作楽器などの特徴が色濃く残ってても何ら不思議はありません。

 表板に4行の墨書があります。
 左右端の2行は字も細く,かすれててほとんど読み取れないんですが,内がわの2行は 「如竹之笣/如松之茂」 ではないかと----ただ,この「笣(竹+包)」は古書に出てくる竹そのものの種類を表す字ですね。「茂」と対句なのですから,これも動詞のはず。タケカンムリじゃなくクサカンムリの「苞」に通じさせて 「竹のつつめるがごとく/松のしげれるがごとく」 と読ませたいか,音通で「萌(ほう)」に通じさせて 「竹のもゆるがごとく/松のしげれるがごとく」 とでもしたかったんじゃないかと。
 ううむ,いちおう漢字の専門家としましては,どっちもけっこう無理があるけどなあ(^_^;)
 左端に署名と落款があるようなんですが,やっぱり読めませんね……あえてムリヤリ読んでみるとするなら「樺澤逸士 書」かなあ。

 裏面にはラベルの欠片と接着痕が残ってます。


 上の丸いのは菊の御紋の真ん中に「賞牌」と書いてあって,勧業博覧会で賞をもらったという記念。下は完全に痕だけになっちゃってますが,サイズと形状から上に 「不識作」 下に 「東京神田/錦街之住/石田義雄」 とある四角いラベルです。現在確認されている初代不識の月琴のラベルには,このほかに上左右角を斜めに落とし,真ん中に 「石田不識作」,左右に 「日本東京神田/南神保町五番住」(右画像) と書かれた2種類があります。
 上に貼られた賞牌記念が後者のラベルでは「賞牌・褒状」の二つに増えてるので,以前は単純に「錦町」のが初期で「南神保町」のが後期,としていたんですが。
 最近資料を調べ直していたらおかしなことに気がつきまして----
 楽器商リストで見てみると,石田義雄の店を南神保町と記した例は明治25,27,28,31年。でも錦町とするものも明治24,36,大正13年にあるんです。
 つまり,同時代に2つの住所が重複して見られるわけだ。

 明治27年の『東京諸営業員録』という本は,不識の店の位置を 「神田区南神保町五 五十稲荷前ヲ北ヘ一半南ヘ〓〓(〓部分不明) としています。東京は戦前戦後にかなり地名が変わっちゃってて,今は「南神保町」という地名もなくなっちゃってますが,「五十稲荷」は現在もほぼ同じ位置にあり,錦町の住所地のほうは表記も場所も当初からほぼ変わってません。古い地図で見てみると,「五十稲荷前から北」 へ向かうということは,これは間違いなく南神保町の店を指しているのですね。

 おそらく初代不識は,もともと錦町で製作・営業をしていたのが,明治20年代の月琴の流行とともに,販売店舗を独立させて南神保町にも開店……しかし,明治27年の日清戦争後,清楽の衰退とともに南神保町の店を閉じ,もとの錦町の店舗のみに集約,ラベルも元のに戻した----とかいうようなことがあったんじゃないかなあ,と推測してるのですが。
 まあさて,証拠はない。(ww)
 それにしても,こんなラベル一つからでも,過去の人のことがいろいろと想像できるものですニャ。

 さて,今回の楽器ですが上にも書いたようにラベルは錦町時代のもの。ただしニラミの菊が正面向きではなく,ほかの作家さんの楽器でも見る,よくある横向きのデザインになっていますし,正面向き菊をつけた1号や27号よりも工作が凝っていることからも後期の作だと思われます。



 ここで今期も依頼修理の楽器が!
 なんか今年はよく来ますねえ。

 第4フレットの痕跡が棹の上----さっき書いたように,関東の楽器,あとは材質やデザインから,月琴流行時の普及品タイプの楽器のひとつだとは思うのですが。さて外見からはイマイチ,どこのどなたの楽器だかが分かりません。

 蓮頭は線刻の宝珠,お飾りはザクロ,どちらも良くあるっちゃあ良くあるデザインでして。
 だがしかぁし!----棹を抜いたら現れた,ほかの作家さんの楽器ではまず見ない,この独特な棹なかごの形状は!!!

  「柏遊堂」の月琴ですね。
 いままでにも21・35・43・52号と4面も扱ってますんで,けっこうな数作ってた人だと思われるんですが,いまだに正体不明。
 楽器は外見的には浅草 「清琴斎(山田縫三郎)」 の楽器に酷似してますし,名前は稲荷町の 「柏葉堂(高井徳治郎)」 に近い感じですね。
 この棹なかごのデザインは,三味線のなかごの縮小版みたいな感じですので,たぶん出自は三味線師。屋号が「柏屋」のお店のどなたかだとは思うんですが………東京の楽器屋で「柏屋」ってのは無数にあるんですよね~。

 全長:660。
 胴:縦350,横348,厚39。
 有効弦長:342。

 こちらも糸巻は4本そろってますし,板の割れやフレットの欠損はあるものの,一見そんなに状態は悪くなく,なくなった部品をちょと足せば弾けちゃいそう,にも見えるんですが----

 まずこれですね。
 棹口の左右がバッキリ逝ってます。
 この楽器ではよくある故障で,床に置いてたのを踏み抜いたか,たてかけて置いたところに寄りかかっちゃったか……まあマトモな状態のヒトなら,楽器に対してまずやらないことだと思われますんで,庵主はすべからく酔っ払いのシワザ(w)だろうと踏んでおります。
 表板中央の2条のヒビもこの損傷が原因ですね。
 「よくある故障」とはいえ,ここが割れてるのはけっこうな重症。なんせここは,棹からの力がいちばんかかる場所。人間で言えば「頸椎損傷」ってくらいの病状にあたります----あたりまえのことですが,ここが割れた状態でいくら締めても,棹が微妙に浮き上がって音はそろいません。

 さらに,棹なかごの延長材部分がまあ,こんなことになってまして。(^_^;)
 測ってみますと,棹の傾斜が山口のあたりで胴水平面からマイナス8ミリもある。いつも書いてるとおり,この楽器の棹は背がわに傾いてるのが理想形なのですが,国産月琴の場合,ふつうは3~5ミリ----8ミリはいくらなんでもちょと傾き過ぎですねえ。

 この楽器の半月の高さが10ミリ。半月の工作がふつうで通常のかけ方をした場合,糸はだいたいその上面から2ミリほど下で出ます。
 対して山口の高さが11ミリですので,棹の傾きぶんを引いただけでも,弦が頭方向にエラく傾斜しちゃうだろうってあたりは,実際に張って見るまでもありません。

 理想としましては,棹の傾き3~5ミリで,山口の頭が半月のとこでの弦高より1~1.5ミリ高くなってないとならんのです。この楽器のように弦が頭方向に傾斜すると,フレット高はやたら低くなりますが,胴との接合部付近で弦を押さえた時,弦が「へ」の状態になり,ビビリが発生します。
 最初は修理の結果かな~とかも考えたんですが----そもそもの棹口や表板の割れが修理されてないわけですし。基部表がわに残っている墨書(「四」)の状態などから見ても,この棹なかご,間違いなくオリジナルの工作のようです。
 最初はホオの木で延長材を挿したら,傾きが足りなかった,そこで削って調整してくうちに,スペーサの杉板が一枚から二枚へ……おそらくはそのように,原作者がより良い楽器に調整しようと努力した結果なのだとは思いますが----いや,ここまでやるんだったら,延長材はずしていッそ最初からやり直したほうがよっぽど早くね?
 という感じ。
 たぶん途中から,もう意地になっちゃったんだろうなあ。
 できあがってから,「あ……」(もっとカンタンな方法があったことに気がつく)とかなったろうことは想像に難くない(www)


 61号は思うところもあり,とりあえずの記録を採って,修理はちょと保留しておきますので,今期の修理はこの2面。
 まだ6月なのにやたらと暑い日が続いております。
 夏になると,四畳半一間,全自動冷暖房「大自然」完備のわが工房(w)および中の人は,作業不能な状態となります。

 さあ本格的な夏の到来前に直せるかどうか!


(つづく)


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